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01 もう一人の主人公

 真っ白な世界に、一冊の本が落ちている。

 意味ありげに置かれた本は、誰もいないのに小さく動いて開かれた。

 パラパラパラ、とページが捲られる音だけが白い世界に響いてゆく。

 まるで、その本自体が意思を持っているかのような気持ち悪さに眉を寄せる者は誰もいない。

 パタン、と動きを止めた本のページはその場所と同じく真っ白だ。

 本の装丁は古臭く、所々綻びているというのに中は劣化を知らないかのような真新しさだった。

 じわり、と青いシミが滲んだと思えばそれが文章を綴っていく。


 “その世界は終わりのない繰り返しの中で疲弊し、崩壊へ向けて周囲の全てを巻き込んでいった”


 文章が終ったかと思えばその状況を表したかのような絵が空白の部分に描かれる。

 青と黒の二色で描かれた不穏な空模様。

 各地で災害が起き、逃げ惑う人々が恐怖の表情で神へと縋りついている。

 生きとし生けるもの、自然や人工物でさえ等しく滅ぶ様子は顔を背けたくなるほどだ。

 まるでその場を見てきたかのような絵が薄っすらと浮かび、色が濃くなると次のページに文字が滲んだ。


 “その世界は未知の力に蹂躙され、選定者のみが存在を許される箱庭となった”


 空から落ちてくる隕石を崇め祈る人々。

 多くの生き物達が倒れている中で、数人の人間と少数の生き物が立ってる姿。

 高台で両手を広げ演説しているような指導者らしき人物と、それを呆けた顔で見ているその他。


 “選定者の中で力あるものは神と呼ばれ、楽園を築く。緩やかな滅びを迎えているとも知らずに”


 人と生き物が幸せそうに暮らしているが、それは世界でもほんの一部でしかなくそこ以外は荒れ果てている。

 白と黒の二色が次第に白一色になっていき、最終的には老いた真っ白な生き物が倒れている姿があった。

 

 “幸せな家族は必ず壊される”


 父、母、娘の三人家族。

 それぞれの顔の部分は塗りつぶされているので誰なのかは分からない。

 同じ絵がいくつも並び、それら全てに大きくバツ印がついていた。

 自動的に捲られるページに書かれる文章と絵。

 一つの物語ができるようだが生憎ここに読者はいなかった。


 “幸せな家族は必ず壊される”

 “幸せな家族は必ず壊される”

 “幸せな家族は必ず壊される”

 “幸せな家族は必ず壊される”

 “幸せな家族は必ず壊される”

 “幸せな家族は必ず壊される”


 上から大きくバツ印が書かれた家族三人の絵と文がずっと続いていく。

 風圧を感じるほど早く捲られたページが速度を落とし、ゆっくり止まった。


 “幸せな家族は必ず壊れる”


 白いページを埋め尽くす同じ文字の繰り返しは狂気すら感じる。

 静かに次のページが捲られて最初の文字が浮かび上がったと同時に、大きな影が落ちた。

 見開きの真ん中に落ちた靴は、そのままのどを押し込むように沈み込む。


「ぐわぁ!」

「ん? あら、ごめんなさい」


 白い紙は靴跡で汚れ、くしゃくしゃになり所々破けてしまっていた。

 低く呻くような声に首を傾げた人物は、自分が踏んでいる物を見て踵でくるくるとターンをする。

 軸がぶれることなく器用に何度も回る彼女に、本は「ぐわっ、ぐわっ」と面白い音で鳴いた。

 鼻歌を歌いながら今度は爪先立ちでくるくると回る。


「見事なものですね。でも、そろそろいいと思いますよ?」

「そうかしら」


 穏やかな声に彼女は動きを止めて本から降りた。

 本の周囲には破れた紙が散らばっていたが、彼女がパチンと指を鳴らすと音もなく燃えて灰になる。

 悲鳴のようなものが響き渡るというのに、彼女はつまらなそうに息を吐くだけ。

 荒い呼吸をしながら小刻みに震える本を見つめて、笑顔を浮かべると淑女の礼をした。


「こんにちは、偉大なる賢者(マスタービブリオン)。御機嫌如何かしら?」

「お主は……機嫌がいいように、見えるのか?」

「あら、そうとしか見えないけれど」


 飛び散る青と黒のインクがまるで血のようだが、気にならない彼女は首を傾げて低く唸る本を見つめる。

 その足元には真っ白い毛玉のようなうさぎがいて、ひくひくと鼻を動かしていた。

 どこの言語なのか分からないような言葉で本が何かを呟いている。

 それを聞きながら彼女は髪に指をくるくると絡ませて鼻歌を歌っていた。

 毒々しい本の言葉と、お気楽な彼女の歌がその場に響き渡り異様な雰囲気になる。

 

 “我が文字は我が声。紡ぐは……”


「光より出でし呪縛の鎖、世界を惑わせ己に酔う愚者を捕らえよ。光縛鎖展開(ポースアポクリズモス)


 歌うように紡いだ彼女の言葉に反応して、浮かび上がった魔法陣からいくつもの鎖が出現する。青色の炎を纏った光の鎖は本を囲むように地に突き刺さった。

 紫色の炎を纏った白紙のページが本から切り離され鎖を攻撃するが、青白い炎に焼かれて消滅する。


「困った方だわ。どちらが上なのか、まるで理解していないなんて」

「そう言ったら流石に可哀想じゃない?」


 穏やかな声でそう告げる白いうさぎに、彼女は笑顔で尋ねる。その表情からとても可哀想に思っているようには見えなかった。

 白いうさぎは不思議に思うことなく、彼女を見上げて「ふふふ」と笑う。

 身動きが取れず苛立った声を上げる本が懸命に暴れようとするも、言葉すら制限されていてままならない。

 己が優位であるという自負があった本は突然抵抗をやめ、大人しくなった。

 顔を見合わせた彼女と白いうさぎは首を傾げる。


「分身はあんなに大人しいのに、本体は凶暴とか怖いわ」

「あら、あの分身だって大人しいのはフリかもしれないわよ?」

「確かにそうね」


 演技は上手そうだと呟く彼女にうさぎは頷いて同意する。

 くすくすと笑う二人の声を聞きながら、本のページが捲られていく。

 汚れていない真っ白なページが出てきたと思えば薄っすらと浮かび上がってくる顔のようなもの。

 髭を蓄えた老人の頭部が白い紙を突き破るようにして出てきた。

 首は本と繋がっているので気持ちが悪いが、二人は驚いた様子もなく彼を見つめている。

 やっと出てきたかと呟く彼女に白いうさぎは小さく笑い、近くまで歩を進めた。


「御機嫌よう、偉大なる賢者(マスタービブリオン)。予想外でご立腹かしら?」

「もう一発やっておく?」

「ふふふ」

「もうよい。もうよい。勘弁してくれ……こりごりじゃ」


 落ち込んだような声で老人はそう告げるが二人は表情を変えずに首を傾けるだけ。

 その様子に全く信用されていない事を痛感した彼は、深い溜息をついて真っ白い紙の中へ引っ込んだ。

 スケッチするように素早く描かれる老人の横顔は憂うように見える。

 動きを制限された中で、無理して動いたせいか老人はぐったりとして椅子に座った。

 まるで動画を見ているようだと興味深そうな顔をして覗き込もうとする彼女を、白いうさぎが優しく制した。

 その瞬間、老人の目が鋭くなり舌打ちをしたのをうさぎは見逃さない。


「あぁ、やっぱり。そう簡単に丸くなるわけないか」

「ええそうよ。だって彼はヒトではないもの。誰に作られたか、作った主が存在しているのかすら分からない迷惑なモノだもの」

「厄介なもの作ってくれたよね」


 老人が二人に向けて掌を向けるが、それより早く彼女が何かを呟いて指先を動かすと魔法陣から矢が射出された。

 鋭い光の矢は本に突き刺さり、何本かは容赦なく分厚い本と彼の絵を同時に貫いている。

 ガタガタと大きく震えた本はぱたりと動きを止めて、再び荒い呼吸と恨みがましい声が周囲に響いた。

 懲りないものね、と呆れたように溜息をついたうさぎに彼女は頷く。

 自分の右手を握ったり開いたりしながら眉を寄せていた彼女は、思い通りに力が制御できない事を不満に思う。

 頭に浮かぶ人物ほどとはいかずとも、それなりに使用できればいいのにと心の中で呟く。


「焦る必要はありませんよ。じきに馴染むでしょう」

「そう? それならいいんだけど」

「ええ。それよりも、少し手伝ってくれませんか?」

「もちろん」


 うさぎの言葉に笑顔で答える彼女は、ポケットの中に入れていたコサージュを髪につけてその場でくるりと一回転した。

 可愛い可愛い、と褒めるうさぎに気を良くしたのか鼻歌を歌い始める彼女。

 いつもの落ち着いた様子が今は歳相応に見えて、うさぎは微笑ましくその様子を見つめていた。


「ふむふむ、こうかな?」

「ええ、そうです。相変わらず覚えが早くて助かります」

「教えるのが上手いからでしょう」

「ふふふ。ありがとうございます」


 うさぎに教えられる通りに白い地に何かを描いてゆく彼女。

 そんな彼女を見ながら、自分の作業を終えたうさぎが拗ねたように彼女を眺めている本に声をかけた。

 老人は本の中、椅子の肘掛にもたれて不機嫌な顔をしている。


「少しは落ち着きました?」

「無理やり落ち着かせておいてそれか」

「すみません。どちらが()なのか、はっきりさせておかなければと思いまして」


 うさぎは赤い目を細めて顔を歪める老人を見つめた。

 本は相変わらず彼女の術により動きを制限されている。時折、暇つぶしのように老人が本の中から武器を投げてきたりするが、全て青い炎によって消滅してしまう。

 彼女が白い地に描く紋様に集中しているから、こちらの術の維持がおろそかになっているとでも思ったのだろう。

 そんな老人の心を見透かしているかのように、うさぎは笑った。


「身に染みて理解しておる。いや、させられておる。不快極まりないが、致し方ないじゃろう」

「あら、気持ち悪いくらいにしおらしい」

「これだけ力の差を見せ付けられておいて、なお抵抗しようと思うほど愚かではないわ!」


 ぶるぶると体を震わせて目を見開き声を荒げる老人に、うさぎは「まあ」と耳を動かす。

 光の矢で紋様を描いていた彼女は、ぶつぶつと呟きながら立ち上がり全体を見回した。

 不備はないか確認してうさぎに声をかけると、うさぎは笑顔で頷いた。

 完成した紋様が気になったのか、老人が本から顔を出して食い入るように地を見る。


「ふむ。まあまあ、と言ったところか」

「何を言うんです。上出来ですよ、雫」

「ありがとう」


 雫と呼ばれた彼女は鼻で笑う老人の態度を気にすることなく、うさぎから褒められてとても嬉しそうだ。

 手にしていた光の矢を思い切り振りかぶって投げると、ちょうど紋様の中心部に突き刺さる。

 ぱんぱん、と手を叩きながら小さく口を動かせば光の鎖に拘束された本が魔法陣ごと中心へ移動した。

 突然のことに老人が椅子から転げ落ち、ごろごろと白紙の中を転げ回る。

 本が本体なのだからそんな無駄なことをしなくても、と呟いた雫をうさぎがそっと止める。

 揺れが収まり立ち上がった老人が、手にしていた杖を雫へ向けながら怒鳴った。

 移動するなら先に言えと言っているが、雫は聞こえないフリをしてうさぎと最終の打ち合わせを始める。


「それにしても、お前がここに存在できるとはな」

「ん?」

「一つの世界に同一人物は二人存在できないのが決まりじゃ」

「詳しく言えば、彼女と私は違うけれどね」


 私は私。貴方であり貴方ではなく、私。羽藤由宇には違いないけれど。

 歌うようにそう告げる雫に老人は眉を寄せて虚空を睨む。

 そんな、ありえん、と呟く声に笑うのは白いうさぎ。

 顔を見合わせてふふふと笑う二人の声に、老人は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「名付けか。しかし、それだけでそんな力は出ぬだろうに」

「でしたら何があれば可能でしょう?」

「……まさか、ティアドロップだと?」


 顔色を変える老人の声は面白いくらいに震え、口を押さえる手もガタガタと震えていた。

 分かりやすい反応をするなぁ、と雫が呟くと紋様の上を走り回っていたうさぎが耳を揺らす。

 雫が描いた紋様を加筆修正し終えると、ぐったりとうな垂れた本の元へと近づいていく。

 それを見ていた雫もゆっくり歩を進め囚われている本の中の老人を見つめた。

 目の前にいる二人にやっと気づいた老人は、静かに顔を上げて二人の顔を交互に見る。


「知らぬ、知らぬぞ。ワシは知らぬ!」

「なるほど。ハクトが言っていた弱点って、これ?」

「そう、これよ。ここまで追い詰めるのに随分と苦労したわね」


 ここまで来るのにどれだけかかったか、と深い溜息をつく雫を労るようにハクトと呼ばれた白いうさぎが彼女に身を寄せる。

 頭を掻きながら一瞬険しい表情をした雫は、もう一度溜息をつくとその場に腰を下ろした。

 胡坐をかいた中央にぴょんとハクトが跳び乗る。

 女の子なんだからお行儀良くしなさい、とは言いつつもハクトは更に老けたようにげっそりとした顔の老人を見つめる。

 本の中に描かれた老人がしわくちゃになっていくと同時に、本も劣化していく。


「第一、どうやってソレを手に入れた? 羽藤由宇ならば分かるが、お前が持っているのはアレには到底及ばぬものだ」

「コレのこと? 失礼ね。これでも父さん達が一生懸命に作ったのよ?」

「全てを記録している偉大なる賢者(マスタービブリオン)に知らぬことなどないでしょう?」


 お守り代わりにもしているティアドロップのペンダントを服の内側から出すと、雫は眉を逆立てて怒った。

 そんな彼女の声も表情もどうでもいいと言わんばかりに、老人は生気を失った目でハクトの赤い瞳をじっと見つめる。

 真っ暗な闇を思わせる老人の目だが、見つめられているハクトは動じず小さく頭を傾けた。

 ぴくぴく、と耳を動かして崩れてゆく偉大なる賢者(マスタービブリオン)を観察する。その表情はとても楽しそうだと雫に指摘されたが、ハクトは自覚していないらしい。

 自分の表情の変化が分かる方が異常だと穏やかに返すハクトに、雫は苦笑した。






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