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かみさまクラスタ  作者: NES
第四章
16/19

そんなお願い、聞けないよ。

 黒いモノは鳥居のすぐ前にまで迫っていた。


 み地の中に封じられていた、煮凝にこごりのような悲しみの心。

 リクが忌み地の中で感じたトヨの気配は、まさに忌み地の中にあった。


 神様の、トヨの痛みが固まったモノ。


 リクが以前に出会ったとき、それは大きくて、見上げるほどのモノだった。


 そして今、鳥居の外にいるモノは、その比ではない。


 腫れ上がり、膨れ上がり、見る見るうちに大きく伸びあがっていく。

 気が付けば、空を隠し、それほど広くない境内の周囲を覆いつくし、こちらに襲い掛かる機会を伺っていた。


「これはどちらかと言えば私の専門のようですけど」


 マナの言葉を聞いて、トヨが鋭く睨みつけた。


「手を出さないで」

「でしょうね」


 マナはあっさりと引き下がった。


「トヨ、一体・・・」


 何が起きているのか、リクにはまるでわからなかった。


 世界のことわりに従わないモノを、消し飛ばすことが出来る力。


 この力があれば、あの黒いモノを消し去ることが出来る。

 トヨを、助けることが出来る。


 そう考えていたのに。


 呆然と立つリクに近付くと、トヨは優しくその手を握った。


「リク、ありがとう。でも、これは私がどうにかしなきゃいけないの」


 トヨの手は柔らかく、そしてあたたかい。


「頑張ってみるけど、もし・・・」


 うつむいたまま、トヨはリクの顔を見ようとはしなかった。


「もし私が、私に飲まれるようなら、その時は・・・」


 声が震えている。


 夏祭りの日。

 誰もいない暗がりに向かって語りかけるトヨの姿を、リクは思い出した。


 あの時と同じだ。


 まだリクの知らないトヨ。

 リクの前でずっと隠してきたトヨ。


 多分、長い間誰にも見せることが出来ないでいたトヨが、そこにいる。


 リクは、握った手の上に何かが落ちたのを感じた。


 熱くて、冷たい何か。


 それがトヨの涙だとわかって。

 リクは言葉を失った。


「この手で、私を消して」


 トヨはリクの手を離してきびすを返した。


「トヨ」


 リクの伸ばした手が空を掴む。


 振り返ることなく、トヨは駆け出した。




 鳥居を抜け、神社の境内から外に出る。

 そこはもう何も見えない真っ黒な世界。


 夢に沈めた町は、すっかりトヨの痛みに飲み込まれてしまっている。

 これがこのまま現実の世界に入り込めば、町はただでは済まないだろう。


 トヨは両手を広げ、その黒いモノを自らの身の中に取り込もうとした。


「ずっと逃げてきた。これは、私だ。私が向き合わなくちゃいけないんだ」


 胸の奥が痛んだ。

 忘れていた痛みが、悲しみが、トヨの中に渦巻き始める。


 無数の死霊と、切り離してきた想い。


 その奥に懐かしい面影が見えた。


「ヨウシュウ・・・」


 痩せ細った、不健康そうな、人形師の男。


 そのカタチが、トヨの目の前で崩れる。


 封じてきた記憶が、濁流のようにトヨの心を押しつぶし、粉々に打ち砕いていく。


 独りで、暗い部屋の中で、誰にも看取られることもなく。


 愛した人の名を呼んでも届かず。


 何かを残すことも出来ずに。


 命の炎が、消える。


 最後に彼は誰の名を呼んだだろう。

 誰の姿を求めただろう。


 何を残そうとしたのだろう。


「嫌だっ!」


 トヨは絶叫した。


 自分が壊れていく。

 自分が形を失っていく。


 せめて、彼の最後の姿を見ていたかった。


 命の火が消える時、そのかたわらにいたかった。


 話したいことが、伝えたいことがまだ沢山あった。


 最後まで、そばにいたかった。


 せめて。



 もう一度、会いたかった。



 悲しみも痛みも、まるでその勢いを失っていない。

 それはむしろ、長い時を経て強く、より確かなものとなっていた。


「ヨウシュウ、私は・・・」


 トヨは暗闇の中でもがくように手を伸ばした。


 どんなに求めても、決して届くことの無かった、この手。


 触れることのかなわない想い。


「私は・・・」


 ヨウシュウの手が伸びて。


 トヨの手が。


 触れることなく、すり抜ける。

 掴もうとして、空を切る。


 こうやって、何度となく繰り返した。


 繰り返すたびに、胸の中が苦しくなった。


「貴方に触れることは、出来ないんだ」


 まただ。


 また、繰り返している。


 肩を抱くことも。

 指を絡めることも。

 ぬくもりを知ることも。


「貴方の子を成すことは、出来ないんだ」


 何も。


 何も得ることが出来ないままに、全て消えてしまった。


 触れられないのなら。

 失うことしか出来ないのなら。

 求めることに意味などないのなら。


「貴方と共にあることは、出来ないんだ」


 好きでいることが、苦しみしか生まないのであれば。


 もう。


 もう、ここにいることに。


「私は」


 存在していることに。


 自分が自分であることに、どんな意味があるのか。


「私は、消えてしまいたい・・・」


 自分の姿が黒い霧になり、薄れていくのを感じる。


 トヨの目から、涙がこぼれ落ちた。




「リク、来るぞ、覚悟を決めろ」


 サキチが身構えた。


「サキチさん、そんな」

「ユイもだ。あそこにいるのはもうトヨ様じゃない」


 リクはただ茫然ぼうぜんと、鳥居の外に立つトヨの姿を眺めていた。


 いつものように明るく振る舞って。

 陽射しのように暖かくて。


 花咲くように笑う神様は、もうそこにはいなかった。


 そこにはただ暗く、冷たい、世界にぽっかりと空いた黒い穴のような何かが。

 トヨの姿をして立っていた。


「あれはもう、たたり神だ」


 サキチの声は、砂を吐くようだった。


「トヨ様」「トヨ様」


 猫たちがざわめく。

 その動揺を反映して、神社全体の空間がぐにゃり、と歪んだ。


「集中しろ、向こうの夢に飲まれるな!」


 サキチの声が、リクにはまるで遠い世界の出来事に思えた。


「ウソだ・・・」


 リクは呟いた。


 力強くリクを助けてくれた彼女。

 この土地を守ってきたと誇らしげに語った彼女。

 間違えれば叱ってくれた彼女。


 それでも、最後には優しく許してくれた彼女。


 友達みたいで、なんだかとても神様のようには思えなくて。


 神様のようには見えなかったけど。


 実は家族のために、みんなのために、自らの命を投げ出して願いを叶えてくれた神様で。


 今でもみんなを、優しく見守ってくれていた彼女。


 そんなトヨが、もう、そこにはいない。


「リク!」


 サキチの声で、リクは我に返った。


 だが一瞬遅く、トヨであったモノから放たれた黒い塊がリクの身体を直撃した。


 激しい衝撃でリクの身体が浮き、そのまま地面に叩きつけられる。

 痛みが全身を駆け巡り、体中の穴という穴から冷たい炎が噴き出しているようだ。


 これが。


 トヨの中にある痛みだというのだろうか。


 こんな痛みを、トヨは一人で抱えて、耐えているのか。


「リク、しっかりして」


 ユイがリクに駆け寄り、その体を助け起こした。


「トヨちゃんを助けて、リク!」


「ユイ、アイツはもうトヨ様じゃない」

「サキチさん、おかしなこと言わないでよ。トヨちゃんだよ!」


 ユイが叫んだ。


「トヨちゃんだよ。みんな、ずっと一緒にいたじゃない。お話ししたじゃない」


 ほとんど人気ひとけのない稲荷神社で、濡れ縁に腰かけて。


「トヨちゃんが、私たちの神様が消えるわけないじゃない!」


 楽しそうに話して、笑って。


「私は信じてる。トヨちゃんはトヨちゃんだ。消えてなんかいない!」


 ユイの言葉に、リクははっとした。


 自分のてのひらを見下ろす。

 そこには最後にトヨが触れた時の感触が、ぬくもりが、まだ残っていた。


『この手で、私を消して』


 トヨの声が脳裏によみがえる。


 その言葉を残した時、トヨは。


 泣いていた。


 祟り神になるのであれば、誰にも迷惑をかけることの無いようにと。


 リクの力で、リクの手で。

 世界のことわりから外れた自分を消してほしいと。


 リクへと託した。


 そんな想いが、この掌に残されたぬくもり。


「トヨ・・・」


 リクの知らないトヨ。

 何処か遠くを見ているトヨ。

 泣きそうになるのをこらえているトヨ。


 明るくて、笑顔で、自信にあふれたトヨだけが、トヨじゃない。


 トヨは、神様だ。


 神様だけど。


 トヨは、女の子だ。


 傷付くこともある。

 痛みに耐えられないこともある。


 涙を流すこともある。


 だから。


「・・・そんなお願い、聞けないよ」


 リクはこぶしを握りしめた。


「俺は、神様じゃないからさ」




 リクはふらつく足にかつを入れて立ち上がると、トヨであったモノの方に歩きはじめた。


 それに気付いたのか、トヨであったモノの周囲から黒い塊がき出ると、リクに向かって放たれた。

 高速で迫る黒い塊は、しかしリクの身体に触れる直前に前触れなく霧散むさんした。


 驚くリクに向かって、マナが手を振ってみせた。


「約束した手前、手は出さないけど、あなたを守るのは私の勝手ってことで」


 リクはマナを一瞥いちべつすると、トヨであったモノに向かって再び歩を進めた。


 次から次へと黒い塊がリクに襲い掛かるが、一つとしてリクの身体には触れられない。

 マナの守りは万全だ。


 遠巻きに塊をばらまきながら、トヨであったモノはじりじりと後退していく。


「ヤツめ、リクが直接触れればそれで消されることがわかってるんだ」


 祟り神は、世界のことわりからはみ出た存在。

 そうであるならば、リクの力で消し飛ばすことが出来る。


 猫たちが包囲し、威嚇いかくの声を上げる。


 トヨであったモノの動きが、一瞬ひるんだ。


「リク、行け。そのままやるんだ」


 サキチが叫んだ。


 リクが走り出す。


 身をひるがえして逃げようとするトヨであったモノに、リクは素早く手を伸ばした。


 トヨであったモノが、大きく飛び退く。


 あと少し、手が届かないというところで。



 リクは相手の腕を掴む自分の手を「視た」。



 そしてその世界を自分の現実に引き寄せて。


「トヨ!」


 力強くその腕を掴んだ。


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