2 大魔導師「女性をあまりからかうものではない」
「それで、ヒトトセは今何処にいるんだ?」
「ああ、あの人なら山に篭ってる。勇者を木っ端微塵にする必殺技を考えてくるって言い残して出て行った。私に仕事を大量に押し付けてね」
「それは、なんというか。ヒトトセらしいというか」
座ってどうぞ、とすすめられた椅子にどっかりと座り、ソランは晴香と会話をする。ちょこんと、浅く椅子に座った彼女が片手を振るうと、温かい飲み物が現れた。それはソランが好んで飲む、アラヤで唯一取ることが可能な茶葉で淹れられた紅茶だった。懐かしい香りを彼が楽しんでいると、晴香は人差し指を立てる。と、同時にぽちゃんと彼女のカップには砂糖が投下されていた。
「さすがは、といった所か。ヒトトセの弟子と言われても納得できる」
「転移魔法は極めることが出来れば雑事の短縮になるからな。私も好んで使っている」
すこしはにかんで答えた晴香に、ソランは少しドキッとした。彼の身の回りにはバイオレンスな女性しかいなかったせいもあって、こういった所作に実は弱い。ユーリが車の中で物憂げに外を眺めていた時など、見入っていたほどだ。
彼女が行ったのは転移魔法、それだけでも凄まじいというのに、途中に様々な魔法を組み込んで紅茶を出すといったことを瞬時に行ってみせた。同様の事を行えるのはこの大陸には彼女の師匠であるヒトトセ以外、不可能だろうと、彼女の魔法を見た魔導師は語る。
「山にヒトトセはいるって言ったな? 場所は分かるか?」
「さっぱりだ。あの人が修行をしているところなど見たこと無いし、そもそもそういう光景を見せようともしないから」
優雅にカップを傾ける晴香。むむ、これは少し厄介かなとソランは思うものの、ヒトトセが彼女に自分たちに味方すると言い残していたらしいことを思い出す。どうやら自分では手を貸すつもりはないが、代わりに手下を使うということだろうか。喜んでいいのやら悲しむべきなのか、よく分からないところ。
『リシアにヤラれる前に俺様が貴様を倒す、そのために我が配下の天下救世主連合を貴様に貸す。ふんっ、感謝するんだな。別に助けたわけではないぞ! 本当だからな!』
晴香が再び手元に転移魔法を発動させ、手に持ったのは記憶結晶。水晶のようなそれは内部に音声、画像、映像をある程度保存することが可能であり、また再生させることも出来る。どれほど記憶させることが出来るのかは値段次第ではあるものの、今彼女が手に持っているそれはそれ一つで高級料亭で宴会が出来る程度には値段がかかる。
映像のヒトトセよりもその記憶結晶に関心を持って質問してくるソランに晴香は説明し、それに続けて
「師匠は容量が多ければ多いほど良いって考えてるようだけれども、実際使用しているのは10%にも満たない。もし市場で買っていたのならば金の無駄遣いってやつだね」
と付け加えた。実用性よりも見た目や見栄を大事にするあの子らしい、とソランは思うものの、資源を大事にする森の民としてはその考えは受け付けられない。無駄を無くした質素な生活が一番だという教えを幼いころから受けているのだ。
「ああ、勘違いしないでくれ。この記憶結晶に一番大事なのは魔法だ、クリスタルの良し悪しなんざ関係ない。これは師匠特性の超特別バージョンで無駄機能がついているだけだから」
「なら良いんだ。もし大人になっても無駄遣いを続けているようならこめかみにげんこつぐりぐりの刑に処してやるところだった。あっはっは!」
「……一応師匠は貴方よりも遥かに年上なんだけど」
続けて彼女は、あのぐりぐりは死ぬほど痛いから二度と受けたくない、と呟く。それはとても小さなつぶやきで、大型の机を挟んだ先のソランに聞こえるはずのない声量であったが、尋常でない聴力それを聞きつけた彼はどういうこと、と聞く。まさか聞かれているとは思っていなかった晴香は狼狽しつつも返答をした。
「え、ええと、私も昔色々あって師匠にそれをやらされたんだ。とっても痛かったな、って。ははは」
少し引きつった彼女の笑い声にどこか引っ掛かりを覚えるものの、なんとなくそれよりもこれをネタにからかってみたらどういう反応を示すのかが気になってしまう
「俺、すっげえ気になるんだけど」
「……気になるのか?」
「おう、だって君みたいな何でも出来そうな美人な大人の女性ってのがやんちゃ坊主だったヒトトセに怒られている姿が想像出来なくて。人に言えないようなどえらいイタズラでもしたのかな?」
さあ、どう反応する? と期待を込めてソランは晴香を見据える。人は昔やらかした恥ずかしい出来事を思い出させると多少は面白い反応をするものだ。かくいうソランも昔やってしまったおねしょで狼を描いたという過去は今思い出しても恥ずかしさでもだえ苦しむ。
そこまで考えておねしょのことを思い出し盛大に自爆したソランだったが、悶えるのは後でいい。今はただこの女性のそういう反応を確認するんだ、と羞恥心を抑えこむ。
しかし、ソランの予想外の方向で彼女は恥ずかしがり始めた。
「私が美人だと……?」
「お、おう」
膝の上に置いた指をあちこちに彷徨わせている光景はソランは見えない。だが、その顔が真っ赤に染まって凛とした瞳が視線を乱しているのは確認できた。想定外、全くの想定外ではあるがこれはこれでいいとソランは思い、続ける。
「いやあ俺はじめて見たよ君みたいな美人。出来れば結婚して欲しいくらいだ」
本音駄々漏れである。
「な、軟派な男だったのか君は! 私が美人だなんて、一度も言われたことが無い……からかうのはよしてくれ」
「俺は本気で言っているさ」
からかい七割である。あうあうと頭から蒸気を出してしまいそうな勢いで真っ赤になり俯いてしまう晴香。ぶつぶつとソランの褒め言葉を否定するような事を口にするが、どれも理路整然としておらず、単語ばかりが出てくるだけで、先程までの冷静沈着、聡明さを吹き飛ばして彼女への印象を180度変えてしまう
「冗談さ冗談。君のちょっと困った表情を見てみたくてね」
「そ、そうか冗談ならいいんだ」
「でも美人だと本気で思ってるよ」
キラリ、と当社比120%の笑みを付け加えてソランは更にからかう。声にならない声を上げた後、晴香は馬鹿! もう知らない! と言って顔をぷいっと背けてしまった。そこからしばらくやり過ぎた、ごめんと謝り続けて許してもらうまでにかなりの時間がかかったが、いいものが見れたと彼は満足する。反省などしていない様子であった。
「今回だけだからな、私をからかって遊ぶのは」
「分かった分かった」
ムッ、とした表情でソランに晴香が念を押す。分かったならいい、とようやく本題に入る。
「本題だが――どうしてヒトトセにぐりぐりの刑を受けたんだ?」
「からかうなと言った先にいう言葉がそれか。本題って言ったからようやく真面目な話が出来ると期待した私が愚かだったのかもしれない」
「ごめん、今度こそ本当に本題に入る」
ソランは語る。目覚めた時からどのように移動し、この王都へたどり着いたのか。ユーリの人となりに自分は今後リシアと関わりたくないのだがどうするのがいいのだろうか、と。自分以外の視点からこれまでの行動にどこか穴がないか、眠ってリシアが死ぬのを待つ以外に、一生関わらないで過ごす方法を検証してもらいたかったからである。
彼の話を聞いて、多少質問をし、脳内で情報処理をした後に晴香は口を開く。
彼女の意見はこうだ。目覚めて最初、夜中の森の移動は問題がない。だがしかし、トラックに乗って移動したのであればある程度運転手に顔を覚えられている可能性はある。まだユーリの顔の映像が出回っていないために問題になってはいないが、もし準備ができて市民に広まった場合、かの運転手が黙っている可能性は低い、と。
また、リシアから逃げる算段は今のところ思いつかないと彼女は続ける。一国の主という立場上、やすやすと動くことが出来る身では無いだろうが、リシアの性格上もしものときは国を投げ出しかねない危険性すらあると。考えつく最良の策は少しずつ顔を出して危ない行動をさせないことだが、それで大丈夫かどうかあやしいので推奨できない。
大陸の外に逃げるということも一つの手ではあるが、言語習得が大きな壁になりうるし、現代の技術で確実に別大陸へと渡航する手段がないためにやって欲しくない、とも。
「ちょっと待て、この大陸の外に大陸があるのか?」
「そうだったな、君は天動説の時代の住民だったのを忘れていた。……これを見てみるといい」
晴香は空中に水の球体を作り出す。一つの大きな球体の周りをくるくる回る小さな球体、晴香は小さい方のそれを指さしてこれが私達の住む大地を示したものだ、と語る。実はこの世界が球型だと聞かされたソランは理解できない、といった表情をする。だが、このホテルの最上階から見える地平線が弧を描いていることからおおまかな説明をし、彼女はソランに理解させることに成功した。納得はできていない様子ではあったが。
「つまり、港からずーっと北にいっても世界の果てなんて無くて別の大陸があるってことか?」
「もしくは陸地に当たらず一周回ってこの大陸南部にたどり着くか、だ。しかし北か南に向けて一周した場合途中でどうしても極寒の地を通過するためにおすすめしない」
「だれがするんだよ長距離船で進むだなんて危険なこと。巨大タコとかの化け物いるらしいしまず生きていられねえだろ」
「どの世界にも奇人変人はいるものだ。本気で船で世界一周しようとし、帰ってこなかった冒険家を何人も知っている」
世界が球型だという驚愕の事実を知ったものの、特に本題とは関係ないということでこれはひとまず置いておく。しかしながら、最後の手段として大陸外への脱出というのはアリだな、とソランは考えるのであった。
「うむ、考えてみたがどうしても聖女リシアに補足される未来しか思い浮かばない」
「それでも俺は逃げたいんだ。老後の安寧のために」
どういうことだ、と首を傾げる晴香にソランはかいつまんで説明する。つまり、嫁さん欲しいけれどもリシアのお眼鏡にかなう身分の人しか駄目だろうし、そんな人と出会うだなんてまず無理だし、だからといって老後黙って孤独死するわけにはいかないので、リシアと関わらない生活を所望しているといったことを伝えたのだ。
晴香はソランがリシアのことを好いておらず、迫ってくる彼女が厄介だから逃げようとしているのだと思っていたのだが、これを聞いて何かの冗談か? と思ってしまう。老後の安泰? 嫁をもらって子どもに囲まれて死ぬ? それリシアを嫁にすれば全部解決する話じゃないのか、と。
「あー、確かにリシアとそういう関係になれれば確かに解決するな。ある一点を除けば性格もいい、家事はなんでもござれな完璧超人だ。が、そうなった場合本当に幸せになれるのだろうか?」
ソランは言う。リシアが見ているのは俺じゃなくて理想の勇者様像だ、と。それを聞いた晴香はこの馬鹿男どうにかしたほうがいいのでは、と真剣に考え始めた。どこからどう見ても、リシアはそんな偶像に心を奪われたのではなく、ソランのことを好いている様子なのに。多少歪んではいるものの、その思いは本物のはずだ。
しかしながらそれは言わない。当事者同士の問題であるし――放置していれば自分に利がやってくる。
なるほど、そういう理由でソランはリシアを遠ざけていたのか、と晴香は納得して、それを踏まえて今後どう行動すべきかを模索する。長年の友人を裏切っているようで申し訳ないという気持ちにはなるものの、それとこれとは別だ。晴香は一人勝ちを狙う。
企みがバレて問い詰められた時にはこう言ってやればいいのだ。『ソランさんは王様だから、別に女の子囲っても問題ないだろう』と。
厨二病を発症して痛々しい言動をしていた自分を温かく迎え入れてくれたのは彼がはじめてだった。元の世界ではよそよそしく接され、相手にもされなかったというのに。初めての理解者で、兄のような人物に髪の毛ををくしゃくしゃにして撫でられるのがとても心地良かった。気付かないうちにソランが大きな存在となっていた。
「なるほどそうか。そういうことならば仕方ないな。一日時間をくれ、私も考える時間がほしい……ああ、明日はユーリさんも連れてくるといい」
「おっけ、じゃまた明日なハルカ」
晴香の内心など知らず、ソランはそのままホテルを抜け出し、一息つこうとして喫茶店に向かったところ、ユーリを見つけて本に夢中な彼女の正面に腰掛けるのだった。
ソランの説明を聞いたユーリはところどころ突っ込みどころがあるものの、とりあえず黙って聞いてた。そして、最初の懸念がより大きくなった。この駄勇者、本気で女たらしかもしれない、と。
しかしながらクールな美女の照れる姿は見てみたくはある、と思ってしまうところ、ユーリも徐々に彼に毒されているようだった。無論、指摘されたところで彼女は否定するだろうが。