1 勇者「盗賊として食っていけるかもしれない」
ソランとユーリが王都にたどり着いて数日経過した。宿を拠点に彼らは行動をしている。第一目標はソランが唯一、200年前からの知り合いでかつ話の分かる弟分、大魔導師ヒトトセに出会うことであるのだが、彼自体が多忙なのと、ソランたちが目立たないように行動しているのもあって、あまり進展がなかった。
このままではいずれ情報が漏れて、教国から追手が来るかもしれないと当初危惧していたものの、今のところはこれといった厄介事は起きていない。
「起きていない、はずなんだけどなあ……」
ユーリは喫茶店で一人呟く。今日は二人共単独行動だ。あまり一緒にいすぎても他人の印象に残ってしまうというソランの提案からだった。たしかにと賛成したものの、ユーリは灰色の青春を送っていたために特に何かをするでなく、こうやってぼうっとしている。
厄介事は起きていない、確かにそうだ。だが、この周囲のやけにおかしな雰囲気は何だ?
「マスター、『例のアレ』を頼む」
「承知しました。……クク、なるほど貴方も『識った』人間か」
「ああ」
ちらりと後方に視線をやると、何やら意味深な会話をするそれっぽい雰囲気の二人。この街に来てからよくこのような人を見かける。それも一人ではない、それぞれ別人なのだ。ちょっと可哀想な人が多いのかなとユーリはミルクティーを飲みながら考える。
ふと、逃亡生活中なのにこんな優雅な昼下がりを過ごしていいのだろうかと脳裏にもう一人の自分が語りかけてくる。や、仕方がない。厄介事は逃げてもいつかやってくるしドンと構えているのも一手だと、またもう一人の自分が諫める。
今日も平和な一日だった、無駄な自問自答を終えた後に持参していた古書を読み終えたユーリは帰路につこうと本を閉じ、懐から財布を取り出す。読んでいたのは魔導書、いかに効率よく魔法を使うのかということに重点を置いたそれはベストセラーとなっている。発売は100年くらい前だというのに。教国騎士団に所蔵されていたそれを借りたまま持ちだしてしまっているために窃盗罪に値するかも知れないが、もうどうでもいいやと彼女は開き直っている。指名手配されてる時点でもうアレだし。
ユーリが逃亡の際にかき集めた彼女の貯金はほぼ丸々残っている。宿に泊まったりしたというのに全然減らないとは、と疑問に思うかもしれないが、彼女達―ー否、ソランが稼いでいるためにそれは要らない心配であった。
ソランだって馬鹿ではない、200年後目覚めて一文無しは流石にまずいのはわかっていた。そのために、彼は黄金をその身に隠し持っていたのだ。いつでも換金できるように。
彼が王都についた初日にドスドスと衣服の中から多量の貴金属を落としていく姿にユーリはひっくり返りかけた。と、どうじにそれらの総重量に気がついて流石は山育ち、と感心する。これだけの重石があって丸一日森を歩いたりするとか非常識だ、とも。
「明日売ってくる」
「ちょっとまって、そのまま売るつもり?」
けれども、いざというところでやっぱり抜けているのが田舎育ち。彼はインゴットや延べ棒をそのままそこらへんに売ろうとしていたのだ。一般市民と思われる人間がそれほどの金を売ったとばれた場合、よからぬ輩に付け狙われて話題になり、女王リシアがすっ飛んでくるかも知れぬ。だからそれだけはユーリは阻止しなくてはならなかった。
「なるほどな。ていっ!」
ソランはおもむろに取り出した短剣でインゴットに斬りつける。すると、金の塊は綺麗に真っ二つになった。ちょっとずつ切り刻んでいき、売っても問題にならない量の金塊がいくつも出来上がる。
「……私、金を斬ったこと無いんだけど、そんなに柔らかかったかな?。加工に適したものとは知っているけどさあ」
最近、彼の行動のどこが常識で非常識なのか曖昧になってきたユーリであった。そう言えば、と思い出す。騎士学校トップを突っ走っていた戦闘民族さんは大岩切って投げ飛ばしてたりしたなあ、と。それを思い出すと同時に、ユーリは深く考えることをやめた。
「いい感じに切れたし全部売りさばくか」
「これだけの量、店を分けて売ったとしても話題になるに決まってんじゃん」
「まあ見てろって」
翌日、ユーリは彼の存在感の薄さというものを思い知った。
まず朝はじめにソランは両替商のもとへ訪ねる。金を硬貨へと替えるためだ。そんな彼の姿をユーリは少し離れたところで見ている。手伝おうかという申し出を、見たら安心するだろうとのことで断られたからである。
両替が終わって一時間後、また同じ両替商でソランは硬貨を手に入れる。そしてまた一時間後同様に。そのまた一時間後、一時間後、一時間後。
あれだけしょっちゅう行っていると顔を覚えられてしまうのではないか、と危惧するも平気平気と彼は取り合わない。ついに我慢できずにユーリはソランから一部の金を奪い取って両替商へと持っていくのだった。
「おお、今日はよく金がくるねえ」
「そうなのですか」
「朝から一時間ごとくらいに『別口』で依頼が来てねえ。お陰で繁盛しているよ」
はっはっは、ととても機嫌良さそうに笑う主人。ユーリはそれを見て顔を引きつかせる。ソランにどこか浮世離れした、空気のような雰囲気を感じ取っていたがこれほどまでとは、と思い知る。影が薄いってレベルじゃないほどに人の記憶に残っていないのだ。多分、ユーリもちょろっと会話して別れただけでは彼の顔を記憶に残せないに違いない。
「よ、ユーリ奇遇だな。俺も両替しに来たんだ」
「おお、お客さん。あんた見ない顔だねえ、ここには観光で来たのかい?」
「そんなところです」
「ふーん、なるほど」
ニヤリと笑った主人はソランを引き寄せて小声で言う。
「この子、恋人だろう? 今日は繁盛しているからおまけしてやるよ」
「おっちゃん分かってるなぁ~」
本日六度目の訪問、店主はソランがこの店に何度も来ているという事に気付くこと無く、硬貨を手渡すのだった。
あまりにも非常識な光景に少しめまいを覚えたものの、山育ちだしと無理やり納得させて彼から先日まで使った分以上の金額返された。疲れていたユーリはそれに気付かずに受け取ってしまい、翌日財布を見てビックリしたのは別の話。ちなみに、どこの山育ちでも同じことは不可能だということを記しておく。
膝の上に置いていた手提げバッグに魔導書を入れようとして、対面の席に誰かが座っているのに気付く。周囲に空席があるのに前に座るだなんてどういうことだ、と思いちらりと視線を投げると、そこには見知った顔がいた。ビクッと身体を震わせたユーリは音を立ててしまう。静かな店内に多少音が響いて注目を集めてしまうが、赤面しつつ失礼しましたと言い、目の前に座っていた彼に恨み言を言う。
「ソラン君、いつからいたの?」
「え、君がその本読み始めた頃」
「て最初のほうじゃん!」
思わず大きい声を出してしまい、店員にお客様、と注意される。ああもう優雅な時間が、とぶち壊されたことに苛立ちを覚えながらもソランの腕を引いて、会計を済ませてから店の外へ出た。そんな二人をお熱いねえ、と温かな瞳で見送る老夫婦の視線を背中に感じながら。
「まったくもう、いるんだったら話しかけてくれたっていいじゃないか!」
「いやあ、熱心に本を読んでるし邪魔したら駄目かなって。ついでに俺も本買ったしさ」
なんだ、と思い彼が手に持っている本を見る。そこには『猫でもわかる! 山暮らし入門~これで君も戦闘民族に~』と書かれていた。お前に今更必要ないだろう、と突っ込む気力すら起きずにユーリは深い溜息をはあ、とついた。
「表紙に描いてある家が俺の故郷に似ていてさ。中身見ないで買っちゃったよ。字なんてあんま読めないのにな」
機嫌良さそうなソラン、こんな気が抜ける日々を過ごしていていいのだろうか、と悶々とした思いを抱きながらもユーリは彼に流されることしかできないのだった。所詮は現代っ子である。
宿につき、落ち着いてからユーリは今日何をしていたのかを彼に問う。すると、驚きの答えが帰ってきた。
「ここにヒトトセがいるらしいのは明らかだが、誰もどこにいるのかすら掴めていない。ただのホラ話かと思えば、あの子が関わっている『大陸横断鉄道計画』なるのはここを中心に行われているのは確からしい。大詰め段階の現在、いないということは考えにくい」
「それで?」
「あいつがいそうなところに片っ端から忍び込んできた」
ユーリは座っていた椅子から崩れ落ちる。宿の備え付けのそれが不安定なはずはないが、とにかくユーリは椅子から落っこちてしまった。ソランはベッドの上でスプリングで遊びながらも、のんきにいやあ久々にワクワクしたと言い出してきて笑えない。
「そ、そう。忍び込んだからにはヒトトセ様は見つかったのかな?」
「ん? ああ、見つけることは出来なかったけど第一の側近って人には会えたね」
「忍びこむみたいなことしておいて収穫が無かったら問題だけど。で、どうだったのその人」
「すごい美人で可愛らしい人だった」
「それは聞いてない」
キリッとした表情で答えるソランに、ユーリは呆れ返ってしまう。どうもこの駄勇者様は美人に弱いらしく、彼が行く先々で美人さんの尻を視線で追いかけていることをユーリは知っている。ストーカーになったら誰にも止められない人種であるのはわかりきっているので、彼女に出来ることはせいぜい彼が道を踏み外さないということを祈るだけだ。
「まあ聞けって。一見クールな美女なんだよ。いつでも冷静沈着な大人の女性って感じで。けど照れた時の表情とか声とかもうギャップがすごくて」
「王女リシア様だって美人だと思うんだけど、そこんとこどうなのよ」
「あれはマズい、瘴気が漂っている。俺という獲物を確実に狙ってる雰囲気だ」
あながち間違ってはいない。それよりもどういうことで件の女性を照れさせたのか気になるユーリ。もしかするとソランには女たらしの才能があるのかもしれぬ。だとすればその女性が危険だ、主に聖女という皮をかぶったリシアによって。
ソランはユーリにどのようなことがあったのかを説明しながら思い出す。
まずソランはヒトトセが好みそうな場所に片っ端から忍び込んでいった。酒場、王城、地下闘技場、牢屋、奴隷商の屋敷、カジノ、ホテルなど。それらしき人物を見つけることが出来なかったために、ソランは今日は諦めて帰ろうとしていたが、野生の勘が何かを察知する。
彼が気付いたのはホテル内部、最上階のスイートルームの上に何か霞がかったものを感じたのだ。そう言えばホテル外観を見た時に何階あるのかを見れなかったのを思い出す。これは認識阻害の魔法だろうか、とあたりを付けて再びホテルの捜索を開始した。
すると、スイートルームの一つ下の階に隠された階段があるのを発見した。慎重に登って行き、辿り着いたのは何やら重々しい威圧感を感じさせる意匠が施された大きな扉であった。厚さ数センチもあるだろうか、ひんやりとしたそれに耳をつけて内部の様子を確認する。感じ取れた気配は一人、ヒトトセだろうか、と思いながらソランは扉を開け放った。
軋む扉、訪問者に驚き臨戦態勢を取った部屋の中の人物は、やってきたソランを見て目を見開き、両手を上げて降参のポーズをとった。
部屋に入り、その人物を視認する。明かりの一切ついていない、窓の無い部屋では互いに表情を見ることは普通叶わない。しかしながら、両者とも普通の人間ではなかった。片方は山育ち、そしてもう片方は大魔導師の片腕という肩書を持っているのだから
ソランはその優れた視力で、対する部屋の住民は優れた魔力でソランの容姿を詳細に知ることが出来る。
ソランの目に入ってきたのは黒、だった。大陸では珍しくない黒髪黒目。下に目をやると真っ白なワンピースを着こなしていた。胸と尻はその人物が大人の女性であると声高に主張しており、切れ長の目元は驚愕で見開かれていた。
「ま、まさか来るだなんて思ってもいなかった」
「その言葉、俺を知っているのか?」
警戒しつつソランは接近する。しかし、両手を上げたままの女性は一歩も引かず、かといって怯えることもなく彼と相対する。彼女は冷静を取り戻して、その美貌をソランに向けていた。
「師匠、春夏秋冬に貴方のことは聞いている。大陸の英雄、勇者ソラン」
「……ヒトトセは俺が起きたことを知ったのか」
「聖女リシア経由でね。ああ、心配しなくていいよソランさん。私達は貴方を彼女に売り渡したりなんてしないさ、むしろ逃亡に手を貸してあげようとすら考えている」
「それは、どうして」
警戒を少し緩めたソランの問いに、目の前の女性は妖艶に笑って答える。
「――それが、師匠の望みだから。歓迎するソランさん。ようこそ『天下救世主連合』へ。私は春夏秋冬の弟子、四季晴香だ。今後よろしく」
完全に警戒を解いたソランに右手を差し出す晴香。ソランは無言でその手を掴み、握手を交わすのだった。