5 騎士少女「お前は修学旅行中の子どもか」
数時間、小休憩を挟みながらも彼らはトラックに揺られ続ける。小さな村や都市をいくつも通り過ぎ、田園風景が永遠と続く直線をあくびを噛み殺しながら運転手のソランは進む。
勇者の方のソランはというと、はじめて見る光景に目を輝かせていた。何故ならば大陸中に伝わる彼の武勇が、全てコルキュエ王国より北で行われたことから分かるように、彼がこのコルキュエ王国西に来たことは一度もないのだ。今まで見てきた光景と全く違う風習や建物に興味津々といった様子だ。ゆく先々で質問を投げかけてくる彼に、運転手の方のソランは良い退屈しのぎになっていた。
ユーリは教国の仕事で大陸を何度も移動している。しかしながらその時は大抵トラックよりも早い飛行船か、飛竜を利用しているために途中の風景を間近で等身大に感じたことはなかった。常に周りに流されながら生きてきた彼女にとって、始めての自由(指名手配という代償はあるが)だ。少し冷めた部分があっても年頃の少女、結構これを楽しんでいる。
「しかし、やっぱ魔波塔はきっちり等間隔で作られている。位置のズレはほとんどと言っていいほど無いね」
「遠距離で人が意思を通わせるための施設だからね。ノイズが混じらず、かつ無駄に塔を立てて資源を過剰に使用しないためだから。というかお前はどこまで目がいいんだ」
非常識な空間認識能力を無駄に発揮するソランに呆れながらも、ユーリは楽しげに会話をする。魔波塔とは、そのまま魔力の波を減衰させること無く遠くへ飛ばす施設である。人間が使用する魔法は微弱な波とされる魔力を利用し、それが大気中の魔力子と反応して発生するとされている。その魔力の届かせる範囲の広さで魔導師として活躍できそうかそうでないかが判断できる。しかし、いかにそれが広い範囲であっても細やかな制御が効かないのならば意味が無い。その2つを併せ持って始めて一流の魔導師となるのだ。
魔力の波は前述の通り、人によっては限界がある。だが、魔波塔を利用することによって人間の限界を超えたその先にまで魔法を使用することが可能になったのだ。
無論、テロ行為への対処として大規模攻撃に値するような魔法は使用できないようになっている。簡単に言えば、大きすぎる魔力の波は魔波塔に備え付けられている魔力を中継する宝石が波ということ自体を認識しないようにできているのだ。
そのため人々が使用できるのは通話や映像を広く伝えるだけなのだが、それだけで充分とも言える。このことにより伝令などが過去よりも大幅に短縮され、大陸中の情報は瞬く間に伝わるようになっていった。
またしてもこれらを立案した大魔導師ヒトトセは完成した当時に言い残した言葉がある。「うぇるかむとぅーあんだーぐらうんど」だ。これがどういう意味かは誰も分からないため、真相はヒトトセの中。しかしながら世界を救ったり、人々により良い生活を提供していることから半ば忘れ去られている感はある。元々突拍子もない言動をしているし。
「またヒトトセか」
「世の中の発明品の九割は彼のものと言っても言い過ぎではないと言っても過言ではないね」
「思わず多重表現になるほどか」
「嬢ちゃんの言うことは的を得ているぞ。いやあ、便利な世の中になった! 自然と魔導が調和したこの大陸は私達の誇りだ!」
はえ~、と感心しながら次々と現れるユーリや運転手のソランにとっては既知の技術で、自分にとっては未知のそれをソランは眩しそうに眺める。今どきいないのではないか、と言うほどに常識を知らないソランを不審がるかもしれないとユーリは運転手のソランへと少し警戒するものの、その必要はなく、その民族衣装からすすんで常識を教えてくれいる。彼女にとっては非常にありがたいことだ、彼の常識に触れると何だか常識とは何かという哲学的な問題に触れかねない。
「と、そろそろ村につく。私はトラックで眠るが、嬢ちゃん達はどうする? 流石に私と一緒に眠るのはマズいだろ」
「ん? 何か問題あるか?」
「兄ちゃんは鈍いなあ。な、嬢ちゃん」
「何のことです?」
本気で何もわかっていないと言った様子の二人に、少し呆れながらも運転手のソランは小指を立ててユーリに問う。
「だって嬢ちゃんは兄ちゃんのこれだろ? さあ宿に行きな! 明日も日が出て一時間後、ここで待ってる」
「っ! ……ええ、そうですね。今日はお世話になりました。明日もお願いします。じゃソラン君、行きますよ」
「ちょ、ユーリ! あ、今日はありがとうございました明日もよろしく――」
ソランが全て言い終わる前にユーリは彼をトラックから引きずり下ろすことに成功した。誤算だった、と顔を真赤にしながらユーリは考える。確かにそうだ、年頃の男女二人が旅をするだなんて普通そういう類に思われたって仕方がないのだ。自分だって運転手の立場だったらそう思うに違いない。
はあ、と熱を帯びた頬を自分でパンパンと叩く。何が何だかわかっていない様子のソランの手を引き、窓が開いていようとも会話が運転手のソランに聞こえない位置にまで移動してから言葉を交わす。
「ユーリ突然なんだ」
「誤算だった、普通に考えて男女二人での旅って私達をそういう関係と誤解されても仕方がないやつだ」
「そういう関係って……」
「恋人ってことだよ、言わせないで誤解されたばかりで恥ずかしい」
「お、おう」
誤解くらいで何を恥ずかしがっているんだとソランは不思議に思うが仕方のない。ユーリは年齢イコールの悲しい少女なのだ。可憐な美少女なのに、剣と鍛錬にその花が最も華やぐ時期を注ぎ込んでいるのだから、仕方のないことと言えば仕方のない事だったが。
余談だが、彼女が国際指名手配さえされていなければ、その容姿と非の打ち所の無い努力で勝ち取った経歴から教国の有力貴族の下へ嫁がされるという話が確定事項になっていたらしい。知らぬが仏というやつである。
「俺がリシアと旅に出てヒトトセと出会うまでの間、そう言った話は無かったけどな」
きっとそれはそういう事を口にしなくてもいいくらいに女王、当時は聖女だった彼女がべったり引っ付いていたからだろうとユーリは考えるが口にはしない。言ったところで何かの間違いだろうと一蹴されて永遠に彼と彼女がくっつかない遠因になってしまうかもしれぬ。
指名手配されてそうな現状、これ以上女王の機嫌を損ねる行動だけは避けておきたいのだ。まず捕まらなければいい事だろうけど流石に狂人から逃げ切れる自信は無い。
「とりあえず今夜は恋人同士として振る舞う、私の所持金を君はどうせ当てにしているんだ。当面節約するに越したこと無いし、一部屋でいいだろう」
「本当の恋人になってもいいけどな俺は」
寝言を寝ていないのに言い出したソランに、唐突な右ストレートが放たれる。鍛えぬかれたその右手は数々の強敵を屠ってきたが、流石に山育ちの戦闘民族には不意打ちでも避けられてしまった。チッ、と舌打ちを一つ、伸ばした右腕を戻した。全く、心臓に悪い発言はやめて欲しいものだ。狂人リシアが聞いていたら命がいくつあっても足りないどころか、生きていることを後悔するような目に合わされる予感しかしない。ユーリは既に教国に仕える身ではないためか、女王リシアの事を普通に脳内で狂人呼びしている。
それよりも相当テンパっているせいか、一緒に一晩過ごすということでさえ致命的ミスだということに気がついていない。
「ソラン君、今後一切そういう事は言わないで欲しいんだけど、いいかな?」
「あ、はい」
妙な迫力を帯びたユーリの言葉に、ソランは首を縦に振ることしか出来なかった。
村では日没して間もないからか、まだ人がちらほら見える。当然ながら先日彼らが城の上から眺めていた街よりかは明るくないけれども、それでもソランの知る夜の町ではなかった。
「やっぱ明るいなあ」
「夜更かしして本読んで翌日の講義に遅れる同級生がチラホラいたから、一概に良いとは言えないけどね。便利すぎるのも考えものだよ」
「俺は文字読めないから読もうとすら思わないけど」
ごめんください、とユーリは宿屋の戸を叩く。ソランはある程度は文字の読み書きができるものの、流石に騎士学校できちんと学んだ彼女と同等という訳にはいかない。旅の間も読み書きは全てリシアに任せていた。ちなみにヒトトセは全くもって読むことも書くことも出来なかった。が、しかし彼が独自に使用しているよくわからない文字があり、ただの文化の違いだろうということで、田舎っぺの自分より二人が教養を遥かに持っていたことに実はソラン、内心嫉妬していたりする。
「ベッドだ、すげえ」
「ベッドですら驚くのか戦闘民族」
「ほら跳ねると弾む」
「うるさいし埃が舞うからやめてほしいな……」
まるで修学旅行先ではしゃぎまわる子どもだ。すげえすげえ言いながらベッドのスプリングで遊ぶ彼の姿はどう見ても勇者には見えない。理想だった勇者像を返してくれ、とガラクタ以下になってしまった想像の中の勇者に黙祷を捧げる。いい夢を見させてもらったよ、ありがとう私の理想。
「シャワーどっちが先に浴びる? って、まず使い方から教えるべきか」
「シャワーってなに?」
「温水を浴びれる道具だよ」
「すげえ! 一家に一台ほしいな」
「普通、今の時代はあるよ」
「すげえ! すげえ!」
何だか子守をしてる気分になってきたが、子どもの世話よりも時代遅れな田舎っぺの世話のほうがおそらく大変だろう。頼むから私の心に負担をかけないでほしいな、ともうそろそろ擦り切れて無くなってしまいそうな正気を保つ。代償に胃に多大なダメージが襲うけれども。
とりあえず使い方を教えてみる。とりあえず分かったようだが、この細長い蛇の胴体みたいなのを買ったらいつでもどこでもお湯が出てきてくれるの? と聞いてきた。それに対して言いたいことがたくさんあったものの、そんな気力も失せてそんなわけないと絞り出すだけで精一杯だった。残念そうにしょぼくれたソランの顔に、脳内で右ストレートを綺麗に決めようとしたのだったが、想像の中でも当てられるビジョンが見えない。
いよいよ限界が来てぼすっとベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めるのだった。
「次いいぞ~」
「お前はカラスか!」
ユーリの受難は始まったばかり。
しかしながらある程度未知に慣れてきたようで、彼女がシャワーを浴び終わり、髪の毛を魔法で丁寧に乾かし終わってからしばらくすると彼も落ち着いてきた。やること無いし寝るか―と言って数秒後には寝息を立てる辺り、さながら嵐のような男であった。
しかしながら、すぐ隣に自分がいるというのに全く気にするそぶりすら見せず寝入ってしまうのはいかがなものか、と複雑な心境にユーリはなる。獣のように襲われないだけいいか、と思うものの年頃の少女として魅力がないのかと思ってみたり。
「というか今更なんだろうけど」
もし彼がそういう悪い男だった場合、昨晩の時点で何かしらあってもおかしくなかったのだ。とりあえず今後共に行動していて安心かな、とは思う。それに中々さり気ない気遣いが出来る男だったのが評価を上向きにしている。
道路を歩いている時には危険が迫った時身体を盾にできるような体勢で彼は常に歩いていたし、扉を開くのは常に彼だった。これは女王リシアの調教(教育)のおかげだろうか、と考えてしまうほどに騎士以上に騎士らしい振る舞いを彼はする。戦闘民族だが。
なんだかんだで、彼との逃亡生活を楽しみ始めている自分にユーリは驚く。前までならこんなこと面倒だってすぐに投げ出して危険のない場所に一人逃げていただろうに。もっとも、逃げられる場所が何処にもなかったというのもあったけれども。
明日丸一日かければゼクトアルゼン王国王都へ辿り着くだろう。道路は広く、のんびり走っている旅人の車を横から猛スピードで追い抜いて行けるほどある。最高速度で常に走行するトラックの助けがあればあっという間に辿り着ける
王都についたらまずどうするんだろうか、それを考えている内にユーリは瞼を閉じるのだった。
翌朝一番、トラックに乗り込み王都を目指す。城壁が見える頃には日は傾いており、辿り着いたと同時に丁度日が落ちた。
二人してありがとうございました、と言うと運転手のソランは末永く幸せにな、と言い残して仕事へと向かっていった。ようやくやってきた、聖女の魔の手からの逃亡の第一歩にソランは気持ちを新たに気を引き締める。
「聖女の魔の手っておかしくないかな?」
「確かにそうだ。ま、俺の中ではそういう位置づけってことさあいつは」
くすりと笑ってユーリは前を見る。ゼクトアルゼン王国王都、ラシャス。その広大な街並みが二人を待ち構えていた。
「いくか」
「うん」
商売の声が聞こえてくる人混み、それをかき分けて二人は進む。この絶望的な状況を打破するための知恵を貸してくれるだろう人物に出会うために。
だが、そんな二人を城壁の上から監視する仮面をつけた人影があった。城からは彼らの姿は見えないだろう、ソランほどの視力がなければだ。しかしながら、仮面の形をした魔道具によって、その人影はソラン達をきちんと識別していた。
「くく、ようやくやってきたか歴史の忌み子よ。それに聖者に抗う愚者か。我々が手を貸すには相応しい肩書ではないか」
両手を上げて高笑いをする。ハハハ、と盛大に笑うその姿は不気味な仮面も相まって異様な雰囲気を醸し出していた。
「風が泣いているな。ふ、なるほど『あの方』も喜びを抑えきれないか。世界が軋んでいるのが分かるほどとは……ッ!」
いつまでも笑い続ける仮面の人影。これがソラン達二人にどういう未来をもたらすのだろうか。ただ、一つ言えることだけはこの人物は彼らの味方だ、ということだけ。
宿を決めた様子の二人を確認した後、仮面のは夜の闇に紛れて消え去ってしまった。