4 騎士少女「洗脳を気付かせない洗脳ってこわい」
パパっと身支度を済ませる。早朝に起きて訓練をするという規則正しく健康的な生活を送っていたユーリは、年頃の女の子とは思えないほどの早さで行動を済ませた。少しくらいは化粧とかしたいと彼女も思っているが、しかしこれが自分の進んだ道なので大きく不満を漏らさない。
対してソランはそんな彼女に少し驚く。一緒に旅をしていたリシアはどんなに忙しい時にでさえも化粧は必ずしていたからだ。最も、そんな時はクマを隠したりする程度の簡単なものであったけれども。
さて、二日目だ。朝の森は少しひんやりとしていて気持ちがいい。が、しかし、小鳥の声が普段ならば聞こえてくるであろうその森も、今日だけは何故か静かであった。
どこかおかしい、とユーリは思っていたものの、昨日のソランとの会話を思い出して、原因はこいつかと思い当たった。
昨晩だって、気付かない内に鳥を仕留めて夕飯として出してきたのだ。生粋の山育ちな狩猟民族はそんな芸当すらいともたやすく行えるのだろう。
「ソラン君、朝食はいいの?」
「それにはすっごく早い時間な気がするけれど」
確かに世間一般では大体の人間が眠っているような時間だ。だが、時代の違いだろうか、彼の発言に違和感を覚えた。そういえば、とユーリが思い出す。彼の生きた時代は一日二食が普通だったらしいと。
「もしかして、お前の時代は一日二食だったかな?」
「そうだけど今違うの? 三とか?」
「正解。もっとも、農耕民族あたりは四食だとかあるらしいけれど。ま、興味深いね」
ほほー、と時代の違いに少し興味を抱くソラン。次々に彼はユーリへと質問を投げかける。彼の時代でも地方によって多くのマナーの違いが存在していたのだ。今、不意にとった自分の行いが失礼に当たる行為になるのを極力避けようと思っている。
まずはじめに気になったのは食事にかける時間。女の子とは思えない速度で食事を済ませたユーリにソランは驚いたが、彼女によればこれでも遅い方らしい。食事の多様化や発展によって柔らかいものが増え、噛む回数が減ったためだと主な医療機関は研究結果として出しているのを彼女は聞いたことがある。
なるほどと昨晩の会話を思い出しながら、ゆっくりと朝食をとるソランをユーリは観察する。思えば彼の顎は多少現代っ子な自分よりも頑丈そうに見える。性別の違いはあるかもしれないけれど、同年代男子と比べても強そうだ。歯も健康そうに真っ白だし。
「森を抜けたら大きな道に出る、俺の記憶と地理が大きく変わっていなかったら」
「かつて商人が使用していた道がそのまま道路として整備されてるから、多分大丈夫。私は全然どこに向かってるのか知らないけどショートカットしたってこと?」
「おう、そうだ。それに人に見られるのを避けたかったのもある」
彼の目指す道は、今では自動車用の道路として綺麗に整備がなされている。森を迂回して進むように作られたそれは、最初は森を切り開いて直線にしようという計画があった。
しかしながら、それを聞いた大魔導師ヒトトセが反対。それを聞いたアスカロン教国女王リシアがそれに肩を持つ。ヒトトセの意見は森を破壊すれば子の代、孫の代、子々孫々へと大きな災がもたらされる、というものだった。
人々にとって自然とは永続的に存在し、いくら採取してもすぐに再生する無限の資源庫だった。しかしながらヒトトセはその価値観に真っ向から対立した。自然も生き物だ、奪い、破壊し続けてしまえばいつかは無くなってしまう。緑の無い大地は砂と化し、少しの雨で大災害が発生して多くの死人が出てしまう、と。
これまで多くの発明を成してきたヒトトセの意見は、その実績もあって時間をかけて世間に浸透した。今の世の中では研究によってそれが正しかったと、森を壊さず良かったと言われるまでになったのだった。
「そうか、うんうん。あの子も成長したなあお兄さん胸が熱いよ」
「じゃあ、昔は違ったってこと?」
「いや、大体は同じ思想を持っていたよ。森で植物性の魔物に囲まれた時でさえも弱点の炎を使わなかったくらいだ。問題だったのは他人がどうにかするだろう、という受け身の姿勢だったんだよ」
森で糧を得ていたソランにとってはその考えが普通であった。生態系のトップに立つ肉食獣を狩りすぎれば草食動物が増え、植物が減ってしまう。もし植物が無くなってしまうまで草食動物増えた場合、それらが死滅して生き物が存在しなくなる可能性すらある。そんなことが幼い頃にまずはじめに教えられる事だった。
だからこそソラン達、狩猟民族アラヤは獣を狩るだけではなく時には森の環境を整えることも行っていた。彼らはそれらをすすんでやろうとする。
しかし、ソランが出会った頃のヒトトセは全く異なった。森がなくなることでどのような災が人間にもたらされるのかは彼ら以上に知っていたものの、それに対して具体的に何かをしようという考えがなかった。旅の途中で、とある森が半壊したところに遭遇した時も、付近の住民がやるだろうと先に進むことを提案したほどにだ。
確かに森は付近の住民がどうにかするべき問題だった。だが、ヒトトセほどの魔導の力があれば腕一本振るう程度の労力で彼らの助けになる。ソランは初めてその時、ヒトトセに対して怒ったのを覚えている。
「なるほど、『ルルグ森の奇跡』の裏にはそんな裏話が」
「名前までついてるんか、あん時の」
「そうだね、勇者ソランとその一行がたまたま立ち寄った村では山火事が発生してそれはもう酷かった。しかし、現れた勇者一行によってあっという間に森が息を吹き返して、今では以前よりも豊かになっているって」
「そうか、あそこは元に戻ったのか。良かった」
ほっと胸を撫で下ろすソラン。森の民として、森の悲劇は看過できなかったのだろう。
「魔族がいなければしばらく手を貸したんだが。しかし、伝書鳩で村に助け呼んだのがよかったかな?」
「もしかして」
「ん? アラヤの村長に助け求めただけだよ。森が危機に瀕してるチョリすから助けてチョリーッスって」
「……あそこが戦闘民族になったのもお前の仕業か。はあ、お前のせいでそこ出身の奴らに実技で成績上を行かれてたんだけど」
やれやれ、とかつて学校でトップを一人で突っ走っていたルルグ森近くのルルグ村出身な少年を思い出す。彼は非常識であった。ユーリの視力はいい方であると自負しているが、それでも視認が難しい的へと弓矢を命中させる。剣をもたせれば相手のそれを綺麗に真っ二つ、あとサバイバル料理が美味い。男のくせに。
過去の理不尽な思い出に浸るユーリ、彼女のソランに関連した苦労はそこから始まっていたと言っても過言ではないだろう。
しかしその思い出よりも少し濃ゆい発言がソランの口から出ていたのを思い出す。
「ねえソラン君、チョリーッスってなに?」
「ああ、それかあ。……ま、村での敬語みたいなものだと思ってもらっていいかな? くっそあの爺さん変な嘘教えやがって。そのせいで女神様に失礼な発言しちゃったじゃねえか全く」
彼は思い出す。彼が村に住んでいた頃、村長である爺さんがこんなことを言っていたのだ。『目上の人間には語尾にチョリーッスて付けるのが常識じゃよ』と。
それを真に受けた村の子どもたちはその日から目上の人間、つまり親や村長にバカ真面目にチョリーッスという語尾を付けるようになったのだ。大人たちはそんな子どもたちを見て、微笑ましい視線を送っていた。
本気で目上の人間に対する敬語だと思っていた子どもたち、その中の一人にソランがいた。そんな彼はある日、夢の中で女神と出会う。
どこかしらやつれている雰囲気な彼女に、しかしながら森と同じ神聖な空気を感じたソランは、直立不動の体勢を取り、彼女の言葉を待った。
「私はこの大陸を治める女神、名はありませんが、好きに呼んで構いません」
「はじめましてチョリス! 俺の名前はソランでチョリス! よろしチョリーッス!」
目の前の女神は、そんなよく分からない語尾を付けてしゃべりだしたソランを見て、一瞬あっけにとられた後に、大爆笑した。
「あははは! なに、その語尾。すっごい面白い! 君、面白いね!」
威厳も何も感じさせない言葉遣いになってしまう女神、それほどインパクトがあったのだろうか。そんな彼女の様子に首を傾げるも、ソランは精一杯失礼のないように言葉を紡ぐ。
だが、そのどれもが女神のツボにハマってしまい、プルプルしながら床に崩れ落ちてしまう。しまいにはバンバンと地面を叩き始めたのだ。夢みたいな空間で、辺り一面真っ白、床なんて無いはずなのに女神はそこを叩いていた。
彼女と会話をしてから、王城に連れられる時まで自分の言葉にどこかおかしいところでもあったのかな、とずっと不安に思っていたのだが、王城でようやく村長の爺さんがホラ吹いたと気が付き、ソランは激怒した。あんにゃろう絶対とっちめてやる、と。
しかしながら老人と言っても後に戦闘民族と恐れられるアラヤの長、その当時の青二才なソランでは太刀打ちすら出来ないほどに恐ろしく強かったのだ。
せめてもの反抗として、村に手紙で本当の敬語について教え、村長との手紙は意地でも語尾にチョリーッスを付けるようになった。
ソランは知らないことだが、彼が村からいなくなったあとの流行語尾は『ござる』であった。この流行語尾は先祖代々続いている村長のお遊びというのは、村の大人しか知らない秘密である。
「閉鎖的空間というのは人間を洗脳するのに最も効果的だって、リシアがやけに尊敬していたようちの爺さんを」
「あっ」
ユーリは何やら思い当たるフシがあったが、リシアを苦手にしている彼を思って何があったのかは言わないでおいた。あの狂人は平常運転で洗脳行為を行っているのに気付かされたのだ。もっとも、この大陸常識では勇者は讃える存在であり、彼の素晴らしい点を褒めるのは悪いことではないために、洗脳されていると誰もが気付け無いところが質悪い。
「話していたらもう森抜けるなあ」
「あっという間だったね。色々知れて良かったよ。で、ゼクトアルゼン王国まで徒歩かな? 現代っ子な私としてはそろそろ車に乗って楽な移動をしたいんだけど」
「前は商人の馬車に相乗りさせてもらってたけど、今もできる?」
「出来るんじゃないかな。ヒッチハイクってやつだね、ワクワクしてきた」
大きな舗装された道路に出ると、生き生きとした表情でユーリは腕を水平に伸ばし、親指を立てた。一応、とユーリはソランにマナーを教える。
「乗せてもらえても居眠り厳禁、当然だけど迷惑かけたら駄目だよ」
「ま、そこら辺は変わってないな」
「ならおっけー。っと、乗せてもらえるみたいだ、行こう」
ゆっくりと目の前で止まってくれたトラックに、ソランは興味深そうな視線を送っているものの、先に運転手へ挨拶を始めたユーリを見て、それに続くことにした。
トラックの運転手は恰幅のいいおじさんだった。短く刈り込んだ頭髪に、手ぬぐいを載せている。人当たりの良さそうな、親切そうな男性だ。笑顔でありがとうございます、と挨拶するユーリのうしろで、よろしくお願いしますとソランは続ける。
運転手の男性は、ソランの古めかしい民族衣装に少し驚いたものの、さあ乗った乗った、と声をかけるの出会った。
「よお嬢ちゃんたち。ゼクトアルゼン王国へは旅かい?」
「ええ、そんなところです。こっちのソラン君は田舎者でして、各国の都市を見たいと言う彼に私がついていってる感じですね」
「どうもおっちゃん。俺はソランでこっちはユーリ」
「はっはっは! これは奇遇だ私もソランだ、よろしく!」
ソランはユーリから聞いていた、この名前が大陸ではポピュラーだという話が嘘ではなかったと驚愕した。対して、ソランの正体を知っているユーリは笑いを堪えるのに精一杯であったという。
運転手のソランは、流通関係の仕事をしているらしい。このように大きくて早く荷物を届けることができるようになってから、各地の特産物がいつどこでも食べられるようになった、いい時代だよと彼は語る。
「昔は内陸では魚は干物でしか食べられんかった。しかし、今は違う。飛行船が開発されたおかげで生の魚が食べられるようになったんだ。小さい頃に感動してねぇ、この物を運ぶっていう職種に憧れたんだよ」
「そうでしたか」
「嬢ちゃんは知らないだろうけどさ、昔は食べられないものが多かったんだぞ。今ではふっつうに食卓に並んでいるようなものでもな」
運転手のソランは、自分が食卓に笑顔を運んでいるというその事に誇りを持っているようで、その言葉の端々に嬉しさがにじみ出ていた。
世間話を続ける彼とユーリを見て、ソランはまた実感する。この世界を守れてよかった、と。そして思う。海の生魚ってどんな味がするんだろう、と。まだ見ぬ未知の食材に思いを馳せた彼の口の端からはヨダレが零れそうになっていた。
勇者ソラン、彼が世界を救った動機が美味い飯が食えなくなるから、という理由の大食漢である。食べられるときに食べる、それが彼のポリシーなのだ。逆に言えば何もなければ食べない。
ユーリは昨晩と今朝、そこまで量を食べなかった彼を見て小食なのでは、と勘違いしていた。それはただ物がなかっただけである。
彼が思う存分食べた時の食費にユーリが呆然とするまで、あと数日。