4 大魔導師「のりものこわい」
ゼクトアルゼン王国とコルキュエ王国の丁度中間点付近に位置する山岳地帯、そこは複雑に入り組んだ地形となっており、最近ようやくトンネル工事の目処が立ったものの、住民の反発や環境保護の観点から遅々として計画が進んでいない。
トンネル工事の何が行けないのか、それは山や土地への信仰心などから発生する超常的な現象を恐れているからである。土地に力があるという考え方から、そのパワースポットを守ろうという思想が幅広く浸透しているのだ。
地中には魔力の塊が存在しており、それらを吸い上げることによって多大な恩恵を受けてきた古代国家が存在したことも、その思想が広まることを助けている。
さて、こういった話をしているのも理由がある。先日トラックに乗せてもらった時は、運転手がソランたちの事情を知ることがなかったために、最短ルートをとって道を走っていた。そのため、今のようにこの入り組んだ地形を走ることがなかったのだ。
今現在、中型の自動車には四人座っている。ソラン、ユーリが後ろの座席。そして晴香が右前。そして左前の運転席にはソランよりも少し背の高い男性がいた。
彼は『天下救世主連合』の『クール派』にあるグループ、『シノビ部隊』の一人だった。『シノビ部隊』とはその名の通り、隠れて様々な仕事を行う影の部隊である。そんな彼が運転手役に抜擢されたのには、晴香の考えたコルキュエ王国で検問に引っかからないための策に必要だったからである。
赤髪の彼は、少し暗い山の細い道を、慣れたようにスイスイと車を走らせる。しかし、彼がどんなに運転が上手だったとしても不可能なことだってあるのだ。
「ハルカさん、大丈夫ですか?」
「すまない、さすがにこれはキツイな」
少し青い顔でユーリの問いに答える。そう、晴香は車に酔っていた。昔から長距離の移動に慣れていたユーリ、そして本気を出せば車より早く狩った獲物を担いで走り周り、ついでに三半規管も優れているソランにとっては別に大したことないものだったのだが、彼女には少々辛かったらしい。
いかに大魔導師と言えども、得意分野というものはある。回復魔法とかいうものはからっきし駄目で、運転手役にそういうの得意なの連れてくればよかった、と今更ながら後悔しているのだった。
「ハルカ様、もうじき村です。少しここで休憩にしますか?」
「……頼んだ、シノビ部隊くん」
「私には名前があるのですが、まあいいです。下っ端ですし」
少し暗い顔をして運転手の男は前を見る。きちんと舗装されていない土の道は、時に車を大きく揺らして晴香の体力をガリガリと削っている。ユーリは騎士学校で応急処置などの勉強はしていたものの、車酔いをどうにかする方法は知らなかったため、何も出来ない。ちなみにソランはすやすやと眠っている。
こうなるんだったら運転免許をとっておくべきだった、と晴香は考える。運転していると多少はマシになるという話を聞いたことがあるからだ。しかし彼女には小賢しいそういう技術も要らず、各国を移動する手段があるために、こう車で酔って後悔することが過去に一切なく、免許を取らなかったのだ。主要都市に置いてある転移の魔法陣、大掛かりな仕掛けのあるそれは各国の主要人物しか使えないために、今回の旅では使った瞬間に色々とマズいので使えないのだが、いつも車よりも便利なそれに頼っていたためにこういう目に合っている。
必死に吐き気と戦っていた晴香、そしてようやく村について車が止まったと同時に、とてつもない開放感を感じるのだった。
「では、私は宿を取ってきます。皆さんはここでお待ちください」
「あー、ちょっとまってシノビ部隊さん」
「セノです」
「セノさん」
「はい」
ユーリはさっさと車を止めて移動しようとしたセノを呼び止める。まだ眠っているソランを引きずりながら車から出たユーリは、ソランの背中に氷を魔法で作りながら口を開く。
「ハルカさんも、これみたいに寝ていれば多少マシになるかもしれないから、眠気を誘う薬草を調合しようと思うの。だからちょろっと離れるから、セノさんが帰ってきて私達がいなくても気にしないでね」
「了解です。ではユーリ様、この服とと護符を」
「ん、ありがと。じゃあ行ってくる……ねえ起きてよソランくん」
ユーリはセノから顔を隠すくらいまで深いフードのついたローブと、相手の認識を少し誤魔化す護符を手渡され、まだ起きないソランを引きずりながら森へと消えていった。セノはそれを見送ったあと、まだぐったりしている助手席の晴香に車外から話しかける。先ほどまでよりかはマシになったので、気分転換にしばらく村を歩くとそれからしばらくして彼女は言い、自動車から離れていった。
セノはヒトトセの一番弟子である彼女の意外な弱点を知って、ちょっぴり嬉しい気分になったものの、少しすると気を引き締めて、ユーリに手渡したローブと同じものを身に纏い、村の中へと消えていった。
晴香は山独特の肌寒さを感じながらも、新鮮な空気をいっぱい味わい、苦難の道がようやく途中で終わったとほっと胸を撫で下ろすのだった。しかし、このまま同じように皆の足を引っ張るのはさすがにどうか、と思うために少しは考える余裕の出てきた頭で色々と悩み始めるのだった。しかし、先ほどソランとユーリが睡眠薬を調合してくれるらしいことをおぼろげな意識で聞いていたために、なにも考えつかなかったらそれに頼るか、と楽観的になる。
しばらくして彼女は湖にたどり着く。山から流れる川の水を蓄えるそれは、天然のダムとでも言うのだろうか。山岳地帯でありながら人が暮らす、ということはその険しい地形であってもそれに見合う利益があるのだろう、と考える。少し見渡せば段々畑は作られており、そう言えばここは果物の名産地だったな、と思い出す。水が豊かだから美味しいものが作り出せるのだろう、とも。
冷たい水で顔を洗う。晴香ならばいつでもどこでも魔法で水は作り出せるが、どうしてか天然の水のほうが気持ちがいい気がしてならない。さらに言えば、海がないのにも関わらず、内陸地で魔法を用いて塩などを作り出していたが、それも少し味が劣る気がしてならない。化学調味料――いや、魔学調味料とでも言うのだろうか、若い頃に聖女リシアから無添加食品で餌付けされてしまったこの舌では受け付けることが出来ない。
すこしさっぱりした晴香はタオルで顔を拭う、と同時に何者かの気配を感じた。
自身の魔力波を周囲に張り巡らせて、その気配の出処を瞬時に把握する。数は1、男で武装は何もない。魔力は並程度で、身体は騎士であるユーリ同様に鍛えられている。害は無いだろう、と高めていた魔力を霧散させて地面に座り込む。おそらく旅の者だろうか、と考えながら。
一瞬警戒された気がしたものの、その気配が気のせいだと思わせるほどに霧散したのを感じた男は、座り込んだ晴香に背後から近づく。彼は、騎士だった。教国で志願していた仕事を受けて、その道程、休憩として村にやってきた者の一人である。
夕暮れ時、どうせなら夕日が美しいらしい湖に行ってみようと思ったために立ち寄った彼は、そこで神秘を感じた。晴香のその夕日に照らされた美貌、それに釘付けになってしまった。今まで彼は幾度と無く、騎士学校を卒業してから高貴な身分の人間を護衛したりしてきたのだが、呆気にとられたのは二度目かもしれない。
唯一の例外は女王であるリシア。先日、任務のために集められた同期と共に初めてその顔を見た時、今と同じようにぽかんとしてしまったのだ。
だがしかし、その時はそれだけだった。あまりの身分違いに変な気分になれなかった、と言うべきだろう。だが、今は違う。大陸でもポピュラーな黒髪、村娘だろうと思ってしまうほどに無防備な雰囲気が彼の鼓動を早めた。
「夕日が綺麗ですね」
「ええ、確かに。だが、背後から無言で近づくのは感心できないな、か弱い乙女ならびっくりして逃げてしまうだろう?」
「それは失礼しました」
ぼうっと男は晴香の横顔を眺める。その視線を怪訝に思ったのか、彼女は苦言を呈した。
「あまりジロジロ見ないでくれ。私の顔に何か付いてでもいるのか?」
「あ、いや、そういうことでは」
「そうか、ならいいのだが」
晴香は湖の向こう側、辛うじて顔が判別できるか出来ないくらいの距離にソランとユーリがいるのを見つけた。未だ眠りから覚めないソランを湖に蹴落としたユーリを見てふふっと笑ってしまう。そしてようやく目覚め、立ち上がったソランがこちらに気づき、大きく手を振ったのを見て振り返す。
「では、私は失礼する。また機会があれば会おう」
左手の小指を立てて、それを傾けた瞬間、男の目の前から晴香は消え去ってしまった。あわてて周囲を見渡せば、先程まで2つの人影しか無かった対岸に三人目の人影があるのを見つける。服装とさっきの行動から、無詠唱で転移したのだと気付き、ただの村娘で無いのか、と男は目を見開いた。
未だ、彼女の笑みと声を忘れられない男は、激しく脈打つ胸を必死に元に戻そうとするが、出来ない。そのためか、横から顔を覗き込む少女の姿に気が付かなかった。
「おーい、ウィル。ウィルー! ……聞いてない」
ウィル、と呼ばれた男が微動だにしないのを見て、むすっとした顔になった少女は右手を振りかぶり、そして彼を思いっきり湖へと突き飛ばして放り込むのだった。
「ぶはっ! 誰だ! ……て、シンシアじゃねえか、何してくれてんだ!」
「や、ほらボーっとしてたし。今や時の人であるユーリの真似、みたいな?」
「あっそ」
びしょびしょになった身体を少し震わせてウィルはため息をつく。まったく、どうしてあいつが女王に追われてしまったんだ、と。
元々騎士学校で同期だった彼女は、その他の学生が貴族出身である中、平民という教養などのハンデが大きくあるにも関わらず、二番の成績で卒業した超優等生である。学生時代よくシンシアや、今一緒に行動している他の仲間と共につるんでいたために、素行の良かった彼女がどうして指名手配犯になってしまったのか首を傾げてしまう。
ウィル――ウィリアム・トーリックはそんな彼女を眩しく思い、そして一方的にライバル視していただけにその本質を知っているつもりだ。温厚で、腰が低く、面倒事にはあまり首を突っ込まないものの、いざというときには皆を引っ張るリーダーの資質も持ち合わせる、そんな少女だと思っていた。
何を間違って指名手配犯になったのか、噂では眠っている勇者を盗み出したとか聞いたが、そんなことする人間じゃないと信じている。
――同期の私達以外がさ、あの子捕まえちゃったらどうしようもないよ。ユーリのためにも頑張らなきゃ
ユーリが指名手配された日、同期で集まった時にシンシアがそう言った。ああ、その通りだ。あいつのためにも俺達が捕まえなきゃ、と全員で誓ったのだ。
だからウィルはこんなことに惑わされてはいけない。女性に現を抜かすなど、あってはならないのだ。未だ収まらない鼓動、何かの間違いだと頭を振りながら、ウィルはシンシアと共に湖から離れていった。
そしてその光景を湖の向こう側でユーリが見ていた。特徴的な逆だった金髪と、それに付きそう長い銀色の三つ編み少女。見覚えのあるカップルに戦慄を覚えた。
「どうしたユーリ」
対岸を岩陰に隠れながら双眼鏡で監視していたユーリを不審に思ってソランが話しかける。と、同時に全然知らない道具を使っている彼女になんだそれ、と聞いて説明を受ける。すっげ、よく見えるとはしゃぐソランに、視力いいのに使ってどうするんだと呆れながらも、質問を忘れたかのような彼にユーリは語る。
「あれ、私の同期の騎士だよ」
「え、そうなのか。……どうするんだユーリさん」
「どうもこうも、セノさんの取った宿に入ったら外に出ないようにするしか無いね」
真っ青な顔でそういうユーリ。まさか、同期が追ってくるとは思ってもいなかったようで相当ショックなのだろう。だが、セノって誰だっけ、と聞いてきたソランと晴香を見て、少し気が抜けるのであった。
「まー、しっかし。ハルカの作ったその認識阻害云々な服とお守りあれば大丈夫だろ? ……大丈夫だよな」
「ユーリさんが自分からフードとお守りを外さない限り大丈夫のはずだ。ソランさんみたいなよくわからない鋭さを持つ山育ち以外なら騙せる」
ほ、とユーリは一安心しそうになったが、晴香の付け加えた言葉に硬直する。ギギギと首を回して晴香へと顔を向けた。
「一人、心あたりがあるかもしれない」
絶望しきった表情でユーリはそう言った。いつもつるんでいたメンバーに自分が唯一勝てず、ソランに比べれば可愛い程度であるが、十二分に非常識な男がいるのを思い出したからだ。追ってきたのがあのウィルとシンシア二人であるならば問題ない。が、あいつまで来ていたらヤバイ。
ユーリが警戒している男、シャーミル・ソウマ。彼はユーリの恐れている通り、彼女を追うためにこの村にウィル達と共に訪れていた。それをしらないユーリは、どうか来ていませんようにと祈ることしか出来なかった。
「おーっす、ただいま。村長さんに許可貰ったし見慣れない動物狩ってきたぞ~。美味そうだ!!」
片手で最近畑を荒らしていた巨大な害獣、警備隊を呼んでもどうしようもなかったそれを引きずり、帰ってきたシャーミル。村長宅へ泊まらせてもらっているユーリの同期たちは見慣れたその光景にため息を付き、呆然としている村長へのフォローへと入るのであった。