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第一章 学校生活に波乱はつきものだ。 1

「我が愚鈍なる後輩よ!!」


 夕日に染まる屋上で、少女の声が高らかにこだました。


「お前は非常に残念なことに、生まれつきどうしようもなく頭が悪い! しかし、聞いて喜べ。世界一賢く強い完璧な美女たる私が、お前に人生を利口に生きるコツを三つ教えてやろう!」


 僕はその説教を冷たい地面に横たわった状態で聞いていた。先ほどから足で踏みつけられている脇腹が痛む。身動ぎして、この状況から抜けだそうとするが、体を縛られているので、どうにも打つ手が無い。半分あきらめた目で、頭上の少女を見る。

 僕の一つ年上の先輩、黒宮赤灯くろみやあかりである。

 彼女はそんな僕の絶望した表情を見ると嬉しそうに顔を寄せてきた。そして、吸っている最中のタバコを口から離し、ふう、と煙を僕の顔に吹き付けてくる。僕は思わず咳き込んだ。


「まずは、その一。ストレスをためない。その二、過去は振り返らない。そして、よく聞け、広宇須ひろうず。ここが重要だ。その三。先輩の言う事は絶対だ」


 にやりと不敵に笑うその姿はさながら勇者を地獄へ突き落とす魔王のような貫禄があった。

 僕はそれを見て、改めて、彼女の本気さを知る。もう、逃げられない。

 一体全体、第三者がこんな場面を見ればなんと思うだろうか。屋上で体を縄でぐるぐる巻きにされ、自由を奪われた少年が悪魔めいた風貌の少女から片足で踏みつけられている、この状況を。

 ひたすら命の取り合いが続くギャング映画なら納得の展開も、僕らが青春を過ごす鮮やかで輝かしいこの学校生活には、あまりにも不釣り合いだった。


「広宇須、お前は何も怖がる必要はない。私に全てを委ねてしまえばいいのだ」

「ちょっと待ってくださいよ」


 僕は必死に叫ぶ。無駄だとは思いつつも、彼女がこれからしようとしていることを思いとどまらせるには、今が最後のチャンスだと思ったのだ。


「僕に考えさせてください。どうして、『クラブの宣伝』だからって、こんなことをさせられないといけないのか」


 しかし、口答えするな、と先輩に一喝されてしまい、僕の反撃の糸口は儚くもしぼんでしまった。


「よく聞け、広宇須。宣伝には一種の『派手さ』が必要なのだ。派手さ、だぞ。分かるか? 我々がもし、他の湿気たクラブと同じように仏頂面のまま校門前でビラ配りをしてみろ。新入生たちはこちらには見向きもしないまま光の速度で廃部まっしぐらだぞ。だから、そうならないよう、この巨大で華麗なる垂れ幕を校舎に大きく掲げる必要があるのだ」


 そうして、先輩は僕の足元に括りつけられている紐の先を指さした。そこには、先輩が、ではなく、僕が丹精込めて作り上げたキラキラとした飾り付きの大きな垂れ幕があり、なかなかに達筆な文字が大々的にプリントされている。

 作成当時、まさかこんなことになるとは露とも知らなかった僕は、完成した時、嬉々として先輩に報告したのを覚えている。あの時の僕はどうしようもなく愚かだったのだ。


「いいか? 広宇須。人間は愚かしい存在だ。新しい刺激がなければ物事に興味を失ってしまう面倒な生き物だ。毎日毎日同じもの、いつも通りのものではいつか飽きてしまう。うんざりしてしまうのだ。だから、他がやらないこと、他者より目立っているものに、我々の目は自然と向かう。つまり、我々が新入生たちの注目を集めるには、他のクラブより目立ったことをすればいい。それだけで、我が劇団の団員数はうなぎのぼりだ。屋上からこんな巨大な垂れ幕を降ろそうとする奴らなど、他にはいないからな」

「そりゃそうですよ。生徒会執行部がそんなことを許可してません。ああ、こんなところを誰かに見られたらなんて言われるか。きっと、皆からの批判が殺到します」


 僕が言うと、先輩は不機嫌そうに眉をピクリと動かして、睨んできた。


「そんなことはない。来るとすれば、目玉がくりくりとした心の純粋な可愛らしい新入生たちだ。もしくは、恋焦がれた男子生徒からの私へのラブレターの山とかだ」


 それはない。絶対ない。神に頼んだって無理だ。

 僕は確信する。

 しかし、そんな僕の気持ちなどまるで知る由もなく、先輩は続ける。


「ともかく、広宇須よ。この巨大垂れ幕によって我が劇団の輝かしき栄光を惜しみなく新入生どもに知らしめることが必要なのだ。しかし、ただ垂れ幕を垂らすだけではまだ派手さが足らない」


 分かるな、と先輩は僕の鼻先に指を突きつけた。


「そこでだ。生身の人間が重石になって垂れ幕と共にぶら下がることにより、心のピュアな新入生たちの度肝を抜いてやろうという算段だ。最高だろう?」


 そうして、先輩は僕に有無をいわせる暇を与えないままに、紐でぐるぐる巻にした僕を蹴って転がし始めた。為す術もない僕は今にも泣き出しそうな気分になりながらも、ついに屋上の端まで転がされる。顔が半分だけ、屋上の端からはみ出すと、ひょうひょうと風が髪を舞い上げ、地上にまるでおもちゃのような人影が見えた。

 瞬間、僕は背筋が凍りついた。じたばたと最後の抵抗を試みる。


「嫌だ! 何でこんなことを僕がしなくちゃいけないんですか! 先輩がやってくださいよ!」

「ええい、往生際の悪い奴め。それ以上、弱音を吐くと三枚に下ろして酢漬けにしてやるぞ!」

「それも嫌だ!」

「じゃあ、大人しく落ちるんだな!」


 がし、と先輩が僕の脇腹を踏みつける。もう逃げられない。

 僕の体を支えるものは屋上の先にある僅かな鉄製の段差のみで、それがなくなれば後は重力の為すがまま、落下するのみである。僕の運命は今や風前のともし火と言って過言ではなかった。

 嗚呼、この恐怖をどう表したらいいのだろう。身動きが全く取れない状態で身の安全を全く保証されないバンジージャンプをしようとしている、この恐怖を!

 先輩が悪役のように高らかに笑う。


「じゃあな、広宇須。もしも地面に衝突したら、遺体の処理だけは責任を持って行わせてもらう。せいぜい肉片が飛び散らないように努力してくれ。少しでも掃除をしやすくするためにな」


 その言葉を僕は最後まで聞くことはなかった。

 なぜなら、彼女が言い切るその瞬間、僕の体は先輩の足によって宙になげだされ、芋虫の如く、無重力に引っ張られながら、地上に真っ逆さまに落ちていたのだから。

 落下しながら見た、あのにやにやと笑う先輩の顔は忘れられない。もし僕があのまま死んでしまったら、最後に見た光景はあの悪魔的な満面の笑みということになるだろう。

 なんということだろう。

 それは困る。

 嫌だ。絶対に嫌だ。

 死ぬのなら、僕はあの美少女の膝下で死ぬのだ。彼女に大粒の涙をぽたぽた零してもらいながら逝くのだ。

 嗚呼、死ぬ前に、一目でもいい。彼女と会いたかった。


 さらば、我が短き人生よ。


 薄れゆく僕の意識の中、校舎の壁に落ちていく僕に引っ張られる形で、大きな垂れ幕が風になびいた。

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