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掌編小説。
全3回配信の第1回です。
「俺は随分前から自覚はあったが、病気なんだよ。
それも重い病気だ。
医者には匙を投げられる類の、とびきりに重い、な」
都内にあるバンドハウス。
その日のプレイも鎮火した深夜前。
趣味でバーテンダ―の真似事もする店長が作業をする店の片隅のバースペースで、男がそんな告白をした。
身なりは先鋭さと落ち着きの同居した、「大人びたセンス」 の見受けられる服装。
この事から、男がある程度の社会的成功を収めて時間が経過しているのだと知れる。
今夜とて、バンド活動に励む若手の中に、金の卵が眠っていないかを見にライブハウスを訪れていた。
だが、今日の彼はそんな自身の仕事上の有用性を発揮することもそこそこに、安い酒で無聊を慰めていた。
しかしどうやら、酒がこの男の渇きを癒している様子はなかった。
彼の隣で安いカクテルを舐めていた友人は、殊更に驚いた風もなく返す。
「へえ、それは気付きもしなかったぜ、信也。それは深刻な話だ。
お前の友として、俺にはその苦しみを分かちたい気持ちがある。どうだ? 話してみては」
信也はうなだれた顔から視線だけを隣の男に向ける。
「ああ……、聞いてくれるか、零冶。
やはり高校で出来た友は生涯のモノというのは信憑性があるな」
「それはいつでも、誰でも自分次第でもあるさ。……で、何だっていうんだ」
俯いて、発色のよい照明をキラキラと反射するグラスの中身を見つめ、信也は口を開く。
「俺は、女の子を見れば抱くことしか考えられないんだ……」
二人から僅かの距離で作業をしていた店長が、耳に届いた信也のセリフに思わず手元の物を落としそうになった。足元が動揺したのか、ごとごとと低い位置から音が続く。
だが周囲の空気を揺るがす発言にも当の本人は頓着がないようで、依然沈んだ表情で語る。
それはある種、懺悔室での告白めいていたかもしれない。
「女の子とみると、好みかどうかもあるけれど、すぐに柔肌の感触や、激しくファックしている様を連想してしまって……以前はそういうのが当たり前だと思っていた。
俺は正常な成人男性だからな。けれど最近になって思うんだ。
酷く、胸の奥が苦しくなる程に思う。俺はその子のことを何も考えていない、ってな」
「性欲の発散の対象としての異性か。星の数いる男の中にはそういう奴も、まあいるわな。お前がそういう奴だということも、先刻承知だがね」
零冶は「というか、それが病かよ?」
という反駁を入れようとしたが、隣の友人の真に迫る横顔を目にし、思い留まった。
「俺自身も今までにそうした軽薄さで女の子と付き合ってきたから、今更そうした自分を否定は出来ない立場だよな。
けどな、俺は最近、そういう自分がたまらなく嫌なんだ」
信也のその言葉で、零冶は理解する。
「惚れた子がいるんだな。珍しく本気で」
かぶりを振ることも出来ずに、信也はただ俯く。
「そうなのかな? やっぱり。
実の処、よく解らない。
けれど、あの子のことを本気で好きなのだとして、ならその感情を満たす終点として抱くことを通過したら、結局俺はいつもと変わらないことをしているのかもしれないじゃないか……とだけは思うよ」
「お前がそうしたいと思えばそうだという話だが……珍しく女関係に面倒な感傷を持ち込んでいるようだな」
「あの子をそこいらの女たちと同じ目で、肉欲で捉えて、それで本気で好きになったと謳うのかと。それは欺瞞どころか、裏切りだと感じるんだ。あの子と、俺自身へのな。
俺はきっとあの子を抱いてしまうのが怖いんだ」
安酒をあおる信也を向いて、零冶は若干語調を強めて言う。
それは普段の覇気ある男である信也を知っているからこその、ある種叱咤であり激励であったのか。
「そう思うのなら、お前はどうしたいんだ?
その子のことを好きにするのが怖いのなら、お前はその子をどうしたい? どうなりたいと言うんだ。
それを考えなければいつまで経っても一人で切ない想いをしている羽目になる。そうしているうちにその子は別の誰かにハメられてしまうかもしれないぞ」
「それは嫌だ!」
敵愾心を向ける相手は隣の友人ではないと判ってはいても、思わず噛みつくような顔を向けてしまう。信也はそんな己に気付いて、項垂れる。
「……嫌だが、どうしたいというか、どうにも、何も出来ないんだ。
あの子のキラキラした優しい瞳を見ているだけで、俺の脳髄はとろけて手を繋ぐことすら出来ない。ガキみたいにどぎまぎして、胸が高鳴ってしまう。
でもこの感情をあの子で発散させたくない」
椅子の背もたれに体重を預けて、零冶は吐息をつく。
「その子は綺麗なままにしておきたいってのか。難儀だな。
でもそれならそれで、そういう節度あるお付き合いをすれば良いだけの話じゃあないのか?
その子をフリーにしておくことはやっぱり不安なんだろう」
だが信也は腹に据えかねると反駁をいれる。
「それはそうだけどな。
あんなに可愛い子だから、ちょっと状況が整ってしまったら……いや、そういう方向に行く流れになってしまったらしまったで、俺は女を抱く病気から抜けきっていないからな、ついヤッテしまいそうな気もするんだ。
でもそれが、あの子に対してはどうしようもない過ちになると……自分が悔いるかもしれないと予感してな」
「それもまた怖い、か」
半ば呆れも含ませて零冶は舌打ちする。
「俺はそうなってしまったら、あの子の天使のような顔を見て、正面から向き合っていられなくなるのは確実だ。彼女の前の俺は、今はそういうモノらしいんだ。俺はどうしたらいいんだ……」
「性欲は他の女で処理して、その子とは清い交際をするとか」
「それはあの子に対して酷いことをしている気がして嫌だ」
「何だそりゃ。その子のことを汚すのも嫌で、お前自身も潔癖でありたいとか我侭すぎるんだよ」
さすがに零冶が処置なしの様子に語気を荒げた。
しかし信也とて自分の考えの図々しさと幼稚さは理解している。理解したうえで、尚煩悶を抱えているのだから、いい歳の大人として情けなくも真摯だということか。
この恋に対して。
「我侭だってことくらい解っているさ。
それでもあの子を好きな気持ちは他のどんな男にもあの子を触れさせたくないくらいだし、けどそれで、自分であの子を抱いて……そう、俺はあの子に嫌われるのが一番怖いんだ。
情けない話だけれど、年下の可愛い女の子に振られるのが怖いんだ」
「それは確かに情けないな。お前らしくもない。
振られる前にすべからく入れ食い。逃げる女も性技で征服するようなお前が。
……というか、こういうことは知られないようにするのが定石だろう」
「………………」
「それも嫌だと」
無言で頷く信也に、プレイボーイの面影も面目も無しと感じる零冶。
顔は整っているから見る異性や同性が見ればそこに劣情を感じたかもしれない。
あいにくと零冶は見下げるばかりであったが。
「……でもどうだ。もう面倒だとこっちが感じるくらいに悩んでいる様子だし、さっさと一発ヤッてお望み通りに嫌われてみたら。
案外そこから始まるその子とのライフがあるかもしれないぞ」
零冶の提案に、しかし納得がいかないと言いたげに、手の中のグラスを弄ぶ信也。
「それはあの子を変えるということだろう。
俺みたいな男があんなに純粋で良い子を、独りよがりの感情を押し付けて、文字通りに俺の汚れを交わらせて色を変えるなんて、それこそあの子に申し訳ない」
深く溜息をついて、信也は顔の前で手を組んだ。どこか祈りのカタチに似ているようにも見える。
「そうなったら、俺は自責の念であの子と一緒になんて居られなくなる」
次回は7月30日更新です。
ごゆるりでスミマセン~。