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9 再来の夜

「二姫さま!」


 突然耳に飛び込んできた声に、和子の意識は覚醒した。

 その途端、和子の間近にある鬼灯のように赤い瞳に気づいて身をのけ反りそうになる。しかし、胸元に向けて伸ばされた白腕を見て、和子はとっさに口を開いた。


「六条君……いえ、瑠璃さま! わたしはあなたが求めておられる方ではありませんよ」


 どういう訳か、瑠璃姫の記憶を見る前から時が経っていないらしい。

 不思議に思うが好都合だ。怨霊と見紛う姿をした瑠璃姫を止める機会である。


 和子が彼女の名を呼べば、狂喜に歪んだ表情から毒気が抜けた。

 彼女を取り巻く黒煙が失せたため、手を差し伸べて呆けた表情のまま固まっている瑠璃姫が見えた。そんな彼女に和子の方から触れる。

 もしかしたら魂だけの瑠璃姫には触れられないかもしれないという危惧は、指先に伝わる冷たい感触によって杞憂となった。

 触れた指に少しでも熱が伝わるように強く握る。


「瑠璃さま、人々の魂を抜きとるのはあなたが怨霊だからでは決してありません。あなたが誰よりも大切に思っておられる方が他にいるからです」

「な、にを……」

「思い出してください。こんな身になってまで求めておられた方々をお忘れになってはいけません」


 過去の記憶を見た今なら、瑠璃姫が強く思う気持ちが分かる。

 だからこそ、真に求める相手を忘れて人々の魂を奪い続ける彼女を、彼女のためにも止めたいと思う。

 目を見つめて訴える。そうすれば、苦悩の表情を浮かべながらも静かに瑠璃姫の瞳から狂う赤が消えていく。


 先程までまとっていた禍々しい気配もなりを潜め、下半身からは蛇の尾が覗くが上半身だけを見れば普通の姫君だ。

 この状態ならなんとか元に戻ることが出来るかもしれない。

 そんな和子の希望は、再び噴き出した黒煙に覆された。


「なんで……!」

「二姫さま、危ないので下がっていてください」


 握っていた手を離し、春昭が和子を背に庇う。

 そうしている間にも黒煙は瑠璃姫を取り巻く。俯いていた彼女の瞳は、瞬きした間に赤く染まった。


「もう、なんだというの、そんなにわたくしが嫌いなのですか。だからこんなに苦しめるのですか」


 瑠璃姫の呟く言葉は誰に向けられたものでもなく、それゆえに胸を締め付ける。

 苦しげに頭を抱える瑠璃姫に歯がゆい気持ちを抱く。

 だが、春昭がそれ以上和子を前に進ませない。そんな春昭の腕にすがって、和子は春昭へ必死に訴える。


「春昭さま、彼女は怨霊ではありません。何者かに変じられているだけなのです!」

「……一体二姫さまがなにを見たのかは分かりませんが、確かに、彼女はなにかしらの術が掛けられているようですね」


 打って変わって攻撃的に襲いかかる黒煙を祓いつつ、春昭は頷く。


「先程二姫さまが語りかけていたときは静まっていたというのに……まるで怨霊となるよう強制しているようだ」

「元に戻せますか、あの方を」

「術を破ればあるいは……しかし、この黒煙をどうにかせねば」

「では、わたしがもう一度お話します」


 静まるかどうかは分からないが、やってみる価値はあるだろう。

 そう言えば、前を向いていたはずの春昭が何事か言いたげに見下ろしてくる。


「なにか」

「いえ……お願いします」


 春昭の声に諦めと呆れが混じるが、今はそれに構っている余裕はない。

 身を乗り出し、瑠璃姫の様子を伺う。荒々しく吹き荒れる黒煙に対して、彼女はその場から動いてはいない。

 先程と変わらず、なにかに苦しむ様子が見られた。


「《あの方》が……誰? いやだ、早く、側に」

「あなたが本当に側にいてほしい方を思い出してください、瑠璃さま」

「そんな方……ぐ、うぅ」


 語りかけるごとに苦しむ瑠璃姫の姿を見ると、まるで自分まで彼女を洗脳しているかのように思えてしまう。

 彼女にとって思い出そうとする事実はそれほど受け入れ難いのだろう。それを無理に思い出させようというのだから、和子は彼女に恨まれても仕方がない。

 しかし、だからといってこのまま彼女を放置することもできない。


「失意のうちでも無意識に求められたご家族をお忘れですか!」

「かぞく……」


 これでも駄目かと一喝すれば、瑠璃姫の瞳が揺れた。

 そして、ぽつりと口から漏れた言葉と共に目から涙が零れる。


「あにうえ、ちちうえ……!」


 黒煙の勢いが収束する。

 それを確認すれば、春昭がすばやく印を構える。そして一呼吸の間に呪を唱え終えた。


 ――パチッ


 軽く火が爆ぜるような音が響く。それが連続して起こったころには、瑠璃姫の足を形成していた蛇の尾から、黒い鱗が次々と剥がれていった。

 彼女から離れた鱗は、宙に浮かんでしばらく経てば粉々になって霧散する。

 最後に、浮かび上がった黒く煤けた符が春昭の手によって握り潰されると、すべての鱗が剥がれ落ちた。


 そうなると、目の前にいるのは怨霊や異形ではなく一人の女性だ。

 ただ涙を流して呆然と立ちすくむ瑠璃姫。そんな彼女の胸元から、幽かな光が灯った。その光は一つだけではなく、次々と生じる。

 あれは何なのか。なぜか懐かしく思えるその光たちを眺めていると、側にいた春昭が口を開く。


「元の器にお戻りください。まだ間に合います」


 彼の様子を伺うと、その視線は瑠璃姫とその光たちに向けられている。

 言葉の意味を理解しかねていると、光の玉は瑠璃姫から離れ、次々といずこかへ飛び去っていく。

 それはいつか見た、あの鬼火のようで。そう思い至った和子はようやく、あの光が囚われていた者たちの魂だと気づく。


 しかし、瑠璃姫の姿も輝く光の玉となり、瞬く間に消え去る。

 何事もなかったかのように、室内には乱れも汚れもない。もちろん、瑠璃姫がいた形跡も黒煙の残骸もだ。

 これに動揺したのは和子だった。


「き、消えて……瑠璃さまはどうしたのでしょうか。まさかお亡くなりになったのでは」

「落ち着いてください二姫さま。かけられていた術から解放されて、囚われていた魂たちと同様に元の身体に戻ったのです。かの姫は無事ですよ」


 思わず春昭の袖を引く和子に春昭は宥めるように言い聞かせる。

 そして深い安堵の息を吐いた和子に、苦笑した春昭は小さく謝罪の言葉を呟いた。


「申し訳ありませんでした、二姫さま」

「……あの、お話を聞く限りだと無事に解決したのですよね? なぜ謝罪なさるのですか」

「二姫さまを危険な目に遭わせてしまいました。一度のみならず二度までも」

「わたしがここにいるのは春昭さまに強引に頼み込んだからですよ。危険な目に遭うと分かっていながらわたしは同室したのです。あなたが謝罪する必要はありません」


 申し訳ないのはむしろ和子の方だ。いらぬ世話をかけて、彼の仕事の邪魔をしてしまった。

 そう言うのに、春昭は首を振った。口元は笑みを作っているが、眉根を寄せて悔いるような表情をしている。

 しかし、彼の口から出てきた言葉は和子の言葉を受け入れるものだった。


「さようですか……二姫さまは、お優しいですね。そんなことではいつか損をしますよ」

「そ、そうでしょうか」

「えぇ。お気を付けくださいね、後で苦情を受け付けてくれる方はそうそうおりませんから」


 先程とは打って変わって、わずかに砕けた雰囲気が戻る。

 そのことに無意識のうちに安堵する。


 そこへ、慌ただしい足音がこちらの室へ近づいてきた。

 怪訝な顔でその人物を迎えると、帳からやけに固い表情をした小梅が顔をのぞかせる。


「二姫さま、ご無事ですか」

「えぇ、大丈夫よ。春昭さまが解決してくださったわ」

「……そうですか、それはようございましたが」


 調伏の間は頭はいっぱいになっていたが、事が終わったということは兄の体調も回復するということだ。改めてそのことに思い至り、和子は安堵で身体から力が抜ける。

 しかし、言葉を濁した小梅に気づいた春昭がその先を促した。


「小梅殿、なにかあったのですか?」

「……先程、突然人魂が大量に飛び出してゆくのを見ました」


 人魂を見たのが初めてだったからだろうか。未だに小梅が緊張の面持ちをしている理由をそう考えていると、春昭が「なるほど」と小さく呟いたのを聞く。

 ふと顔を上げて彼の方を伺うと、向こうも和子の方を見ていた。その目に浮かぶのは紛れもない憐憫である。


「え? どうしたのですか」

「いえ、不憫で堪らなくなってつい」


 そんな言葉を漏らす春昭を小梅はキッと睨む。

 そして、首を傾げる和子に外の状況を伝えてくれた。


「藤式部邸からまたしても数多の人魂が飛び出していったと、人々が騒いでおります」

「……え?」

「《魂呼び姫》がまた人魂と戯れておられる、と」


「…………春昭さま」

「二姫さまはお優しい方ですよね?」

「それとこれとは……く、苦情を受け付けないとはこのことですか!」


 視線を合わせようとしない春昭に和子は襟首を掴んで揺さぶりたい衝動に駆られる。


「調伏に協力しますとは申しましたが、被害を受けるなんて一言も申しておりませんよね!」

「いえ、わたしとしても予想外なことでして……いやぁ、こんな夜更けに人が外にいるとは皆さんお盛んなことで」

「話題をそらさないでくださいな!」


 和子が春昭に詰め寄っている間にも、邸の外はなにやら人々のざわめきが聞こえるようである。

 まるで、あの夜の再来ではないか。

 明日から飛び交うであろう噂の数々を思うと、和子は頭を抱えた。


「絶対に、絶対に責任をとってもらいますからね!」


 和子の叫びは外まで聞こえたらしく。

 後にこの日のことは「《魂呼び姫》、ご乱心の夜」として人々の口にあがるようになった。

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