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5 断れない頼み

 詰問する声音は先程と変わらず、穏やかに聞こえる。

 しかし、男性のまとう雰囲気は物々しくなった。

 喉に刃物を突きつけられているような緊張感。それを感じつつ、和子は否定した。


「いいえ。なにをおっしゃっているのか分かりませんわ」


 実際には彼の言う怨霊に心当たりはある。

 あの廃墟となった屋敷におり、竹夫と和子を襲った黒い人影のことだろう。

 だが、「呼び寄せた」などと言いがかりにも等しいことを言われてはたまらない。


 そもそも和子にそんな能力はない。

 今までも、鬼火を呼び寄せたつもりも怨霊を呼び寄せたつもりもない。

 だというのに、男性は異様な威圧感を出しながら問う。


「では、なぜあのような場所に? あそこは姫君が訪れるような場所ではありませんよ」


 その言葉をそのまま相手に言いたい。

 そう思うが、ここで言い争っても分が悪いのは和子だ。

 冷静に、言葉を選ぶ。あくまで和子たちは被害者なのだと主張するために。


「わたしはただ、兄の文をある姫君にお届けしにいっただけです。まさか道中、あのようなことに巻き込まれるとは思いませんでした」


 ここでわざわざ、あの廃墟に用があったのだと言うつもりはない。

 万が一為成が慕う姫君が廃墟にいるなどと知られたら、為成まで和子のような噂を流されるだろう。

 それを避けるためなら嘘を貫く。

 和子の兄が様々な姫君に和歌を送っていることは都中に知れ渡っている。

 そのためか、相手は先程の勢いもなく呆気にとられているようだった。


「……妹に、文を?」


 思ったよりも疑われなかったことに安堵すべきか、兄が妹を恋文の使いにするといっても納得されてしまうことを嘆くべきか。

 なにはともあれ、和子のような噂よりはましなはず。

 余計な噂の種をつくってしまった罪悪感で冷や汗が出たが、後の祭りだ。

 詰問されたときとはほど遠い、微妙な空気が沈黙した二人の間に流れる。


 そこへ、突然笑いを含んだ声がかかった。


春昭(はるあき)、もういいだろう。二姫は此度の首謀者ではない」


 ずっと控えていたのか、鈴が帳をのけて人が入りやすいようにする。そこから、体格のいい男性が入ってきた。

 春昭と呼ばれた男性と同様に、彼も狩衣を身につけている。

 それを見て、春昭は苦言を呈す。


「夏彦さま……わたしが報告すると言ったはずですが」

「待ちくたびれた」


 そう言って座った夏彦に春昭は深いため息をつくが、彼は無視。

 知らない人物が増え、警戒する和子に向かって夏彦はまず許しを請う。


「二姫殿、この春昭という男が失礼なことを申したこと、どうか許して欲しい。この者はわたしのために動いただけなのだ」


 簡素であるが真摯なその言葉に和子は直感した。この方、かなり身分の高い人物である。

 漂う芳香や彼の鷹揚な態度からも、その直感が正しいと判断した和子は内心身もすくむ思いがした。

 もしかしたら、この屋敷の主人は春昭ではなくこの夏彦という男かもしれない。


 どちらにせよ、彼の謝罪を和子が受け入れないという選択肢は残されていない。


「いえ、疑いが晴れたのであればもうなにも申しません」


 言わないのではなく言えないのだが、この言葉をあえて引き出しているのならこの男性も食えない性格をしている。


「それはよかった。では、二姫殿への疑いが晴れたところで、本題といこうか」


 そんな和子の複雑な心中を知ってか知らずか、夏彦は次々に言葉を掛けてくる。

 その言葉に、和子は無意識に身構えた。


「本題、と申しますと?」

「単刀直入に言おう。二姫殿、ここにいる春昭と共に、怨霊退治を手伝ってもらいたい」


 夏彦が平然と言い放った言葉に、和子は危うく手にしていた扇を落としかけた。

 この申し出は一介の姫君に頼むような内容ではない。それどころか、どの貴族、どの庶民にも対処しようがないことだ。

 予想外な頼みに動揺しながらも、言葉を返す。


「恐れながら、怨霊退治とはなんの力も持たないわたし如きがお手伝いできるものではありません。陰陽師たちの管轄です」


 天の星の動きを読み、暦をつくるなど、陰陽師の仕事は幅広い。

 その仕事の中でも、人々の心に巣食う妖怪や穢れを絶つことで彼らは知られている。

 夏彦が求めてきたのは陰陽師の仕事のそれだ。怨霊を祓う能力のない和子に、一体なにができるというのか。


 しかし、和子の返答に夏彦は笑った。


「もちろん、二姫殿に怨霊を祓ってもらうわけではありませんよ」

「では何故……」

「申したでしょう、お手伝いです。春昭は怨霊を祓う能力に長けている。あなたには、その怨霊を引き寄せてほしい」


 なんてことだ、と和子は天を仰ぎたくなった。


「疑いは晴れたとお聞きしましたが、未だに晴れていないようですね」

「おや、そんなつもりはなかったのですが」

「お分かり頂けなかったようなので、もう一度申し上げます。わたしは、怨霊を呼び寄せたことはありません。鬼火もですよ」


 これだけは言わなければならない、と和子は強い口調で言った。


「ですから、怨霊を引き寄せるということもできません。残念ながら」

「そうなのか? てっきり《魂呼び姫》と有名な姫ならばできると思ったが」

「……それは、ただの噂です」


 数日前のことがこんなに根強く広まるとは。このわずかな時間のうちに、和子は頭が痛くなった。

 この身分が高そうな御仁にまで噂が回っているということは、都のほとんどの人間が知っているということだ。

 本格的に出家先を考え始めなければ、へたをすると尼寺にまで受け入れ拒否をされるかもしれない。


 将来路頭に迷う図を容易に思い描けてしまった和子は、不吉な想像を必死に頭から追いやる。

 その一方、夏彦はなにかを考え込んでいるようだった。


「そうか、二姫殿は怨霊を呼べないか……」

「はい」

「だが、この怨霊退治は二姫殿にとって、すでに他人事ではないのだが」

「……はい?」


 思わず聞き返す。

 すると、今まで控えていた春昭が涼やかな声で和子に止めを刺した。


「おそらく、あなたさまの兄君は怨霊に憑かれています」


 このままでは魂を抜かれてしまいますね。

 そう聞いた時点で、和子はついに扇を落とした。


***


 ことの次第を説明し終えた後の二姫は、どこか呆然とした様子だった。

 突然身内が怨霊に憑かれていたと知れば当たり前の反応か。そう納得する一方、春昭はなぜか違和感を覚えていた。


「二姫殿は意外と理解が早い方だったな、春昭」

「そうですね。再び気を失われるかと思いましたが……手をお貸しくださるようですし」


 夜も遅いがいつまでもこの屋敷に留まっていると言うのも具合が悪い。

 これ以上外聞を悪くしたくないと主張した二姫は、春昭たちに協力することを約束し、自分の邸宅へ帰っていった。


 残った春昭と夏彦は今後の計画について話し合っていたが、しみじみと呟いた夏彦の言葉に話題は一旦二姫に移った。


 鈴が燭台に火を足すのを見やりながら、春昭も夏彦に同意する。


 そう、二姫は予想していたよりも随分と賢く、心の強い姫君だった。

 怨霊関係と言えば普通の姫君なら失神するところである。

 しかし、二姫は気を失うこともなく最後まで話を聞き、自分にできることはなんだと尋ねてくるほどだった。


 これも、《魂呼び姫》と呼ばれる姫だからだろうか、と思う。

 しかし、本人が必死に否定していたことを思い出し、その考えを打ち消した。


「なんにせよ、二姫さまが協力してくださるなら多少はわたしもやりやすいです」

「これで一度に解決したらよいのだがな。春昭、今回魂を抜かれたのは誰だと思う」

「あの廃墟で見た御仁は浅紫の衣をまとっておいででしたので、三位以上の方だろうと思われます」


 三位以上と言えば大納言、中納言など国の中枢に深く関わる官職の者だ。

 それを聞いて、常に穏やかな表情を保っていた夏彦が苦しげな呻き声を漏らす。


「三位以上か……これほど欠ける者がいるとなると、厄介なことになるな」


 夏彦の悲痛な心は容易に想像できた。そのため、春昭は思考するために目を閉じる。


 あるときから、こうして幾人もの人物が魂を抜かれるという事件が多発している。

 事態を重く見た夏彦の命によって、春昭は事件について調べていた。

 そして今宵、ようやく原因はあの廃墟にいる女の怨霊だと突きつめたのだった。


 夏彦の言うとおり、このままでは国の政事に支障が出る。

 それどころか、被害に遭っている人物を見る限り、次第に夏彦の立場が悪くなるように思えた。


 もう後はなかった。

 一刻も早く事態を収拾しなければ抜け殻となった身体が衰弱し、魂が解放されたとしても戻る器がないということになりかねないのだ。

 それだけはなんとしても食い止めたい。

 春昭は夏彦に深く頭を下げた。


「次こそは、あの怨霊を祓ってみせましょう」

「あぁ、期待しているぞ陰陽師」

 

 春昭の決意を察した夏彦から、信頼の念のこもった言葉が送られる。

 それを受け取り、顔を上げた春昭は不敵な笑みを浮かべた。

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