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2 姉兄の恋愛事情

 元はといえば、和子が自身の結婚について過敏になったのは実の姉、兄が原因である。


 長女の敦子(あつこ)は十八歳、長兄の為成(ためなり)は十六歳、そして末子の和子(かずこ)は十四歳。三人ともに同じ母から生まれている。

 そのためか、成長した今でも仲の良い姉弟である。


 しかし、いつまでも仲良しこよしでいるわけにはいかないのだと、和子は最近強く思うようになっていた。

 なぜなら、この三人の内、一人も既婚者がいないのだ。

 このご時世、早くて十二歳で結婚する者もいる。十八歳ならば花の盛り。その後は売れ残りとされて世間から白目で見られる。

 つまり、今年十八歳となる姉には後がない。ぜひとも早く結婚もしくは婿候補を捕まえて欲しい。これが和子と藤原邸に仕える使用人一同の願いだった。


 姉である敦子が危機感を持ってくれるのであれば問題ない。だが、和子の姉は髪の毛ほども現実の恋愛に興味がなかった。

 一言でいうならば夢見がちな性格。絵巻物を日夜眺めては物語の世界に浸るのが彼女の幸せなのだとか。


「和子、あなたも読んでみなさいよ。これお勧めよ」


 そう言って、読めば赤面間違いなしの物語を勧めてくる。

 和子としてはそこで得た知識を現実に生かしてほしいのだが、敦子は妹の心からの言葉をきっぱりと否定した。


「だって、理想の殿方がいないんですもの」


 ちなみに彼女のいう理想は駆け落ちしてでも一途に相手を愛してくれる殿方だとか。

 そんな男、いたとしても和子たち家族が許さない。

 どうにか現実のまともな殿方に目を向けて欲しい一心で和子は女房らと共謀したが、その気質は全く変わらなかった。


 問題なのは敦子だけではない。兄である為成も同様に問題があった。


 姉とは逆に、現実の姫君に興味はある。だが、為成は博愛精神の持ち主だった。

 父譲りの学才を生かして彼はすばらしい和歌を作る。惚れっぽい性格が功をなし、情熱的な言い回しもお手の物。


 しかし、相手をその気にさせておいて次の段階に踏み込まない。

 恋愛において肝心なところで及び腰になっているのではない。

 以前、なぜ引く手数多な兄が結婚しないのか聞いたとき、和子は目眩がした。


「素敵な姫君が多くてね。選べないんだ」


 つまり、和歌を送った全員の姫君と結婚できないのなら、その内の数人とだけ結婚するなんてできない、と言うのだ。

 それなら全員と結婚しろ、と容易に言えない。なぜなら、為成が一度に和歌を送る相手はゆうに十を越える。


 いくら一夫多妻が許されているご時世であっても、一介の貴族に許されるほどの妻の数ではなかった。なにより、全員を正妻にできるはずがない。

 次々と姫君に和歌は送るくせに手は出さないという為成。世間から、もしやその若さで枯れているのではと噂されたとき妹は泣いた。


 年長がこうであれば、妹が身を固めなければと決心するのは早い。

 早いころから花嫁修業を開始。姉の情報を流すように女房に指示する傍ら、自分の情報も選別して流す。

 そのかいあって、しばらく前までは文を交わす殿方がいたのだ。


「それも今回の事件で台無しよ」


 《魂呼び姫》などと揶揄されるような姫を娶ろうという猛者はいない。

 大事をとって数日様子を見たが、いつまで経っても文が来ない。これは、相手方から縁を切られたと判断していい。


 そこで、和子は決断した。女としては辛いことだったが、仕方がない。

 侍廊(応接室)にて今まで協力してくれた女房らの顔を眺める。

 皆、険しい顔つきだったが和子は逆に笑みを湛えて言い放った。


「わたしは結婚することを諦めます。いえ、することができないでしょう。その代わり、我が姉君、兄君の結婚に全力を注ぐことにします」


 和子の言葉に反論する者はいなかった。全員分かっているのだ、悪い噂を流された姫がどれだけ結婚することが難しいかを。

 ただ皆、真剣な顔をしてうなずく。

 それを受けて和子はとても頼もしい気持ちでいっぱいになった。


 この苦難を乗り越えるために手を貸してくれる人が、少なからず存在する。そのことが分かって、和子は勇気づけられた。

 《魂呼び姫》の血縁であっても、当人にいくらか難があっても。まだ立ち向かえる。挽回の機会はある。


「皆で協力して、この難局を乗り切りましょう」


 慎み深い彼女たちは男たちのように拳をかざすことはない。

 しかし、今、固く強い意志が彼女たちの間に交わされた。

 全ては当家のために。

 こうして、和子を合わせた藤原邸家人たちによる、姉君兄君の結婚に向けての情報戦が激化した。



「誰か、噂でもいいから姉さまや兄さまに懸想する方を知らないかしら」


 敦子や為成の性格改善も課題だが、相手がいないことには始まらない。

 全員の決意を新たにしたところで、さっそく和子は話し合いを進めた。

 当人らには自覚がないが、時間がないのだ。

 和子の手元に筆と硯と木簡を用意した小梅に礼を言い、すでにさまざまな情報を交わしている女房らに目を向けた。


 邸宅に籠もりきりの和子よりも、他の邸宅の者と交流できる家人の方が情報通だ。

 今もある少納言邸に従姉が仕えているという女房が話している。


「少納言さまには三人の姫君がおりまして、その内の二人がすでに若君の和歌を受け取ったそうです」

「その姫君の反応はどうかしら。兄さまの博愛っぷりを打開してくれそう?」

「それが、姉妹そろって本気になってしまったらしく。仲違いをしてとても目が当てられないご様子で」

「……兄さまの方はどうかしら」

「……いつも通り、他の姫君に文を」


 呆れて声も出なかった。きっと、脳天気に相手の返歌を待っているのだろう。


「知らないほうが幸せなことってありますよね」

「本当にね」


 小梅が呟いた言葉に思わず頷く。

 おそらく、恋した姫君たちが喧嘩しているとなれば為成は仲裁に入るだろう。そうなれば状況はさらに悪化するに違いない。


「次……姉さまの方は誰か知ってる?」


 頭の痛くなる懸案を流して、和子は敦子の情報を促す。

 すると、今度は気まずげに一人の女房がしゃべりだす。


「市に出たときに人々が噂してたのですが……数日の間に例の妹姫さまの呼び名が広まったらしく。姉姫さまも同類なのではないか、などと愚かなことを申す者もおりまして」

「……本当に、申し訳ないわ。どうにかその噂を潰せないかしら。姉さまの情報を流すときに、その噂を払拭できるように操作してちょうだい」


 頷く女房らに和子は胸が痛くなってきた。

 自分のみならず、血縁者にまで悪評が及ぶとは。予想はしていたが辛い。


「いっそのこと、わたしが家を出れば万事解決ではないかしら。田舎に引っ越して……いえ、出家すれば」

「二姫さま、そこまで思いつめないでください!」

「式部さま(和子らの父)も悲しまれますわ。どうか、それだけはお止めください」


 ぽつりと呟けばその場に居合わせた者が全員反対する。それが嬉しくもあり、心苦しくもある。


「分かったわ。皆がそう言うなら、思いとどまります」


 余計な心配はかけまいとその場を取りなす。

 そうすれば安心したように皆ほっと一息つく。そして、先程のように姉兄の噂を報告するなど、すぐに落ち着きを取り戻した。

 それを眺めて、一人、和子は密かにもう一つ決意する。


 きっと自分はこの家を出て行く。


 本当は家族の風評まで悪くする前に出て行きたかった。しかし、先程の様子を見る限り難しそうだ。

 ここで無理に出て行けば周りに余計な手間を掛ける。その上、自分が元凶である以上、放り出してしまうのは無責任だ。

 なら、姉も兄も良縁に巡り会ったと確認したら出て行こう。遠縁の伝手を使って、都から離れた地で暮らすのもいい。


 そう一人で考えていると、不意に視線を感じる。

 ふと視線を横にそらせば、側に控えていた小梅がジッと和子を見ていた。

 その読めない表情に和子は心の内で苦笑する。

 きっと、この女房は和子が考えていることが分かっているのだろう。

 だてに十四年間共に暮らしていない。互いのことはよく分かっている。

 だからこそ、和子は扇で口元を隠したまま、目元だけで小梅に笑って見せた。


「小梅、どうしたの?」

「これからも二姫さまに振り回されそうだなと思いまして」

「そうね、小梅には悪いけれどこれから先も頑張ってもらうわ」


 お互いに核心は避けて茶化したように言葉を使う。

 そうすれば、固い表情だった乳母姉の目元が和らいだのを見た。


 そこに、息を切らして室に駆け込む者がいた。

 まだ幼い娘のようで、走ったために顔を真っ赤にしている。

 それを見た年上の女房が眉根をひそめて叱る。


「まぁ、二姫さまもいらっしゃるのに。ちょっとは落ち着きなさいな」

「え、あ、失礼しました! まさか二姫さまがいらっしゃるとは知らずに」


 年上の女房に叱られて瞬く間に表情が変わる。

 しかし、小さくごめんなさいと呟いた後はすぐに顔を上げていた。


「ご報告があって、来ました。二姫さまもお聞きください」


 その顔はどこか、興奮しているように見える。


「なにがあったの? 良い知らせかしら」

「はい! きっと二姫さまも驚かれますよ」


 元気に返事をする新人の女房は自信満々に頷く。

 それを見て、室内にいる者たちの視線が集まる。


「それは楽しみね。では、報告してちょうだい」


 先程から不安な情報ばかりを聞いていた和子も、期待してその女房を見つめる。

 そう促せば、周りからの視線を一心に受けて女房は口を開いた。


「若君さまがある姫君にとても執着していらっしゃるようです。意中の姫君がいらっしゃる邸宅の周りを彷徨くほどですって!」


 その報告は藤原邸を震撼させた。



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