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14 羅城門

 羅城門といえば、都に住む者なら誰でも知っている。都を真っ直ぐに貫く朱雀大路の南に位置する有名所だ。

 だが、それは今では廃れ、建設当時はさぞやと思わせる門は妖怪跋扈する恐ろしい場所だと聞く。


 そんな場所に来ていると言うのだから、及び腰になるのは無理もない。

 しかし、怯える和子の足を進ませたのは、羅城門の噂よりも恐ろしい春昭の脅しだった。


「いいですか。何度でも言いますが、あなたの身体は悪霊に乗っ取られているかもしれません。いえ、乗っ取られてます、間違いなく確実に。しかし、まだ魂と身体を繋ぐ緒は切れていません。奪い返すには今しかありませんよ」

「ど、どう奪い返すんです」

「もちろんわたしも手助けしますが、身体の本来の所有者はあなただ。強く願えば容易に戻れるはずです」

「……その言葉、信じますよ」


 そうは言ったものの、実際に目にすると羅城門というのはすくみあがるほど恐ろしい空気をはらんでいた。

 月明かりに照らされた羅城門は不気味な静けさに包まれ、その様はまるで化物が鎮座しているように錯覚する。


「……鬼、いませんね」

「いるとしたら、楼の上でしょうね」


 迷いもなく春昭は丹の塗られた梯子へ足をかける。その後をぴったりくっついて和子が続く。

 そして、春昭が梯子をもう少しで上がり終えるというところで、彼の目が鋭くなにかを捉えていることに気づいた。

 尋ねようとした和子に制止の意か、手の平をみせる春昭。それに従って口を噤む。その代わりに楼の上へ意識を向ければ、どこからか声が聞こえてきた。


「おーい、さっきから黙ってないでなんかしゃべってみろって」

「おめーの外見が怖いんじゃねぇの?」

「んだとぉ! あのな、俺らは別におめーさんを食おうなんて思ってねーんだぞ!」


 複数の声が賑やかに聞こえてきた。その声以外にも雑談する声がそこらかしこにある。

 あまりにも場違いな明るい声に気が緩みそうになるが、松明だと思ったのが煌々と光る青白い人魂で、それに照らされて浮かび上がる影が異形の姿をしていたことに気づいてからは卒倒しそうになった。

 どう考えても、この楼の上にいるのは人ではない。


 しかし、春昭は何事かを呟くと、身を潜めていた場から離れて楼上へ行ってしまう。

 つられて和子も春昭の後を追うように楼上へ身を乗り出す。そして、見えた光景に口元を引き締めた。


 狭く薄暗い楼の上には和子が伝え聞いているような鬼の姿が無数に転がっていた。

 仄かな月明かりに照らされた身体の節々は異様に盛り上がり、鋭くとがった角や爪、牙が露わになっている。小柄でありながら人とは違う異形の姿は恐怖を感じるには十分だが、そんな鬼たちはなぜか意識がないようで床や壁にもたれるように倒れている。

 その群の中、ただ一人だけ起き上がり、こちらを静かに見つめる者がいた。


「お待ちしておりました、二姫さま」


 この姿で失礼いたします。そう言うのはどう見ても《和子》の姿をした誰かだった。

 自分の姿を客観的に見ると、余計に中に入っているものが別人であることが分かる。こちらを落ち着かせるような口調、深い思慮を含む眼差しは和子にはないものである。

 こちらへ頭を下げる姿を複雑な思いで見る。その間に、春昭の鋭い声が響く。


「お前は何者だ」

「わたくしはただの人。鬼ではありませんよ」


 穏やかに諭すように話す《和子》に春昭は眉根を寄せる。

 それに構わずにその人は和子へ視線を向ける。そして困ったような表情を作ってみせた。


「二姫さま、お身体をお守りするとわたくしが申したのをお忘れですか?」

「……もしや、忠雪さまですか」


 魂抜けする直前のことを思い出しその名を口にすれば、その人はほんのりと口元に笑みを浮かべた。

 思い返せば、今の《和子》の表情や眼差しはあの穏やかな老人のものと同じだ。

 それを見ただけで和子は肩から力が抜けた。どうやら、相当力が入っていたらしい。魂だけの状態の和子は疲労など感じないはずだが、安堵した途端にくらりと眩暈がする。

 そのまま体勢を崩した和子の横で春昭が和子に手を差し伸ばしたが、和子はその手からすり抜けて床に飛び込んだ。


 次に感じるのは額の痛みだろう。近づく木目を最後に見て、目を閉じた和子はぼんやりした頭で考える。

 しかし、和子の予想に反して痛みは一向に来ない。ふわりとなにかに包まれたように思ったが、身動ぎすれば低い声が幽かな響きと共に伝わって来た。


「二姫さま、大丈夫ですか」

「春昭さま?」


 彼の手からは遠ざかったはずだが、いつの間に支えてもらったのだろう。

 そんな疑問と共に顔を上げる。すると、目と鼻の先に、ちょうど和子の様子を窺っていた春昭の顔があった。

 今までになく至近距離から見たその目は、普段の切り長の目よりも円く見えた。さすがに陰陽師といえど人の動きをすぐさま予測することは不可能だったのだろう。

 呆れ顔などはよく見たが、驚いた顔は初めて見たかもしれない。

 そう思いつつも和子は瞬く間に顔を俯かせた。勢い余って春昭の衣に顔を埋めるような体にはなったが、あのままの距離で固まりそうになったのを阻止できただけで精一杯だった。

 驚きよりも、身体の異変についていけなかったのだ。


「な、んだか……身体がとても重いのですが」

「……無事、魂が身体に戻ったようですね。その影響でしょう。しばらくは倦怠感が残ると思います」

「そうですか。無事、身体に……忠雪さまは、どこへ?」


 春昭に支えてもらいながらその場に座り込むと、真っ先に衣を一枚着せられた。よく見れば、今の和子は夜着のままだ。

 ありがたく思いながらその衣の合わせを握り、重たい頭をなんとか動かして春昭を見上げる。

 和子に衣一枚を提供した彼は気難しそうに顔をしかめて、楼に差し込む月明かりを睨んでいた。


「……彼は、二姫さまに身体を空け渡した後、どこかへ行ってしまいました」

「忠雪さまは……春昭さまがご存じの方でしたか、それとも全くの別人だったのでしょうか」


 知り合いではなかったため、すぐにこの場から去ってしまったのだろうか。

 そう考えるが、今の和子にはあの老人を責めるような気持ちはなかった。なにせ、鬼に囲まれている状態の和子の身体を約束通り守ってくれていたのだ。その方法が憑依することだったとしても、すぐに身体を返してくれた。なにより、彼からは悪意を感じられなかった。


「おそらく、知っているのだと思いますが……この話は後でしましょう。この場に長居するのは危険です」


 ようやくこちらに視線を向けた春昭の表情は未だに険しい。なにかを堪えるような顔に、忠雪という人物が春昭にとってどのような存在だったのかという疑問が大きくなる。

 しかし、春昭の言葉を聞いて、和子はあの羅城門にいることを思い出した。今は動かない鬼たちも、いずれは動き出すのかもしれない。

 そうは言っても、今の和子の身体では歩くことも立ち上がることさえままならない。床に蹲って力の抜ける己の手足と格闘してもただ疲れが溜まるだけだった。

 そんな和子を見ていた春昭から、苦悩の末に絞り出したかのような声で提案される。


「あの、わたしが抱き上げますので、とりあえずここから移動しましょう」

「そんなに嫌そうにしている方の手を煩わせるわけには……」

「嫌なのではなくてですね」

「では、なぜそのように視線を彷徨わせているのです。わたしは正面におります。そちらは窓です」

「……二姫さまのなけなしの慎みに貢献しているのです。姫君としてお顔を凝視されるのはお嫌でしょう」

「余計なお世話ですし、今さらそのような気遣いは無用です」

「言い方を変えます。殿方の機微を分かってください」

「意味が分かりません」


 言いきった後、春昭が顔に手をついて「だから危機感がないと……」と呟いているのが聞こえたが、和子は首を傾げるしかない。

 殿方の機微が分からないことと危機感がないことがどう関係があるのか尋ねようと口を開く。

 しかし、突然の浮遊感に驚いたことで疑問が吹き飛んだ。


「とにかく、楼から降りますよ」


 有無を言わさず抱きあげられた。しっかり抱えていることは春昭の迷いのない足取りから分かったが、突然抱えられた身としては心もとない。しわが寄ってしまうなどの懸念は頭にはなく、ただ必死に春昭の胸元の衣を握りしめる。


 そうして、梯子から降りようとしたところでその声は聞こえた。


「おやぁ? 笛の姫が来てると聞いたがな、男付きか」


 唐突にそんな野太い声が空気を震わせる。背後から聞こえてきたその声に驚き、止める春昭の声を聞く前に声の主の方を振り向く。そして、目に入った巨体に和子は思わず声を上げそうになった。

 一本足の鬼が、こちらをジッと見つめていた。太い樹木のような足から生えた上半身は、とても一本の足で支えているとは思えないほど大きい。狭い楼といえど、和子から見ればはるか上に天井はある。しかし、この鬼は天井に当たらぬよう身を屈め、ぎょろりと剥いた目を和子から離さなかった。


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