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13 生者か死者か

 和子の魂と身体を繋ぐ光の緒――言い換えれば命綱のようなそれを、その男はあろうことか乱雑に手繰って引っ張ろうとする。

 それを阻止しようと、隠れていたことも忘れて声を上げてしまった。


 案の定、その声は男に聞こえたらしい。きょとんとした顔で和子のほうを見ている。

 小梅のように今の和子が見えないという都合のよいことはないようだ。


「あの、その糸から手を離してくださいませんか」


 まじまじと凝視されて縮こまりながらも和子は訴える。たとえ最近慎みがなくなっているとはいえ、一応姫として育っているのだ。これほど異性に見られて平気でいられるわけがない。

 今さらながら顔を袖で隠す。

 そんな和子に構わず、男は手元に視線を落としてどこか納得したように頷いた。


「これ、あんたの緒だったのか。悪かったな気づかなくて。引っ張ったらどうなるかなと、そう思っただけなんだ」

「そうですか……」


 悪びれもなく笑う男に和子は脱力する。

 しかし、この間にも所在なさ気に人魂が男の周りを飛び交う。どこからともなく数を増やすそれに、内心ひやひやする。

 和子の視線がそちらに向いていることに気づいた男は「可哀そうだよな」と呟く。


「こいつら、行く当てがなくて飛びまわってるんだ。今はただの光の玉みたいになってるけど、ちょっと前までは人の姿をしてたんだ。それが、帰る場所だけじゃなく自分の姿さえも忘れちまって」

「帰る場所?」

「あぁ。あんたは帰る場所あるんだよな。そいつがくっついてるから」


 男はそう言って光の緒を指さす。


「そいつが繋がっている間は嫌でも忘れないからな」

「……これと繋がっていないと、どうなるのですか?」

「だんだん忘れちまうんだ。そうだなぁ言うなら……死に近づくってことかな。そうなってる状態の奴は大抵この世から消えかかってる」

「あなたも死んでしまったのですか?」


 人魂はもちろんのこと、よく見ればこの男にも緒はついていない。

 そう指摘した後で、問いかける前にこの男が死んだものと考えている自分に気づいた。男が今、魂だけの状態かは分からない。もしかしたら実体である可能性もあるというのに。緒がついていないからといって死んでいるとは判断できない。

 自分が大変なことを口にしてしまったのではと不安になるが、そんな和子を見る男の眼差しに怒りはなかった。

 代わりに、血色の悪い顔が暗闇の中でにやりと笑う。


「さぁ、よく言われるけど、どうかな」

「分からないのですか? 自分のことなのに」

「自分のことでも分からないことは多いだろうよ。俺なんか、身体とは随分前におさらばしたはずなんだけど、しぶとく動き回ってるからな。そうだなぁ。わからないから、こいつらとつるんでるのかも」


 どうも只人ではないと思っていたが聞く限りだとこの男は死人に近いらしい。

 楽しげに人魂に手を伸ばす男に、和子は背筋がぞわりと冷えるのを感じた。


「面白いんだよ、こいつら。記憶もなにもない、ただの抜け殻みたいなもんなのに、意思を持ってるみたいに動くことがあるんだ。そういうのを見ると、期待しちゃうんだよね」


 小さく囁くように吐いた言葉。それには哀願するような色が籠っている。

 しかし、その言葉を吐く彼の蝋のような顔は酷く歪んでいた。


「あんたはどうだろうね。魂だけになっても、自我を保ていられるかな。あぁ、そんな顔しないでおくれよ。今のあんたには帰る場所があるんだからさ、いくら俺でも邪魔しないよ」


 ――でもね。


 止める間もなく、近づいてきた男は和子の手をとり、顔を覗き込む。

 至近距離で見た男の顔は、驚くほど端正で、その一方人形のように生気がなかった。


「帰る場所がなくなったら、いつでも俺のところへおいで。壊れて消えるまで、ずっとずっと大切に抱えてあげるから」


 声は意思を持つかのように和子の中で反芻される。これではまるで、洗脳されているようだ。瑠璃姫の過去に見た光景と重なる。

 頬に冷たい手が触れたのが分かったが、言葉が呪となって自分を雁字搦めに捕えようとしているように錯覚して身体が動かせなかった。

 顔の輪郭を辿るように這う指が、最後に和子の唇をゆっくりとなぞる。その男の目が虚のように暗い眼差しをしているのが見てとれると、ようやく互いの顔が今までにないほど近いことに気づいた。


 もしかして、これは。そこで今さらながら自分がどのような状況かを理解する。

 しかし、聞き覚えのある声と共に目の前の男の顔が半分消し飛んだことで、和子の思考は一時停止した。


「なにしてるんですかねぇ、こんな道のど真ん中で」


 後ろからつかつかと歩み寄る音が聞こえたかと思えば、未だに和子の側にあった男の身体を引き剥がす。そして、よろけた和子は声の主に片腕でしっかりと抱きとめられた。


「は、春昭さま……?」


 見上げた先には、酷く険しい顔つきをした春昭がいた。和子の問いかけには目もくれず、前方から目を逸らさない。

 恐る恐るそちらの方を見やると、顔の上半分が消えたというのにしっかりと立っている男が見えた。


「おっかないお迎えだね。俺も大人しく退散するかな。あ、次会ったときに今夜みたいにふらふらしてるのを見つけたら、攫っちゃうかも」

「……もう二度と魂抜けなんてしません」

「さぁ、それはどうかな。こんな夜更けに魂抜けするようなお姫さまなんて普通じゃない。案外再開は近かったりして」


 そんな軽口を塞ぐように、春昭は「とっとと去れ」と護符を飛ばす。 

 容赦なく飛んでくる護符をひょいひょいとかわして、男は笑いながら人魂を引きつれて闇に紛れてしまう。

 結局、あの男の正体はなんだったのだろうか。そう考えていると、頭の上から深いため息がふってきた。


「二姫さま、あなたは本ッ当に目を離すとなにしでかすか分からない人ですね」

「……助けていただきありがとうございます、と申し上げるべきなのでしょうね。でも、なぜここに」

「最近物騒ですから、見回っていただけです。そしたらあなたが襲われていたので」

「襲わ……わたしは別になにもしてないのですよ? なぜか、あのような状態に」

「そうでしょうね。だからこそ危ないんですけどね。前々から思ってましたけど、もう少し危機感とか警戒心とか持った方がいいですよ」

「わたしのどの辺が危機感がないというのですか。わたしはよく、年の割に大人びていると言われるのですけれど」


 春昭と向き合おうと身動ぎすれば、途端に和子を抱えていた腕が離れる。

 そして、以前から頻繁に見かけていた呆れ顔の春昭を見上げた。


「大人びている……? 公の面前でとんでもない仕返しをするような方が?」

「あぁ、あの噂ですね。わたしと噂になってご愁傷様です」

「どの口がそのようなことを言うのでしょうねぇ全く。で、なんで魂抜けしてるんです。おまけに鬼にまで遭遇して」


 色々と言い足りなさそうな様子だったが、陰陽師としてはそちらの方が気になるらしい。和子から伸びる光の緒を手にとって春昭は尋ねる。

 しかし、和子は春昭が口にした言葉に青ざめた。


「まさか、鬼ってあの黒橡の……」

「鬼と申しますか、それ以外に表現しようのないモノでしたね。人のようでしたけど、異形であることは間違いありません」

「祓ったのではなかったのですか」

「追い払っただけですよ。見たでしょう、ぴんぴんしてたじゃないですか」


 では、再びあの鬼に遭遇するかもしれないのか。

 もう二度と魂抜けしない、とは言ったが和子は自信がない。ここ最近の出来事を思えば、もう一度起こっても不思議ではないと思う。

 もし魂ごと攫われたら、そんな懸念が過る。


 そんな和子の横で、春昭は未だに光の緒を観察している。

 そして、しばらくの沈黙の後、春昭はようやく再び口を開いた。


「二姫さま、なぜ魂抜けしたのか聞いてませんでしたね」

「わたしにも詳しい理由は分からないのですよ。六条君のために笛を吹こうとしたらいつの間にか魂抜けしていたようで」

「六条君?」

「えぇ、六条君も魂抜けしていまして、お慰めするために笛を……そういえば、わたし、早く体に戻らないと、忠雪さまが」

「……忠雪さま?」


 魂抜けしている間は、無防備で危険だ。そのためにわざわざ自分の身体に戻らずに見守ると言っていた老年の陰陽師を思い出す。

 その名を口に出せば、なぜか、春昭は強張った声で呟いた。


「忠雪さま、とはどのような方です」

「確か陰陽師だとか。お知り合いですか」

「……えぇ、そうですね。あなたの言うのが賀茂忠雪であれば」

「その方で間違いありません。忠雪さまが、魂抜けした身体が無防備で危険だからと、見守っておいでなのです。魂抜けしているのはあの方とて同じだというのに」


 早く戻らなければ。

 そう思うが、俯き、手で顔を覆い隠した春昭に和子は止められた。


「お待ちください、二姫さま」

「どうしたのです。早く戻らねば」

「……死んだはずなんです」

「え?」

「賀茂忠雪は死んだ人間だ。十四年前に」


 そんな長い間、身体を失った魂が自我を保ったまま彷徨えるはずがない。そう、確かにあの鬼も言っていた。

 では、和子が出会ったあの穏やかな老年の男は誰だったのか。

 そう混乱する和子に構わず、春昭は光の緒が続く道を指さした。


「緒が二姫さまの邸とは別の方角へ続いています。おそらく、お身体は今、二姫さまの邸にはないでしょう」


 都の大路の南を、まっすぐに緒は続く。そこには何があったか、思い出した和子は顔を歪めた。

 その先にあるのは、鬼のねぐらと名高い、あの羅城門だ。

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