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10 届けられた文

 憂鬱な朝を迎えた和子とは反対に、兄の為成は回復したようだった。

 とはいっても昨日まで身体が弱っていたため完全に体調が戻ったわけではない。だというのに、昨日の時点で練っていた恋文が完成したことに狂喜乱舞し、そのまま文を持って走り去ってしまいそうな様子だったらしい。

 それをその場にいた使用人たちと押さえてなんとか今は安静にしているのだ、と疲れた様子の竹夫が和子へ報告しに来ていた。


「それは……よかったわ、本当に」


 妹が大変な思いをしたというのに元気になった途端に恋文か、と呆れ顔になってしまうのは仕方ないだろう。

 それでも床に伏せっているよりはいい。そう考え、つと竹夫の方へ視線を向ける。


「しばらくは兄さまに無理をさせないようにお願いね」

「えぇ、もちろんです」

「それと、他にも報告があるのではないの? わざわざあなたが兄さまの側を離れてくるほどだもの」


 そう問えば、竹夫は頷く。


「はい。二姫さまにお伺いしたいことがございまして」

「なにかしら」

「先程申したように若君は恋文をしたためまして、わたしに文をお届けするように命じられました。しかし、若君がお送りするようにおっしゃった姫君は怨霊でございます。成仏なさったとしても、どう文をお届けすればいいのか」


 真面目な顔で「あの廃墟で文を燃やせば浄土に届くでしょうか」と言う竹夫に、和子は眉間をおさえた。

 そう言えば、竹夫はまだ瑠璃姫のことを怨霊だと勘違いしているのだった。


「あのね、竹夫。それは誤解で……あの姫君は怨霊ではなかったのよ」

「……あの姫君はこの世に存在しているのですか?」

「えぇ」

「では、その姫はいずこにいらっしゃるのでしょうか」

「それは……」


 説明しようとするが、思わず口をつぐんでしまう。

 瑠璃姫が怨霊でもなくこの世に未だ存在している姫だと分かれば、もちろん、恋文を届けに行くのだろう。

 だが、瑠璃姫が現在いる場所が分からない。あの廃墟には居ないはずだ。あの廃墟は以前彼女が住んでいた場所にすぎないのだから。


「二姫さま?」

「う……うーん、どうかしら」


 京の屋敷ひとつひとつに瑠璃姫を訪ね歩くわけにもいかない。

 どうするか。そう考えていた和子は、唐突にあることを思いついた。

 途端に笑顔になった和子を見て、側に控えていた小梅は怪訝な眼差しを送る。


「どうなさいました」

「小梅、紙と筆を用意して」

「文をお出しになるのですね」


 すぐに用意された紙に和子はすばやく何事かを書く。

 そして仕上がった文を差し出し、ある人物に渡すようにと指示を出した。


***


 人気のない宮中の片隅。木の葉が風に揺れる音しか聞こえてこない場所で、春昭は佇んでいた。

 普段から誰も立ち寄らないこの場所は他の者、特に同僚に見つからない格好の場所だった。


「春昭さま、御文でございます」

「御苦労」


 そこで春昭に文を差し出すのは童姿の鈴。それを素っ気ない返事と共に受け取った春昭はその場で開封した。開いた文からは上質な香が立ち上った。


 文には意識不明で倒れていた貴族たちが意識を取り戻したという報告、事態は収拾したが今後も実行犯を探すようにとの指示が書かれていた。

 急いでいたのか走り書きのように墨が飛び散る文面に春昭は嘆息した。


 初めから、怨霊が事件の真犯人だとは春昭も思っていなかった。怨霊に憑かれた貴族の身分は上も下も無差別だったが、明らかに《狙っている》と意識させられるほどにある一派は無害だったのだ。

 この文の主もそのことには気づいている。

 だからこそ、実行犯が未だ見つかっていない今、再び別の事件が起こることを恐れている。


 最後に、怨霊の正体を見破ったことについての労いで締めくくられた文を握りつぶす。

 それを宙へ放ると、短く呪を唱えて燃やしてしまう。

 灰が風に流されてしまうのを見届けてから、側に控えていた鈴に指示を出した。


「夏彦さまには承った、と伝えてくれ」

「はい、春昭さま」


 にっこりと可愛らしく笑う鈴は瞬く間に蝶へと姿を変え、ひらひらと軽やかにどこかへ舞い飛ぶ。

 それを確認して、春昭は陰陽寮へ戻るべく歩き出した。


 道中考えるのは、何故、陰陽道とは縁遠い二姫が怨霊の正体を見破ったのかということだった。

 二姫が異形のものをみる《見鬼》の才を持っていることは気づいていた。そうでなければ怨霊と化していた瑠璃姫を人として見ることもできなかっただろう。只人にはなにかがいることは分かっても、それがなにか判別できないことが常なのだから。


 だが《見鬼》の才は春昭も持っている。そうなると二姫は《見鬼》以外になにか、別の能力を持っていると言うことになる。

 春昭でさえも気づかなかったことを一介の姫君が見抜いたという異常性は見逃すことは出来ない。


 《魂呼び姫》という呼び名以外にも、随分と普通の姫君とは違う様子だった二姫を思い出す。

 そんな春昭の元に、誰かが駆けてきた。どうやら陰陽寮の下男らしい。全速力でやってきた上、必死の形相に思わず身を引いてしまったが、なにか急用でもあったのだろうか。

 だが、息が落ち着いてから告げられた言葉に春昭は固まった。


「……あの、もう一度、言ってください」

「《魂呼び姫》さまから春昭殿宛てに文が来てるんですって!」


 早く回収してください! と歩みの止まった春昭の背を押してその場まで連れて行く。

 そして陰陽寮の近くに来たところで見えた光景に、春昭は内心逃げ帰りたい気分になった。


 どこから湧いて出たのかと思うほど人だかりができていた。

 しかし、奇妙なもので、文の使いだという男の周辺にはいない。はるか遠くから見ていたり、建物からこっそり見ていたりと随分な怯えようだ。

 興味はあるものの、かの《魂呼び姫》の文が恐ろしいらしい。


 遠巻きで人々が凝視している男の前まで引っ張り出される。

 このように注目されて二姫の文を持ってきたという使いの男もさぞや疲れただろう、と思う。

 しかし、予想外なことにその男は疲れどころか表情というものがなかった。それに加えて、春昭はこの男に見覚えがあった。


「お前は確か、竹夫と言ったか」

「以前は怨霊に襲われたところをお助けくださりありがとうございます」


 本当に感謝しているのかと疑いたくなるほど感情の抜けた声だったが、それより気になるのは二姫からの文だ。

 後ろからの囁き声も気になったため、竹夫にしか聞こえないほど小さく声を落として聞く。


「それで、二姫さまがわたしにどんな御用です」

「御文を春昭さまにお渡しするように命じられただけなので、わたしは文の内容は知りません」


 周りの者に聞かれたくないという春昭のささやかな抵抗を、まるっと無視して竹夫は普通の声量で話す。

 さらに、これ以上竹夫をしゃべらせたくない春昭の思惑を知ってか知らずか「ただ、」と言葉を続けた。


「二姫さまはあの一件をとても気に病んでいらっしゃるようです。わたしにこの文を渡されたときも『春昭さまは《あの夜》の責任をとってはくださらないのでしょうか』と憂う声で申されておりました」

「……さようですか」


 春昭は常に浮かべている口元の笑みが崩れ去るのを感じた。

 竹夫の言葉は、怨霊調伏を行った《あの夜》の事情を知る者であれば正しく理解できる。《魂呼び姫》の異名を広めるような事態になったことの責任をとれと、あの夜も言っていた。

 しかし、事情を知らない者であればどう受け取るだろうか。


 ようやく、竹夫から二姫の文を受け取った。文の内容は瑠璃姫の行方を教えてほしいという、ただそれだけの簡素なものだ。

 だが、春昭は後ろから聞こえてくる会話を全力で耳から締め出した。


「なんということだ。陰陽師の安倍春昭と《魂呼び姫》がよもや男女の仲だったとは……」


 この噂は陰陽寮だけに留まらず、数々の者の間で囁かれることになった。

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