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その5

 先日のことを受けて、私は事前の予告無しに有馬の温泉郷へと小旅行に出かけた。 さすがに置手紙はしてきたが。

 一人旅など、何年ぶりのことだろうか。 まして、自ら望んで一人どこかに物見遊山に行くなどというのは、ひょっとして今までなかったのではあるまいか。


 ……で、存分に羽を伸ばして、帰って来てみたならば。

「よう、おかえり」

 その声を聞いて、私はどさりと荷物を取り落としてしまった。 声にならない言葉を紡ごうと、口がぱくぱくと動く。

 燃えるような赤毛に精悍な顔つきの長身の男。 竜人族の証の小さな角は額に。 忘れもしない、この姿……。

 ……アレス・イェル。 誰が呼んだか”戦神”との異名をとる、その筋では伝説級の傭兵だ。 現役時代の私も相当暴れたものだが、こいつはこいつで非常識な逸話には事欠かない。 瞬発力、最高速度、剣速――あらゆる意味で自身のスピードを武器にしている私に対して、こいつはあらゆるバランスが取れている。 それも高いレベルで、だ。

 まあ、問題は戦闘能力ではない。 そんなところにはない。

 甚平を着て縁側に腰掛けているヤツの隣には……

「あらお帰り。 あなたが居なくて大変だったけど、丁度良くアレスが帰ってきてくれて助かったわー」

「ったく、酷い従者がいたもんだ。 何があったか知らんが主置いて一人旅だもんなあ」

 ごろごろと、まるで猫のように甘える紫苑様の姿がある。

「ま、おかげで俺は昨日、邪魔も何もなしに楽しめたんだがな。 ありがとよ輝夜」

「うるさいだまれ」

 そんなところで艶っぽく微笑んでないでください紫苑様。 私がいない昨日、何があったかありありと想像できてしまってたまりま……ごほん、私は血涙を流さんばかりです。   

 この男、何が問題かというとだ。 紫苑様が、完璧に惚れてるのだ。 紫苑様から、惚れたのだ。

 皇族がそんな傭兵なんかと惚れた晴れたの関係になって良いのかといえば、当然良くはない。 が、紫苑様は一時さる理由で国外追放というか……ともかく応神の皇族としての身分をいっとき失い、一介の魔術師として活動していた時期がある。

 その頃はもう、私も紫苑様もこの国に戻ってくるつもりなど無かった(戻れるような状況でもなかった)から、まあなんというか……。 若気の至り、というやつか。 その至りが今に至るまで続いていて、途切れる様子も無いから困ったものなのだ。

 恐らく、あちらこちらに痕跡が残っているだろう。 むろん掃除するのは私。 しばらく二人の空間となる紫苑様の寝室も、掃除するのは私。

 泣ける。

「ってか、お前、ジーンズにTシャツかよ……。 イメージじゃないにも程があるぞ」

「ほっとけ」


 昼食は店屋物を取ることにした。 私も帰ってきたばかりだし、よもや3人になるとは予想していなかったから、素材も足りん。

「蕎麦かうどんを取ろうと思うのですが、どうなさいます? ああ紅いの、お主は素うどんでいいな?」

「待てコラ、勝手に決めんな」

 受話器を手に居間へ声をかければ、苛ついた声で返事が返ってくる。

「私はざる。 お酒欲しいわあ」

「俺は天そば頼むわ」

「承知しました。 紅いの、かけそばだな?」

「おい、耳か脳かおかしくなったんじゃねえか、お前。 天そばっつったろうが天そば」

「ちっ、仕方の無い奴め」

 舌打ちしながらダイヤルを回し、近くの蕎麦屋にかけて、注文を伝えた。 私は天抜きだ。

 ここでちゃんと紅いのの天ぷらソバも注文してやるあたり、私は優しいと思う。 ちなみに紅いのというのは、私がアレスを呼ぶ際の呼び名である。 髪も鎧も真紅色、ゆえに紅いのというわけだ。 殿付けなど勿体無い。

「輝夜ー、アレ開けていい? 八海山の」

「どうぞご随意に。 今日は日曜ですし」

 それにしても空気が砂糖漬けになったかのようだ。 さっきから紫苑様は紅いのの傍にくっついて離れない上にやたらと笑顔。 それはまあ、普段は世界の鉄火場めぐりをしていてロクに姿を見せない恋人がこうして側に居るのだから、お気持ちはわからんでもないが……。

 まったく憎たらしい。 憎たらしいが、なんだかんだで、私も紅いのには色々と世話になったし、戦士の先達として教えられた事も多い。 恩義を感ずるところ大ではあるのだ、今更口にも態度にも出せないし、出す気もないが。

 ……さて、蕎麦が届くまで掃除をしようか。 しかし周囲を見回してみれば意外な程に綺麗だ。 紫苑様一人ならばうっすらと埃が積もっていても不思議では無いところなのだが、ひょっとして紅いのが掃除したのだろうか。 とすれば、あ奴は紫苑様一人休ませておく性格ではないから、紫苑様も一緒に掃除なさったのだろう。 あれの言うことは、割と素直にお聞きになるのだ。 何故だ、やはり惚れた弱みか。

 まったく、あいつめ……。


 初夏の縁側で将棋盤を挟んで睨み合う、甚平を着た西大陸出の赤毛男と、洋装に身を包んだ応神出身の剣士。 これが国際化という奴か。

「王手」

「待て」

「待たん」

 ……これで私の勝ち星がひとつリードだ。 将棋にせよ囲碁にせよ、盤上の戦いならば私に少々の分がある。

 およそ未の二つというところか。 太陽は中天からだいぶ傾き、塀の外からは子供たちがボール遊びをしていると思しき歓声が響いてきていた。

「……どうした、紅いの?」

 盤上を見て神妙な面持ちをしていた紅いのが、ふとこちらを見たのだ。

「いや、なんだ。 この間まで俺が居た場所と、ここと。 別世界みてえだ、ってな」

 南大陸、ナーディル王国。 先日までアレスが滞在していた国は、現在国境付近で発見された地下資源を巡って隣国サフィ王国と交戦中だった。

 そして、この紅いのはいわゆるバトルジャンキーという奴で、まず大暴れをしてきているはずである。 どちらかの陣営に組するとかそういうのでなく、ただ単に蹂躙して去っていく、はた迷惑な輩だ。 基本的に抵抗しない相手の命は取らない主義らしいが、たまに大規模破壊ぶちかますからなあ。

「おぬし、あの戦い方で、そういう事を言うか?」

「上は鉱山にしか興味ねぇし、しかも下は徴用された兵だ、悲惨なもんだったよ。 り甲斐も何もねえ、督戦隊の奴等は潰してやったがな」

「時代は変わった、とでも言うつもりか? 似合わんな」

「ほっとけ」

 図らずも仕返しができたような、そんなやり取りになったが、私はそんなことで喜べる気分でもなかった。

 確かに時代は変わった。 機関銃、戦車、航空機――兵器の進歩は留まるところを知らず、比例するように動員される兵の数は増え、犠牲も増えた。 それも志願兵でなく、大半は徴兵された人々。 望んで戦場に立ったわけでもない人々ばかりを手にかけるのは、アレスもさすがに堪えたのだろうか。

 幸いにして現在の皇国は拡大路線を止めた。 魔導王国エル・ネルフェリアは相変わらずの中立主義だ。 この二大国はともかく、それ以外の国々は、この東大陸や南大陸の諸国家に対して、食指を伸ばすのをやめない。 私らがそこに飛び込んで……一体何ができよう?

「ま、私らは所詮、自分の手が届くところの事にしか手を出せん。 戦車潰せるから、飛行機落とせるからって、政治はできんよ」

 言いながら、私は盤上の駒を片付けてゆく。 駒を桐の箱に仕舞い終えたところで、私は箱と将棋盤を持って立ち上がり、踵を返した。

「……それは」

「前半、昔おぬしが私に言った事だぞ?」

 言い残して、私は縁側から去った。 こんなこと、顔を見ながら言えるものか。

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