第57話 氷が溶ける時
俺は再び氷壁と対峙していた。
少し離れた場所にはユラとラクン。
それにオーク族の族長シャンデ。
先兵アグラマをはじめとしたオークたちが並んで見守っている。
(これでダメだったら……この場所での信用は、全部無くなる)
背中に刺さる視線の重さに、胸の奥に小さな不安が芽生える。
杖を握る手が汗ばむ。
俺は、もう一度強く握り直した。
「大丈夫よ、タケルならやれるわ」
ユラが祈るように手を組んで見つめてくる。
その声に、強張っていた肩の力がふっと抜けた。
(そうだ。やるしかないんだ!)
俺は深く息を吸い込む。
杖を構えた。
意識を集中させる。
火と水、相反する二つのマナを練り上げる。
極限まで圧縮するイメージ。
〈スチーム・バースト〉
ゴッソリとマナが溶けていくような感覚。
氷壁の内部にオレンジ色の光が凝縮されていくのが見えた。
少し遅れて低く重い地鳴りがする。
まるで生きているかのように、周囲を震わせる。
「みんな、伏せて!」
俺が叫んだ次の瞬間――。
轟音とともに白い蒸気が爆ぜた。
視界を覆う霧。
耳をつんざく衝撃音。
乱反射する光が虹色のプリズムを描く。
空間そのものが輝いたかのように、一瞬きらめいた。
崩落音が重く響き渡る。
(……なんか、これ、威力やばくないか?)
白い煙の中で、轟音が反響し続けている。
「ユラ! ラクン! もっと下がって!」
俺は2人の方へ駆け寄ろうとして、足がもつれた。
マナ切れの反動だ。
「タケル!」
駆け寄ってきたユラが、倒れそうになる俺を支える。
ラクンも心配そうに覗き込んでいた。
蒸気が薄れていく。
巨大な氷壁の残骸が、床一面に散乱していた。
氷壁には大穴が穿たれた。
その奥から、冷たい風が吹き込んでくる。
(……やった?)
「おお! やったぞー!」
俺はユラに支えられながら、両手を掲げて叫んだ。
遅れてオークたちが歓声を上げる。
洞窟全体が揺れるほどの熱気に包まれる。
「まだ下の方とか残ってますけど……とりあえず、穴は開きました」
「……見事だ」
シャンデは呆然としながらも、その表情には驚きと喜びが入り混じっていた。
その時、穴の奥からゴブリンの甲高い声が響く。
「うわー! 穴があいとる! 族長呼んでこなきゃ!」
◇ ◇ ◇
オークの集落レーイマニ。
その族長の部屋に、オーク、ゴブリンの族長が顔を合わせていた。
ラクンをはじめ、ゴブリン族の役職持ち。
アグラマやオーク族の重鎮たちも並ぶ。
重苦しい空気が漂っていた。
俺とユラ、ラクンはその中心で、大人たちの睨み合いを眺めていた。
「まだ老いぼれがゴブリンの族長だったのか」
オーク族の族長、シャンデの第一声がそれだった。
「力が強いだけのデカ女が。その自慢の腕力でも、氷壁はビクともせんかったがな」
ゴブリンの族長も負けてない。
(なんなんだこれは。これがあいさつなのか?)
牽制するかのような沈黙。
「なるほど……ケルが氷壁を砕いたか」
ゴブリンの族長が、腕組みをしたまま低くつぶやく。
(そういえばゴブリンの族長の名前、聞いてなかったな)
でも長そうだし、聞いても覚えられない気がする。
「我らオークの祠の力でもある」
シャンデが胸に手を当て、厳かに言葉を重ねる。
「いや、あの祠はゴブリンのものでもあったはずだ。何を独り占めしとる」
すかさずゴブリンの族長が反論する。
「……なんか、子供の喧嘩みたいね」
ユラが呆れたように俺に耳打ちする。
(俺も同感だ)
もしかして……。
ゴブリン族とオーク族が喧嘩してるわけじゃなくて。
この2人の仲が悪いだけじゃないのか?
話題は氷壁へと移る。
確かに穴は開いけど、通路は未だ氷に塞がれている。
「もう何度か撃てば、取り除けるかもしれません。でも、コントロールが難しくて……」
(座標指定がシビアなんだよな)
下手すると地面ごと吹っ飛ばしかねない。
(座標……か)
『もう座標をここに打ってあるのでね』
いつかのルードの言葉を思い出す。
あんな奴のことを思い出したくもないけど。
座標を打つか……。
「あの氷壁っていつからあったんですか?」
「……あれができたのは、十数年前の大雪の夜だ」
ゴブリンの族長の声が静かに響く。
「地震の翌朝には、クリスタル洞窟からマナが失われ……氷壁が立ちはだかっていた」
「それまでは洞窟にマナがあったんですね」
「洞窟には水晶花が咲き、水晶の実を落とした。天然の水晶は高値で売れた。……ゴブリンとオークが豊かに暮らせたのは、あの頃だ」
(花の実みたいな水晶? うわ、見てみたかったな)
ユラも「綺麗なのかな」と想像するように目を輝かせている。
「それが今や、農具を買う金すら厳しい」
シャンデがため息を付きながらこぼす。
「農具を作るのって難しいんですか? オークやゴブリンの村にも工房や鍛冶場はありますよね?」
「我らオークは武器を鍛えねばならん。農具にまで手は回らん」
「ゴブリンは骨細工で手一杯。農具まで作る余裕はない」
族長二人が口を揃える。
(それって"本当"に、"今"必要なことですか?)
俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
ラクンもやれやれといった風情で首を振っている。
俺は言葉を選んで提案する。
「でも……こうして行き来できるようになったんです。狩場に遠回りする必要はないし、資源も共有できれば負担は軽くなるはずです」
周囲のオークやゴブリンたちはウンウンと頷いていた。
(やっぱり皆、協力したがってるんじゃないか?)
しかし、肝心の族長2人は渋面を崩さない。
(……やっぱ原因はお前らじゃねーか!)
結局、頑固な族長たちは納得せず一旦お開きとなった。
けれど、往来が正式に許された。
種族間の緊張が少し解けたようだった。
◇ ◇ ◇
夕食は氷壁破壊の祝宴となった。
ゴブリンとオークが互いの料理や酒を交換し合う。
「オークの酒は、うまい。肉は臭い」
ラクンはジョッキを傾け、ご機嫌な様子だ。
(ラクンって酒好きだよな)
「私はこのお肉好きよ。噛めば噛むほど味が出るわ」
ユラはオーク族の干し肉を気に入ったようだ。
(ネコ科だから肉食なのかな?)
嘘みたいに和やかな喧噪の中。
俺はまだ考えを巡らせていた。
(農具制作チームを共同で作れば……最低限は確保できるんじゃ?)
俺が農業についての知識がゼロなんだよな。
イマイチ農具の重要性を分かってない。
「食ってるか? タケル」
アグラマが豪快に肩を叩いてくる。
「食べてるよ。なんか……争ってた種族には見えないな」
「殺し合ってたわけじゃない。ただ疎遠になっただけだ。使者も送り合っていた」
「アグラマはゴブリンのこと、どう思ってる?」
「俺たちとは考え方が違うし、分からんところもある。が、一緒に居るのも悪くない」
(うん、実際そうだよな。見てると他の連中も……)
「あの氷壁を砕くなんてな。タケルと戦えたのは、俺の誇りだ」
「大げさだよ」
(そういえば)
こいつ、俺を殺そうとしてたんだよな。
俺もラクンが止めなかったら、どうしていたか。
「……正直、めっちゃ怖かったけどな」
「ぶっははは! タケルが怖がるのか!」
アグラマが腹を抱えて笑う。
(一度認めたらすぐ距離を縮める。……それがオーク流か)
ゴブリンとオークを隔てる氷壁には穴が開いた。
それだけで、全てが解決したわけじゃない。
それでも前に進むことはできたはずだ。
同じ場所に立つことは、もうできたのだから。




