第54話 目の前の壁
オークの集落レーイマニは、山の反対側に位置していた。
集落内の洞窟は、ゴブリンの村であるプムスワンへと繋がる。
それがある日、唐突に閉ざされたという。
俺たちはオーク族の族長シャンデに許可をもらい、集落の中枢となる洞窟へと入った。
そこに立ちはだかっていたのは――。
天井まで届くかのような巨大な氷の壁だった。
松明の灯りでは全貌を掴みきれない。
暗がりの中、淡い青白さを放つ氷壁。
ただ存在するだけで、凍てつくような威圧感を放っていた。
俺は思わず目を見張る。
氷壁へと触れた瞬間。
骨の髄まで突き刺すような冷気が走り、反射的に手を引いた。
(……これ、本当にただの氷か?)
少し後ろに下がる。
考えるより先に、杖を構えていた。
(やるしかない!)
〈フレイム・ランス〉
轟音とともに巨大な炎の槍が氷壁に激突する。
爆ぜる蒸気が一瞬で視界を覆った。
洞窟内がサウナのような熱気に包まれる。
しかし、晴れた先に見えたのは、表面がほんのわずかに削れただけの氷壁。
「……おいおい、嘘だろ」
見物に来ていたオークたちからも、「ああ……」と落胆の声が漏れた。
(……マジかよ)
正直、この話を聞いた時。
〈フレイム・ランス〉でいけるだろって思ってたのに。
(おかしい……)
これだけの熱量を当てているのに、氷が溶けて水になる様子が全くない。
「氷壁ってか、もう岩壁だろ、これ」
俺は何度か角度を変えて炎を撃ち込む。
轟く爆音。
白い蒸気。
そして変化のない氷壁。
〈インパクト・フレア〉による爆発で周囲の空気が一瞬、熱波で歪む。
しかし、それも結果は同じだった。
様子を見ていたシャンデが、腕を組んで冷ややかに告げる。
「考えが浅かったな。上級魔法を使えることは、大したものだと認めてやる。しかし、上級一つで壊せるような氷壁なら何年も手こずっておらんわ」
「ぐ……」
(くそう、なんも言い返せない)
レベックでの評価で調子に乗っていたのか?
アンジェラも言ってたじゃないか。
上級魔法を使えるのはそこまで特別じゃないって。
各属性には相性がある。
例えば、氷属性は水と風には強いが、火と雷に弱い。
(属性相性では有利なのに!)
消費マナのせいで呼吸が荒くなる。
肩で息をしながら氷を睨む。
苛立ちと戸惑いが胸の奥に溜まっていく。
「氷を溶かす歌、とかってないの?」
ユラはラクンに尋ねた。
ラクンは静かに首を振る。
「歌には、ない。ただ……本で、読んだことは、ある」
「本?」
「火と……何かを、合わせると、氷を砕く、と書いていた。……ような」
ラクンが記憶を探るように視線を宙に漂わせる。
「火のシナジー!?」
(火と風ならワンチャンありそうって思ってたけど……)
「その本が見たい! 他にもヒントが載ってるかも」
一筋の光を見た気がして、俺は身を乗り出す。
しかし、ラクンはあっさりと言い放った。
「無理だ」
「なんで!?」
「本を、読んでたら、泥鍋を、こぼした。読めなくなった」
(アホかーー!)
「本を読むときは、泥鍋を食べるのを止めなさい!」
「はい」
素直に返事をするラクンに、怒る気力も失せる。
(ぐぬ……そんな大事な知識書を)
俺は頭を抱える。
進展のない氷壁を前に、俺は己のステータス画面を開く。
(今のSPは念のために残しておいた「1」だけ)
火と何かの属性でシナジーが生まれるならワンチャンに賭けるか?
いや、SP1だと初級魔法しか取れない。
初級を取るだけでシナジーが発生するとは思えないぞ。
「その本。……まだあるの?」
ユラが静かに尋ねた。
「本は、ある」
「見せてくれる?」
「……いいぞ」
「ユラ?」
(泥の落とし方を知ってるとか?)
◇ ◇ ◇
ラクンは自分の部屋の本棚の裏から、本を取り出してきた。
(なんか、隠していたかのような場所だな)
その本は見事に泥が被っていた。
それはもはや、泥鍋をこぼしたのではなく、泥鍋の中に突っ込んだような有様だった。
「カッチカチだな。泥が固まって本が開かない」
「……そうだな」
珍しくラクンがバツが悪そうにしている。
本に対して罪悪感があるのかもしれない。
「私のスキルで……調べられるかもしれない」
「え?」
「元に、戻るのか?」
ラクンが目を丸くする。
「戻らないわ。でも、ラクンが読んだ記憶の断片なら、知ることができるかもしれない」
(記憶?)
ラクンは首を傾げている。
俺もだ。
「まって、そんなスキル持ってたのか?」
「今から取るのよ」
「今から? いや、助かるけど……なんで?」
俺が驚いて問い返す。
すると、ユラは少し寂しげな笑みを浮かべた。
「プムスワンに来て……ラクンに会って、歌でタケルを助けたのを見た時に思ったの。私には、何ができるんだろうって」
「……ユラ」
「私は役に立ててない」
「それは違うって!」
(そんなことを気にしていたのか)
いや……"そんなこと"なんかじゃない。
誰の役にも立てないことの辛さは、俺も知ってる。
俺はユラに、そんな風に思ったことはないけど。
ユラ自身がそう感じていたなら……。
「それじゃ、ユラに頼もうかな」
「……うん」
ユラは視線を落とす。
(でも、なんか変だ)
ネコ族はSPを貯めるとは聞いた。
それでもスキル取得に、ここまで思い詰めるものなのか?
彼女の肩がわずかに震えている。
「なにか別の不安があるの?」
「……」
ユラは何も答えない。
「〈種族刻印〉か」
ラクンが悟ったように呟く。
ユラが静かに頷いた。
「なんだそれ?」
「我ら、ゴブリンには、固有の、スキルがある。それが、〈種族刻印〉だ」
(種族の固有スキル?)
「マヌルネコにも、それがあるのか。普通のスキルとは違うんだろ? 何か条件があるはずだ!」
「SPが多く必要なだけよ」
ユラは短く答える。
「なっ……! それはマズイだろ!」
「別にマズくないわ。〈種族刻印〉を取るのは名誉なことよ」
「じゃあ、何で――」
「痛み、伴う、と聞く」
ラクンの言葉に、俺は息を呑んだ。
「そうなのか?」
「うん。それがちょっと怖かっただけ。もう……大丈夫」
ユラは自分に言い聞かせるように、胸に手を当てる。
そして、決意を込めてスキルを取得した。
「うっ……ううぅ……っ」
「ユラ!」
ユラが苦悶の声を上げ、膝をつく。
彼女の肌に、焼き付くような熱が走った。
皮膚の奥から赤熱した光が滲み出る。
「朱痕が、出た。取得、したようだ」
ラクンが冷静に観察する。
ユラの鎖骨の辺りに、ひび割れた月のような紋様が現れていた。
「ユラ! 大丈夫か?」
「……平気よ」
ユラは荒い息を整える。
ふらつきながらも立ち上がる。
その瞳には、今まで見たことのない強い光が宿っていた。
「ラクン、本を」
「うん」
ユラは泥で固まった本を手に取る。
「〈残香読〉……。読み取るのは本じゃなくて、本を読んでいるラクンの記憶よ」
鎖骨に現れた月の紋様が赤く明滅する。
ユラの目の辺りが、星屑のようにキラキラと瞬き始めた。
「『……気は、水と火をかけ合わせ、氷山を砕いた』」
ラクンは目を見開いた。
「おお。そんな、言葉だった」
(水と火のシナジー!?)
「はあ……はあ」
マナを使い果たしたのか、ユラはその場に崩れ落ちそうになる。
「ユラ!」
俺は咄嗟に彼女を支えた。
(体が熱い!)
汗でぐっしょりと濡れている。
「大丈夫、疲れただけ。少し……休むわ」
「そこで寝ろ、ユラ」
ラクンは自分の寝床を指差した。
「ありがとう、ラクン」
ユラを寝かせ、俺は拳を握りしめた。
彼女が、痛みに耐えて掴んでくれたヒントだ。
「2人とも、ありがとう」
(次は、俺の番だ!)




