第53話 レーイマニのノクス
吹きすさぶ風が、高原と岩山の境目を削り取った台地。
その上に、オークの集落は築かれていた。
背の高い丸太柵がぐるりと囲む。
唯一の門には分厚い鉄扉が備えられている。
俺は思わず息を呑んだ。
ツンドラの嵐から身を守るために、大地そのものが立ち上がったかのような姿だった。
(まるで砦だ)
山を背にして、ここまで徹底して守りを固めてるのか。
隣を歩くユラも圧倒されたように口を開けている。
「これ……本当に集落なの? 要塞みたい」
「ああ、こんなの攻める気も失せるな」
アグラマが足を止め、誇らしげに腕を広げた。
「人間よ、ここが我らのレーイマニ。ただし、族長に会えるのは夜だ。それまでは俺が案内してやろう」
鉄の扉が重々しい音を立てて開く。
中に入ると、外の荒々しさとは対照的な活気が満ちていた。
中央広場では大鍋が煮えたぎり、香ばしい匂いが漂っていた。
押し麦と干し肉を煮込んだ濃いスープ。
「戦士鍋」だとアグラマが誇らしげに言う。
「腹が減ったなら食え。我らオークは好きな時に、好きなだけ食べる」
(自由すぎる……)
ゴブリンはちゃんと時間で管理してたのに。
「食事はまだいい。もっとここでの生活を見てみたい」
「人間……タケルは、よく分からんやつだ」
アグラマが呆れたように肩をすくめた。
「ケルは、変わった、やつだ。当たり前のものを、面白がる」
ラクンはいつも通り、俺をケルと呼んでいた。
(いやいや、絶対に君らの方が変わってるからね?)
アグラマが歩きだし、ある建物を示す。
「集会所だった。宴などで使っていたが、全員は入らないから今ではただの部屋だ」
(場当たり的に作ったって感じだな)
まあオークらしい。
ユラがクスクスと笑う。
「計画性がないのね」
「オークは大きいのだ。細かいことは気にはせん」
ふと、壁に飾られた色鮮やかな絵が目に入った。
俺は思わず足を止める。
「これは……絵?」
「我らが描いた戦の記録だ。戦士は戦いを語るだけでなく、見たものを残すのだ」
アグラマは当然のように言った。
(は? 絵?)
別の部屋では、オーク族の子供たちが花や草から汁を搾り、顔料を作っている。
巨体の、おそらくは大人のオークが、狩りの風景画を石板に描いていた。
その筆致は繊細で、力強い。
(いやいやいや!)
頭が追いつかない。
花を育てていたのは絵を描くため?
戦士であり、農夫であり、画家でもあるのか?
壁画の一枚に、見覚えのある祠が描かれていた。
俺は息を呑んだ。
「祠……?」
「ノクスだ」
アグラマが短く答える。
(なんだって!?)
「こ、この祠の場所! 分かるのか!?」
俺は思わず身を乗り出した。
アグラマは俺の剣幕に少し驚いたようだった。
しかし、すぐに首を振った。
「族長の許可がいる」
「あれが何なのか知ってるのか?」
(どうしてこんなところに?)
冒険者の祠は、人間にしか効果がないはず。
「ノクスは夜。ノクスは麦、武器、名誉。それら全てを司るものだ」
ベルカジが補足するように言う。
(ゴブリンとは違う解釈? いや、同じ解釈か?)
胸の奥でざわめきが広がる。
まさかこんなところで冒険者の祠に繋がるなんて。
しかも、ノクスと関連しているのか?
◇ ◇ ◇
夕暮れ時。
「武勇譚の夜」と呼ばれる集会が始まった。
広場の中央で焚き火が燃え上がる。
オークたちは輪になって座り、酒を酌み交わす。
戦や狩りの武勲が誇張を交えて語られる。
そのたびに笑いと歓声が響く。
丸太担ぎ競争。
岩投げ比べ。
筋肉自慢。
オークらしい話題で盛り上がり、皆が笑った。
そして、アグラマと俺の戦いも、俺たちの紹介とともに語られた。
人間がそんなに強いのかと、あちこちから興味の声が飛んだ。
次々に振る舞われる料理。
焼いた粗い大麦のパン。
甘く濃厚な蜂蜜酒。
獲物の血と塩で漬け込んだ赤黒い干し肉、「血塩干し」。
俺は思わずたじろぐ。
(はい、見た目は完全にアウト)
恐る恐るかじると、強烈な塩気の奥から滋味が広がった。
「え……うまい。なんか、体に効く感じがする」
「ウマイだろう。冬越えに欠かせん栄養だ」
アグラマが笑う。
「干し肉は臭い。パンはうまい」
ラクンはパンを両手で持ってかじりついていた。
好き嫌いがありそうだった。
ユラはといえば、干し肉の匂いを嗅いで鼻をひくつかせている。
「これ……意外とイケるかも」
そう言って小さくちぎって口に入れると、目を輝かせた。
「しょっぱいけど、お酒に合いそう」
「お前、いける口か?」
ベルカジが嬉しそうに杯を差し出す。
注がれた「バルグ」と呼ばれる蜂蜜酒を、ユラはちびりと舐めた。
「……甘い! でも強い!」
「それがいいんだ!」
俺も一口飲んでみる。
甘さと強烈な刺激に咳き込み、俺は目を丸くする。
(やっぱ俺、お酒ダメかも)
そもそもまだ20歳になってないし。
「飲み干せば勇者と認められるぞ」
アグラマが耳元で囁く。
(え、まじか……!)
なにその新歓みたいなノリ?
「酒は、うまい」
ラクンは普通にゴクゴク飲んでいた。
(強いな……慣れてるのかな)
豪快な笑いと太鼓の響きが夜空に広がる。
宴は熱気に包まれていった。
◇ ◇ ◇
太鼓の音がひときわ強く鳴り響いた。
その瞬間、広場の空気が凍りつく。
笑い声が消え、全員が居住まいを正す。
松明の光に照らされ、族長が姿を現す。
屈強な女性。
その腕には刻まれた無数の傷跡。
その眼差しには民を背負う威厳が宿っていた。
「人間に獣人。それに……ゴブリンの女か。見覚えがある。私はオーク族、族長のシャンデ」
シャンデはとても凛々しい声で名乗った。
その迫力に、ユラが俺の袖をギュッと掴む。
ラクンは臆せず名乗る。
「ラクンだ」
「用件は分かっている。冬越えの食料の件だろう。狩り場が重なって争いになっているな」
(やっぱり近すぎるんだよな……)
「どうした人間、言いたいことがあるなら言え。命は短いぞ」
シャンデが急かすように言った。
「女性としか話さないって、聞いたので……俺が話してもいいんですか?」
「あれはゴブリンの族長が口うるさいからだ。あいつとは合わん」
(ええ? そんな理由?)
ゴブリンの族長は伝えるのが上手いはずなのに。
オークと相性が悪いのか?
シャンデの眼差しが鋭さを増す。
「オークは、戦場で流した血こそが死後の価値となる。戦場で死ねば、その屍を晒し、我らは武器に誓う。そして戦士は輪廻し、生まれ変わるのだ」
(輪廻転生!?)
戦って死ぬ。
それがオークの信仰。
「人間よ。お前は戦士の戦いを邪魔した」
「それは……すみません。でも、放ってはおけませんでした」
「邪魔はともかく、力でねじ伏せたのは良かった! 今日会ったのも、それがあったからだ」
(価値観は危ういのに……不思議と理屈は通ってるんだよな)
俺は思い切って切り出した。
「畑もあるし、土地も肥沃なのに……それでも食料が足りないんですか?」
「農具が足りん。人手も足りん。さらにボーンイーターの脅威もある。武器の生産は止められん」
(人手と農具……そして外敵)
「なら、ゴブリンとオークが協力すれば――」
シャンデが睨みつける。
俺の背筋に冷たいものが走る。
隣のユラも息を呑んだ気配がした。
「感情は置いておいても、不可能だ。氷壁が集落の間を分断しているのだ」
「氷壁……?」
(そういえば!)
ゴブリンの族長の話にあった。
「大いなる氷壁が二つ別けた」と。
あれは比喩じゃなくて、本当に物理的な氷壁だったのか。
「では、それを壊せば問題は解決しますか?」
「……お前に、それができるとでも?」
シャンデの鋭い眼差しが、俺の心を射抜く。
それは、答えを試すような、あるいは嘲笑するような、複雑な光を宿していた。
その時。
俺の脳裏に白い病室の天井。
そして、動かない自分の体の記憶が蘇った。
選択肢などない。
ただ時間が過ぎるのを待つだけだった数年間。
(……そうだ)
それに比べれば。
今、目の前にあるのは、なんて希望に満ちた「選択」なんだ。
「やります。俺が、その氷壁を壊します」




