第51話 ツンドラを越えて
村の広場で、焚き火の赤い光が揺れる。
ゴブリンたちの歌声が夜の村に響き渡っていた。
輪の中心で燃える炎には骨がくべられる。
火の粉がはじけるたび煙が夜空へと溶けていく。
(これが……旅立ちの儀式、戦歌)
俺は目を凝らし、その光景をただ見つめていた。
腹に響く太鼓の低音。
女性ゴブリンたちの歌声。
その一つひとつが血流のように体を巡り、内側から力が湧いてくるのをはっきりと感じる。
(な、なんだこれ!?)
視界に浮かんだステータス画面には、能力上昇の表示があった。
(バフ……?)
儀式ってそういう効果なのか。
隣のユラも何かを感じたのか、自身の腕をさすりながら不思議そうな顔をしている。
「ケルらの旅路に、群れの加護があらんことを」
族長の低く響く声が夜気を震わせる。
火を囲んだゴブリンたちは次第に旋律を変えた。
ケルやユラの名を織り込んで歌い始めた。
言葉の意味は分からない。
骨と炎と歌が重なる光景は、原始的であると同時に、どこか神聖な幻想を帯びていた。
「ゴブリンとオークが共に暮らしていた時代もあった。我らを大いなる氷壁が二つを別けた」
族長の声は、炎を越えて闇の向こうへ消えていくようだった。
(……なにかの比喩か?)
昔、仲違いして別れた、ってことかもな。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ツンドラの大地を踏みしめる。
白銀の山道を切り裂く風は鋭く。
雪は硬く凍りついている。
馬など使えるはずもなく、徒歩での旅を余儀なくされていた。
「……足が、重い」
(雪山なんて聞いてないぞ)
吐き出す息が白く漂う。
俺は足首まで沈む雪を踏み抜きながら、一歩ずつ力を吸い取られるように前へ進む。
「ケル、寒いのだな。人は、繊細だ」
ラクンは薄着のまま、平然と雪をかき分けて進んでいく。
寒さなんて存在しないみたいだった。
(いや、なんで薄着なんだよ。見てるだけで寒いって)
「ちょっと、タケル遅いわよ」
俺の前を歩くユラが振り返る。
彼女の足取りは驚くほど軽い。
雪の上を滑るように、沈み込むことなく歩いている。
(これって〈軽業〉スキルの影響か……)
それに、彼女もラクン同様、寒がる様子がない。
分厚い冬毛に覆われているおかげだろうか。
「うらやましいよ……」
俺は自分の吐息が風に流れるのを目で追った。
「今日は、ここで休む」
ラクンが立ち止まる。
岩が張り出した地形で、雪は奥まで吹き込んでいない。
(ここなら雪は避けられるか)
「ラクンは来たことあるんだな」
「一度。プムスワンから、山を、回れば、レーイマニだ」
レーイマニ。
それがオーク集落の名だった。
(それだよ)
なんでわざわざ山の反対側に住んでるんだ?
喧嘩別れしたなら、もっと離れて暮らしそうなものだけど。
焚き火を囲み食料を並べる。
俺たちは干し肉と黒パン。
ラクンは泥煮の根菜と、透き通ったゼリーのような物体を器に盛っていた。
「これ……スライム?」
「そうだ。冷やして、固めた。ウマいぞ」
(なんで寒いのに冷たいのを食べるんだよ)
ラクンは自慢げに一口食べると満足気に笑う。
「ふふん。食い物は、ゴブリンの、勝ちだな」
「いやいや、ゴブリンの食事がまずいとは言わないけど、味は人間の方が絶対上だよ」
「ケルは、変わってる、からな」
(めっちゃ普通だって)
俺はユラに同意を求めるように視線を送る。
しかし、彼女は焚き火にぴったりと寄り添って丸くなっていた。
「……ユラ、寒くないんじゃなかったのか?」
「寒くはないけど、暖かい方が好きに決まってるでしょ」
そう言って目を細める姿は、完全に猫そのものだった。
「そういえば、ゴブリンって肉は食べないの?」
「食べる。しかし、食べない、ゴブリンも、多い。オークと、居る時は、もっと、肉を、食べていた」
(別れて暮らしたことで、食生活も変わったのか)
……なんか離婚した夫婦みたいだな。
「それにしても寒い。もうちょい火を強くするか」
「まだ、寒いのか、ケル」
そう言うと、ラクンは火のそばで低く歌を紡ぎ始めた。
震える空気に乗った旋律。
不思議と俺の胸の奥に温かさを灯した。
(……あれ、なんか本当に暖かい?)
「ぬくもりの、歌だ。母が、教えてくれた」
俺はしばらく耳を澄ませる。
芯まで冷え切った体が、少し和らいでいくのを感じていた。
丸くなっていたユラも、その歌声に耳をピクリと動かし、心地よさそうに目を閉じた。
(ゴブリンは寒さに強いはずなのに)
きっと誰かのために、伝えられた歌なんだろうな。
◇ ◇ ◇
数日後。
ツンドラを越えて高原地帯へ踏み入った。
その俺たちの前に、思いがけない光景が広がった。
〈探知〉が強く反応する。
「ユラ、ラクン、敵だ! 数が多い……」
(人の反応もある!?)
「む? ケルには、何か、見えている、のか?」
「誰かが襲われてる!」
俺たちは急いで駆け寄った。
「オークだな」
ラクンが短く言った。
(あれが……オーク)
頭からは大きな角が生えている。
灰色がかった皮膚。
突き出た下顎と牙。
2メートルを超える巨躯が革と毛皮の鎧をまとっている。
そして、巨大な斧を振るう姿は、圧倒的な威圧感を放っていた。
(あの、でっかいテントウムシみたいなのがモンスターか)
俺はオークたちの劣勢を一目で悟った。
(虫の数が多すぎる…!)
数十匹の虫に囲まれている。
たった2人のオークだけじゃ、全滅してしまう。
「ボーンイーター」
ラクンが言う。
「あれが……?」
俺は〈鑑定〉を使った。
〈ボーンイーター偵察兵/闇属性/レベル4〉
子犬ほどの大きさの甲虫が翅を震わせ、オークにまとわりつく。
〈ボーンイーター掘削兵/闇属性/レベル5〉
もう1体はさらに一回り大きい。
鋸のような前脚で、オークを切り裂こうとしていた。
周囲の岩陰から、次々と這い出てくる。
オークたちは怒号を上げ斧を振るう。
しかし、劣勢は明らかだった。
俺が駆け出そうとした瞬間、ラクンが腕を伸ばす。
「オークは、助けを、嫌う。名誉を、汚すからだ」
「でも、このままじゃ……!」
(助けたら嫌われる?)
俺は杖を構える。
(話し合いに来たんだ、見殺しにはできない!)
「ユラ! ラクンと安全に位置に!」
「うん、わかった!」
ユラがラクンの手を引き、岩陰へと駆け出す。
〈インパクト・フレア〉
轟音と共に火球が弾ける。
熱風が肌を焼いた。
爆発の連鎖が地を揺らし、虫たちを焼き尽くしていった。
「人間の魔法……だと!?」
驚きの声を上げるオーク。
さらに俺は〈ファイヤー・アロー〉を放つ。
火の矢が次々と甲虫の翅を焼き落とす。
虫の群れは動揺したのか、散り散りに逃げ始める。
最後に残った掘削兵は、オークの斧に叩き伏せられた。
戦場に静寂が訪れる。
しかし、1人のオークが、怒りの形相で咆哮をあげた。
「この……人間がー!!」




