第47話 歌
(ゴブリン!?)
影は俺の気配に気づき、ハッと顔を上げた。
「……なんだ、あんた」
はっきりとした共通語が口を突いて出たことに、俺は目を瞬かせた。
(え? 喋った?)
「あ、えっと……通りかかっただけなんだけど……」
警戒するでもなく、ゴブリンはただ静かに視線を注いでくる。
「人間は、久しぶりだ」
(会話できる……? )
モンスターじゃなくて亜人種族扱いなのか?
「た、タケルといいます」
「……名前か。ピタックポン・トラクンだ」
(え、なが……学名かよ)
「ピ……トラ……?」
俺が戸惑っていると、ゴブリンは無表情のまま付け加えた。
「仲間は、ラクン、と呼ぶ」
(ラクンなら覚えやすい)
「よろしく、ラクン」
(これ、〈翻訳〉スキルの効果か……?)
実はモンスターとも話せる、みたいな?
いや、でも〈探知〉の反応だと人なんだよな。
俺はもう一度マップを確認する。
やはり敵性反応の赤色ではなかった。
ラクンは膝に抱えていた木箱を地面に置いた。
そして腰に下げた袋を探り始めた。
やがて取り出したのは、小さな焼きパンのようなものだった。
パカッと半分に割って、俺に差し出してくる。
「食う?」
(う、……ちょっと勇気いるな)
俺は一瞬ためらう。
しかし、温かく香ばしい匂いに警戒心がわずかに薄れるのを感じた。
「ありがと」
それを受け取ると、ラクンはわずかに口元を緩めたように見えた。
その表情に敵意は微塵も感じられなかった。
(ただのパンじゃないな。ゴマみたいのが入ってる)
かじってみると、甘さはなく、素朴な味だった。
口の中でザラザラと何かが残る。
(これ、めっちゃ口が渇くな……)
水袋はトラベルに積んである。
「仲間が外に居るんだけど、連れてきてもいい?」
「……いいぞ」
◇ ◇ ◇
ユラとトラベルを連れて、再びラクンの元へ戻る。
「えっと、紹介するね。マヌルネコの獣人ユラ」
ユラは警戒心を露わにしつつも、相手が戦意を持っていないと見て取り、ペコっとお辞儀した。
「馬のトラベル」
トラベルは興味なさそうにそっぽ向いている。
俺はバックパックに掛けてある水袋を手に取って喉を潤した。
ラクンは俺の一挙手一投足を、興味深そうに見ていた。
(……めちゃくちゃ観察されてる?)
「ゴブリンと話すの、初めてだわ。というか実在したのね」
ユラが小声で耳打ちしてくる。
(この世界でもゴブリンはファンタジーな存在なのか?)
「俺もだよ。ていうか、ゴブリンって話せるもんなの?」
「分からない。考えたこともなかったから」
俺たちはヒソヒソと話す。
ユラも驚いているようだ。
「ラクンはここで何をしてたの?」
「……歌だ」
(やっぱり歌だよな、さっきの)
「歌は記憶だ。忘れないために、歌う」
(歌が……記憶)
その言葉は、単なる趣味ではなく、生き方そのもののように響いた。
洞窟の中で、その声は焚き火のように温かい。
敵対種族だとばかり思っていたゴブリン。
それがこうして文化を語ることに、俺は小さく息をのむ。
ラクンは木の箱を振って見せた。
コツコツと乾いた音が鳴る。
外で聞いた音に似ていた。
「それって楽器なの?」
俺は木の箱を指差した。
「ラムマナーだ」
(楽器の名前かな)
「楽器……本で読んだな。楽器か」
ラクンは何かを思い出すように、ぽつりと呟いた。
「本を読むの?」
ユラは屈んで尋ねる。
「好きだ」
「へぇ、意外ね。亜人や獣人で文字を持ってる種族は少ないのに」
ユラの発言も気になる。
いわゆる共通語以外の言語もあるんだろうか?
「ゴブリンは、初めてか?」
「うん。初めて……会う」
「そうか」
(人間と交流があるのかな?)
レベックと交易してたり?
それか他の町が近くにあったりするのかな。
「本ってゴブリンが書いた本?」
(……想像もつかないけど)
「ちがう。人間の本だ」
「人の書いた本を読むんだ?」
「我ら、ゴブリンの女は、読む、歌う」
俺の耳は、その言葉を聞き逃さなかった。
(……女性だったのか)
ラクンは布をグルグル巻きにしたような服を着ていた。
服装のせいか、見た目からは分からなかったけど……。
言われてみれば声は少し高めかもしれない。
「じゃあゴブリンの男は?」
「ゴブリンの男は作る、伝える」
(なんか役割が決まってそうだな)
「さっきの歌、聞かせてもらえる?」
俺がそう言うと、ラクンは驚いたように顔を上げた。
「……歌は、練習だ。練習は、1人でやる」
「そ、そうなんだ」
(なんか地雷を踏んだ感じが……)
気まずい空気が流れる。
ラクンはしばらく黙っていたが、やがて視線を俺に戻した。
「でも……人間が、初めて、会ったからな」
ラクンは、ラムマナーと呼んだ木の箱を軽く手で叩いた。
振ったときよりも高い音が鳴る。
叩いたり、振ったりを繰り返す。
やがてラクンは声を乗せ始めた。
歌詞はない。
声は音の流れの中で形を変えていく。
(独特のリズム感だな……)
俺の身体の奥底が熱くなるのを感じた。
(なんだ……この声、すごく……綺麗だ)
ユラも耳を澄ませていた。
リズムに合わせて尻尾を揺らしている。
短いフレーズを繰り返すような、独特のテンポで進行するコード。
演奏が終わる。
俺たちは思わず拍手をした。
「すごくいい歌だった。なんていうか……風の音が混じってるみたい」
ユラが素直な感想を漏らす。
「そうか」
ラクンは少し照れたように視線を逸らす。
そして、立ち上がった。
「もう行く」
「あ、そっか。うん」
(もう少し話してみたかったな)
もし、ラクンと出会った時。
剣を抜いていたら……。
俺はこの歌を、一生知らずにいたんだな。
名残惜しさを感じたところで、ラクンが振り返った。
「人間、名前が……」
「タケルだよ」
「長いな。ケル、そう呼ぶ」
(お前の名前の方が長いだろ……)
「私はユラよ」
「ユラ。いい名だ」
(なんか負けた気分)
「ケル、ユラ。プムスワンに、来るか?」
「プム……スワン?」
「ゴブリンの、村だ」
「「いいの!?」」
意外な提案に俺たちは身を乗り出して驚いた。
「この奥だ」
「ゴブリンの村……私たちが行っても平気なの?」
ユラが心配そうに尋ねる。
「大丈夫だ」
(ゴブリンの村に行けるのか? )
なんか、ドキドキする……。
俺はトラベルの手綱を引いた。
トラベルは最初こそ足を止めたが、俺の声に耳を動かし歩き出した。
(よかった、ついてきてくれる)
俺たちは洞窟を進む。
ランタンもないのに、薄明かりが足元を照らしていた。
「そういえば、この洞窟は明るいね」
「クリスタルの、洞窟、だった」
「だった?」
「もう、マナは無い」
ラクンは淡々と言う。
俺が洞窟内を見渡す。
壁に埋まった結晶のようなものが、残照のような淡い光を放っていた。
(マナの宿った洞窟も見てみたかったな)
「明るいだけが、残った」
歌が記憶なら。
この出会いも、いつか歌になるのか。
そう思えるほど、彼女の歌声は俺の心に深く刻まれていた。
俺たちの旅も、誰かの記憶に残るようなものにしたいな。




