第21話 貿易都市の門
雨は夜明け前に上がり、空には雲ひとつない快晴が広がっていた。
青草と湿った土の匂いの混じった空気を肺いっぱいに吸い込む。
(昨日の今日で、よく眠れたな俺……)
昨晩の襲撃。
人間との殺し合いになりかけた緊張感。
それらが嘘のように、朝の荒野は静かだった。
(もし、もっと緊迫した状況になったらどうしてただろう?)
昨夜は俺が主導権を取れた。
だから選択ができた。
でも、そうじゃなかった場合……。
(俺は、剣を振り下ろすことができるのか?)
◇ ◇ ◇
レベックの外壁が遠くに見え始めた頃だった。
「……ちょっと、いい?」
ユラが足を止める。
街道脇の低い丘。
門までは、もう半日もかからない距離だ。
「どうした?」
「……話が、あるの」
彼女は周囲を警戒するように見回し、少しだけ距離を取った。
声は小さいが、逃げ腰ではない。
(なんか、思いつめてるな)
「集落へは戻れない。私は……仲間を見捨てたから」
「……どうしようもなかっただろ」
ユラは首を振る。
ギリギリの状況だったんだ。
逃げられるチャンスがあったなら、誰でもそうするよ。
「行く当てはあるの?」
ユラはうつ向いたままだった。
(このまま放ってはおけない……よな)
「一緒に来る?」
ユラは驚いたように顔を上げる。
すぐには答えず、視線を地面に落とした。
「……私は、足手まといよ。戦えないし、街にも慣れてない」
その言葉のあと、ユラは何も言わなかった。
ただ、俺の言葉を待つように、じっとこちらを見る。
俺は少しだけ考えてから、首を振った。
「ほんの数日だけど、ユラと旅して分かったんだ」
「……なにを?」
「戦えるだけじゃ、この世界のことは知れない」
(どう言ったらいいんだ?)
「俺には探してるものがある。それが見つかったら、遠くへ行くかもしれない。だから――」
「行く」
「えっと、……その間だけになるかも知れないけど……」
「行く」
「……わかった。一緒に行こう」
俺は頷いた。
「……じゃあ、しばらく一緒ね」
そう言った彼女の尻尾がわずかに揺れたような気がした。
「しばらく、な」
◇ ◇ ◇
歩き出してすぐ、ユラがぽつりと呟いた。
「……私、レベック入ったことない」
「え?」
驚いて振り返る。
意外だった。
「集落から、1日の距離なんでしょ?」
「……近いけど、行かなかった」
ユラはレベックの方角を睨むように見る。
(集落がそもそもあまり人間と関わってこなかったのかな?)
「それに、門の……マナ認証」
ユラは無意識に手を握りしめていた。
「あれ、何か監視されてるみたいで嫌」
「ああ、あれか」
(監視と言うか、管理するためのモノだよな。まあ同じか)
カホンやカウベルじゃそういうの無かったけど、レベックくらいの街なら出入りをチェックするんだな。
知らない誰かに見張られてるようで、怖いのかも。
さらわれた後なんだし、余計そうなるか。
(きっと街が怖いんじゃない。捕まるのが怖いんだ)
何か安心できるような材料があればいいんだろうけど……。
(あ、そうだ!)
「なら、方法がある」
「どんな?」
「俺は知らないけど、知ってそうな人に聞いてみる」
俺はエナックを取り出した。
「モーリンに連絡してみるよ」
「前に言ってた、ギルドの人?」
「カホンのギルドマスター。信用はできる」
すぐにメッセージを送る。
返事は思ったより早かった。
◇ ◇ ◇
From:モーリン
『獣人の同行者ね。問題ないわ。
あなたの随行登録にしておく。
犯罪でも犯してない限り大丈夫よ。
何か言われたら門番に私の名前を出しなさい』
◇ ◇ ◇
「よし! 大丈夫そうだ」
「……ほんと?」
「権力ってこういう時に使うもんなんだな」
ユラは少し考えてから、ほっと息を漏らした。
そうして、俺たちは再び歩き出す。
巨大な石壁が、もうすぐそこまで迫っていた。
◇ ◇ ◇
歩くこと数時間。
なだらかな丘を越えた先、視界が一気に開けた。
「うわ……でかっ」
目の前に現れたのは、巨大な石壁に囲まれた都市だった。
カホンの町とは比較にならない規模だ。
高くそびえる尖塔。
ひしめき合うレンガ造りの建物。
そして何より、壁の外にまで溢れ出している人々の活気。
(これが貿易都市レベック……!)
街道には、多くの馬車や商人の列ができている。
俺たちは、その列の最後尾に並んだ。
香辛料袋を広げる商人の後ろで、俺は列に並ぶ人々を観察する。
鮮やかな羽飾り付きの帽子の男。
真紅のローブをまとった旅僧。
見慣れない形の剣を背負う亜人の戦士。
服も言葉も、カホンとはまるで違う。
(獣人や亜人も普通に並んでる)
列の少し先で、狼のような耳を持つ男が、屈強なドワーフと何事か言葉を交わしている。
霧橋の宿で垣間見た光景が、この大都市では日常のようだった。
列は意外とスムーズに進み、やがて俺たちの番が回ってきた。
門番は槍を持った兵士だ。
門脇には、手のひらを乗せるためのマナ認証板が並んでいる。
「ここに手を置いて」
俺は認証板に触れる。
兵士は確認すると、軽く頷いた。
「冒険者か。カホンから……ふむ」
すぐに視線はユラへと向けられる。
彼女はフードを目深にかぶり、耳を隠していた。
「馬が1頭と、で、君が連れの獣人か。マナ認証は初めて?」
ユラはビクリと肩を揺らす。
俺の背に隠れながらコクコクと頷いた。
「同じように、ここに手を置いて?」
ユラは恐る恐る認証板に手を触れる。
板が淡く光った。
兵士は確認をそこそこに口を開く。
「ようこそ、レベックへ。楽しんで!」
意外な歓迎の言葉に、ユラは驚いて目を丸くしていた。
「……行こう!」
俺はユラの背中を押す。
一緒に貿易都市の門をくぐった。
◇ ◇ ◇
壁の中に入ると、そこは喧騒の渦だった。
「安いよ安いよ! 東方から仕入れた香辛料だ!」
「そこのお兄さん! 果物はいかが?」
「魔物素材、高価買取中!」
石畳の道を行き交う人々。
飛び交う怒号のような呼び込み。
様々な匂いが混じり合い、熱気となって押し寄せてくる。
頭上には色とりどりの旗がはためく。
遠くの坂の上には、赤い屋根の劇場が堂々とそびえていた。
「すごい人……」
ユラが、俺の袖をギュッと掴む。
その手が微かに震えている。
「はぐれないようにね」
「分かってるわよ。……子供扱いしないで」
強がった口調。
だけど、俺の袖を掴んだままだ。
(さて、まずは目的地に行かないとな)
マップを確認する。
目的地は「音楽劇団テオドロス座」。
街の中心部にある広場の近くだ。
(ここからまっすぐ行って、右か)
トラベルの手綱を引きながら、人波をかき分けて進む。
すれ違う人々は、誰も俺たちのことなんて気にしていない。
それが逆に心地よかった。
俺はどこにでもいる冒険者。
ユラも、たくさんの獣人の中の1人だ。
ふと、通り沿いの屋台から甘い匂いが漂ってきた。
「あ、これ……」
串に刺さった丸い果実が、飴でコーティングされている。
(リンゴ飴? いや、色がもっと鮮やかだ)
「ユラ、これ食べる?」
「……え?」
「ここまで頑張って歩いたご褒美に」
俺は銅貨を払って二本買う。
一本をユラに手渡した。
彼女はおずおずと受け取り、フードの下から一口かじる。
「……甘い」
「ホントだ。すごい甘いなコレ!」
「……うん。美味しい」
フードの奥で、少しだけ口元が緩んだのが見えた。
レベックでの最初の味だ。
俺たちは甘い果実をかじりながら、劇団のある広場へと急いだ。
ここが、俺たちの新しい拠点になるかもしれない。
そんな予感を感じながら。




