第2話 異世界での生活
森を抜けた先。
なだらかな丘の向こうに村が見えた。
茶色い屋根の家がいくつも並ぶ。
どれも低く、風から身を守るように地面へ張りついている。
(……あれが最初の街、いや、村って感じか)
近づくにつれ、鼻先をくすぐる匂いが変わった。
干し草の甘さ。
乳製品のまろやかさ。
薪がくすぶる煙の匂い。
病院の消毒液とは真逆の、生活の匂いだ。
耳を澄ますと、カラン……カラン……と、かすかな金属音が風に混じって届く。
(鐘……?)
丘を少し下ると、木の柵に囲まれた放牧地があった。
牛たちがのんびり草を食み、首に下げた鈴を鳴らしている。
頭を振るたび、歩くたびに響くその音が、村の呼吸みたいに聞こえた。
(……思ってたより、ずっと素朴だな)
道の両脇には丸太の家々が並ぶ。
軒下には干し草やハーブの束。
裏手からは牛の鳴き声、木槌の音、燻製小屋から立ち上る湯気と、肉の香ばしい匂い。
ここの煙が外から見えてたのかな?
誰かがちゃんと生きている場所だ。
俺は、一歩、また一歩と足を進めていた。
(……なんか、誰もNPCっぽくないな。表情も動きも、やたら自然だ)
俺は少し緊張しながら、通りを歩いていた男性に声をかけた。
「すみません。ここって、なんていう街ですか?」
麦わら帽子をかぶった中年の男が、穏やかな笑顔で振り向く。
「ここはカウベルの村だよ。初めてかい? ようこそ」
(言葉が通じる!)
日本語じゃないのに、脳に直接意味が入ってくる感覚。
その受け答えが、あまりにも普通で。
作られた感じが一切なくて、逆に戸惑った。
「こういうの、引き取ってくれる場所ってありますか?」
俺は上着で作った即席の袋を見せる。
中には、さっき倒したモンスターが入っていた。
「おお、冒険者さんか。ならギルドだね。ほら、あそこ。赤い屋根の建物が見えるだろ?」
男は親切に指を差した。
「ありがとうございます!」
一礼して歩き出しながら、胸の奥がそわそわしてくる。
(冒険者? ギルド!?)
現実みたいに普通に会話できる。
本当に、そういう世界なんだ。
気づけば、足取りが自然と軽くなっていた。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルドは、村の中心から少し外れた場所にあった。
しっかりした木造の外壁。
表に掲げられた看板には、かすれた文字で『冒険者ギルド』。
その横には、角付きの剣が手彫りで描かれている。
(……田舎の集会所って感じだな)
それにしても不思議だ。
全然日本語じゃないのに、普通に読めている。
(さっきの会話もそうだけど……〈翻訳〉か)
最初から持っていたスキルの一つ。
この世界じゃ、通訳の仕事は成立しそうにない。
石造りの巨大建築を想像していた分、この素朴さが逆に落ち着く。
(まあ、村の規模を考えたら、こんなもんか)
ギィ……と扉を開けると、香ばしい麦茶みたいな匂いが鼻をくすぐった。
低めの天井に、むき出しの梁。
床には藁で編まれたマットが敷かれ、妙に居心地がいい。
左手にカウンター、右手に木製のテーブルがいくつか。
奥の掲示板には、紙が斜めに貼られ、風でわずかに揺れていた。
「初めての方は、まず登録をお願いします。こちらへどうぞ」
受付の女性に声をかけられ、俺は言われるままカウンターへ向かう。
「こちらに手を当てて、マナ認証をお願いします」
(……この人、ちょっとNPCっぽい? 仕事中だから事務的なだけか)
言われるまま、俺は石板にそっと掌を重ねた。
ひんやりとした石の感触が心地いい。
かつての俺なら、冷たいものに触れるだけで体温を奪われ、酷く体力を消耗していただろう。
でも今は、この冷たさすら情報の一つとして楽しめる。
数秒後、板が淡く光った。
「……うおっ、すごい」
「……ええ。登録完了です。そんなに驚かれる方は珍しいですが」
受付の女性が、少し怪訝そうな顔で俺を見た。
無機質だと思っていた彼女の表情に、かすかな困惑が混じる。
「イケモト タケル様ですね。ありがとうございます」
(え、これだけで分かるのか!?)
名前以外に、何を読み取られてるんだろう?
なんて言ってたっけ、マナ認証?
「これだけで名前が?」
「はい。マナパターンは個人ごとに異なります。一度登録すれば、他の街でも本人確認が可能です。ギルドでの売買、クエスト受注、クラン関連の手続きに使用されます」
(身分証明ってことか。便利だな)
俺は説明を聞きながら、無意識にその場で軽く足踏みをした。
カツ、カツ、と床を叩く乾いた音。
自分の体重が、踵から膝、そして腰へと伝わってくる。
(ただ立ってるだけで、なんでこんなに面白いんだろうな)
「また、初めて登録された方には、こちらの冒険者の手引きをお渡ししています」
その瞬間、視界の隅に新しいアイコンが浮かんだ。
(うお、なんかアンロックされた。……マップか。今まで無かったな)
「冒険者の祠では、スキルを習得できます。祠は世界各地に点在しており、手引きにはその場所が記されています」
(スキル習得……!? スキルが増えるのか!)
思わず、口元が緩む。
「どんなスキルがもらえるんですか?」
「習得できる内容は、個人によって異なります」
(ランダム?)
ゲームだったら、そこでリセマラするやつ多そうだな。
冒険者の祠ね……。
次の目的地は決まりだ。
俺はさっそく、マップアイコンをタップして開く。
(森の中か。まだ行ってない場所は……霧がかかってるな)
「あ、そうだ。これ、売りたいんですけど」
袋をカウンターに置くと、女性が中身を確認する。
「こちらで解体しますと、手数料がかかりますが」
(あ……そういえば)
「今、お金持ってなくて。出てきたアイテム全部売るんで、そこから差し引いてもらえますか?」
「かしこまりました」
(おお、融通利くな。先払いだったら詰んでたかも)
清算を終え、俺はギルドを後にする。
◇ ◇ ◇
モンスターは解体され、肉と皮と魔石に変わった。
小さなモンスターだったせいか、肉と皮はたいした額にはならなかった。
(銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚……ね)
俺の手には銀貨が9枚ある。
魔石が重要そうだな。
解体素材より、明らか高く買い取ってもらえた。
で、この銀貨9枚で何ができるのか、調べとかないとな。
水、食べ物、宿泊費……優先度高いのはこのくらいか。
あの看板、"INN"っていわゆる宿屋だよな?
突撃してみるか。
「こんにちは~」
扉を開きながら挨拶する。
「いらっしゃい」
のんびりした声で挨拶を返される。
「変わった格好だね」
(あっ……服)
病院で着ていた部屋着のようなパジャマにサンダルだ。
「マズかったですか?」
「いんや、裸じゃなかったら別にいいさね」
「よかった!」
「泊まりかい? それとも食事かい?」
「両方だといくらになりますか?」
◇ ◇ ◇
宿屋の食堂で、一番安い料理を頼んだ。
正直、何が出てくるのか少しだけ不安だった。
しばらくして、木の皿がトン、と音を立てて置かれる。
黒っぽい全粒のパンが二切れ。
表面は固そうだけど、割れ目から湯気が立っている。
隣には、深めの木製のお椀。
中身は乳白色のスープで、刻んだ根菜と豆、細切れの肉が浮いていた。
表面には、溶けきらなかった脂が小さな円を描いている。
そして、皿の端に小振りの牛肉がポツンと置かれていた。
ソースなどはかかっていない。
(……質素だな)
でも、鼻をくすぐる匂いは悪くない。
温かい乳の香りと、煮込まれた野菜の甘さ。
薪の煙がほんのり混じっている。
パンをちぎる。
表面は硬いが、中は意外とふわっとしていた。
スープに浸して、口に運ぶ。
「……うまい」
思わず声が漏れた。
味は濃くない。
でも、腹の奥にじわっと染みてくる。
塩気も脂も、ちゃんと"生きるため"にある味だ。
病院の流動食みたいな、計算された栄養じゃない。
誰かが、火にかけて、かき混ぜて、味を見て作った飯だ。
(泣けてくる美味さだよ)
牛肉をかじる。
歯ごたえが強く、噛むたびに塩と肉の旨味が滲み出る。
(ちょい硬い……でも、いい)
顎が疲れる。
それが、やけに嬉しい。
スープを飲み干し、パンの最後の一切れで皿を拭うようにして食べ終えた。
腹が、ちゃんと重い。
体の中に、熱が残っている。
無意識に笑っていた。
(マジか……このメシと一泊して、銅貨たったの30枚)
あの小さな魔石一つで、銀貨数枚になった。
つまり、たった一度の戦闘で、俺はここでの一ヶ月分の生活費を稼ぎ出したことになる。
「もう、ここで暮らせるじゃん」
つぶやいた言葉は、あまりにも魅力的だった。
危険な冒険なんてしなくても、たまに近くの雑魚を狩って、この硬い肉と温かいベッドがあれば生きていける。
それが、どれほど幸せなことか。
――でも。
(……いや、違うな)
俺の視線は、窓の外。
それじゃ、ここに来た意味が無いよな。




