第19話 冷たい雨
獣人や亜人の体には魔石がある。
ユラの言葉を聞いた瞬間。
霧橋の宿での光景が蘇った。
解体屋のリザードマンが、ワイバーンから素材を取り出していた姿。
もし人間が、獣人や亜人を"それと同じ目"で見ていたら。
背筋が凍りついた。
彼女がボロボロになって逃げていた理由。
人間をあれほど警戒していた理由。
そのすべてが、残酷な線で繋がってしまった。
◇ ◇ ◇
冷たい雨が、荒野を静かに打ち抜いていた。
(なんで、こんな天気悪いんだ……)
トラベルの蹄がぬかるみに沈み込む。
引き上げるたびに泥が重たく絡みつく。
俺はフードを深くかぶり直す。
前を行く、小柄なユラの背を追った。
毛皮の外套が雨をはじく。
彼女のしっぽは、濡れながらも小さく揺れていた。
「この道、あと少しで丘を越えるわ。そこで一度休みましょう」
「わかった」
坂道を登る途中、ふと俺は思い出した。
「そういえば……パーティ、作れるんだよな」
半ば独り言のつもりだったけど、ユラが振り向く。
「なによ、急に」
「いや、もし組んだらどうなるのかなって。申請、してもいい?」
「……別に、いいけど」
ユラをパーティに招待してみる。
すると、ユラの名前やHPなどが視界の端に表示された。
(普通に……組めた)
どういうことだ?
ユラは間違いなく、この世界の住人だ。
そういうのは無関係にパーティは組めるのか。
「へぇ……タケルって、そんなにマナがあるのね。レベル6にしては多い気がする」
スキルや特性はパーティ情報に表示されないようだった。
「あ、えっと……」
「ごめん、詮索するつもりはないわ。答えなくていいから」
「やっぱり特性とかスキルって、隠した方がいいの?」
「それは、人によるけど……特性なんて誰もが持ってるわけじゃないから」
(持ってない人もいるのか)
「種族によっても、違う?」
「もちろんよ」
俺はもう一つ疑問を口にする。
「ユラにも、その……自分のステータスって見えてるの?」
不思議そうな視線が返ってきた。
「当たり前でしょ? そうじゃなきゃ、自分の状態もわからないじゃない」
「じゃあスキルって、SPを使って――」
ユラは深くため息をついた。
「これは何? 人間が獣人をからかう遊び?」
「違うって! 本当に……ちょっと混乱してて」
「ホント、タケルって変わってる」
カホンでモーリンとも、似たようなやり取りがあった。
俺はいわゆるプレイヤーだから、UIが見えているのだと思っていた。
でも、それは違った。
俺の視界は、この世界の住人たちと同じだ。
じゃあ、いったい何が違うんだ?
◇ ◇ ◇
雨は小降りになり、丘の陰で小さな焚き火が揺れていた。
ユラは濡れた毛皮を乾かしながら、ポツリと話し出す。
「うちの村ではね、春になると『火の精霊』を迎える祭りがあるの」
「火の精霊?」
「冬を越えた火は、命を守る象徴だから。歌や踊りで一晩中、火を絶やさないの」
(……踊るんだ)
想像して、少し和んだ。
この過酷な旅の中で、彼女が故郷の話をしてくれるのが嬉しかった。
「……バカにした?」
「してないしてない!」
「なら、いいけど」
◇ ◇ ◇
翌日。
荒野の終わりが見えた。
地平線の向こう、鮮やかな緑の草原が広がっている。
「すごい……本当に境目だな。タール荒野と、こっちからは……何だろ?」
「タールはね、もともとエルフと獣人が作った集落だったの。でも戦争でなくなってしまった」
「人間と獣人が戦ってたの!?」
「違うわ。この国の一部の人間と、この辺りの種族よ。タールに味方する人間もいたそうよ」
ユラは荒野を見渡す。
「でもそのせいで、ここから向こうには、人間以外の種族がほとんど住まなくなってしまったの」
(なるほど……)
そういう歴史があったから、カホンやカウベルには人間しか居なかったのか。
「あ、でも生き残ったタールの人たちで集落を作り始めた、みたいな話は聞いたことがあるわ」
「それって霧橋の宿?」
「どうかな? もしリザードマンがやっていたらそうかもね。父の知り合いなの。草木が好きで穏やかな人だったわ」
俺は、霧橋の宿で会ったリザードマンの宿主を思い出す。
「タール荒野に木を植えてる人がいるって聞いたけど、その人かな?」
「そうかもね」
(タールの跡地に緑を戻そうとしてるのか……)
雨上がりの風が、草原の匂いを運んできた。
俺たちは、その境界線を越えていく。
(俺やユラが生まれる前の戦争か)
クレーターみたいに窪んだ場所があるのも戦争の影響だったりするのかな?
俺は空を見上げた。
「また雨が降りそうだから、早めにキャンプの準備にしようか」
(なんかカホンを出てから、天気に恵まれないな)
「そうね、あそこなら濡れずに済みそうよ?」
「いい感じだね」
屋根のある地形はありがたい。
ちょうど荒野と境目になっているのも面白いな。
◇ ◇ ◇
その夜。
(……〈探知〉に反応!)
雨は荒野を叩きつけ、視界を塞ぐ。
その中で黒い影が四つ、ぬかるみを蹴って迫ってきた。
(……来た)
「ユラ! トラベルを頼む!」
俺は手綱をユラに渡し、一歩前へ出る。
現れたのは、厚手の外套を着込み、腰に曲刀や棍棒を下げた男たち。
目つきは鋭く、ただの野盗には見えない。
「俺たちに何の用?」
相手は何も答えない。
雨粒が頬を打つ音の中、俺は剣を抜いた。
(ついに、人間が相手か……)
いつか、こういうことがあるとは思っていた。
目の前の男たちの、生身の殺意がこもった眼が光る。
ゲームのキャラクターとは明らかに違っていた。
◇ ◇ ◇
先頭の男が、泥を蹴って突っ込んでくる。
俺は一歩踏み込む。
ぬかるみに足を取られて動きが鈍る。
振り下ろされる棍棒を、ギリギリで身体を引いて躱す。
(動きにくい!)
2人目、3人目も間髪入れずに襲いかかってくる。
俺は大きく跳び退き、距離を稼いだ。
その指先に熱が集まる。
〈ファイヤー・アロー〉
空気を裂いて炎の矢が走る。
追手の足元に突き刺さる。
ジュッと水蒸気が立ち昇り、ぬかるんだ地面を焦がした。
男たちが一瞬、息を呑んで足を止める。
(こんな天候だと、効果はいまひとつか)
「ま、魔法……!? こいつ、魔法使いか!」
「聞いてねえぞ!」
俺はわざと口角を吊り上げる。
「まだやる? 次は外さないよ」
男たちは互いを見やり、舌打ちをした。
「チッ……割に合わねえ。引き上げろ!」
捨て台詞と共に、追手たちは暗がりに消えた。
(なんとか……追い返せたか?)
俺は剣を下ろそうとした。
しかし、違和感があった。
雨音に混じって……。
(足音!)
ゾクリと背筋が泡立つ。
(〈探知〉には反応がない。でも……何かがいる!)
俺は反射的に振り返り、剣を横に薙いだ。
ガキンッ!
何もない空間で、火花が散った。
「……ちっ」
空間が揺らぐ。
1人の男が姿を現した。
さきほどの4人にはいなかった顔だ。
(こいつ、〈ステルス〉持ちか!)
「仲間は囮かよ」
「囮? 違うな。あいつらは雑魚だ。俺が本命さ」
男はユラに視線を向け、嗜虐的な笑みを浮かべる。
「おい、獣人。お前の仲間は全部、石になったぜ」
ユラの顔から血の気が引く。
雨に濡れた耳が力なく伏せられた。
男は短剣を弄びながら近づく。
「二度と! 人間様に逆らうなよ」
その瞬間。
俺の中で冷たい風が吹き抜けた。
恐怖も、迷いも消える。
ただ、目の前の男を"敵"として認識した。
〈フィジカル・ブースト〉
俺は一息で距離を詰める。
男が驚愕に目を見開く。
「なっ……速いッ!?」
雨しぶきを切り裂き、俺の剣が男の短剣を弾き飛ばす。
体勢の崩れた男の肩口に、至近距離で〈ファイヤー・アロー〉を叩き込んだ。
「がぁぁっ……!」
男は悲鳴を上げて転がる。
俺はにじり寄って、剣を振り上げる。
男は恐怖に顔を歪めていた。
そして、俺は静かに告げた。
「行け。……二度と、追ってくるな」
男は腕を押さえながら、闇の中へ逃げ去っていった。
剣を振り下ろせば、終わる。
それでも――。
(……斬れなかった)
殺す覚悟は、まだ持てなかった。
「タケル!」
ユラが駆け寄ってくる。
俺は剣を収め、震える手を押さえて彼女の方を向いた。
「ごめん。追い返すことしかできなかった」
「ううん。……あれでいいの」
震えているのは俺なのか、彼女のなのか分からなかった。
「私は……仲間を置いて、逃げたの……」
彼女は、俺の胸の中で泣き崩れた。
彼女の温もりが、雨の冷たさを少しだけ遠ざけた。
俺は彼女の背にそっと手を回した。
今はこうして雨が止むのを待つことしか、俺にはできなかった。




