第16話 荒野に降る雨
霧橋の宿の裏手にある解体小屋は、むっとする獣の臭いと熱気に満ちていた。
「おお、ワイバーンか。よく倒したな。あれはこの辺りの鳥を狙って、たまに荒野まで飛んでくるんだよ」
ムスターが交渉に入っていた。
分厚い皮エプロンを身につけた解体屋のリザードマンが、持ち込んだワイバーンを見て目を細める。
その口元を緩んでいるようだった。
(リザードマンが普通に働いてるよ)
改めて見ると不思議な光景だ。
この世界では、種族の違いは"個性"程度のものなのかもしれない。
「鱗や爪、翼は装備の素材として人気がある。……ま、翼は破れてるが、十分な金額は払えるぜ」
解体屋は久しぶりの大物にすっかり気を良くしているようだった。
血のついたナイフを器用に扱いながら、手際よく素材を仕分けていく。
その姿を眺めながら、俺の胸にわずかな誇らしさが芽生えていた。
(この竜を、俺たちが倒したんだな)
清算を終え、俺たちは亜人パーティたちと報酬を分配した。
俺の手元には、かなりの額の銀貨が残った。
(ワイバーンの素材って、こんなに価値があったんだな……)
◇ ◇ ◇
一夜明け、俺は食堂で朝食を取ろうとしていた。
「おう、坊主。そっちの椅子はやめとけ」
イスに座ろうとした瞬間、ムスターに止められる。
「えっ? ……分かりました」
(誰かの予約席だったのかな?)
俺は別の席に移動しながら首を傾げる。
すると、ムスターが小声で教えてくれた。
「あの丸テーブルや丸イスは、エルフが好むんだ。人間が座るといい顔しねえ」
「へえ……。形にこだわりがあるんですか?」
「ああ。奴らは"自然界に完全な直線は存在しない"とかいう理屈で、角ばった家具を嫌うらしい」
(分かんないけど、そういう文化なのか)
感心していると、隣の席にいた1人のエルフが立ち上がり、俺たちを睨みつけた。
「知ったような口を聞くなよ、人間が」
手にはエールが入ったジョッキ。
顔が赤い。
酔っているようだ。
(朝から飲んでる? いや、朝まで飲んでた?)
「私たちが愛するのものは球体だ。単に"丸が好き"などという言葉で片付けるな。それは大いなる自然への冒涜だ!」
「へいへい。悪かったよ」
ムスターは慣れた様子で軽く受け流す。
「カカカッ! そんな高尚なこと言いながら、結局は丸椅子にしか座らねえんだよな、お前らは」
奥の席からリザードマンがからかう様に言った。
エルフは「ぐぬぬ」と唸りながら、丸イスに座り直す。
(……なにこれ)
彼らの日常会話に置いていかれる感じがする。
冗談なのか本気なのかも分からない。
この宿には、独特のルールと空気が流れていることだけは理解した。
◇ ◇ ◇
霧橋の宿を出て4日。
俺たちを乗せた馬車は、タール荒野を進んでいた。
かつて集落があったとは信じがたいほど荒れ果てた大地。
乾いた風が吹き抜ける。
ところどころに朽ちた石壁。
傾いた井戸。
焼け焦げた梁の残骸が転がっている。
(クレーターみたいに凹んでいるところもあるな)
「戦争の爪痕ってやつか……」
俺が思わずこぼした言葉は、風にさらわれるようにかすれていた。
けれど、その感慨に浸る間もなく、空がにわかに陰り始める。
(また雨か?)
最初はぽつぽつとした小雨だった。
しかし、それはあっという間に視界を奪うほどの激しい暴風雨へと変わった。
「坊主! 荷を守れ! 馬車が崩れるぞ!」
ムスターの怒号が響く。
馬が怯え、積み荷が激しく揺れた。
(こんな急に天候って崩れるのかよ……!)
一瞬、ガクンッ! と車体が大きく傾いた。
内臓がふっと浮くような感覚に、息が止まる。
「くそっ、車軸がいかれたか!?」
先日のワイバーン戦での無茶な走行が、ダメージとして蓄積していたのかもしれない。
俺とムスターは必死にロープを巻き直す。
帆布をかぶせ、暴れる馬を落ち着かせようと優しく声をかけた。
雨と風が容赦なく身体を叩きつける。
俺の髪も服も泥まみれになっていく。
(台風みたいだ。やっとの思いでここまで来たのに……!)
長く、長い夜だった。
降り注ぐ冷たい雨が、俺の心にまで染み込んでくるようだった。
◇ ◇ ◇
そして朝。
嘘のように雲は晴れる。
澄み切った青空が広がっていた。
けれど、その下にある現実は残酷だった。
馬車の前輪は見事に砕け、車軸にも亀裂が入っている。
積み荷の一部も泥にまみれ、修理なしには再出発は不可能な状態だ。
「……馬は無事だな」
ムスターが、ほっとしたように呟く。
俺も濡れた帆布の下から、脚本と楽譜の入った防水袋を取り出した。
中身を確認する。
(……無事だ。よかった)
「霧橋の宿に戻って応援を呼ばんとな。修理にも時間がかかるし、依頼の期日は……厳しいだろうな」
ムスターの口調には、諦めが混じっていた。
自然の猛威と、馬車の破損。
こればかりはどうしようもない。
(自然には逆らえないよな)
普通なら、ここで諦めて引き返すのが正解だろう。
でも、俺はルイーザさんの顔を思い出した。
あの寂しげな微笑みを。
「ムスター。ここからレベックまで歩くと、どのくらいかかる?」
「歩いたら……10日ってところか?」
俺の意図を察したのか、ムスターの表情が一瞬で険しくなった。
「無茶だ! 1人で行くつもりか?」
「これは、俺が受けた依頼だから……。レベックまで運ぶよ」
俺はまっすぐにムスターを見た。
「ムスターなら馬に乗って、霧橋の宿まで戻るのは問題ないよね」
「坊主。お前、本気で……」
一瞬、病室で動けなかった頃の自分を思い出す。
(身体は動くのに、諦めるのは……)
「なんとかするって。……俺なら、いけると思う。歩くの、嫌いじゃないんだ」
ムスターはしばらく俺を見つめていたが、やがて静かにため息を吐いた。
そして、トンっと俺の胸を軽く叩く。
「お前の強さなら……確かにな。じゃあ、せめてこいつを連れてけ」
彼は無事だった馬の1頭に歩み寄る。
手早く即席の荷鞍を取りつけた。
「トラベル。6歳のレディだ。10日分の荷物くらいなら運べる」
俺はその馬の首筋を優しく撫でた。
温かいぬくもりが、指先から伝わってくる。
「よろしくな、トラベル」
トラベルの澄んだ瞳を見つめながら、誓うように呟いた。
「必ず、無事に届けるから。……楽譜も脚本も、トラベルも」
ムスターは黙ってうなずいた。
そして、力強く俺の肩を叩く。
「ああ、頼んだぜ……タケル!」
◇ ◇ ◇
ムスターと別れて2日。
俺は馬のトラベルとタール荒野を歩く。
あの台風のような雨が嘘のように乾いた土を踏む。
岩陰を見つけて休憩することにした。
カホンのギルドマスター、モーリンから受け取ったエナックを取り出す。
その生活魔導具の機能「水の水晶」を使うためにマナを流し込む。
途端に、水が勢いよく湧き出した。
「うわっ……」
加減が分からず、桶から水が溢れる。
苦笑しながら荷を下ろし、トラベルに干し草と水を与える。
「荷物、重くないか? いっぱい飲んでくれよ」
(半分はトラベルの食料なんだけどな。旅が進めば軽くなる、か)
その時、〈探知〉に反応が走った。
(……人?)
こんな荒野のド真ん中に?
俺は警戒心を強め、剣の柄に手をかけた。
足音を殺し、反応があった岩陰の向こう側へと回り込む。
そして——
「……ッ、なに見てんのよっ!」
「えっ!?」
目の前にいたのは、1人の少女だった。
頭には獣の耳。
腰からはふさふさの尻尾が生えている。
獣人だ。
「……え、えっと……大丈夫?」
俺が声をかけると、彼女は鋭い牙をむいて威嚇した。
「なに! 裸の獣人がそんなに珍しいの!?」
「いや、ど、どういう……え? 裸!?」
俺は剣から手を離し、両手を上げて敵意がないことを示した。




