第15話 霧橋の宿
ワイバーンの巨大な死体を前に、ドワーフの戦士が短く鼻を鳴らした。
「……粗いな」
彼は、黒焦げになったワイバーンの翼と、俺の赤く腫れた指先を交互に見た。
「マナの制御がなってねぇ。威力だけで押し切ろうとするから、自分まで焼く羽目になる。杖も持たずに中級魔法なんざ、どうかしてるぜ」
「……面目ないです」
反論の余地はない。
事実、俺は自滅寸前だった。
ドワーフの隣にいた長身のリザードマンが、低い声で言葉を継ぐ。
「だが、あのタイミングで魔法を放った判断は悪くなかった。我々の矢が届くまでの時間を稼ぎ、確実に翼を落とした。……人間の子にしては、肝が据わっている」
(人間の子……か)
亜人から見れば、人間の年齢など誤差のようなものなんだろう。
俺はただの"無鉄砲な子供"として映っている。
でも、それが今の俺の等身大の評価だ。
不思議と嫌な気はしなかった。
「その素材、高く売れるぞ。この先にある『霧橋の宿』で卸すといい。解体屋もいる」
ドワーフが親指で街道の先を指した。
「霧橋の宿って、近くなんですか?」
「ああ。そんなにかからねぇさ。俺たちはそこから来たんだ」
「ムスターの奴が血相変えて呼びに来やがったからな。『見込みのある若造が死にそうだ』って喚き散らしてよ」
リザードマンの男がからかう様に言うと、ムスターがバツが悪そうに顔を背けた。
「余計なことを言うんじゃねーよ」
(彼らとムスターは顔見知りなのか)
だから、あんなに連携が取れていたんだ。
俺は1人で戦うことしか考えてなかったな。
俺は改めて頭を下げる。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
「デカいモンスターはみんなで狩るもんだ。覚えとけ、人間の子」
ドワーフはそう言うと、懐から小さな壺を取り出して放ってきた。
「火傷に塗っときな。ドワーフ特製の軟膏だ。臭いが、効くぞ」
「えっ……ありがとうございます!」
受け取ると、確かに鼻が曲がりそうな強烈な薬草の臭いがした。
でも、その不器用な優しさが沁みた。
空からぽつりと雨粒が落ちてきた。
焼けた大地を冷やすような、静かな雨だった。
◇ ◇ ◇
霧橋の宿は、森と荒野の境界にある川沿いに建っていた。
川には常に白い霧がかかっていた。
そこに架かる太い木の橋が名前の由来らしい。
宿自体は、巨大な木造の長屋を増改築して繋ぎ合わせたような、独特の年季を感じさせる建物だった。
入り口では、先ほどのリザードマンが無言で扉を開け、俺たちを迎えてくれた。
(うわーマジか……)
中に入った瞬間、俺は息を呑んだ。
そこには、多種多様な種族が当たり前のように混在していた。
天井はやけに高い。
梁には、リザードマン用と思われる爪掛けが備えられている。
カウンターは、ドワーフの身長に合わせて低めに作られていた。
尻尾のある種族用に、背もたれに穴の開いた椅子も並んでいた。
カウンターで豪快な笑い声と共に酒を傾けるドワーフたち。
奥の丸テーブルで、巻物を広げて静かに談笑するエルフの冒険者。
窓際で生肉を黙々と食らうリザードマン。
一つひとつの光景が、これまでの俺の世界にはなかった色で輝いて見えた。
(カウベルやカホンは人間中心の町だったけど、一歩外に出ればこれなんだ)
俺が珍しそうにキョロキョロしていると、視線を感じた。
けれど、それは敵意ではない。
「見慣れない人間がいるな」程度の、無関心に近い視線。
ここでは、人間である俺の方が"異物"なのかもしれない。
(この世界は、俺が思っていたよりずっと広いんだな)
食堂の隅。
人間用のテーブルに通された俺は、荷物を下ろして一息ついた。
ふと、ルイーザから預かった遺品のことを思い出して、慌ててリュックから取り出す。
(雨に濡れてないか……?)
脚本と封印された楽譜。
表面を撫でて確認する。
少し湿気てはいるけど、濡れてはいない。
(よかった、大丈夫だった)
ほっと息をついた俺の目の前に、ドサリと何かが置かれた。
「これに入れとけ」
ムスターが差し出したのは、油を塗ったような黒い革袋だった。
「これは?」
「フーネルの皮だ。水を通さねぇ」
「……助かります。ありがとう」
(よく分かんないけど、防水ってことだよね)
ムスターはそれ以上何も言わず、エールを注文しに行った。
無愛想だが、彼なりに俺が何を一番心配しているのか分かっていたみたいだ。
俺は、巻物と本を丁寧にその袋へとしまった。
これで、もう雨も怖くない。
◇ ◇ ◇
その夜。
外は本降りの雨になっていた。
俺は食堂の長机の端で、おすすめされた「荒野の煮込み」を楽しんでいた。
茶色く濁ったスープに、得体のしれない肉と根菜がゴロゴロと入っている。
(……入っている食材が、一つも何だか分からない)
恐る恐る口に運ぶと、強烈なスパイスの香りが鼻に抜けた。
辛いような、苦いような、でも噛んでいると癖になる旨味がある。
体が温まる。
胃にずしりとくる重めの料理だ。
(食べ過ぎると明日の馬車が怖いんだよな。めっちゃ揺れるし……)
ちびちびとスープを啜っていると、隣の席がにわかに盛り上がり始めた。
顔を赤らめたドワーフの老人が、ジョッキを片手に朗々と語り上げていた。
「——勇者ラクレスが死の神と対峙した時、試されたのは剣の腕じゃなくて"心"だったって話だ。そんなの王家の公式記録には載ってねぇけどな」
「そんな話、伝記にあったか?」
別の席で食事をしていたリザードマンが、興味深そうに問い返す。
(ドワーフやリザードマンも、ラクレスの話をするのか……)
俺は聞き耳を立てた。
ムスターは「王家が作った英雄譚」だと言った。
けど、この老人の語り口は少し違う。
「ああ、伝記なんてのはな、人間たちが都合よく書いたもんさ。綺麗な鎧を着て、聖剣を振り回せば英雄になれるわけじゃねぇ」
老人は遠くの闇を見つめるように、ぽつりと呟いた。
「泥を啜り、友を失い、それでも"誰かのために"と足を踏み出した瞬間……その一歩こそが、英雄の正体だとワシは思うがね」
酒場が少しだけ静まり返った。
誰もが、それぞれの記憶の中にある"英雄"や"仲間"を思い出しているようだった。
(英雄の正体……)
俺は自分の手を見つめる。
ドワーフに貰った軟膏のおかげか、赤みは引いていた。
今日、俺はワイバーンに挑んだ。
結果的には勝てた。
ムスターたちを救えたのかもしれない。
でも、あの時の俺にあったのは「助けたい」という純粋な心半分と、"自分の力を試したい"という功名心半分だった。
(俺は、全然英雄なんかじゃない)
ただの、力に振り回されかけた子供だ。
ドワーフの老人の言葉が、火傷した指先に染み入るようだった。
湿った木材の匂いが鼻に抜ける。
窓の外から聞こえる雨音が、ワイバーンとの激闘の余韻と、俺の浮ついた心を洗い流していく。
この世界には、俺の知らない歴史があり、生活があり、哲学がある。
(知らないままじゃ、きっとまた同じことをする)
俺は煮込み料理の最後の一口を飲み込んだ。
スパイスの辛さが、心地よい熱となって腹の底に落ちていった。




