第13話 沈黙の馬車と英雄譚
中学の時、事故に遭った。
車が壁に激突した。
その間に挟まれたのが登校中の俺だった。
右腕と両足は完全に動かなくなる。
リハビリの末に動くようになった左手も、親指だけはずっと動かないままだった。
(くそ……。なんでこんな夢を見るんだよ)
病室の白い天井。
動かない体。
そして、絶望的な日々が脳裏をよぎる。
でも、今は違う。
俺はガバッと起き上がり、両足でしっかりと床を踏みしめた。
そこにあるのは、自由に動く体だ。
俺は動く右手を開閉させ、じっと見つめた。
(回復スキルは取っておくか)
今後、大きな怪我をした時には絶対に必要だ。
あんな思いは、二度とごめんだからな。
過去の記憶が、俺に〈ヒール〉を選ばせた。
◇ ◇ ◇
ギルドに向かうと、御者のムスターが馬車への積み込みを終えたところだった。
俺は荷台に積まれた荷物の中から、ルイーザから預かった本に手を伸ばした。
表紙には筆で書かれた、やや時代がかったタイトル。
『光の勇者と死の神』
(……タイトルだけで、ちょっと厨二感あるな)
俺は本をそっと戻した。
今回のクエストは長距離移動だ。
嫌な夢を見たせいだろうか、胸の奥に落ち着かないざわめきがする。
馬車が軋む音を立てながら動き出した。
御者のムスターは、黙って手綱を握っている。
◇ ◇ ◇
(次は一体どんな街なんだろう?)
カホンの町を離れてしばらく。
舗装の甘い道を馬車がゆっくりと進んでいく。
車輪が土を踏みしめ、ガタンと小さく跳ねた。
「やっぱり……馬車って、思ったより揺れるな」
荷台に腰を下ろした俺がぼやくと、意外にも明るい声が前方から返ってきた。
「揺れは慣れだよ、坊主」
振り返ると、ムスターが口元を緩めていた。
黙っていると無愛想な職人風だが、手綱を握ると饒舌になるタイプらしい。
「昔はラバも使ってたんだがな。この辺の森道には馬の方が向いてる。軽いし、止まりやすいし、曲がりやすい」
(お、そうだ)
こういう職業なら運搬スキルについて何か知ってるかな?
スキルツリーにはそれらしいのが見当たらなかったし。
「アイテムをたくさん持てるとか、軽くするみたいなスキルってないですかね?」
「なんだ? 商人にでもなりたいのか? 俺が持ってるのは〈ラバの訓練〉ってスキルだ。積載量が一割ほど増えるんだ」
(俺のツリーには無いスキルだ。テイマー系か?)
一割……う~む。
無理やり詰め込んでも一割くらい増えないか?
微妙な数字だけど、商売人にとっては、その一割が利益を左右するのかもしれない。
荷台には干し肉や保存食、ハチミツ、毛皮などが丁寧に積まれている。
どうやらこの配達は、ルイーザの荷物だけでなく、交易も兼ねているようだ。
森林が近づくにつれ、道は次第に木々の影に覆われていく。
「この道……よく交易で通るんですか?」
「ああ。若い頃は王都アステリアまで、何度も馬を飛ばしたもんだ。……戦争の時以外はな」
「戦争……?」
俺は思わず身を乗り出した。
「30年前の話だ。国が、真っ二つに割れかけた……お前が生まれる前のことだ」
「そんな出来事が……」
ムスターの横顔に、ふと暗い影が落ちた気がした。
話が途切れ、馬車は静寂に包まれた森の中へと進んでいく。
◇ ◇ ◇
日が暮れる前。
森の開けた場所でキャンプの準備が始まった。
俺は薪を集め、ムスターは手際よく焚き火を組んで火を灯す。
(こういうキャンプ方法は、俺も覚えておいた方がいいよな)
エナックの魔導具機能で火を起こせることを思い出した。
道中に練習しておこう。
夕食を済ませた後。
俺は荷物から本を取り出し、膝の上に広げた。
ルイーザから預かった脚本だ。
冒頭は、前回のあらすじのようなものから始まっていた。
『勇者ラクレスと黒狼の戦い』
――かつて王都アステリアを脅かした災厄の名を持つ黒狼。
その咆哮は雷を呼び、山を揺るがし、人々を絶望に染めた。
だが現れたのは、1人の勇者――ラクレス。
聖剣を掲げた彼の一閃が、黒狼の両眼を貫き闇を払った。
王都は救われ、彼は『光の英雄』と称えられた。
(……すごい話。でも、なんかこう……舞台用に盛ってる感じもする)
焚き火のはぜる音の中、ムスターがぼそりとつぶやいた。
「ラクレスの話か?」
「え、はい。やっぱり有名なんですね」
「ああ、誰だって聞いたことくらいはあるさ。だがな……」
ムスターは焚き火を見つめたまま、重く続けた。
「俺はな、あれは作り話だと思ってる。王族が、民衆の支持を得るために都合よく作った英雄譚だ」
「でも……史実って言われてるような……」
「誰も見たことはない。俺はな、自分の目で見たものしか信じないタチなんだ」
(噂話は信じないタイプか)
ただ、ゲームの中の噂話って、だいたいホントだったりするんだよなあ。
伝承、伝説。
やっぱり、俺が最初に見つけたあの手記の内容も……。
(元の世界へ帰るには、ノクスの核が必要)
俺の願い。
健康な身体で元の世界へ戻ること。
それは、本当に叶うのか?
炎がゆらめく。
本の上にも、かすかに赤い光が揺れていた。
(ラクレスは……ただの物語? それとも……)
夜風が枝葉を揺らす。
俺は本を静かに閉じる。
心の奥にふつふつと沸き起こる好奇心を感じていた。
真実かどうか――いつか突き止めてやる。
◇ ◇ ◇
翌日。
空がにわかに陰りはじめる。
薄墨を流したような雲が東の空から押し寄せてきた。
馬車の座席に揺られながら、俺はぼんやりと窓の外に目を向けていた。
視界の先では森が終わりを告げる。
代わりに、赤茶けた土と枯れ草の地平が広がっていく。
「ここからが……タール荒野だ」
御者台からムスターの低く乾いた声が届いた。
「荒野?」
「タールって名の村というか集落があったんだよ。戦争で……地図から消えちまった。今はどこかの団体が、せっせと苗木を植えてるらしいが、成果はまだまだってとこだな」
(戦争って、色んなものを消してしまうんだな……)
かすかに胸の奥がざらついた。
視界の隅には、風化した井戸や半壊した家屋の骨組みが残っている。
そこには確かに人がいたはずだ。
人の営みの痕跡が、無言で語りかけてくる。
(この場所にも、日常があったんだよな……)
思考に沈みかけたその時——。
ヒュオオオオオッ!!
突然、上空から空気を切り裂くような音が響く。
馬が甲高い声で鳴いた。
車輪が激しく軋み、車体が大きく傾く。
「おい! なんだ!?」
ムスターの声が跳ねる。
直後、猛烈な突風が馬車を襲う。
幌があおられて荷物が宙に舞った。
空を覆う影が地表を流れる。
次の瞬間。
荒野に獣の咆哮が轟いた。
見上げた空に、巨大な影が旋回していた。
緑色の硬質な鱗に覆われた翼。
鋭い鉤爪。
鞭のようにしなる尾。
それは——翼竜だった。
「おいおいおいおい……やべえぞ! ワイバーンだ!」
ムスターが顔面蒼白で叫ぶ。
馬たちは目をむき、恐怖に駆られてその場で足踏みをしていた。
俺は即座に〈鑑定〉を発動させた。
〈ワイバーン/風属性/レベル:5〉
(レベル5……ライトエイプと同じかよ!)
けど、空を飛んでいる分、こちらの方が厄介だ。
ワイバーンは旋回を終えて、再びこちらへ急降下してくる構えを見せた。
俺はすぐさま馬車から飛び降りる。
剣を抜いて声を張り上げた。
「馬を守れ! 俺が引き付ける!」
「引き付け……って、おい! 無茶だ! 荷物を捨てて逃げるぞ!」
ムスターが叫びながら手綱を引く。
しかし、俺は首を横に振った。
「逃げても追いつかれます! それに、この荷物はルイーザさんの大事な遺品なんでしょう!?」
「っ……!」
ムスターが言葉を詰まらせる。
「俺は大丈夫! できるだけ離れて!」
俺はマントを翻し、迫りくる巨体へと向かって駆け出した。




