表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
盤上のイレギュラー~獲得SP2倍の冒険者は、世界の計算を狂わせる~  作者: 上山マヤ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/9

第1話 目覚めの痛み

 ゴツゴツとした硬い感触が、頬に食い込んでいた。

 消毒液の臭いも、空調の低い唸り音もしない。

 あるのは、土と草の匂い。

 そして、肌を撫でる風の冷たさだけだ。


 ゆっくりと、重い瞼を開ける。

 視界に飛び込んできたのは、無機質な白い天井ではなく、どこまでも高く広がる青空だった。


「……っ」


 上体を起こそうとした瞬間、背中のあたりでバキバキッという鈍い音が鳴った。

 錆びついた蝶番ちょうつがいを無理やり動かしたような、不快なきしみ。

 普通の人間なら、顔をしかめてうめくところだろう。


 けれど、俺は目を見開いて震えていた。


(身体が動く?)


「……すごい」


 背中が痛い。腰が重い。

 地面の硬さが、俺の肉体に拒絶を突きつけてくる。


(体が"る"感覚がある!)


 俺は思わず、口元を手で覆った。

 ニヤけそうになるのを必死で抑える。


 手も、指も動く。

 足の感覚まである。


(立てるのか?)


 俺は立ち上がり、わざと地面を強く踏みしめる。

 靴底越しに伝わる砂利の不均一な反発。

 足の裏をジンジンと駆け上がる衝撃。

 そのすべてが、愛おしくてたまらない。


「ははっ……最高かよ」


 俺は大きく伸びをして、関節が鳴るのを音楽のように楽しんだ。


 ◇ ◇ ◇


 一通り体の痛みを堪能してから、俺は周囲を見渡した。

 どう見ても、日本じゃない。

 鬱蒼と茂る巨大な木々。見たこともない色の花。

 遠くに見える山脈は、絵画のように険しい。


 いわゆる異世界、なのかもしれない。

 そう思うことで、頭が追いつく気がした。


「おーい! 案内役の妖精さーん? 転生特典をくれる美少女女神さーん?」


 両手を口元に添えて叫んでみる。

 返事はない。

 どこかで鳥が鳴く声がしただけだ。

 俺は肩をすくめた。


「なんだよ、ナビゲートしてくれるマスコットキャラとか居ないのかよ」


 右も左もわからない。

 水場がどこかも、街がどこかも不明。

 完全に遭難状態だ。


「……不親切設計だなあ」


 言いながら、俺の口角はどうしても上がってしまう。


「最高じゃん」


 誰も指示してくれない。

 それはつまり、もう誰にも「安静にしてろ」なんて言われないということだ。

 どこへ行くのも、何をするのも、俺の自由。

 俺はニヤリと笑うと、適当な方角へ向かって、勝手に歩き始めた。


 ◇ ◇ ◇


 歩き出して数分。

 いや、もっと前から視界の隅に違和感はあった。

 ゴミがついているわけではない。

 意識を向けると、そこには半透明の文字が浮かび上がっていた。


【名前:池本 タケル

【Lv:1】

【特性:〈天賦てんぷの才〉】


「……うわ」


 ゲームのようなステータス画面だ。

 間違いなく俺の名前が表示されている。

 俺の視線は、その中の「特性」という項目に吸い寄せられた。


 〈天賦の才〉

 効果:SP(スキルポイント)獲得量が常に2倍になる。


「……ははっ」


 乾いた笑いが漏れた。

 天賦の才って?

 俺の人生は、ある日から点滴の管と心電図の電子音だけの世界だった。

 青春のすべてをベッドの上で浪費した俺に、神様は今更"才能"なんてものを寄越したらしい。


(……皮肉なもんだ)


 ベッドの上で腐っていたのに、ここでは誰よりも優れた"才能"があるなんて。


 神様のジョークに感謝しつつ、俺は詳細を確認する。

 手持ちのSPは2ポイント。

 隣のタブを開いてみる。

 膨大なスキルツリーが展開された。

 攻撃、防御、魔法、生産……あらゆる可能性がそこにあった。

 その中に、一つのスキルを見つける。


 〈痛覚軽減〉

 効果:受ける痛みを緩和する。


 俺の指が止まった。


(……いらない)


「RPGの世界なら、やっぱりこれだろ」


 俺が選んだのは、基本中の基本。

 憧れだった身体強化スキルだった。


 〈フィジカル・ブースト〉

 効果:一時的に身体能力を向上させる。


 スキルを取得した瞬間、体の奥底からカッと熱いものが湧き上がるのを感じた。


 ◇ ◇ ◇


 最初の遭遇は、唐突だった。

 草むらがガサガサと揺れ、何かが飛び出してきた。

 長い耳。ふさふさの毛並み。

 二股に分かれた尻尾。


(うさぎか?)


 愛らしい小動物に見えた。

 しかし、その口が裂けるように開くと、サメのような何重もの歯が覗いた。

 その瞬間、俺の認識は"獲物"から"敵"へと書き換わった。


「ッ――!」


 殺る気満々で飛びかかってくる。

 反応が遅れた。

 避けきれない。

 俺はとっさに腕を前に出した。

 鋭い牙が、俺の前腕に深々と突き刺さる。


「ぐっ……!」


 熱い。

 傷口から焼けるような熱が広がり、その直後に鮮烈な痛みが脳髄を突き刺す。

 鮮血が舞った。


(痛っ……)


 脂汗が滲む。

 でも、俺は思考の片隅で、冷静にその感覚を分析していた。


(すごい……ちゃんと、痛い)


 夢じゃない。

 骨に響く本物の痛みだ。

 痛い。

 痛くてたまらない。


(……怖い)


 死ぬかもしれない、という恐怖はあるのに。

 足が震えるのに。

 それでも、逃げたいとは思わなかった。

 それどころか、喉の奥から笑いがこみ上げてくる。


「離せッ!」


 俺は噛み付かれたままの腕を振り回し、落ちていた手頃な木の棒を逆の手で掴んだ。

 殴る。殴る。殴る。

 鈍い手応え。

 好きじゃない。

 泥臭く、無様に、ただ生きるために命を削り合う。


 奇妙なうさぎが動かなくなった時、俺もまた、地面に大の字になって倒れ込んでいた。


「はあ……はあ……っ」


 息が切れる。

 肺が酸素を求めて喘ぐ。

 腕の傷がズキズキと脈打ち、全身が泥だらけだ。


「はっ、ははは。スキル……使ってないじゃん」


 すっかり忘れていた。


 痛い。苦しい。

 それが、最高に心地よかった。


 ◇ ◇ ◇


 一息ついた俺は、ふと鼻をひくつかせた。

 風に乗って、何かが焦げたような匂いがする。

 痛む体を引きずって立ち上がり、匂いの元を探す。

 森の向こう、木々の切れ間から、細い煙が立ち昇っているのが見えた。


(……煙だ。誰かいるのか?)


 人がいるなら、話が聞けるかもしれない。

 俺は期待に胸を躍らせて歩き出す。


 そして、足が止まった。


 行く手の草むらに、誰かが倒れていた。

 いや、もう"誰か"とは呼べない状態だ。

 風化した白い骨と、錆びついた装備。

 その傍らには、古びた手記のようなものが落ちている。


(……随分、経ってるな)


 遺体の指先は、あの煙の方角を向いていた。

 この人は、あそこへ行きたかったんだろうか。

 助けを求めていたんだろうか。


 恐怖が、冷たい水のように背筋を伝った。

 俺も、こうなるのか?

 いや、そもそも。

 まばたきをしたら、あの白い天井に戻っているんじゃないか。

 ここで死んだら、またあの動かない肉体に逆戻りなんじゃないか。


「……」


 思考が弱気になる。

 俺は首を振り、両手でバチン、と自らの頬を叩いた。


 痛い。熱い。

 よし、せっかく動けるんだ。


「ビビってる時間はもったいないだろ」


 いつ覚めるか分からない夢なら、覚めるその瞬間まで走り続けるだけだ。


 俺は遺体のそばに落ちていた剣を拾い上げる。

 ずしりと重い。

 その重さが、命の重さみたいで心地よかった。


「借ります、先輩」


 俺は短く手を合わせた。


「あなたが見たかったかもしれない景色、俺が見てくるから」


 足を踏み出すたびに傷口が焼けるように痛む。

 でも、目の前に広がる世界をどうしても進みたかった。


 病室の窓から見ていた四角い空じゃない。

 どこまでも続く、俺だけの世界だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ