第9話 シャーリアとグラウス
重厚な扉が、きしむような音を立ててゆっくりと開いた。
真鍮の蝶番が光を反射し、その隙間から一歩ずつ姿を現した二人──互いに対照的な気配を纏った人物だった。
――先に視界を奪ったのは戦士というにはあまりに小さい少女だった。
艶やかな黒髪を”三つ編み”にして背に垂らし、”褐色”の肌。
鮮やかな瑠璃色のサッシュを腰に巻き、革製のジャケットは軽装ながら金糸で繊細な模様が縫い込まれている。
”猫耳”が頭に融合しており、首元には貝殻をつなげたチョーカー。
そして、腰の後ろからは大きな、ふわりと揺れる尻尾が生えていた。
絹糸のような毛並みが光を受け、歩くたびに柔らかく波打つ。それは装飾ではなく、彼女の一部として息づいている。
戦うための服というよりは、自由な旅人の装束に近いが、その立ち姿には確かな自信があった。
腰に下げた短剣が四本、反射する光をちらつかせるたび、談話室の空気がわずかに弾ける。
――続いて、少女の後ろから現れた男。
顔立ちは彫像のように深い陰影を刻み、目や口の裂けたような”傷跡”が戦場での年月を物語る。
肩には漆黒のマント、胸には厚い鋼鉄の胸甲、背には折り紙のように複雑に畳まれた剣、左手には術式が編まれた頑丈な盾。
すべてが重厚で、磨かれているのにどこか鈍い光を帯び、実用本位の匂いを放っていた。
髪は銀と黒の混じる短髪、視線は鋭い刃のように真っ直ぐ。彼が踏み込むたびに、床の石が僅かに軋んだ。
少女は先に一歩前へ出て、両手を軽く広げ、まるで舞台役者のような笑顔で声をあげた。
「──初めまして、創造主様。
おらは月影白夜騎士団・第二遊撃隊所属、シャーリア・ナハルにゃろす。
前回の大戦の折には、この地を離れていてお目にかかれませんでしたが、噂はかねがね聞いておりますにゃあ!」
朗々とした声に、談話室の壁がわずかに響いた。
「これからの戦いでも、創下が健闘してくださると信じていますよ! ……よろしくね、創ちゃん!」
俺とルナテミスは顔を見合わせ、思わず同じ疑問を口にした。
「「“創ちゃん”??」」
シャーリアは胸を張り、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「“創造主”の“創”に決まってるゆら! 親しみやすくていいかなーって」
苦笑している俺を見て、シャーリアはさらに一歩詰め寄ってきた。
「そんなに嫌なら君の本当のお名前、教えてくださいみゃうー?」
「……あぁどうも、田島修一と申します」
なぜか緊張して敬語になってしまった。
「グッドベラ―ベスト、いい名前にゃろす。
でも、おらはやっぱり創ちゃんで行かせていただきますっ!」
シャーリアは謎の拘りを見せ、そう言う。
「まぁ、別にいいけどさ……」
彼女がそこまで呼びたいのなら仕方がないだろう。
そのやり取りを、後ろにいる屈強な男はじっと無言で見つめていた。
やがて、彼も一歩前に出る。今度は空気が一気に冷えたように感じられる。
低く、よく通る声が談話室に響く。
「──愚拙は、月影白夜騎士団・第一戦列、戦騎士長のグラウス・ヴァルドと申します」
一言一言を区切るたびに、その名が剣のように突き刺さる。
「前線の指揮と、陛下直属の護衛を務めております。
よもや天主に、直に拝謁できる日が来ようとは思ってもおりませんでした。光栄に存じます」
その深く刻まれた顔が、ようやくわずかに動いた。胸に拳を当て、騎士式の敬礼を示す。
そして……
「あ、以上です」
バイト終わりのテンションで自己紹介の終わりを告げる。
シャーリアはグラウスの自己紹介が終わるや否や、どっと笑い声をあげた。
「以上って……! グラウスちゃんったら、肩に力入りすぎじゃないにゃ? 顔、石像みたいに固まってるし」
豪快な笑い声とともに、少女は高く飛びグラウスの肩をバンバンと叩く。金属の胸当てに手のひらが当たって、ガンガンと鈍い音が響いた。
グラウスはそのたびに眉をひそめ、視線をそらしながらぼそりと呟いた。
「……だ、だが……致し方ないであろう、シャーリア! かの、世界を産み落とした主の御前なのだぞッ……!
卿が、この場にちと、馴染みすぎなのだッ! 畏れを知らぬのか、この戯け!」
低い声なのに、どこか恋している乙女のように聞こえて、俺は思わず吹き出しそうになる。
「ほら、まぁたそのへっぴり腰! 第一戦列の戦騎士長様がそんな調子じゃ、部下が泣いちゃうにゃうよ」
シャーリアはにっこり笑うと、グラウスの側面にそっと手を伸ばした。
くすぐるように指を軽く這わせられた途端、グラウスの体がぴくっと跳ねる。
「ゲヒヒヒヒッ……!」
思わず気持ち悪い笑い声が漏れ、顔は赤くなる。シャーリアは楽しげに手を止めず、もう一度肩をくすぐる。
「や、やめてくれ……! 創造主様の前でだけは、冷徹で頼れる男でいたいのだッ!」
必死に笑いをこらえながら返すグラウスに、シャーリアは無邪気に笑い声を弾ませる。
――多分、グラウスは見た目に反していいやつなんだろうな。
そう直感が教えてくれる。
俺は二人のやり取りを見て、胸の奥の緊張が少しだけほぐれるのを感じていた。
隣のルナテミスも、ほんのわずかだが唇の端をゆるめていた。
グラウスとシャーリアのやり取りを眺めながら、俺は胸の奥に奇妙なざわめきを感じていた。
(……この二人、俺が描いたキャラじゃないな)
無意識にそう呟いてしまう。
ここは、俺がかつて描いた黒歴史漫画の世界だ。
石畳の通り、空を裂くように立つ塔、どれも確かに俺のノートの片隅に描かれていた断片の延長にある。
勇者ルナテミスも、国王アルヴァレイン・セリューヌも、俺の線から生まれた存在だ。
でも──シャーリアも、グラウスも、少なくとも俺の記憶にはいない。
当たり前だ。俺はモブ一人ひとりの顔や性格、癖まで設定したわけじゃない。
兵士A、村人B、騎士団員……そんなラベルしか貼っていなかった。
にもかかわらず、目の前の二人は笑い、肩を叩き、照れ、息づいている。
台詞の外で勝手に生まれた仕草や呼吸、体温のある言葉で。
(……ああ、この世界は俺が描いた漫画を“土台”にして、ちゃんと生きているんだな)
その実感が、ゆっくりと俺の胸に落ちていく。
物語ではなく、誰かの人生として続いている世界。
彼らは、俺がかつて線で描いた背景の中で、もう“人間”として立っている。
そのことが、不思議な畏怖と、少しの誇らしさを同時に呼び起こしていた。
隣でルナテミスが微かにこちらを見る。俺はただ、視線を二人から離せずにいた──。
ぱん、と乾いた音が談話室の高い天井に反響した。
勇者ルナテミスが両手を軽く打ち合わせただけなのに、魔力が混じったかのように空気がわずかに震える。
重厚な扉の隙間から入る光が揺れ、壁にかけられた古い戦旗や月を象った紋章が ちらりと煌めいた。
「──さて、本題に入ろうか」




