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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第4章 魔界『ヘルヴァナ=アスタロディア』

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第77話 灰色の世界

 涙が枯れはじめたころ、ようやく外の音が耳へ戻ってきた。

 

 鳥のさえずり。

 新聞配達のバイクが遠ざかるエンジン音。

 

 その響きが、非現実と現実の境界をなぞるように胸へ沁み、俺はようやく気づく。


 ――あぁ、今の時刻は朝なんだ。


 ヴァルティーアが最後に告げた言葉が、不意に脳裏で再生される。

 

 『それから先は、もうこの世界のことなんか忘れて、幸せに生きろ』


 その響きに導かれるように、身体は自然と“朝の支度”へ向かった。


 まずはスーツに着替えよう――

 そう思った瞬間、現実がひとつ、鋭く俺の目を刺す。


 右手は刃、『黄昏』のまま。


 このまま袖を通せば、生地など簡単に裂けるだろう。

 

 そう思った瞬間、右腕がふっと光を帯びた。

 まるで呼応するように、刃は人間の右腕の形へ変貌する。


 ただし、それは外見だけの擬装にすぎない。

 細かな動きはまるで利かず、刃の鋭い感覚が残ったままだ。


 『黄昏』はもともと、使い手の感情を糧に進化し続ける刃。

 ゆえに、このような形の変質も可能なのだろう。


 俺はそのままスーツへ袖を通した。

 筋肉が以前よりついたせいか、布がやや張るが――まあ、いい。


 顔を洗い、髪を整え、息を整える。


 俺はキッチンに散らばっている、黒い物体に視線を移す。

 『天魔双極~幻影幻想曲第14番 <Phantom Fable>』――俺がかつて描き、そして燃やした漫画の、灰だ。


 昨晩、火をつけ、サラダ油を燃料に燃やした。

 残ったのは、軽くて頼りなくて、触れただけで崩れる灰ばかり。


 俺はその灰をそっと箒で集め、広がらないように手で囲いながら、ひとまとめにする。

 それをゴミ袋の口を広げ、静かに流し込んだ。


 ぱさ……と灰が底に落ちる音が、妙に大きく響く。


 「……ふぅ」


 携帯を取り出して日付を見る。

 今日は可燃ゴミの日だ。


 他のごみも入れながら、袋の口を固く縛って持ち上げる。

 

 そしてビジネスバッグも携えながら、俺は玄関の扉を開けた。

 

 ◇

 

 住宅街の朝は、やけに眩しい。


 眠りの残滓をまだ抱えた家々の壁を、白い光がなぞる。

 その明るさが、手に下げたゴミ袋の重みをやけに浮き立たせる。


 俺は歩道を静かに歩き、角を一つ曲がった先――

 塀で囲われたゴミステーションが見えてくる。


 誰もいない。

 ただ朝日だけが、影を細かく地面へ落としていた。


 俺は袋を持ち直し、そっと投入口を開けた。

 中には、既にいくつかの白い袋が並んでいる。


 袋を放すと、底へ落ちる軽い音がした。

 灰の袋は、他の袋の上でわずかに揺れ、それきり静止した。


 なんてことのない行為だ。

 けれど、その一瞬で、胸の奥に絡みついていた黒い糸がひとつちぎれた気がした。


 「……あぁ、全部終わったんだな」


 小さくそう呟き、ゴミステーションの蓋を閉める。

 すると俺の背後で朝の風がふわりと、灰色のスーツを揺らした。


 会社へと徒歩で向かいながら、俺はひとつの現実へ思い至る。


 (……よく考えれば、多分俺、長らく無断欠勤してたんだよな。

 クビ切られてても仕方ねぇけど……そのときは誠心誠意謝って、なんとか復帰させてもらうしか――)


 そんな弱々しい思索を断ち切るように、背後から明るい声が弾けた。


「……えっっ! 田島さんッ!?!?」


 振り返ると、そこには後輩の佐藤が立っていた。

 目を見開き、信じられないものを見るような顔で。


「や、やぁ……佐藤くん。久しぶりだね。音信不通になってしまっていてすまない。

 色々、君にも会社にも迷惑をかけたことだろう」


 俺が頭を下げると、佐藤は慌てて手を振った。


「いや、頭なんか下げないでくださいよ! 

 確かに心配はしてましたけど、生きていてくれたみたいで安心ですって!」


 それから、少し照れたように続ける。


「……それに、勝手に僕が、田島さんの有給休暇を消化してたんで、会社にもそんな迷惑をかけてないと思いますよ!

 むしろ部長なんて、『田島くんがやっと休んでくれた~!!』って泣きながら言ってたくらいです!」


「……へぇ、部長がそんなことを」


「色々あったんでしょう、田島さん。

 僕になら、いくらでもぶちまけていいですからね」


 その言葉に、俺の胸が少しだけ熱くなる。


「ありがとう、佐藤くん……」


 歩きながら俺たちは取りとめもない話を続けた。

 ――なんか田島さん、ごつくなってません?

 そんな軽口や、時事ネタのような、どうでもいい会話。


 灰色の街。灰色の空。灰色のスーツ。


 かつて俺が嫌悪していた日常そのもの。


 なのに、今はなぜか――胸の奥が温かい。

 この灰色の世界が、愛おしい。


 そんな思いに浸りながら、信号待ちのためスクランブル交差点で足を止めた時だった。


 ――「修一」


 声が、世界のどこからともなく響いた。

 空耳だと思った。

 悪夢の残響だと思った。


 だが。


 ――「修一」

 ――「修一」

 ――「修一」


 街中から、電子音のように同じ声が重なりはじめた。


 周囲の人々も異変に気づき、ざわめきが広がる。


「た、田島さん! ……あ、あれを見てください!!!」


 震えた佐藤の声が耳に刺さる。

 俺は、彼の指差す方向へ、恐る恐る顔を向けた。


 巨大な電光掲示板に、黒髪の女性が映っている。


 いや――それだけではない。


 電器店のテレビ、喫茶店のモニター、

 道行く人々の手にあるスマートフォンの画面でさえ、

 すべて同じ“黒髪の女”を映し出していた。


 そして、すべてが同じ口を動かす。


 ()()()()()()


 ――「修一」


 ひとつの顔。

 ひとつの声。


 ()()()()()()


「修一。主人公も、こっちの世界に来たよ」


 スクリーン越しに微笑むその人物。

 それは、勇者ルナテミスに化けていた、あの『物語歪曲者』だった。


 ――世界を喰い破った歪曲者が、現実へと降りてきた。

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