第73話 物語歪曲者
「あぁ、そうだよ修一。
“主人公”こそが、すべての黒幕だよ」
――主人公。
そんな聞きなれない一人称で、彼女は自身こそが黒幕だと、言った。
その言葉で、胸の奥が煮えたぎる。
怒りの奔流が視界を真っ赤に染める。
「……ッ!!」
俺は地を蹴り、全力でそいつに迫る――
――その刹那。
「|時空凍結症候《クロノ・フリーズ=シンドローム》」
大魔女エリザシュアの究極奥義の名を、黒幕を名乗る存在は、呟く。
そして、世界が凍りつき、風が止まり、俺の身体はそのまま固着した。
手も足も微動だにしない。
だが、顔だけは動き、視認、傾聴、会話の機能だけは奪われなかった。
凍てついた時の檻の中で、俺は唯一動く顔をわずかに歪め、鋭い視線を彼女に向けて問いかけた。
「どうしてお前が、エリの奥義を……!」
その怒りを含んだ声に、黒髪の“彼女”は息をするような自然さで応じる。
「――あぁ、主人公はこの世界の存在の能力を、すべて使えるんだよ。
……って、そんなことは別にどうでもいいか。
聞きたいことが、山ほどあることだろう。何でも答えてあげるよ、修一」
俺は憤怒を噛みしめるように奥歯を軋ませながら、それでも必死に冷静さを繋ぎとめて問いを重ねた。
「じゃあ、改めて聞いてやるが……お前がすべての黒幕で、間違いないんだな?」
その問いに、目の前の存在は迷いなく答える。
「あぁ。でも“黒幕”と呼ばれるのは、何だか少しばかり味気ない。
だから、主人公のことは……『物語歪曲者』とでも呼んでおくれよ」
彼女――『物語歪曲者』は口元に、わずかに笑みを滲ませ、今までの悪行を語る。
「主人公こそが“終焉の穴”を生み出した存在であり、
修一の今までの旅の、筋書きを仕組んだのも、また同様だ。
つまり――この世界が崩壊寸前だったのは、修一が物語を放棄したからではなく、
筋書きを円滑に進めるための、“ていのいい嘘”だったのだよ」
『物語歪曲者』は、顔から流れる黒い血を指でぬぐいながら、まるで気怠い雑談でもするような口調で続けた。
「修一は、優しいからね。
昔描いた漫画の中の“創造物”が、未完のまま放置されたせいで崩壊寸前になっている……。
――そんな話を聞かされたら、そりゃあ救おうと、躍起になってくれるだろう?」
薄く笑い、瞳を細める。
その目には、人の情を玩具にする者特有の、ぞっとするほどの甘い残酷さが浮かんでいた。
「……そういう目論見があったのさ。
君の善性も、罪悪感も、責任感も……全部が、“物語を進めるための燃料”として、とても都合がよかったのだよ」
その言葉に、俺の顔は驚愕に染まる。
(テフ=カ=ディレムでの終焉の穴の門番が、イグフェリエルで、
人為的に創られたものだと発覚した時点で……薄々、そうなのかと思っていたが……)
『物語歪曲者』は唇の端を小さく釣り上げ、楽しげに続ける。
「――あ、もしかして信じてしまっていたのかい? よく考えてみなよ、修一。
物語を見捨てたくらいで、世界が崩壊するというのならば……一体、一年間にどれだけの“創造主”が行方不明になるっていうんだい?
創造主を恨んだ被創造物たちが、君たちの世界へ叛逆したことなんて、一度でもあったかい?」
(まぁ、そう言われれば、そうなんだけどよ……)
俺は、表情を変えないまま、心の中でそう呟く。
彼女はさらに、追撃するように言葉を重ねた。
「さらに言えば、没キャラたちの世界が崩壊したのも――修一のせいなんかじゃない。
主人公が、全部やったことだよ。
……他にも色々気になることは、あるだろうけれど、全部“主人公がやった”と解釈してくれて構わない。
大事なのは、修一に一切の非なんて、ないということ」
彼女は、薄く微笑む。
その笑みは慈悲の仮面を被っているだけで、底が真っ黒に塗りつぶされている。
「だから、この世の不埒は……ぜんぶ、ぜーんぶ、主人公の責任にして、いいんだよ?」
俺の顔が、怒りとも絶望ともつかない引きつった表情に変わっていく。
そして、掠れた声が漏れた。
「……じゃあ、今まで俺は……何のために戦ってきたっていうんだよっ……!
お前の目的は、何なんだッ!」
彼女に視線を突き刺す。
その瞬間、俺の脳裏にひとつの仮説が閃いた。
「……!
そういえば、ひとつだけ引っかかっていることがあった」
俺は息を飲み、続ける。
「テフ=カ=ディレムの遺跡での、ループのことだ。
……イグフェリエルは、“絶望するまで終わらないようにしろ”と、命令を受けていたと言ってた。
そして、俺はその命令通り……絶望した」
そして、ゆっくりと、核心へと歩み寄るように言葉を落とす。
「そのあとに、俺に最も早く行動を起こしてきたのは――誰か?」
冷たい気流のように、ひとつの名が場を満たす。
「――そう、ルナテミスだ。
俺は彼女のおかげで、絶望から立ち直れた。あのとき俺は、ルナテミスのことを心から“信頼”したよ。
でもあのときのルナテミスは、あくまでお前が化けていたに過ぎない」
そして。
俺は凍りついた世界に怒涛の声を叩きつけた。
「……つまりッ――お前の目的は、俺を“信頼”させて、“理論構築”を施すことだったんじゃないのかッ!?
“信頼”させないと行使できない、それを!!」
――理論構築は、信頼された仲間でないと行使できない。
この旅そのものを通して、俺がルナテミスのことを心から信頼するように仕向け、何かをしようとしていたのではないか。
俺はそう考えたのだ。
その言葉を聞いた瞬間、目の前の存在の口元が、ゆっくりと持ち上がった。
辺りに吹く風が、ざらついた岩肌を撫で、二人の間に薄い緊張の膜を張る。
「うん、路線はいい感じじゃないかな。
でも――どうしてわざわざ『信頼』させる必要なんてあるんだい?」
『物語歪曲者』の声音はどこか愉悦を含んでいた。
続けざまに、柔らかな吐息のように言葉を重ねる。
「――主人公は既に、修一に愛されているじゃないか」
(……は?)
途端に俺の脳内に、盛大な困惑が染み込む。
思考のブレーキが焼き切れるような感覚とともに、目の前の存在への理解が霧散する。
無論、こいつの記憶なんてものは一切合切ない。
愛しているはずがないのだ。
「だから、この旅の目的はね……。
主人公と修一との“愛の確認”なんだよ。言わば――新婚旅行さ」
言葉の先端が、脳の柔らかい部分を優しく摘むように触れた瞬間。
俺の理解はまた崩れ、足元の現実が沈む。
『物語歪曲者』はひとつ息をつき、穏やかすぎる笑みを浮かべた。
「理論構築という能力を活用し、共に“終焉の穴”に立ち向かい、
数々の苦難に揉まれながらも、互いを支え合い……
そうして最終的には、黒幕である魔王ディアーナを討ち倒す。
その後は、愛を育みながら、穏やかな余生をふたりで過ごす――」
語り口はまるで、幸福そのものを編む羊飼いのようで。
それなのに、どこか狂っていた。
「――そんな筋書きを、主人公は思い描いていたんだ。
そのためだけに、この世界の被創造物たちを洗脳し、最高のお膳立てを整えていた。
……全部、修一と“愛し合う結末”のためにね」
ふ、と。
声の温度がひとつ落ちる。
「でも……」
金属がかすかに沈むような、寂しげな響きを帯びて。
「こんなんなっちゃったね……」
その一言だけは、妙に、心臓へ痛いほど静かに沁みた。
「…………仮に、そうだとして……な、なら、どうしてわざわざ、ルナテミスに化けたんだよ。
お前の行動は矛盾しているだろ……!
その今の、ありのままの姿で、俺と出逢えば良かったじゃないかッ!?」
俺の困惑を押し殺しきれぬ声が荒れ、岩壁に反響する。
瞬間、今までどこか虚ろだった、目の前の少女の表情が一瞬だけ揺れた。
――かすかなひび割れのように。
まるで、図星を突かれたように。
しかしそれはすぐ平坦な無表情へ戻り、彼女は静かに一歩踏み出した。
「修一。
主人公も、君のことを愛しているよ」
まるで会話が成り立たない。
何の脈略もない言葉を、彼女は紡ぐ。
恐らくこいつは、到底理解できる存在なんかじゃないんだ。
ただそれだけは理解できる。
次の瞬間、少女は目を閉じ、わずかに背伸びするようにして唇を突き出す。
俺の唇へ――甘い毒のように、まっすぐ迫る。
接吻だ。
そうに違いない。
「や、やめろぉぉおおお!!」
俺は咄嗟に顔をそむける。
だが、俺の身体は凍結しているため、動かない。
顔だけは自由だが、腕も脚も、胸さえも、氷に閉ざされたように沈黙する。
少女の影が覆い被さる。
そうして、唇が触れ――
――ようとした、その瞬間、凍り付いていた時が、氷解する。
頭上から、数百、数千の魔術が降り注ぐ。
ありとあらゆる属性の奔流が、空の一点から滝のように落ちてくる。
『物語歪曲者』は顔を上げ、心底うんざりしたようにため息を漏らした。
「はぁ……お前如き被創造物が、主人公と修一との恋物語に、でしゃばらないでくれるかな?」
手を軽くかざすと、空から落ちる魔術と全く同じ魔術が撃ち出され、空中で次々と相殺されていく。
爆ぜる光の音が大地を震わせ、白煙が渦巻く。
その一瞬の隙を切り裂くように、誰かの影が俺へ滑り込んだ。
冷たい腕が俺の身体を抱え上げ、『物語歪曲者』との距離を強引に引き剥がす。
俺が顔を上げた。
そこにいたのは――血を拭いながらも毅然と立つ、魔女エリザシュア。
「修一くん、彼女によって……すべてを思い出しました」
視線を『物語歪曲者』から逸らさぬまま、エリの声は低く震えていた。
「わてちしにも、イグフェリエル様と同じ“絶対服従の理論”が刻まれていたのです。
北の森の管理者である、わてちしがそうであったため、妖精たちも……影響を受けてしまっていたのです」
「彼女ってッ――?」
俺が問い返そうとしたが、次の瞬間、『物語歪曲者』の上空に巨大な雲が渦を巻いた。
裂けるように光が差し込み、その中心から聖なる槍の穂先が姿を覗かせる。
それは紛れもなく――救星神イグフェリエル=テラ=オルディアの能力。
『物語歪曲者』が軽く手を振ると、槍が雨のように放たれた。
だが――俺たちの背後からも槍が撃ち出された。
轟音を上げながら飛翔し、『物語歪曲者』の槍と衝突し合って空中で霧散する。
降り立った影が、静謐な声で言った。
「今、目の前にいる存在こそが――数万年前、此方を誑かした者に、相違なし」
遅れて現れたのは、救星神イグフェリエル。
その気配は怒りすら凍らせる神威を帯びていた。
「イグフェリエル……」
俺がか細く呟く。
胸の奥に、揺らぎと決意が同時に燃える。
俺は歯を噛み締め、よろめきながら立ち上がり、攻撃の構えを取った。
「奴こそが……本当のすべての黒幕だ。
どういう目的があって、何をしようとしているのかは分からない……。
だが――」
だが、と続けて俺は叫ぶ。
「何者であろうと構わない! ここで――奴を仕留めるぞッ!!」
俺の声が岩壁を震わせる。
応えるように、エリとイグフェリエルも前へ踏み出し、臨戦態勢を取った。
「えぇ」
「無論」
三つの意志が並び立つ。
『物語歪曲者』へと向けられた、殺意の気配が、ゆっくりと空気を灼いていった。




