第67話 降星、田島修一
星光の残滓がまだ空気に漂う中、エリザシュアとイグフェリエルは安堵の吐息を洩らし、
そのまま糸の切れた操り人形のように静かに目を閉じ、修一の足元へ崩れ落ちた。
修一は二人の無事を確認すると、視線を凶風のように鋭く細め、断罪の四骸へと向き直る。
その立ち姿ひとつで、かつてのサラリーマンとしての彼は、もうどこにもいなかった。
長い旅路と幾度の死線が、修一の肉体に確かな変化を刻んでいる。
以前は線の細かった腕には、剣を握り続けたことで硬い筋が浮かび、肩幅は自然と広がり、腰には芯の通った重心が宿っていた。
そして――顔つきも変わっていた。
影を宿した眼光は、かつての弱々しさを完全に脱ぎ捨てている。
迷いの代わりに、凛とした意志の煌めきがあった。
僅かに締まった頬のラインが、男としての輪郭をより鮮明にし、戦場に立つ者特有の覚悟の影を纏わせている。
ザルギエスが、場違いなほどに、軽い拍手を響かせた。
「ぱちぱちぱち……いやぁ、さっすが修一先輩っ!
仲間の窮地に駆け付けて、ギリギリで助けるとか……かっこよすぎるっすよ!
まさしく、『勇者』みたいじゃないっすか!」
修一は汗に濡れた顎をぐっと引き、低く喉を震わせるような声で言った。
「……世辞はよせ、ザルギエス」
しかしザルギエスはわざとらしく首をかしげ、四本の腕を大げさに広げた。
「……でもあれ~? 不思議っすねぇ。
地獄の扉の通行料、どうやって支払ったんすか?
修一先輩、別に特別かっこよくないですし、短期間じゃ絶対ムリだと思うんすけど~?」
挑発混じりの笑み。
修一は鼻で笑い、鋭い目を向ける。
「……っふ、よく言うぜ。
俺があの扉の前に立った瞬間、まるで意思を持ったみたいに勝手に開いたぞ。
あれは――お前らが、わざわざ俺を招き入れたからじゃないのか?」
一瞬、ザルギエスの笑顔が固まる。
だがすぐに肩を震わせ、腹を抱えて笑いだした。
「あっはは……バレちゃいましたかー!
そりゃねぇ、主役のいない歌劇なんて、何の味もしないでしょうから、特別に開けてあげたわけっす!!」
軽薄に見えて、その眼の奥に確かな黒があった。
そして痺れをきらすようにして、修一が声を震わせる。
「しょうもねぇことで、くっちゃべってねぇで……さっさと“始めようぜ”」
その一言を合図に、断罪の四骸が一斉に動き出す。
ザルギエスは、威力を増し続ける拳を叩き込み、ネクロフィリアは死の因果を帯びた鎌で修一の影すら切り裂く。
ヴァルティーアは太腿のガーターベルトから刃物を抜き放ち、死霊『ぷらねーたくん』とともに四方八方から襲撃。
そしてルシモディアは前衛に立ち、甘い笑い声を散らしながら、致命的な攻撃を快感へと変換して“盾”となる。
修一は一度も、有効打を与えられていない。
だが、傷は確実に積み重なっていく。
肩。
脇腹。
太腿。
刃に触れなくとも、ネクロフィリアの死因が皮膚の色を変えていき、
ヴァルティーアの死霊が撫でただけで血管が黒く滲み、
ザルギエスの拳がかすめれば骨が軋んで音を上げる。
ザルギエスが勝ち誇ったように歯を見せた。
「修一先輩、多少は鍛錬を、積んできたみたいっすけど……。
ボクちゃんら、断罪の四骸の猛攻を前にしては、流石に手も足も出ないみたいっすねぇ?」
修一は荒い息を整え、剣と同化した右腕を、構える。
そして、ザルギエスへ走り込む。
だが鎌の弧が割り込み、ネクロフィリアが進路を断つ。
鎌が火花を散らし、修一の剣を逸らす。
その隙を縫うように、ぷらねーたくんの無機質な腕が迫る。
重い。
耐えきれず、修一の身体が吹き飛んだ。
だが、彼は空中で右腕を地面に刺し、見事な着地で衝撃を殺した。
その足元、影が裂ける。
「――みっけぇ♡」
甘く湿った声。
地面から這い出たルシモディアが、子どもの無邪気さと狂気の混ざる笑顔で、攻撃をしかける。
「初めまして! ……でいいよねぇ?
あーみゅは断罪の四骸、ルシモディアだゾぉ、創造主ちゃん!」
修一は返答することなく、そのまま横薙ぎの一閃を叩き込んだ。
刃が確かに肉を裂く感触を返した――が。
「あっひひひひっ!!
創造主ちゃんに、気持ちよくさせられちゃったんですけドぉ!!」
快楽に震え、頬を染め、恍惚に浸るルシモディアの姿。
そして続けざまに彼女は、服をはためかせる。
そこにあったのは、身体に大量に巻き付けられた、ダイナマイトであった。
修一はその瞬間、鼻腔の奥を刺す焦げた火薬の気配に気づき――反射で一歩、地を蹴る。
次の瞬間、世界が白く弾けた。
轟ッッ!!
耳を抉る爆音。
熱風が皮膚を斬りつけ、砂と金属片が嵐のように叩きつけてくる。
衝撃波に押し戻され、修一の体は後方へ弾かれた。
「ぐ……っ!」
左腕に、無数の紫色の痣がみるみる浮き上がる。
皮膚の下で血管が破れ、熱を帯びた痛みが脈打った。
ほんの一瞬遅れて、鉄の匂いが風にのって鼻を刺す。
爆心地は、まるで地面そのものが抉れたように黒焦げになっていた。
そこにいるはずの“少女”は――
「あひぃ……♡ ひ、ひひひひっ……♡」
――変わらず、無傷だった。
焦げ跡の中心で、ルシモディアは膝を抱え、身体をくねらせて震えていた。
頬は真っ赤に染まり、呼吸は甘く湿り、目尻はとろけ落ちそうなほど緩んでいる。
「そ、創造主ちゃぁん……み、見てたぁ……?
あーみゅ、いま……自分でドカンってやったのぉ……♡
すっごく、すっごく、気持ちよかったんだゾぉ……♡」
爆発で吹き飛んだ破片すら、彼女の肌にひとつの傷も刻まない。
ただただ、快感へと変換され、脊髄を駆け上がる電流のように彼女を満たすだけ。
――自爆すら、彼女にとっては自慰行為に他ならない。
修一は舌打ちし、じりと後退しながら刀身を構え直す。
痛む腕を押さえつつも、目だけは逸らさない。
だが、目の前の少女は嬉しそうに両腕を広げ、誘うように囁いた。
「さぁ……♡
ねぇ、次はどんな“快感”をくれるの……創造主ちゃん……?」
修一は額を押さえ、乾いた笑みを漏らす。
「……へぇ。
俺が描いたとおりに、ちゃんと変態だったようで安心したよ、ルシモディア」
剣先を向け、低く宣告する。
「そんなに快感が欲しいなら――イカせてやるよ。
後悔すんじゃねぇぞ? 俺以外じゃ、イケねぇ身体になってもなッ!」
鋭い踏み込み、渾身の斬撃。
だがそれすらも、ルシモディアの微笑をより甘く歪ませるだけだった。
後方では他の三骸も追いつき、攻撃が絶え間なく降り注ぐ。
修一は避け、受け、紙一重でいなし続けるが――傷は確実に蓄積していく。
断罪の四骸の目に、勝利が見え始めていた。
――このままいけば、ゆっくり、確実に死ぬ。
その確信が四骸の胸に宿った瞬間。
「……そろそろ、だな」
修一がぽつりと呟いた。
同時に、地面に伏していたルシモディアの身体が、ひく、と痙攣する。
「ぁ……あ、っ……♡ ひ……ッ、ひひ……ッ♡♡」
快楽に溺れ続けたまま、しかし――なぜか、一向に立ち上がらない。
ザルギエスが眉をひそめた。
「え……なんっすか、これ。
ルシモディア先輩、いつまで悶えて……?」
修一がゆっくり、ゆっくりと首を傾け、四骸を見渡す。
その目は嘲りにも似た静かな光を宿していた。
「……お前ら、なんか勘違いしてないか?」
四骸が一斉に目を向ける。
修一は剣を肩に担ぎ、続けた。
「たしかにお前ら断罪の四骸は、この世界じゃ指折りの化け物だ。
強いよ。そりゃ認める」
だが。
剣先が、ぴたりと四骸へ向く。
「――でもな。
お前らを作ったのは、創造主……つまり“俺”だ」
ニヤリ、と片口角を上げる。
「弱点なんて知り尽くしてるに決まってんだろ」
断罪の四骸が揃って、戦慄した。
ザルギエスは戦場に意識を戻し、修一へ問いかけた。
「なら、聞きますけど……どうやってルシモディア先輩を倒したんすか??」
修一は刃を受け流しながら、呼吸すら乱さず答える。
「毒だよ。
この右腕の刃に、知り合いのスライムの粘液を仕込んだんだ」
ザルギエスの顔に、わずかな驚愕の影が走る。
修一は淡々と言葉を重ねた。
「っていっても、ルシモディア以外の断罪の四骸には、効かないから安心しろ。
あいつは能力こそ大層だが、身体そのものは人間と同レベルだ。
だから、状態異常なんてのは通りやすい。
そこに――増殖し続けるスライムの粘液を与えることで……あと小一時間は、悶絶フィーバーってわけだ」
修一は首だけ後ろへ返し、倒れたルシモディアを一瞥する。
「一生イってろ、敏感野郎が」
薄い笑みが口端に浮かぶ。




