第57話 枕営業と欲オークション
リムジンの車内に、沈黙が流れていた。
エリザシュアは背筋をぴんと伸ばし、両手を膝の上で重ねていた。
――特別なお仕事、だなんて。
わてちしに、そんなこと……できるのでしょうか。
窓の外では、紫の街灯が流れ、小雨が降る中、夜の帳を切り裂いていく。
やがて車は速度を落とし、高層ホテルの前に静かに停車した。
「では、おいどんについてきてやァ」
運転席から降りたゴルドポクがそう言い、エリザシュアは小さく頷くと、リムジンを後にした。
エントランスを抜け、豪奢な廊下を進む。
エリザシュアは緊張で手を握りしめながら、その背を追った。
部屋に入ると、夜景が一面に広がるスイートルーム。
光の海に見惚れていると、ゴルドポクが言う。
「ほんじゃあ、お嬢ちゃんが先にシャワー浴びてきてええで」
「え……シャワー、ですか? 特別なお仕事のお誘いの話は一体どこへ……」
男は呆れ顔で鼻を鳴らした。
「あぁ? まだ気づいとらんかったんか? これは“枕営業”や」
「……ま、まくらえいぎょう???」
「せや。おいどんとえっちなサービスしてくれたら、コネで稼がせてやるっちゅう話や」
エリザシュアの頬が赤く染まり、怒りが込み上げた。
「……な、なんですって!!!
やっぱり帰らせていただきますっ!」
荷物を掴んで立ち上がるが、ゴルドポクがベッドに押し倒す。
「おっと、それはあかんでお嬢ちゃん。
このホテルに入った時点で同意や。今夜は寝かせへん。
――あぁそれ! 枕っ、枕っ、枕音頭やぁ!」
狂った踊りと声が響く中、エリザシュアは冷たい目で睨んだ。
「金が欲しいんやろ? おいどんなら、いくらでも恵んでやる」
それでも、小太りの彼は誘惑してくる。
一瞬、心が揺れた。
――救わねばならない人々。終焉の穴で苦しむ者たち。
そのためには、資金が必要。力が必要。
ゴルドポクの手が伸び、エリザシュアの聖域を犯そうとする。
だが次の瞬間、迷いは消えた。
――バカチォォオオンッ!
拳が閃き、ゴルドポクの顔面が粉砕音と共に歪む。
「お前ぇみたいな、変態びちぐそデブだるまには、その顔がお似合いだっつーの」
髪を払って、吐き捨てるように言う。
「わてちしに気軽に触れていいのは、この世でオサムくんと修一くんだけなんだよッ!
お判りいただけましたかねッ!??? こんちきしょー!!」
だが、驚くべきことに。
ゴルドポクの身体がぐずぐずと溶け、粘液となって床を流れ落ちた。
その直後、浴室の方から高いヒールの音――コツ、コツ、と響く。
扉が開かれ、そこから現れたのは、異様な雰囲気を醸し出す女性だった。
背の高い豊満な女。
露出の多い衣装、もはや意味を為さないほどに短いスカート、身体はツギハギだらけの青い肌。
片目には黒い眼帯、髪は黄、紫、水、白――いくつもの色と形が混ざり合っている。
「あっひひひひ! やっぱり、あーみゅの見込んだ通り、ちみは面白い女性だねぇ!」
エリザシュアは息を整え、言う。
「……どこか作り物めいた感じがしておりましたが。
やはりこのゴルドポクは、魔術で造られた贋作でしたか」
女は楽しげに舌を出した。
「うんうん! あーみゅの体液で作った偽物なんだゾ!
本物のゴルドポクくんはね、品行方正で勤勉で、ちょっと堅物なだけの男の子なんだよ。
だから、誤解しないであげてねー?」
エリザシュアの目が細く光る。
「……貴方は、何者ですか?」
女はくるりと回り、手を広げた。
「自己紹介が遅れましたんだゾ! あーみゅは第一冥府の支配者……
そして断罪の四骸――ルシモディア=フォーリンメイソンでーす☆」
その軽薄な仕草に、エリザシュアの瞳が鋭く光る。
魔力が唸り、床が変形を始め――次の瞬間、ホテル全体が悲鳴を上げた。
吹き抜ける衝撃で窓ガラスが砕け、ルシモディアの身体が空へと投げ出される。
「……ちょっ!? いきなり攻撃とか、ずるくなーいっ!?」
エリザシュアは窓から飛び降り、落下しながら呪文を唱える。
「――|時空凍結症候《クロノ・フリーズ=シンドローム》」
世界が凍りついた。
雨粒さえも空中で止まり、彼女の周囲だけが静寂に包まれる。
エリザシュアはその凍った時間の中で、全魔力を一点に集中させた――。
しかし、次の瞬間。
どういう訳か、凍り付いた時が氷解した。
そして、声がした。
「……あひゃ! うびびびびびびびびぃッ!!
時の凍結の快感って、こんなにも気持ちいだなんんて!? あーみゅ、生まれてきてよかったぁぁぁっ!!」
恍惚とした表情を浮かべている、ルシモディアであった。
エリザシュアは目を見開く。
そして修一から伝えられた、ルシモディアの詳細を思い出す。
(――|快絶領域《エクスタシア=ユーフォリア》。
……如何なる痛みも、絶望も、この女にとっては“快感”になる、でしたね。
まさか、時の凍結でさえも、彼女の養分となるとは……)
そして、笑みを浮かべながらルシモディアが、指を鳴らす。
空間が歪み、落下していた空が業火に満ちた地獄へ変わる。
エリザシュアは幻覚かと思い、周囲に注意を張り巡らせるが、ルシモディアはそれを否定するように言う。
「安心してね、これは幻覚の類なんかじゃないよ。
……っていうかこれが本当の第一冥府の姿」
エリザシュアは納得した素振りを見せ口にする。
「……修一くんから聞き及んでいます。魔族は、人間の後悔の成れの果てだと。
そして、魔界に存在する三つの冥府は、それぞれ断罪の四骸の、遺恨を解消するために作られたものだと」
燃える大地を背に、ルシモディアは空を見上げて微笑んだ。
「そゆこと。あーみゅが取り繕わなきゃ、地獄に戻っちゃうってわけ」
そして、ふと寂しげに呟く。
「……あーみゅの前世はね、ほんっとうにつまらなかったんだよ」
◇
あーみゅは生まれながらに病を患い、ずっと同じ部屋で生きてきた。
いつの日かは忘れたけど、それに耐えきれず、服を着替え、外へ飛び出した。
陽射しが嬉しくて、風がくすぐったくて――はしゃぎすぎた。
その末に事故に遭い、ひとりの人に救われた。
けれど、代わりにその人が命を落とした。
あーみゅは決めた。
その人の分まで、楽しんで生きようと。
だが病は容赦せず、あーみゅは幼いまま息を引き取った。
◇
ルシモディアは笑う。
「――ねぇ、どう? つまらない人生だったでしょ?
だからあーみゅはね、せっかく創造主ちゃんに頂いた第二の人生、思いっきり楽しむの! だからさぁ……」
その瞳が艶やかに光る。
「――ゲームをしようよ、エリザシュアちゃん」
「……ゲーム?」
困惑を隠しきれない魔女に、ルシモディアは唇を吊り上げる。
「そう。
勝てばこの地の支配者として、第二冥府への扉を開けてあげる」
しかしエリザシュアは警戒し、答えない。
ルシモディアがぽん、と手を叩くと、地面が裂け――磔にされたイグフェリエル、グラウス、シャーリアが浮かび上がる。
「みなさんっ……!」
叫ぶ魔女に、ルシモディアはくすりと笑う。
「まぁと言っても、その首輪がついてる限り、拒否権なんてないけどネ!」
そして咄嗟にエリザシュアは、自身の首輪を触る。
(そうでした……忘れてしまっていましたね。
この首輪により、わてちしたちは魔族に抗うことはできない、奴隷の身なのです)
エリザシュアは一瞬目を伏せ、覚悟を決めた。
「……えぇ、分かりました。その“ゲーム”とやらに参加いたしましょう」
ルシモディアは歓喜の声を上げる。
「うーん! サイコー! じゃあゲームの詳細を説明してあげるネ。
――題して、《欲オークション》!」
黒い地面からテーブルや椅子、液晶モニターがせり上がる。
「ルールは簡単。
エリザシュアちゃんとあーみゅに、ゲーム開始時、両者に“欲ポイント”を10ずつ与えれ、液晶にランダムで映し出される“リスク”を競り落としていくの。
ちなみに、全部で五回戦だゼ?」
実演とばかりに、液晶が光を放つ。
《リスク:視覚》
「今回の例で言えば、もし競り落とすことができれば、相手に『視覚』を失わせることができるノ。
最も重いリスクは『思考』――ただし完全にランダムだから、五回戦のうちに出ないこともある。
だから、いつ、どれだけ『欲』ポイントを賭けるかが重要ってわけだネ。
他のリスクのラインナップは、お楽しみってことで」
そしてルシモディアは指を一つ立てた。
「もうひとつ。
五回のうち一度だけ使える『強欲の罪』という特権があるの。
相手が《5ポイント以上》賭けたときに使えば、無条件でそのリスクを押しつけられる。
でも《4ポイント以下》のときに使うと、逆に自分が喰らう。
――つまり、このゲームは“欲”と“抑制”の駆け引きなのだヨ」
エリザシュアは『欲オークション』のルールを理解しつつも、ひとつ気になった。
「……では、このゲームにおける勝利条件とは、何なのですか?」
ルシモディアは愉快そうに指を鳴らした。
「いい、着眼点だね!
でもね、このゲームに“勝利条件”なんてないんだ。あるのは“終了条件”だけ。
――つまり、五回戦を終えること。このゲームは、あくまで前座なんだゼ」
「……前座?」
エリザシュアの問いに、あーみゅは唇を歪める。
「そう! この前座によってリスクを負った状態で、あーみゅとちみが、殺し合いをするのが本番!
『思考』なんて失ったら、その時点でほぼ敗北確定ってわけ!」
エリザシュアはわずかに怯えながらも、視線を逸らさず言った。
「――いいでしょう。さっさと、始めましょう」
「うんうん! オッケーだよ!」
二人は席に着き、液晶が光を放つ。
――第一回戦目。
《リスク:聴覚》
エリザシュアは即座に思考する。
(最初から“欲”を使いすぎれば、後に重いリスクが出たとき詰んでしまう。
ですが“聴覚”を失えば、風や水の音が……世界の音が遮断され、魔術の精度に支障をきたす――)
結果、彼女は『欲』を2ポイントだけ賭けた。
液晶に数字が浮かぶ。
エリザシュア:2 ルシモディア:1
「あちゃー、やっぱ魔女のエリザシュアちゃんにとっては聴覚は大事か~」
ルシモディアは笑いながら言う。
『――リスク、執行』
重苦しい機械音が鳴る。
これで恐らく、ルシモディアに聴覚のリスクを負わせられたはずだ。
だが、特段彼女に変わった様子は、見られない。
それもそのはず。
聴覚がなくなったことを、視覚的に確認する方法はないのだ。
そのエリザシュアの思考に、答えるようにしてルシモディアが言う。
「一応言っとくけど、今のであーみゅ、本当に聴覚なくなってるからね? 試しに耳元で叫んでみる?」
「いえ、結構です。
貴方は快感にしか目がない、変態マゾ女性だと修一くんから聞いております。
そんな方が、インチキなどして勝ったところで、快感を覚えるはずがありません」
「……って、ちょっとー!
聞こえてないけど、なんか意地悪なこと言われた気がするゾー!」
ルシモディアが手をばたつかせて暴れる。
そして気を取り直し、第二回戦。
液晶に映る文字――
――第二回戦目。
《リスク:ランダム》
「わーお! ここでランダムが来るか!」
ルシモディアが嬉々として言う。
「ランダムってのはね、『視覚』『聴覚』とかみたいな、リスクの中からランダムで一つだけ負うって感じだネ。
ただし、『思考』は含まれないから安心していいゾ!」
エリザシュアは黙して考えた。
他にどんなリスクが、潜んでいるかは分からない。
だが『思考』に近い、致命的なものはないはず。
『聴覚』クラスのリスクが当たる確率も低い。
――ならばここは、あえて何も賭けないことに賭けてみる。
両者の賭けたポイントが液晶に浮かび上がる。
エリザシュア:0 ルシモディア:2。
「うぉおお!? エリザシュアちゃん、賭けに出たね~!」
ルシモディアは派手に立ち上がり、目を輝かせた。
「でも、それが吉と出るか凶と出るか……! さぁ、どんなリスクを負っちゃうのかなぁぁあ!!」
その声と同時に、空間が低く唸りを上げた。まるで見えない天災が迫るように。
『――リスク、執行』
エリザシュアの瞼がゆっくりと閉じていく。
「……視界、だったようですね。失われたのは」
彼女は淡々と告げ、耳の聞こえぬルシモディアへ手振りで伝えた。
「ちぇー、視界かー。つまんないなぁ。もっと過酷なリスクもあったのになー」
頬を膨らませるルシモディア。
だがエリザシュアは何も返さず、静かに息を整えた。
――第三回戦目。
《リスク:右腕》
視えぬ闇の中、エリザシュアは動揺しているような素振りを見せる。
「あぁ、そうだったねぇ。
今のエリザシュアちゃん、目が見えないんだったねぇ」
ルシモディアは唇を吊り上げる。
「特別に教えてあげる。リスクは――“右腕”だよ」
「……はい、そうですね」
噛み合わぬ返答。
会話がどこかずれている。
ルシモディアの口角が、何かに気づいたようにさらに上がった。
液晶が再び輝く。
エリザシュア:強欲の罪 ルシモディア:1。
『――リスク、執行』
瞬間、エリザシュアの右腕がだらりと垂れ下がった。
命を抜かれたように力が抜け、指先が震える。
「あちゃあ~。さては、エリザシュアちゃん、あーみゅのこと信じなかったね~?」
ルシモディアが笑う。
「せっかく本当のことを教えてあげたのにー」
エリザシュアは無言で左手を動かし、右腕の感触を確かめた。
その指先には冷たい現実だけが残っている。
――第四回戦目。
《リスク:思考》
ルシモディアはわざとらしく息を呑んでから、にたりと笑った。
「今度のリスクは『痛覚』だよ、エリザシュアちゃ~ん!」
明らかな嘘。
しかし、エリザシュアは沈黙を守る。
その無言が、逆に何かを悟らせる。
ルシモディアの内心に、黒いさざ波が広がった。
(……ふふっ。やっぱり、エリザシュアちゃん。
――本当は“見えてる”んじゃないの?)
ルシモディアが、そう思う根拠は明白だった。
――先ほどの返答。
あれは明らかに、不自然だった。
先程の《リスク:ランダム》によって、『視界』ではなく、本当は『聴覚』を喪っているかのように。
そして今の沈黙――ボロを出さないための演技だろう。
きっと彼女は、喪っていない目で確認することで、知っているのだ。
今のリスクが『思考』であることを。
三回戦目で“強欲の罪”を使い、視覚を欠如したふりをして――あーみゅを欺いたつもりでいる。
でも、残念。
その浅い計算、もう気づいちゃってるんです。
(だからさぁ、エリザシュアちゃん。どうせこの『思考』の賭けには――全力で出るんでしょ?)
ルシモディアは、鬼のように口角を吊り上げる。
(つまりは、五以上の“欲”を出しちゃうんじゃないのぉぉおおお? 強欲ちゃぁんっ!)
ルシモディアは、そう心の中で叫び、“強欲の罪”を発動。
勝ち誇った笑みを押し殺しながら、相手の反応を待つ。
――そして液晶が告げる。
エリザシュア:4 ルシモディア:強欲の罪




