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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第4章 魔界『ヘルヴァナ=アスタロディア』

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第55話 キャバクラ《ナイト・サンクチュアリ》

 夜の街にある居酒屋にて、特定の行動をすることで辿り着ける扉の前に、ふたりの魔族がいた。

 

 紫の灯りが滲むプレートには、流麗な文字で《ナイト・サンクチュアリ》と刻まれている。


「ここはな、新人君――美女がとんでもなく多いんだよ!」

 

 会社帰りのスーツ姿。

 既に酔っぱらっている小太りの課長が、豪快に笑いながら新人の肩をどん、と叩いた。

「今日は特別に、新人君を連れてきてやったわけ! 感謝しろよ、がっはっは!」


 新人君と呼ばれる角の生えた魔族は、乾いた笑みで頷いた。

 心の内では、『はやく帰りたい』とそればかりを反芻していた。

 

 浮ついた場は、苦手だ。

 大声と笑い声と、酒の匂いが渦巻く空気の中で、彼はどうしても呼吸が浅くなるのだ。


 扉が開く。


 ――がららん。


 音とともに、そこには別世界が広がっていた。

 琥珀色の照明、かすかに甘い香水の匂い。

 

 グラスがぶつかり、低く笑う声が揺れる。

 高貴な静けさを装いながらも、どこか妖しく蠢く“夜”そのものがそこにあった。


「……これは……」

 新人君は、思わず息を呑む。嫌悪ではない。

 目の奥が灼かれるような、未知への陶酔。


「いらっしゃいませ――《ナイト・サンクチュアリ》へ。どの嬢をご指名でしょうか?」

 ボーイが丁寧に頭を下げる。

 

 課長はすぐに鼻を鳴らし、

「よーし、じゃあこの前の――あのパツキンでボインの子を指名で!」

 と指名しようとする。


 だが、その時。


「――本当にそれでよいのか?」


 澄んだ声が天井から降るように響いた。

 振り返ると、そこに“白い翼”を背に生やした女が立っていた。

 

 光を反射する肌。

 目は月光のように淡く輝き、微笑は人の理性を融かすほど美しかった。


此方(こなた)を堪能できぬまま、命朽ち果てるなど、末代までの恥に他ならんぞ」

 その声は夢と現の境を破壊する。課長の目がとろりと融けていく。


「さぁ――此方(こなた)を。

 イグフェリエル=テラ=オルディアを、指名するのだ」


 唇が耳元に触れた瞬間、課長は声を上げた。

「い、イグフェリエルちゃんを指名しまーす!」

 その言葉に、翼の女性は妖艶に微笑む。


「た、楽しむんだぞー……!」

 気の抜けた声を残して、課長は翼の女に導かれ、奥の座席へ消えていく。


 新人君は背中に冷たい汗を感じた。

 (やばい……ここに居続けると、理性が戻らなくなる気がする)

 

 胸の奥で何かが警鐘を鳴らす。

 ここにいたら、戻れなくなる。


 彼はそっと踵を返そうとした――


「……貴方も、選んでくださらないんですか? 新人君とやらさん」


 耳元で囁くような声。

 振り返ると、紅の髪をした女が立っていた。


 透けるような白肌。

 瞳は宝石のように澄み、どこか儚げで――だが、微笑はあまりにも人を惹きつけた。


「どうしてもお金が必要なんです」

 震える声で、女は続ける。

 

「だからどうか……わてちしを――エリザシュア・ルミナを、指名してください」


 その言葉に、胸がきゅっと締め付けられた。

 あまりにも真っ直ぐな瞳に、理性が息を潜める。


「……わ、わかりました! エリザシュアさんを、お願いします」


 そう言った瞬間、彼女は花が開くように微笑んだ。


 ◇


 ――かんっ!

 

 乾杯のグラスが触れ合う。

 琥珀の液体が揺れ、二人の視線が交わる。


「新人君は、どのようなお仕事を?」

「えぇ……営業です。まぁ、ほぼ雑用ですけど」


 エリザシュアは静かに頷き、時折「そうなんですか」と優しく相槌を打つ。

 その一挙一動が、なぜか胸の奥に温かいものを残していく。


 酒が少し回り始めた頃。

 抑えていた言葉が、ふとこぼれた。


「……うちの上司が、ほんとムカつくんです。

 自分は飲み会でイキってばかりで、部下に仕事押しつけて……何が『これも、新人の仕事のうちさ』だよ、クソが……!」


 気づけば、グラスをテーブルに――ドン、と叩きつけていた。


 店の空気が、止まる。

 他の客がちらりとこちらを見る。

 嬢たちも、微妙に引いた表情。


 ――やってしまった。

 昔からこうだ。つい調子に乗って周囲の反感を買ってしまう性分なんだ。

 帰りたい。今すぐ消えたい。


 そんなことを小さく心の中で呟きながら、新人君の顔は、みるみる青ざめていく。


 だが、エリザシュアは違った。

 彼女は静かに手を伸ばし、彼の指先に触れた。


「……そうなんですか。今まで、大変苦労なされてきたのですね」

 声が震えていた。


 だが、それは演技ではなかった。

 彼女の瞳に、確かに涙が光っていた。


「でも、もう大丈夫です。――わてちしがいますから」


 その一言に、新人君の胸の奥が燃えるように熱くなった。

 笑うでもなく、泣くでもなく。

 ただ、確信した。


 ――あぁ、エリザシュアさんのことが、好きだ。


 「――エリザシュアさん、お金が必要って……言ってましたよね?」


 新人君の声は、静かな店内にふっと落ちた。

 エリザシュアは一瞬、視線を伏せ、ゆるく頷く。

「……えぇ」


 その返事を聞いた瞬間、彼の表情がぐっと変わった。

 酒の勢いも混じっていたが、それだけではない。

 胸の奥で、何かが熱く燃え上がった。


「よし――おい! この店でいっっちばん高いもの、持ってこーい!!!」


 立ち上がり、テーブルに片足をかけ、叫んだ。

 店の音楽が一瞬止む。嬢たちも、客たちも振り返る。

 ざわ、と空気が揺れた。


「し、新人君っ!? そんな……!」

 エリザシュアは慌てて手を振る。

「そこまでしていただなくとも――!」


 だが新人君は真っすぐに、彼女を見た。

「いいえ、そこまでします! エリザシュアさんのためなら……なんだってします!!」


 その瞬間、ボーイたちが動き出し、煌びやかな音楽が流れ始める。

 色とりどりのグラスが積み上がり、眩い光の中にシャンパンが流れ込む。

 金と泡がきらめき、歓声が上がった。


 ――シャンパンタワー。

 店は一気にお祭りムードに包まれた。


「きゃあぁっ、すごいですわね!」

「いいぞー! もっと飲めー!」


 店内にいる人たちが、一丸となって盛り上げる。

 

 エリザシュアも思わず手を叩き、満面の笑みを浮かべた。

 けれど、その心の奥では別の想いが渦巻いていた。


 (あぁ……ごめんなさいね、新人君。

 酔いが覚める頃には、わてちしなんかにこれほど貢いだことを後悔するでしょうが……これも、世界を救うためなのです。

 大目に見てください、ね……)


 そして彼女は、ふと我に返り、自分の格好を眺めながら、頬を赤らめた。

 

 胸元の開いたドレス、きらびやかなアクセサリー。

 (こんな恰好をしていると知ったら――オサムくんは、どんな顔をするのでしょうか……。

 すべてを投げ捨てて、バックレましょうかね……)


 自身の想い人の顔を想像しては、息を小さく吐き、頭を振る。

 

 (だめだめ、弱気は禁物です。

 わてちしは……可愛い! わてちしは可愛い!)

 

 胸の内で唱えるたび、彼女の表情がほんの少しだけ強くなった。


 (ここに来る客は大企業勤めの連中が大半。ならば――)

 唇を結び、瞳に決意を宿す。

 (思いっきり誘惑して、もっともっとぶんどってやらなきゃですね!)


 そうしてエリザシュアは視線を巡らせる。

 仲間たちも、それぞれの「役目」を果たしていた。


 ――シャーリアは、陽気に笑いながら隣の客の頭に猫耳カチューシャを載せていた。

「ほらほら、似合ってるにゃろすー! にゃはは!」

 客のほうも「まいったな、こりゃ!」と腹を抱えて笑っている。


 ――グラウスの見た目は完全に男性で、ドレスは筋肉でパツンパツンだが、意外にもからかわれながら楽しませている。

「グラウスちゃんの身体逞しくって、なんか目覚めちゃいそう~」

「……ぐ、愚拙をからかうなッ!」


 ――イグフェリエルは新人君の上司の隣で、微笑を浮かべながらグラスを傾けている。

「疲労が溜まっておるな。働きすぎは毒だぞ。

 今宵、此方が、その毒を一滴たりとも逃さず、搾り取ってやろう」

「……いやぁ~、じゃあ、いっぱい搾らせてあげるからねぇ」

 

 だが――次の瞬間。


 上司の顔が赤く染まり、イグフェリエルの肩に手を回した。

「なぁ、イグフェリエルちゃん、好きだよぉ……キス、してもいいかい?」

 冗談めかした声だったが、目は完全に酔っていた。


 イグフェリエルは笑みを崩さず、軽く身をかわす。

「冗談が過ぎるぞ」

 

 それでも上司は引かない。

 今度は彼女の手を掴み、ぐっと顔を寄せ――


 その瞬間、イグフェリエルの瞳がわずかに震えた。

 白い翼が小さく縮こまる。


 掠れる声。

 救星神ではなく、少女のような悲鳴が漏れる。

 記憶の底から、かつての凌辱の恐怖が蘇る。


 唇が触れそうになった、その時――


 「お客様」


 澄んだ声が空気を断ち切った。

 エリザシュアが酔っぱらい上司の手首を、きつく掴んでいた。

 その瞳は、夜の灯よりも鋭い光を宿している。


「当店では――そのような行為は禁止されています」


 凛とした声が、店の喧騒を一瞬で凍らせた。

 新人君の上司をゴミを見るような目で見下すエリザシュア。

 

 「あぁ? なんだァ、その目は? お仕置きが必要だな??」

 だが逆上した上司は近づき、破廉恥な行為をしようとする。


 ――ペチィィンッ!


 鈍いながらも、店内を響かせ木霊するような、音が鳴り響く。


 エリザシュアは懐から鞭を取り出し、尻を叩いたのだ。

「言葉じゃ分かんねぇようだから、痛みで教えてやるよぉ! お客様ァァ!?」


 ――ペチィィンッ! ペチィィィィンッ!! ペチィィンッ!!!


 何度も鞭を振るう中、イグフェリエルが少し怯えながら近づく。

「……エ、エリザシュア、ありがとう……だが、やりすぎだ……」


「……おらおらァ!! 生まれたきたことを後悔しやがっ…………あ」

 

 正気に戻ったエリザシュアは、少し照れ笑いを浮かべつつ鞭を止めた。

「……あはは、申し訳ございません。少しおいたがすぎましたね、おほほ……!」


 しかし上司は快感に打ちひしがれ、悶えながら叫ぶ。

「……何という快感なのだっ! もっと叩いてくださいっお嬢様……!!」


 周囲の客も驚きの声を上げる。

「……そんなにいいのか、あれっ!?」


 その光景を見た新人君は声を上げる。

「エリザシュアさん、自分のことも叩いてくれませんか!」


 やがて、周囲の客やボーイ、嬢たちも尻叩きを要求しはじめる。

 エリザシュアは心の中でつぶやく。

(これは、商売のチャンスなのでは!)


 そして大声で宣言する。

「ひとり5000エクスタシー! 叩かれてぇやつから、ケツ出しやがれぇッ!!」


 店内は大盛り上がり。

 お金が飛び交い、イグフェリエルやシャーリア、グラウスがキャッチする。

 エリザシュアは鞭で叩き、叩かれた者たちは歓喜と快感に包まれる。


 :

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 少し時間が経ち、盛況も落ち着きはじめた頃、後ろから手を叩きながら歩いて来る男がいた。

 背丈が大きく肥満なオーク族で、服は紳士的に整えられ、高級そうな指輪や装飾を身につけている。


「はっははは……実に面白い女性だ。

 この冥府に、まだこんな逸材がいらっしゃったとは」


 周囲の客はひそひそとささやく。

「あの人、第一冥府の裏の支配者、ゴルドポクだぜ……!」

「どうして、こんなところに……!?」


 ゴルドポクは、作り物のように笑みを浮かべながら言う。

「おいどんは、ゴルドポクと申します。

 どうやら、こちらで拝見するに、金を欲しているようやな、お嬢ちゃん。

 

 ――さぁ、どうでしょう。

 おいどんが、お嬢ちゃんに。特別なお仕事を、紹介させていただきましょうか」

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