第53話 魔王城玉座の間にて
「――おや……これはこれは。創造様、そしてその随伴者たちよ。
よくぞ、此の終焉の座へお越しくださった――」
その魔王ディアーナの言葉が、玉座の間を揺らした。
その中で、俺たちはただ一歩も引かず、魔王を睨み返していた。
緊張の中、えらく軽快な声が響く。
「おやおや~、おーい! 創造主様!
一日ぶりっすね~! 元気してましたかっ!?」
褐色肌の多腕――ザルギエスが、無邪気に手を振っていた。
この異様な場に、ひとりだけ空気を読まぬ笑顔。
すぐに、骨の指がその頭をはたく音がした。
「これっ! ザルギエス! 状況を考えるのだ、状況をッ!」
叱責したのは、白骨の体を持つ死神、ネクロフィリア=シャリンハイム。
「今は、吾輩たちが喋ってよい時間ではなかろう!」
「えー……」
と不満をこぼすザルギエスをよそに、蒼髪の少女――ヴァルティーアが口を開いた。
「そういえば、ルシモディアは来ていらっしゃらないんですね」
「あぁ、奴には、かような集まりに来る知能を持ち合わせておらん。
今頃もきっと、遊び呆けていることだろう」
ネクロフィリアのその返答に、ザルギエスが噛みつく。
「ちょ、ちょっと! お嬢が喋っても怒らないのに、ボクちゃんの時だけ怒るってどういうことっすか!」
「仕方あるまい! ヴァルティーアは特別なのだ!
貴様は特別ではないのだから、吾輩の言う通りに――」
そこでハッと気づく。
自身こそが最も会話を遮っているということに。
「コホンッ……失礼」
ネクロフィリアは咳払いをして一礼し、静かに並び立った。
魔王はその様子を愉しげに眺めながら、微笑を浮かべた。
「申し訳ない、創造主様。
我の配下は、身勝手な者ばかりでしてな……無論、我も含めて、だが」
玉座の間に、静寂が戻る。
魔王はゆるりと顎に手を添え、紫紺の瞳で俺を見据えた。
「――して、尊よ。何ゆえ此の地へいらした? 復讐にでも来たのですかな?」
そして、わずかに口角を吊り上げて続ける。
「そう、勇者ルナテミスの――」
その名を聞いた瞬間、胸の奥が裂けた。
怒りが滲み出す。
だが、挑発に乗るのは罠だ。
俺は息を整え、低く言った。
「復讐? 何のことだ。
……お前ならもう、感じ取ってるはずだ。世界が朽ちていく音を。
俺たちはただ――この【東の海】にある、“最後の終焉の穴”を塞ぎに来ただけだ」
「ほぉ……」
魔王の唇が、艶やかに歪む。
「それはそれは。まことに“都合のよろしい”話で」
「何が言いたい?」
と俺が睨むと、魔王はゆっくりと立ち上がった。
黒衣が風のように揺れ、王座の背後で闇が蠢く。
「テフ=カ=ディレムの謎。さぞや頭を悩ませたことでしょう。
ゆえに今回は、先んじて明かしておきましょう――」
玉座の上から、彼は高らかに宣告した。
「……我が、我こそが東の海における、終焉の穴の門番でございます!」
その声が響いた瞬間、天を裂く雷鳴が応えた。
ここは黒い海の底だというのに、世界が再び、軋み始めた。
重苦しい空気の中で、魔王ディアーナはふいに立ち上がり、黒衣の留め具を指先で外した。
衣が滑り落ちる。
露わになった胸元には、あの――“終焉の穴”が刻まれていた。
虚空を吸い込むかのような、漆黒の紋。
それは生々しく脈動し、彼の胸の中心を喰い破っていた。
「此方の千里眼を以てしても見つからなかったのは、そういうわけか……っ」
イグフェリエルが息を呑み、白い手を口元へ当てる。
ディアーナはゆっくりと笑う。
「門番などという塵芥では、今の尊らの前では、脆い雑兵に過ぎないでしょう。
――で、あるからして、一体化したのですよ。我が、あの“終焉”と」
その声には、狂気と誇りがないまぜになっていた。
そして、わざとらしく一歩、前に出る。
「しかしながら、尊らにとっては――僥倖ではありませんかな」
「……何?」
俺が低く問う。
「なぜなら……。
勇者ルナテミスを殺した仇敵が、世界を蝕む病原体と、同一存在なのですから」
紫紺の唇が愉悦に歪む。
「ほれ、“終焉の穴”を塞ぎ、世界を救いたいのなら――簡単な話。
我を殺して見せよ」
玉座の間に、閃光が走る。
怒りとも絶望ともつかぬ熱が、俺の中で弾けた。
それでも理性の糸を、必死に繋ぎとめて言葉を絞る。
「最後に一つだけ……お前が聞かれたがっていることを、聞いてやる。
――お前こそが本当に、俺じゃない“創造主”を名乗る存在で……世界を終焉へと導いた、黒幕なのかッ!?」
魔王は沈黙した。
そして、わずかに瞳を伏せ、ふっと笑う。
「……うぅん。えぇ、よいでしょう。尊が聞きたがっているようなので、お答えさせていただきます――」
顔を上げ、紅い瞳を見開く。
その笑みは、狂気に咲く花のようだった。
「我こそが――すべての黒幕でございます」
胸の奥で、何かが崩れた。
脳裏に焼きつくルナテミスの笑顔が、ゆっくりと黒に溶けていく。
俺は左腕で、双剣の片割れ――漆黒に染まる“極夜”を抜いた。
刃が空気を裂き、低く唸る。
そして、すべての黒幕のもとへと、歩を進める。
魔王もまた俺のもとへと、足音を響かせる。
「修一くんっ! ひとりで戦うなんて無茶ですっ!」
「冷静になるのだッ! 修一様!」
エリザシュアとイグフェリエルが俺の前へ出ようとするが、俺は手で制した。
同じく、断罪の四骸が魔王の前へ進み出る。
だが魔王は片手を上げて制した。
そして――
「――行くぞ、魔王ディアーナ」
「――きたまえ、田島修一」
玉座の間にまで、雷鳴の音が響いて来る。
俺は、片腕で極夜を握りしめ、魔王へ斬りかかる。
左腕がない分、重心がぶれる。
だが――それでも、斬撃の嵐は止まらない。
「ふ、片腕で来るとは……実に無謀で、実に良い」
魔王ディアーナは楽しげに笑い、軽やかに身を翻す。
俺の剣筋は形になっていない。
それでも、必死に絞り出した渾身の一撃の連続は、彼を“楽しませる”には十分だったらしい。
「悪くない。荒削りだが、――光る」
その声音に歓喜が混ざる。
俺は歯を食いしばり、一歩、また一歩と詰め寄る。
魔王の周囲に黒炎が渦巻いた。
次の瞬間、熱が俺の頬をかすめる。
「ぐっ……!」
焦げた皮膚の匂い。視界が揺れる。
それでも、俺は剣を離さなかった。
魔王が、迅雷や闇夜の魔術を放つ中、避けられない一撃は剣で受け、斬り抜けられない閃光は、身を捻ってかわす。
そうして――一瞬の隙を捉える。
「……ここだッ!」
極夜の刃が魔王の胴を貫いた――そう見えた。
だが。
手に伝わるのは、貫いた感触ではなく――砕ける音だった。
見ると、極夜の剣先が細かく割れ、黒い塵となって崩れ落ちていく。
「なっ……」
「惜しい、実に惜しい」
魔王が口元に笑みを浮かべた。
「だが、創造主よ――尊の剣では、“我”は穿てぬ」
次の瞬間、拳が腹にめり込んだ。
鈍い衝撃が内臓を潰し、俺の身体は宙を舞い、壁に叩きつけられる。
石壁が砕け、瓦礫が降り注ぐ。
肺の空気が押し出され、息が吸えない。
それでも、俺は這いながら立ち上がろうとした。
だが、目の前の魔王が手を掲げる。
その掌に、凶悪なまでの魔力が渦を巻く。
「終焉に相応しい、餞別をくれてやろう」
――駄目だ。
間に合わない。
「……|時空凍結症候《クロノ・フリーズ=シンドローム》」
エリザシュアの声が響く。
その瞬間。
光が弾け、世界が凍った。
空気も光も音さえも、氷に閉ざされたように動きを止めた。
魔力の奔流のただ中で、魔女は駆け出していた。
「修一くん!」
彼女は俺のもとへと辿りつき、肩を担ぎ上げる。
「どうして……! ひとりで魔王ディアーナと対峙するという選択をとったのですか!?
……いや、今は兎にも角にも、一旦引いて体制を立て直しましょう!」
だが、その“凍結した世界”の中で――声が響いた。
「……ほぉ、これが凍結した時の中か。
やはり君の魔術の腕前は至高だ。
――我には、かような芸当は不可能だよ、エリザシュア」
ぞくり、と背筋が凍る。
「な……なぜ、動け――」
その言葉を言い終える前に、世界が揺れた。
轟音。
次の瞬間、俺とエリザシュアの身体は蹴り飛ばされていた。
「ぐっ……!」
背中を打ちつけ、壁がひび割れる。
エリザシュアの頭から血が流れ、意識を失って倒れ込んだ。
同時に、時は氷解する。
「――エリザシュア!?」
イグフェリエルが叫ぶ。
一瞬のうちに距離が変わっていることから、彼女は凍り付いた時の中で、異変が起きたのだと確信する。
「我らが主に、手を出すか――!」
イグフェリエルの瞳が金色に輝き、翼が展開する。
「簡易天界、起動――!」
イグフェリエルの上空に、雲海が出現し、浄化の光が降り注ぐ。
雲の中から聖槍が次々と顕現し、
「――《光奏天譜》ッ!!」
その叫びのもと、無数の光槍が降り注ぎ、轟音と共に玉座の間を焼き尽くした。
眩い光が収まり、煙が立ちこめる。
――閃光。
イグフェリエルの放った聖なる槍が、天を貫く轟音とともに魔王へと直撃した。
天界そのものの質量を帯びた浄化の光。
それは神の領域に最も近い、絶対の浄滅を意味するはずだった。
しかし。
煙が晴れたあとに現れたのは、無傷の魔王の姿だった。
「なっ……――!」
イグフェリエルは愕然とし、信じられぬものを見るように震える。
「此方の……いや、天界そのものの質量を帯びている聖槍が、なぜ、微塵も及ばぬのだっ……!?」
その思考が途切れるより早く、影が蠢く。
イグフェリエルの背後、骨の擦れる音。
這い寄る鎌の冷たい気配――。
「貴様、血煙の渦中で、油断はいけないな」
くぐもった笑い声とともに、ネクロフィリアの鎌が彼女の背を裂いた。
肉を裂く音。
金糸のような血が飛び散り、イグフェリエルは呻きながら前のめりに崩れ落ちる。
一方、グラウスはザルギエスと刃を交えていた。
四本の腕で繰り出される天災のような猛攻。
グラウスはそのすべてを受け流しながら、一撃必殺の機を探る。
「あとは衰えるだけのジイさんのくせして、中々やるじゃないっすか!」
「愚拙は伊達に、戦火を乗り越えてきたわけではないのでなッ!」
さらにその周囲では、竜に擬態したシャーリアが魔族の兵を蹂躙していた。
紅蓮の吐息が空間を焼き、兵らの悲鳴がこだまする。
そして玉座の横では――ヴァルティーアが、頬杖をつきながら欠伸を漏らす。
「ふぁあ…………」
そんな混沌の只中。
魔王ディアーナの背後に、音もなく影が滑り込んだ。
今度は、白色の剣『白夜』の刃を携える――俺だった。
片腕で握る双剣の片割れは、震えるほどの疲労を孕みながらも、確かな意志の光を放っていた。
「――ッ!」
白夜の閃きが魔王の背を貫かんとする。
その瞬間、世界が息を呑んだように静止する。
信じられぬ光景。
――イグフェリエルでさえも貫けなかった、あの肉体を、俺の刃が穿っていた。
貫いた俺でさえも、驚愕の表情を隠しきれない。
先ほど、黒い剣――『極夜』で挑んでも、刃が崩れた。
なのにどうして、白夜は攻撃が通るのだ。
赤い――血。
確かに、赤い血が魔王の衣を汚していた。
ザルギエスが、へらへらと笑いながら呟く。
「へぇ~……魔王様の血も、赤かったんっすねぇ」
そして、魔王ディアーナは笑った。
「――くくッ、はっ、はははははっ、わはっはははははは!!!」
高らかな嘲笑が玉座の間を満たす。
その声は、勝者の余裕でも敗者の虚勢でもなかった。
ただ、純粋な歓喜そのものだった。
俺は息を荒げながら、剣を引き抜く。
刃にまとわりついた血が、黒い蒸気を上げて消えていく。
「まさか、この我が……血を流すとは。
欣喜雀躍……そう言わざるをえん」
魔王はゆっくりと背筋を伸ばし、右手を虚空に掲げた。
次の瞬間――世界が軋む。
空間の繊維が裂け、闇がねじれる。
そこから、一本の剣が現れた。
見ただけでわかる。
この剣は理を拒む。
存在するだけで、周囲の概念を塗り替える。
それほどまでの威光を放つ、剣であった。
黒でもない。
闇でもない――まるで根源を彩ったかのような輝きを放つ刃。
魔王ディアーナの唇がゆるりと動く。
「――|冥命歪創殲界斬《インヴァース=ジェネシス=カタストロフィ》」
言葉が響いた瞬間、周囲の音が消えた。
視界が、音もなく崩れ落ちていく。
俺は剣を構えようとする。
だが、身体が動かない。
世界が斜めに割れ、思考ごと引き裂かれるような錯覚に陥る。
(……何だ……視界が……崩れて……)
足元が消える。
呼吸が奪われ、心音すら遠のいていく。
最後に見たのは――血に濡れた魔王の微笑。
「創造主様――必ずや、我を倒せるぐらいに強くなってくださいよ」
その声を最後に、俺の意識は完全に途絶えた。
――黒い虚無が、すべてを呑み込んだ。
◇
黒紫の空を焦がす硫黄の風。
魔族たちが行き交う、煉獄のような街の一角で――ざわめきが広がっていた。
竜の翼を背負った青年魔族が、片方の角を揺らしながら言う。
「おい、なんか騒がしくねぇか? またあの荒くれたちが、抗争でも起こしたのか?」
隣を歩く、蛇の下半身を持つ魔族女が舌を伸ばして嘲る。
「ん~、どうやら違うっぽいよ? 行ってみよっか」
二人が群衆をかき分けて辿り着いたその先――
そこにあった光景に、街の誰もが息を呑んだ。
――そこには、創造主――田島修一の姿があった。
だがその首には黒鉄の首輪がはめられ、その上から馬乗りになっているのは、魔王ディアーナ。
魔王は愉悦に満ちた微笑を浮かべながら、玉座にも劣らぬ姿勢で見下ろしていた。
そして、その背後には――
同じく首輪をつけられ、断罪の四骸に引かれながら歩く者たちの姿。
エリザシュア、イグフェリエル、シャーリア、グラウス。
創造主の仲間たちは、いまやペットのように鎖を繋がれ、屈辱的な表情で歩いていた。
嗤いが、ゆっくりと街に満ちていく。
「さぁ、奴隷の創造主様、もっと速度をあげてくださいな」




