第50話 希望の光
俺は抱えていたイグフェリエルをそっとおろす。まだ胸の鼓動が高鳴るのを感じながら、問いかけた。
「イグフェリエル、俺のことを信用してるってことでいいんだよな……?」
少し間を置き、イグフェリエルは低く、しかしきっぱりと答える。
「愚門だ、修一様。
もしや貴殿は、女性にいちいち自分のことを好きかどうか、尋ねるタチか。
それでは、意中の相手を振り向かせることなど到底不可能と知り給え」
その言葉に、俺は苦笑いを浮かべる。
だが、その表情の奥には安心が潜む。
「うむ、しょうがない……なれば、此方が貴殿を娶るとしよう。
どうやら貴殿は、此方のことを愛してくれているらしいからな」
その言葉に、俺が逆にこそばゆくなりながらも、胸を撫で下ろす。
「と、とりあえず……信用してくれてるんだな!」
俺は、久しぶりに創造の筆を取り出し、確かな意思で右手で握る。
そのとき、俺の寝室で看病してくれていたときの、エリの言葉が脳裏に蘇る。
――当たり前の話ですけれど、もう金輪際、神の御業を使わないでくださいね。
次にまた使用してしまっては、もう元の万全な身体に戻ることはないと思っていてください。――
だが俺は迷わない。
深く息を吸い込み、理論構築を発動する。
――光がペン先から広がり、空気を裂くように光線が走る。
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――対象:イグフェリエル=テラ=オルディア
――理論:「イグフェリエル=テラ=オルディアは創造主田島修一にとって、愛すべき我が子だ」
――副理論:「お前たち被創造物は、決して下賤なものではなく、尊厳と美を纏う、純粋無垢なる魂だ」
↓
――結論:イグフェリエル=テラ=オルディア及びその眷属である天界の民は、誰にも縛られず、生を謳歌するのだ。
-【絶対服従
[効果]:■■■■■■に絶対服従
[分類]:永久呪縛】-
以上は、解除された。
――理論は、構築された。
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俺の理論は、止まらない。
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――対象:イグフェリエル=テラ=オルディア
――理論:「お前は、終焉の穴の門番なんかじゃない」
――副理論:「救星神イグフェリエル=テラ=オルディアだ」
↓
――結論:イグフェリエル=テラ=オルディアの、“終焉の穴”の門番として責務を解除する。
そして救星神イグフェリエル=テラ=オルディアとして、再誕させる。
――理論は、構築された。
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イグフェリエルの身体が光に包まれる。
筋肉の奥、血流の隅々まで、呪いの痕跡が浄化されていく感覚が走る。
その上、世界を呑み込もうとしていた終焉の穴が、収縮を始める。
「修一様……身体の中の呪縛が消えていくような感覚がする……。
それに、終焉の穴も塞がっていくではないか……」
イグフェリエルの声には、安堵と驚きが入り混じっている。
胸が高鳴り、目には光が宿る。
「もう……此方は誰も苦しめなくて……」
その瞬間、イグフェリエルの視線が、漸く俺に向く。
右腕が、蒼紫に変色した腕を俺が押さえ、悶え苦しんでいることに気づいたのだ。
「そんな……その力には代償があったのか……。
修一様、戻ってくるなりやっ!」
心配そうに声を上げる。
息は荒く、体の痛みが全身に響く。
だが俺は必死に立ち上がり、下界を見据える。
「まだだ……まだ終わっちゃいない!」
視界には、街を蹂躙する悪魔の群れ。
勇者ルナテミスや魔女エリザシュアたちも戦っているが、数はあまりに多く、殲滅しきれない。
恐らく、絶対服従の理論を上書きしたことで、悪魔の増殖は停止したはずではあるが、既にいる悪魔の対処が済んでいないのだ。
俺は拳を握り締め、決意を声に乗せた。
「イグフェリエル……今からお前に究極奥義を授ける!
だから、下界に連れて行ってくれ!」
その言葉に、イグフェリエルの眉がわずかに寄る。
「だが、ひとたび理論構築を使えば、修一様は……!」
心配の色を隠せない彼女に、俺は右腕を見ながら、平然と答える。
「大丈夫だ、死にはしないさ。
深い代償をこの身に刻むことにはなるだろうが、な……」
イグフェリエルの目が揺れる。
下界の惨状を見つめる瞳には、迷いと決意が交錯している。
そして、彼女は静かに頷く。
それがまさしく、決心が固まった瞬間だった。
◇ ◇ ◇
下界では、戦いが熾烈を極めていた。
獣人バルググは汗と血にまみれ、息を荒げながらも斬り続ける。
後ろでは鳥人がすっかり切れ味が落ちた爪で敵を切り裂き、虫人が体を翻して攻撃を繰り返す。
だが、俊敏性が落ちたせいか、彼らの攻撃はかすりもしなくなり、
代わりに悪魔の攻撃が、彼らに生涯消えないであろう傷を刻む。
悪魔の数は減る気配を見せず、群れはまるで暗黒そのもののように広がっていく。
修道女リシャシェーラは祈りを捧げ、負傷者を一人また一人と癒していく。
しかしその手は限界を超えており、まだ倒れたままの者たちを救うには手が回らない。
息を切らせ、天を仰ぐ彼女の瞳にも焦りが滲む。
大天使シェラフィアス=エル=ヴァルハイル率いる天使たちも、全身の力を振り絞ってはいるものの、力尽き始めていた。
光は弱まり、救済の力はもはや満足に機能せず、天界の輝きは薄れていく。
そんな戦場を見渡す、魔王軍断罪の四骸。
ザルギエスは眉をひそめることもなく、軽口を叩く。
「ありゃりゃ、これはかなりまずい状況じゃないっすかねー」
一方で、ネクロフィリアは険しい目をザルギエスに向け、低く釘を刺す。
「その想いが真ならば、さらに己の手を奮い立たせよ、ザルギエスッ!」
空を仰ぐヴァルティーアは、これから起こることを予見し、何かを楽しむかのように、「キャシャシャ……」と笑みを零す。
その顔には狂気と好奇心が混ざり、戦場の殺伐さを鮮やかに切り裂くかのようだった。
勇者ルナテミス、魔女エリザシュア、シャーリア、グラウスも、
悪魔を相手に戦い続けるが、数の圧力と疲労のせいか、防戦一方の状況だった。
炎や斬撃、魔術の奔流が周囲を照らし、轟音が地響きとなって戦場を震わせる。
空気は煙と硝煙で濁り、息がまともに吸えない。
耳に届くのは、断末魔と爆音と、己の荒い息だけ。
このままでは――数十分も経たないうちに、悪魔に呑まれてしまう。
疲労は限界を超え、体の奥が鉛のように重く、思考すら鈍る。
だが、それでも彼らは踏み止まり、必死に戦い続ける。
誰もが絶望を感じながらも、仲間を信じ、――命を削りながら。
そのとき、ルナテミスの瞳が自然と空を見上げる。
何か、これまでにない気配を察知した瞬間だった。
「修一……」
その声に微かな笑みが混じる。
わずかに口角を上げ、希望の光を見つけたときの笑みだ。
その直後、エリザシュアもグラウスもシャーリアも……そしてテフ=カ=ディレムに住む民たちも、同じ空を見上げる。
絶望に沈んでいた顔が、徐々に光を帯び、希望に満ちていく。
「救星神さまぁ……!」
歓声が次第に街の隅々まで響き渡る。
空にあったのは光。眩い、世界を照らす希望の光――。
その光の中心から現れたのは、救星神イグフェリエル=テラ=オルディアと、創造主・田島修一だった。
絶望の戦場に、ついに救いの光が差し込んだのだ。




