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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第3章 『テフ=カ=ディレム』

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第49話 とびっきりクサい台詞

 ――下界、テフ=カ=ディレムの大地は今、地獄そのものと化していた。

 

 赤黒い瘴気が地を覆い、怨嗟が風となって吹き抜ける。


 それは、悪魔。

 ――怨念が形を得た群体。理論に背いた天罰。

 

 幾億の影が、悪魔の輪郭をなぞるようにして街へ、砂漠の果てまでも這いずり出てくる。


 勇者ルナテミスが吼える。

 「――|天命絶光交錯斬《リヴァース=アーク=オブリヴィオン》!!」

 

 蒼白の光刃が夜空を割り、数千の悪魔を光塵へと還す。

 爆風が彼女のマントをはためかせ、瞳はひたすらに前だけを見ていた。

 

 だが――それでも焼け石に水。

 影は増え続け、闇はさらに濃くなる。


 その傍らで、魔女エリザシュアが両手を掲げた。

 「|時空凍結症候《クロノ・フリーズ=シンドローム》」

 

 空気が悲鳴を上げ、音が凍る。

 瞬間、世界の鼓動が止まった。

 凍結した時間の中で、彼女だけが動いていた。

 

 無限に開いた魔術陣――空間が幾重にも折り重なり、そこから洪水のように魔力の奔流が迸る。

 紫電の嵐、氷槍の雨、重力波の爆ぜる地獄。

 

 彼女の髪は宙に舞い、紅の瞳が魔を貫く。

 「数が……多すぎます……! まるで永遠に増殖し続けているかのような……」

 

 かすれた声に、それでも諦めを感じさせぬ気高さが宿っていた。

 事実、悪魔は天罰遂行のため、ねずみ算式に増殖を続け、あと小一時間程度で世界を覆いつくそうとしていた。


 轟音。大地が裂けた。

 シャーリアが竜へと変じる。

 

 鱗は黒曜石のように煌き、吐息ひとつで山を焼く。

 「肉片ひとつ余すことなく、燃えちゃえぇぇ――!!! がおぉおおお!」

 

 咆哮が空を揺らす。

 炎が悪魔たちを焼き尽くし、塵と化す。


 そして、巨剣を担ぐ影。

 グラウスが踏み込み、大剣を横薙ぎに振り抜く。

 「――蒼裂嶽ッ!」

 

 地響きが空を揺らす。鉄と血の匂い。

 黒い血飛沫が雨のように降り注ぎ、斬られた悪魔の躯が霧散していった。


 こうして、ルナテミスたちは、無数の悪魔に拮抗していた。


 ――しかし。

 エリザシュアが一瞬だけ目を逸らしたその隙に、悪魔の群れが街の防壁を突破する。

 

 「しまった――!!!」

 彼女の声が、砂煙の向こうへ消えた。


 街の中は騒然としていた。

 

 人々は死んだような顔のまま、本能がそうさせたのか必死に逃げ惑う。

 街灯の光が、慌ただしい影を地面に刻む。


 その時、空気が突然、ねっとりと重く、金属のような臭気を帯びた。

 人々の頭上で、悪魔──形の定まらぬ、笑顔を歪めた異形の影たちが浮かび上がる。

 

 細長い手足が街の空間を引き裂くように伸び、絶望の先に触れようと蠢いた。

 逃げる群衆の足元を、黒い影が追いかける。


 その瞬間──街の混乱の中で、重厚な衝撃が空気を割った。

 耳をつんざく轟音と共に、獣の毛皮を纏った男が悪魔の腕を押しのけるように割り込んだ。

 

 鉄と筋肉がぶつかるような音、空気を押しのける圧力、そして人々の目に映る希望。

 

 「――誰も、死なせねぇ!!!」

 獣人バルググが咆哮し、棍棒で悪魔を薙ぎ倒す。

 血煙が舞い、彼の顔に返り血が飛ぶ。

 

 「へへっ……初めて、誰かを救えたぜ……。

 ――なってやるぜ、英雄にィッ!!!」

 背後では鳥人の群れが翼を広げ、虫人が槍を構え、次々と加勢していく。

 

 瓦礫の中――

 祈る声が響いた。

 

 「諦めないでください……生こそが救済なのですから」

 修道女リシャシェーラが、血まみれの人々に両手を掲げる。

 

 聖典の文句が唇から零れた。

 「――ルーメン・カエリ・レクス・アニマ……」

 金色の光が降り注ぎ、倒れていた者の傷が閉じていく。


 天を裂くように――純白の翼が舞い降りる。

 「救済の号令を以て、悪性を浄化せよ――!」

 大天使シェラフィアス=エル=ヴァルハイル。

 

 彼女の声が響くたび、光の矢が無数に生成され、悪魔の群れを貫いた。

 背後には数百の天使たち。

 彼らが一斉に唱える。

 

 「――グロリア・イン・エクセルシス・ルクス――!」

 空が輝き、瘴気が散る。

 光が砂漠を洗い流していく。


 その光景を、遠くの一枚岩から見下ろしていたのは――魔王軍断罪の四骸。

 角が生えた長身の男、ザルギエスが軽く笑う。

 

 「さーて、ボクちゃんらはどうしますー? 

 ぶっちゃけルナテミスちゃんとエリザシュアちゃんがいるから、大丈夫でしょうけどもー」

 

 その軽薄な声に、死神ネクロフィリアが低く応じた。

 「ザルギエスの言い分はもっともだが……犠牲をなくすには、少々手数が足りぬようにと、吾輩は思う」

 

 彼は冷たい視線を戦場に向ける。

 「さぁ、ヴァルティーア。お前は、どうしたい?」


 ――砂塵の舞う戦場で、ヴァルティーアの瞳が一瞬だけ遠くを見据えた。

 

 記憶の奥底、遺跡の薄暗い廊下の迫りくる壁から、創造主――田島修一に救われたあの瞬間がよみがえる。

 「別に……お前への借りを返すとかじゃねぇが……」


 その瞬間、全身に狂気が迸った。

 口角を吊り上げ、血のように赤く濡れた瞳。

 

 呼吸は荒く、声は砂嵐に溶けないほど高く、裂けるように響く。

 

 「名無しちゃんたちは、魔王軍断罪の四骸つーのによぉ、暴れ足りねぇよなぁぁあ! 

 ――なぁ、お前らァァぁああアァァッ!!」


 その咆哮に応えるかのように、ネクロフィリアとザルギエスも笑みを浮かべる。

 満面の笑み――悪意と興奮、絶望と快楽が混じり合った、見る者すべてを震え上がらせる笑顔。

 

 砂煙が渦を巻き、三人の姿が戦場に向かう姿が、赤く光る夕陽に照らされた。




 ◇ ◇ ◇




 天界――救星神の間。

 

 聖光の残滓がわずかに揺らめくその空間で、異形と化したイグフェリエルが吼えた。

 裂けた羽根から溢れ出す瘴気は、闇の奔流。


 空間を蝕み、石柱を黒く染め、呼吸ひとつで意識を奪うほどに濃い。


 俺はわずかに息を吸い込んでしまった。

 胸の奥から、冷たい声が這い出てくる。――「死ね」と。

 

 次の瞬間、気づけば俺の手は勝手に剣を持ち上げ、自らの喉元へと押し当てていた。


 ゾッとした。

 理解した。


 この瘴気こそが、この国――テフ=カ=ディレムを蝕んでいた“希死念慮”の正体だ。

 一瞬でも気を許せば、命を自ら断ち切る――そんな悪夢の空気。


 だが俺は、もう逃げない。

 心の奥に燃える熱が、絶望の黒を焼き払う。

 

 「この程度の希死念慮で、俺をどうにかできると思ったか……!?

 俺は死なない。もう“死にたい”なんて、二度と言ってたまるものか……!!」

 

 俺は叫ぶ。

 喉が裂けてもいい。その意気で。

 

 「――だから、さっさと俺に救われろ、イグフェリエルッ!」


 雷鳴が響いた。

 異形になり果てたイグフェリエルが、咆哮のように叫ぶ。

 

 「ああ、そのような戯れ言に心は踊らぬ――。

 貴殿も……また此方を誑かし、絶望に堕とすのであろう――!」

 

 そして叫ぶ。

 「偽物の創造主め、息をする価値もない。さあ――沈め、永久に」


 その声が耳を裂いた瞬間、空間の重みが増したように感じた。

 

 天井から、一条、また一条と、無数の縄が落ちてくる。

 まるで暗黒の雨――冷たく、湿った縄が空気を切り裂き、俺の周囲に渦を巻く。


 縄は生き物のように蠢き、黒光りする輪となって俺の首元を探る。

 指先に触れる感触は冷たく、鋭く、柔らかさなど微塵もない。

 

 一本はかろうじてかわしたが、次の一本が背後から迫り、喉元を締め上げる。

 皮膚を食いちぎるような圧迫。


 呼吸が瞬時に途絶え、肺が空気を求めてももがくように痛む。


 頭の奥で鈍い痛みが広がり、血液が耳を打つ。

 視界が滲み、白い霧が目の前に立ち込める。

 

 音が遠くなる。

 叫びたい、逃げたい、でも体は縄に縛られたかのように思うように動かない。


 世界がゆっくりと、しかし確実に遠ざかっていく

 ──もう、息が届かない。

 意識が、遠くの光景を見つめるように、薄く白んでいく。


 駄目だ。終わらせない。

 喉を裂くような痛みの中で、意識の端に残った火花が言葉になった。


 握った剣を逆手に、全身の筋肉が悲鳴を上げるのも構わず振り抜いた。

 鋼の閃光が、闇の中を切り裂く。


 触れた瞬間、縄の繊維が焼け、弾け、焦げた臭いが鼻を刺す。

 耳の奥で「ビリッ」と空気が裂けたような音。黒い繊維が煙のように散り、俺の喉から締めつけが解けた。


 そのまま、糸が切れた人形のように膝をつく。

 呼吸が戻る――否、肺が空気を暴力的にむさぼる。

 

 冷たい床に手をつき、喉の奥で熱い血の味がした。

 頭の中で鐘が鳴るように、鼓動が乱れ打つ。

 視界が波打ち、耳鳴りが世界を満たす。


 息を吐いた瞬間、景色が歪む。


 ――次の瞬間、景色が突如変わった。


 高層ビルが立ち並ぶ摩天楼の屋上――風が凶器のように耳を切り裂き、冷たい空気が肺の奥まで刺さる。

 恐らくは、門番(ヴァルゲート)としてのイグフェリエルが見せた、幻覚か何かだろう。

 

 俺はその屋上から何かの力によって、落とされる。

 

 何も支えがない宙。

 全身の血が逆流するように熱を失い、骨の奥まで凍りつく恐怖が走った。


 「死んでやるもんか……!」

 空気の圧力が皮膚を叩き、風が耳元で嗤う。

 

 息が凍るように止まり、鼓動が耳の奥で跳ねる。

 反射的にベルトを外し、看板の鉄柱部分に巻き付き、落下の勢いを看板を中心に回転することで、衝撃が吸収させる。

 

 勢いが収まったことを確認し、ベルトから手を放し、地上に降り立ったが、上手く着地できなかった。

 痛みが全身に走り、息が切れ、思考が霞む。


 でも、生きている。

 生きているから、立ち上がる。


 ――また、景色が変わる。

 次に現れたのは、荒れ狂う浜辺だった。


 黒く濁った波が容赦なく足元を奪い、全身を冷水が締め付ける。

 潮の匂いが鼻を突き、波の衝撃が俺を呑み込む。


 波が視界を覆い、意識が溶けそうになる。

 けれど胸の奥にある確かな意志が、波の力に逆らい、何度も押し返す。

 もがき、耐え続け――


 やがては這いつくばりながらも、浜辺に戻ってくることができた。

 水が体を叩きつけ、砂が皮膚に擦れ、心臓が破れそうに脈打つ。


 ――そして瞬間、景色は再び救星神の間に戻る。


「まさか、あれほどまでの希死念慮にさえも、耐えるとは。

 修一様、貴殿を少しばかり、見くびっていたようだ。


 ――なら、これは如何だろうか?」

 

 門番(ヴァルゲート)イグフェリエルはそう呟く。


 そして今度は瘴気が蠢き、まるで空間全体を絡め取ろうとする。

 空気の粘度が増し、胸に圧迫感が走る。


 俺は必死に息を整えていた。

 肺の奥まで冷たい空気を吸い込み、血の巡りを意識する。


 束の間の静寂――しかし、次の瞬間、頭の中に途方もない量の記憶が流れ込んできた。

 目の前が歪み、脳が過負荷を起こす。


 悲鳴が自然に口から漏れ、身体が痙攣する。

 叫び声は宙を切り裂き、絶望と恐怖が全身を駆け巡った。


 「今貴殿にお見せしているのは――此方が、皆を殺し続けた記憶。

 ……そしてそれを追体験させているのだ」

 

 イグフェリエルが、冷たく、しかしどこか儚げな声で解説する。

 「此方の呻吟、悲嘆、悔恨……すべての感情を同期させ、貴殿を絶望の牢獄へと導く。


 ――そうして見終わる頃には、精神は瓦解し、在りし日の自我は廃頽するであろう――」


 そんな言葉を彼女が告げた後、視界が微睡み、追体験が起こる。


 ◇

 

 「ルーメン リリィア サリエル――」

 ――聖歌が、響いていた。

 

 まるで天に祈るように。まるで地を呪うように。

 イグフェリエルは、泣きながら歌っていた。

 

 その手に宿る光は、浄化の輝きではない。

 魂を焦がし、肉を灰に変える、終末の火。


 「エルミナ サクラ ローレンティア――」

 彼女がそう口ずさむ姿を背に、大魔女役の女が、焼け爛れている。

 

 「イーリス ノアリア レヴェンティア――」

 勇者らしき存在が、喉を裂かれて倒れている。


 「ラクリマ フェリオル リリシア――」

 創造主と名乗った誰かが、血と共に祈りを吐いて崩れている。


 「ルーメン ルーメン リリィア――」

 ――彼女は笑うように泣いていた。

 

 泣くように祈っていた。何度も、何度も。

 倒れる者たちを抱きしめ、名を呼び、温もりが消えるたびに次の命を奪っていく。


 ――どれほど殺しただろう。

 理論が命じるままに、そうさせるままに。

 

 罪なき者を焼き、壊し、殺す。

 そのたびに、胸の奥で何かが欠けていった。

 その在り方は、救星神などではない。

 

 ただの――悪魔だ。


 「此方は……ただ皆の希望に……なりたかっただけなのに――」

 

 ただ。

 彼女は、誰かの希望でありたかった。

 

 皆の光でありたかった。

 そのかつての想いが、より深く、刃よりも鋭く、心臓を突き刺す。


 俺は、それを彼女の目で見ていた。

 視界だけではない。

 

 耳で聞き、皮膚で触れ、心で感じ、全身が彼女の感覚と溶け合っていた。

 彼女の痛みが、光になって、直接脳を貫く。

 焼けた肉の熱さも、折れた喉の震えも、全部が自分がやったかのような錯覚をする。


 幾万、幾億。

 この悪魔の如き所業が、それほどまでに繰り返される。

 

 光が走り、命が散る。

 そのたびに涙が溢れ、声が掠れ、それでも歌は終わらない。


 心の痛みが、感情を焼き焦がす。

 胸の奥で何かが壊れる音がする。

 

 耐えようとしても、無理だった。

 彼女の悲しみが、絶望が、あまりにも痛かった。


 気づけば俺は、泣いていた。

 涙が頬を伝い、視界が黒く滲む。

 

 喉の奥が焼け、心が一色に塗りつぶされていく。

 黒――


 視界が消える。

 音が消える。

 

 匂いが消える。

 最後に残ったのは、彼女の涙の味。


 ――そして俺の心は、完全に黒に染まった。


 ◇


 ……絶望した。

 

 ああ、絶望したさ。

 この世のすべてを呪い恨み尽くせるほどに。


 そして、イグフェリエルがどれほど絶望していたのか――それが絶望するほどに、理解できてしまった。

 

 彼女がどんな想いで、人を殺し、どれだけ自分を責め、どれだけ泣きながら世界に祈っていたのか。

 そのすべてが、俺の胸を裂いて、焼き付いた。


 ……なのに、どうしてだろうな。


 俺はもう、壊れているはずなのに。

 心なんて残っていないはずなのに。


 それでも、あの涙を――救いたいと思ってしまった。

 壊れるほどに、愚かしいほどに。


 歪んだ視界の中で、俺は膝をつく。

 何かが、俺の奥底で弾ける。

 

 黒の闇に、わずかな光が滲む。

 それは祈りか、叫びか、自分でもわからなかった。


 ただ――

 このまま沈むのは違うと、本能が喉を震わせた。


 「――まだだァァァアアアアアッッ!!!」


 叫んだ瞬間、空間が砕けた。

 黒い世界が亀裂を走らせ、虚無の中に白い閃光が迸る。

 

 現実へと意識が引き戻される。

 焼け付くような痛みと共に、確かに“ここ”に戻ってきた。


 門番(ヴァルゲート)と化したのイグフェリエルは怯え、声を震わせていた。

 その全身が、まるで破裂寸前の硝子細工のようにひび割れ、崩壊と恐怖の光を反射している。

 

 「何故だ……? 何故、斯くもして立ち上がるのか……?

 それほどまでにして、我が心魄を再び絶望の渦に沈めんとするのか……!」

 

 その声にはただ、泣き出す寸前の子どものような、縋るような震えだけがあった。


 俺は、震える唇を噛みしめながら言葉を叩きつけた。

 「違うっ!」

 

 その一言が、空間を揺らす。

 闇が割れ、黒煙が吹き飛ぶ。

 

 「お前を――救いたいんだ! 幸せにしてやりたいんだ、イグフェリエル!」


 彼女の瞳が揺らぐ。

 その奥で、確かに彼女の心が怯えていた。血のように赤い瞳孔が、小さく震える。

 

 「それが理解できぬ……」

 掠れた声が、虚無に木霊する。

 「貴殿にとって、此方はどういう存在なのだ……なにゆえ、幸せにしたいと申す……」


 俺は一歩、前へ出た。

 黒煙が足元で爆ぜ、瘴気が肌を焼く。

 

 それでも退かない。

 その瞳の奥の“痛み”から、目を逸らさなかった。


 「お前は、俺の子だッ!

 俺が産んだ――希望の形なんだよ、イグフェリエルッ!」


 その瞬間、空気が裂けた。

 空気が震え、やがては天界そのものが揺らぐ。

 俺の声が、世界の理そのものを叩き壊したかのように、響いた。


 「だから、お前が傷つく度、悲しむ度……お前を護りたい、優しさで包み込んであげたい!」


 ああ、そうだ――そうだったはずだ。

 創造主として、いやひとりの親として。

 

 お前たちを悲しい顔になんか、もう二度とさせたくない。


 「お前たちを――いや、お前を愛しているから、幸せにしてあげたいんだ、イグフェリエル!」


 その言葉は叫びではなく、祈りだった。

 「――ッ!!」

 

 そして、イグフェリエルにとっては、何よりも明るい光だった。


 俺は剣を、再び握り直す。

 刃先に込めるのは力ではない。想いだ。

 

 すべての絶望、すべての痛み、そして――すべての愛を、

 彼女に届けるための一振り。


 振り下ろす瞬間、世界が揺れた。

 瘴気が裂け、黒煙が吹き飛び、空気が焼ける匂いを放つ。

 

 俺の鼓動は剣と同調し、全身が熱に包まれる。

 心臓の奥で、彼女への思いが、光となって迸る。


 そして、黒に覆われた異形の影が、微かに揺らいだ。

 恐怖と絶望が凝縮したその塊の奥で、かすかな光が瞬く。

 

 まるで、凍りついた世界の裂け目から零れる、淡い希望の欠片のように。


 剣の刃が通ったその瞬間、光は揺らぎ、形を持ち始める。

 黒煙の渦が裂けるたび、焦げた空気の中に、彼女の輪郭が現れる。

 

 その顔は泣き、怯え、そして――確かに俺を見つめていた。


 ――イグフェリエルだ。

 

 俺の想いが、彼女の存在を呼び戻したのだ。


 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 闇と瘴気に包まれ、門番(ヴァルゲート)の中から自身の姿を晒していた心の奥で、イグフェリエルの意識が震える。

 思考が次々に過去の記憶をなぞる。


 ――最初に出逢った創造主……あの者は、どこか冷ややかで……此方など、ただの滓のようにしか思っていないようだった。

 

 胸の奥が疼くように、当時の孤独と恐怖が蘇る。


 ――でも、この御方は……違う……。

 

 声にならぬ思いが心を震わせる。あの剣を振るう手、真剣な瞳、そして言葉。

 「お前を愛しているから」その一言が、イグフェリエルの胸を深く打った。


 ――此方を……我が子と呼んでくれた……そして、此方を……愛してくれている。

 

 瞳に光が差す。

 長い間抱えてきた絶望の影が、ゆっくりと消えていくような感覚。

 胸の奥に、小さな温もりが芽生える――信じられないほどの、確かな感情。


 ――この御方は……修一様は……!

 

 声が震える。

 恐怖と不安に彩られていた心が、今、熱い希望と愛情に押し流されていく。

 

 絶望の中で光を見た瞬間、イグフェリエルは初めて、心の底からその存在を受け入れようとしていた。



 ◇ ◇ ◇

 

 

 俺は深く息を吸い込み、異形から取り出したイグフェリエルをお姫様のように抱き上げた。

 そして3度目の世界で、彼女が口にした言葉が、頭をよぎる。


 ――でも……それでも救ってくださるのなら──とびっきり“クサい台詞”を言ってあげてください。


 絶望の渦の中で、俺はその想いを胸に決めた。


 「――長らくお待たせいたしましたが……。

 この終末の闇より貴女を奪還しに参りました、イグフェリエル=テラ=オルディアお嬢様」

 俺は胸の奥で、こっぱずかしくなりながら彼女に向けて、そう言い放つ。

 

 「我が、愛しの星よ――!」


 その声は力強くも、どこか劇的に響き渡る。

 空間の瘴気も、異形の影も、まるで溶けて消えてしまうかのようだった。


 イグフェリエルは抱かれたまま、胸の奥で鼓動が早まるのを感じる。

 頬はリンゴのように赤く染まり、胸の奥で小さな熱が弾けた。


 「待たせすぎですよ、修一様……」

 

 か細くも甘い、その声が耳に届いた瞬間、俺の胸もまた熱く締め付けられた。


 そしてこの瞬間、イグフェリエルに再び希望が宿る。

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