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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第3章 『テフ=カ=ディレム』

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第45話 今度は俺が役に立つ番

 大魔女エリザシュア、シャーリア、グラウス、そしてイグフェリエルは、かれこれ数時間もこの薄暗い遺跡を彷徨っていた。

 石壁は汗を吸い込み、遠くの水滴の音が時折、静寂の底を叩く。


「ふぅー、お腹ぺこぺこになってきましたみゃおー! ねぇ、イグフェリエル様!」

 シャーリアの声がこだまする。

 

「は、はい……わ、此方も……こっそりスナック菓子のひとつでも持ってくればよかったです……」

 どこか現実感のない、能天気な会話。

 しかしその軽さが、緊張で張り詰めた空気の中で唯一の救いでもあった。


 一方で、グラウスの目だけはずっと鋭かった。

「……大魔女様。この道、以前にも通ったことがある気がします」

 そう言って彼は壁の一点を指さした。

「ほら、これを。愚拙がつけた傷だ」


 エリザシュアははっとして振り向き、壁を撫でた。

「……申し訳ありません、グラウス様。

 流石に疲労が激しいせいか、わてちしは……失態を働いてしまったようです……」


 その瞬間、ふらついている彼女の足元で、“カチリ”と乾いた音が響いた。

 空気が凍る。

 

「エリザシュア様ッ! 危ないッ!!」

 イグフェリエルが叫ぶ。

 次の瞬間、石床が裂け、黒い奈落がその口を開けた。


 風が逆巻き、エリザシュアの身体が吸い込まれていく。

 彼女は死を覚悟して、そっと目を閉じた——が。


「エリッ!!」


 その声が、確かに世界を掴み戻した。

 重力を嘲笑うように、誰かの手が彼女の腕を掴む。

 

 強い、懐かしい、熱のある掌。

 エリは目を開けた。

 そこにいたのは——


「……修一くん……!」


 汗と土にまみれた顔。

 それでもどこか、光を宿していた。

 

 田島修一――俺は静かに笑い、言った。

「言っただろ。今度は俺が役に立つ番だってさ」


 力強く引き上げられた瞬間、床は再び元の形に閉じた。

 彼女は震える手で胸を押さえ、息を整えながら問う。

「修一くん……もう大丈夫なのですか? その……心の方は……?」


 俺はしばし黙り、少し離れた場所に立つ勇者ルナテミスを指差した。

「おかげさまでな。

 あいつのおかげで、今なら何だってできる気がする」


 彼女は何も言わず、ただ少し誇らしげに微笑んだ。


 俺はエリを立たせ、埃を払いながら、そっとイグフェリエルを見た。

 イグフェリエルは、その視線に気づいた途端、びくりと肩を震わせる。

 

「お前は後でな」

「……は、はい」

 少女のように小さな声で、イグフェリエルは頷いた。


 俺は深く息を吸い、皆の顔を見渡した。

 その瞳には、かつての迷いも、絶望もなかった。

 ただ一つ、決意だけが宿っている。


「——これからこの遺跡を完全攻略する! 遅れるなよ!」


 その叫びは、暗闇の中で火種のように弾けた。

 俺は駆け出す。

 

 仲間たちが続く。

 死の迷宮を、光を取り戻すために。


 迷宮の風が、ふたたび生きていた。

 ――足音が重なる。

 

 俺はもう迷わない。

 過去の俺が、何度も死んで、学んだ“最短”のルートを、今度は確信とともに駆け抜けていく。


 ルナテミスが、走りながら俺の隣で問いかけてきた。

「修一、走りに無駄がないように見えるが……まさかこの遺跡に覚えがあるのか?」


 エリも驚いたように息を切らせながら言う。

「そうですよ! わてちしたちがあれだけ彷徨った迷宮を、こんなにも堂々と……!」


 俺は口角を上げた。

「まぁ、それに関しては企業秘密だが、俺は創造主だからな。

 それくらい当然とでも思っといてくれ」


 そのとき、後方から豪快な声が響く。

「さっすがおらたちの創ちゃん! 天才で万能でイケてるメンズの男ってのは――あぁ、彼のことよぅっ!!」

 シャーリアが歌舞伎口調で持て囃し、グラウスは腕を振り上げて口にする。

 

「創造主様万歳三唱音頭、唄います!」

「いや唄うな!」

 思わず突っ込みながらも、心のどこかがじんわりと温かくなっているのを感じた。

 

 あぁ、やっぱり――仲間がいると力が湧いてくる。


 ……その瞬間だった。

「ウギャアアアアアアァァァアアアアアアアアア――ッ!!」

 獣の咆哮が、迷宮の深奥に木霊する。

 俺たちは一斉に顔を上げた。


 流れ出る水音。

 階層を越える滝のような斜面に、巨大な獣人の影が見えた。

 激流が三人を飲み込もうとしていた。


「お前らっ、俺様のことは見捨てろっ! 巻き添えになっちまう!」

 バルググの叫びが、水音にちぎれながら響く。

 

 鳥人の女が涙声で叫び返した。

「嫌よっ! あなた仲間だものっ!」

 虫人も歯を食いしばりながら続ける。

「そうだノニ! バルググは、こんなところで死ぬ男じゃないノニ!」


 俺はマントを脱ぎ捨てた。

「お前たちはここにいろ!」

 そう叫んで、躊躇なく川へと飛び込む。


 冷たい水が肺に突き刺さる。

 流れが速い。


 視界は泡に包まれ、上も下もわからない。

 それでも、ただ一筋の腕を探して手を伸ばした。


「――バルググっ! 俺の手を取れッ!」


 獣人が、驚愕に目を見開いた。

「なんで……エセ創造主のお前が俺様を……! お前は“創造主”なんだろ!? 

 俺様みたいな、何の役にも立たない奴なんか放っといて、もっと……世界のためになるやつらを救えよッ!!」


 激流の中で、俺はその言葉にかすかに笑う。

「――英雄になりたいんじゃないのか?」


 その一言が、彼の心臓に届いたのがわかった。

 バルググの目が大きく開かれ、鳥人と虫人も同時に息を呑む。


「どうして、それを……」


 轟々と唸る水音の中、俺は歯を食いしばった。

 腕の中で、バルググの筋肉が悲鳴を上げる。

 濁流が全身を押し流そうとする。だが――俺は離さなかった。


「――英雄になりてぇ奴が、こんなところでくたばってんじゃねぇぇぇぇッ!!!」


 怒鳴り声とともに、全身の力を解き放つ。

 渦巻く水を裂くように、バルググの巨体を岸へと引き上げた。

 

 獣人が地を掴んだ瞬間、俺の足場が崩れる。

 視界が揺らぐ――次の瞬間、奈落が俺を呑み込もうとしていた。


「修一くんっ!!!」


 その声とともに、いくつもの手が伸びた。

 グラウスが岸で支え、

 その次をシャーリアが、

 さらにイグフェリエルが、

 ルナテミスが――そして最後に、エリザシュアが俺の手を掴んだ。


 連鎖的に繋がれた絆が、俺を引き戻す。

 エリは汗を光らせながら、それでも口の端を上げて言った。


「――誰が、誰の役に立つ番ですって?」


 その瞳には、俺へのからかいが含まれていた。

 俺は苦笑しながら言い返す。

「すまねぇな」


 六人の影が、一斉に地上へと引き上げられる。

 息が切れて、視界が明るくなる。

 ようやく――全員が無事だった。


 その場に膝をついたバルググは、荒い息の合間に言葉を絞り出した。

「俺の命を助けてくださり……ありがとうございます、創造主様……!」


 その隣で、鳥人と虫人も深々と頭を下げる。

「お救いくださり、感謝いたします!」

「創造主様のおかげで助かったノニ!」


 そしてバルググは拳を握り、地に額をつけた。

「今まであなたに対して行った、あらゆる無礼――この場をもってお詫び申し上げます!」


 俺は頭を掻きながら笑った。

「気にすんなよ、バルググ。誰だって間違いの一つや二つ、あるさ」


 だが、その直後にエリザシュアが横からじろりと睨んできた。

「本当に……これでよろしかったのでしょうかね、修一くん?」

 横でグラウスが「うんうん」と真面目に頷いている。


 俺は肩をすくめ、少しだけ意地悪く笑う。

「おいエリ、お前――北の森で、俺を殺そうとしたくせによくそんなこと言えるな?」


「ぎ、ぎくっ!」

 エリは顔を引きつらせ、くるりとバルググへ向き直る。

「バ、バルググ様、人は変われるのです! だから、互いに頑張りましょう! そう、わてちしのようにねっ!」


 バルググはぽかんとしながらも、静かにうなずいた。

「は、はい……」


 少しの沈黙ののち、バルググが思い出したように俺に尋ねた。

「……そういえば、創造主様。

 どうして俺が英雄になりたいことを……ご存じだったのですか?」


 俺は一瞬だけ視線を落とし、そして遠くを見た。

「さぁな。――昔、俺が知り合いの“英雄”に、少し似てたからかもな」


 バルググはその言葉を噛みしめるようにうつむき、やがて顔を上げた。

「……では、その英雄殿になれるよう、恥じぬよう日々邁進してまいります」


 俺は軽く拳を突き出した。

「いい返事だ、バルググ!」


 瓦礫の隙間から、差し込む光が彼の背を照らしていた。

 

 「お前たちも、ついてこい。」

 俺が言うと、バルググは一瞬戸惑った顔をした。

 「俺たちはこれでも、救星神認定選抜試験の――敵どうしのはずですが、よろしいのですか?」


 俺は振り返りもせず、声を張った。

 「試験だなんだのは、俺が全部終わらせる! だから、ついて来い!」


 言い終えると同時に走り出した。バルググも、鳥人も虫人も、その後に続く。


 石板を蹴る足音が迷宮にこだまする。

 だが数歩行くと、どこかから女の叫び声が裂けるように響いた。

 「きゃあああああ!!」


 足音を急がせ、その声の方へ向かうと、信徒たちが取り囲む炎の塊の中に、赤い衣を翻すリシャシェーラの姿があった。

 炎は彼女を取り巻き、まるで祈りの灯台のように揺らめいている。

 

 信徒たちは口々に「リシャシェーラさまぁ……!」と繰り返しながらも、近づいては上体を震わせて手を伸ばす。

 だが彼らの手はどこか遠慮がちで、炎の熱の前で尻込みしている。


 リシャシェーラは、天を仰ぎ、両手を胸の前で組んで祈りのポーズを崩さなかった。顔は静かに、しかし狂おしいほど確信に満ちている。

 「来てはなりませんっ! お忘れになったのですか、死こそが救済なのです!

 拙は天の導きに従い、先に救済の彼方へ参ります!」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の中の何かが煮えたぎった。

 言葉だけの“理想”を掲げて、人を焼き尽くすなんて真っ平だ。


 足が止まる間もなく、俺は炎の中へ飛び込み、リシャシェーラを抱き上げた。


 火花が飛び散り、俺の服の裾が赤く焦げた。

 だが燃焼の痛みなど気にならない。素早く手のひらで火を払うと、リシャシェーラの肩を抱えて引き離す。

 あとは、気迫で脱け出す。息が荒くなり、熱が肌を刺す。


 そうして、炎から逃れた俺は、大きく息を吐いた。

 「はぁ……死ぬかとオモッタぜ!」

 とつい本音が漏れる。


 リシャシェーラは目を見開き、震える声で俺を睨んだ。

 「創造主様、な、なぜ拙をお助けになられたのですかっ!

 死こそが救済だというのにっ!!」


 俺はふっと笑って、突如リシャシェーラの額を弾いた。

 軽いデコピンだ。


 驚きに目を見開く彼女に、俺は真剣な顔で言った。

 「お前、本当は生きたいんじゃないのか?」


 彼女が「そんなわけありま――」と反論しかけたその瞬間、俺は指先を伸ばして彼女の頬に流れる涙を指で弾いた。

 ぺっと、俺はそれを指で示す。


 「涙、出てんぞ」


 リシャシェーラは、震える指先で涙を拭った。

 泣いてなどいない――そう言い訳するように、掌で頬をなぞる。

 けれど拭っても拭っても、次の滴が溢れてくる。まるで胸の奥に積もっていた氷が、ようやく春を知ったかのように。


 俺はゆっくりと歩み寄り、静かに言葉を紡いだ。

「……お前は、今まで本当によく頑張ったな。いろんなことがあって、何度も死にたいと思ったはずだ。

 もういい。もう苦しまなくていいんだ。

 お前が、もう二度と、あんな目に遭わないような世界を……俺が作ってやるから」


 その声は、炎のようでいて優しく、どこか懺悔にも似た祈りの響きを帯びていた。

 リシャシェーラの肩が、小さく震える。瞳が揺れ、頬が紅潮していく。

 彼女は唇を噛みしめ、そして――まるで恋を知った少女のように、涙の中で微笑んだ。


「……はい……」


 その返事は、ひとひらの花弁のように脆く、それでいて世界のすべてを肯定するような、静かな光を孕んでいた。


 俺は肩越しに信徒たちの顔を見渡し、声を張った。

 「これは、お前たちにも言ってることだが……

 次に“死こそが救済”とか抜かしやがったら、そのときは――ぶっ殺すんで、よろしく!」


 一瞬、場が凍ったように静まる。

 信徒たちの目が丸くなり、口元に戸惑いの色が浮かぶ。

 だが、そこに微かな安心と敬意が混ざる温度も現れた。


 そのとき、横でエリザシュアが小首をかしげて、指を一本立てるようにして言った。

 「それ、少々矛盾しておりませんか、修一くん?」

 「別にそんなこと、いいじゃねぇか。――そんなことより、行くぞ!」


 俺の背後で、リシャシェーラが裾をたくし上げながら駆け、その更に後ろを信徒らがついてくる。

 紅く染まる地平を抜けると、そこには――あの“赤の森”が広がっていた。


 木々が天井に逆さまに根を張り、枝葉が地面を撫でる。風は止み、赤い靄が静かに揺れていた。

 それはまるで、天地が裏返った楽園の墓標。


 ルナテミスが息を呑む。

「……何なのだ、この赤い森は」


 エリザシュアが低く呟いた。

「分かりません。

 ただ堪らなく不吉な予感はします」


 しかし俺は、そんな二人の感想を聞き流し、鋭く前を睨む。

「感想言ってる場合じゃねぇ! 行くぞ、塔の中だ!」


 俺の声が響いた瞬間、空気が震える。

 一同は駆け出し、森の奥、逆さ樹海の中央にそびえる黒鉄の塔へと走る。


 塔の中は闇に沈み、階段は崩れ、天井からは錆びた鎖が垂れ下がっていた。

 足音だけがこだまする。

 

 ――その時、金属を擦るような音が暗闇の奥から聞こえた。


 「……来たな!」


 闇を割って現れたのは、巨大な斧を携えた悪魔。

 煤けた鉄の皮膚、仮面のような獣の頭。

 足を踏み出すたび、塔全体が呻いた。


 ルナテミスとグラウスが同時に前へ出ようとするが、俺は片手で制した。

「待て」


 その一言に、場が凍る。

 そして俺は一歩、悪魔の方へと進み出た。


「……シェラフィアス=エル=ヴァルハイル。俺だ。お前の創造主だ。」


 その名を聞いた瞬間、場の空気が変わった。

 シャーリアが目を見開き、グラウスの腕を引く。

 

「シェラフィアス=エル=ヴァルハイル……って、大天使のシェラフィアス様のこと!? 

 創ちゃん、何言ってるのかな、グラウスちゃん!?」


 グラウスは眉を寄せたまま、低く呟く。

「……創造主様のことだ。

 おそらく、裏の事情を知っておられるのだろう。」


 悪魔は、無言のまま立ち尽くしていた。

 そして――その手が、ゆっくりと“頭”を掴む。


 ぐしゃり。


 着ぐるみのような仮面が外される。中から現れたのは、光を帯びた白い髪と透き通る肌。

 さらにその下――鉄の鎧が裂け、闇を照らす一対の羽が広がった。

 幾何学的な文様を描く光輪が背後に浮かび、塔の闇を押し退ける。


 「な……まさか……」

 ルナテミスも、エリも、皆が息を呑む。

 自然と膝をつくほどの威光。


 そこに立っていたのは、かつて天界で出会った大天使――

 シェラフィアス=エル=ヴァルハイル。


 彼女の白衣は光を孕み、背中の羽が微かに震えるたび、聖歌のような音が空気を満たす。

 その姿は、まるで神話の頁から抜け出した生きた奇跡だった。


 「……どうして妾が、大天使シェラフィアスだと、お分かりになられたのですか。創造主様」

 シェラフィアスの声は澄み、どこか懐かしさを帯びていた。


 俺は、口の端を上げて答えた。

「何言ってんだ。――“過去”で会ったじゃないか」

 

 軽く肩をすくめながらも、その目だけは真剣だった。

「……もっとも、あの時の俺は、今の姿じゃなかったかもしれないがな」


 “過去”――その言葉に、イグフェリエルの瞳がわずかに細まる。


 そうだ。

 俺は彼女を知っている。

 

 俺が、かつて遺跡のループの中で出会った“斧の悪魔の中に潜む少女”の存在を。

 そして今、目の前に立つこの大天使こそ――その少女が“成長した姿”なのだ。


 シェラフィアスの瞳に、光が戻る。

 震える唇が、言葉を紡ごうとする。

「で、では……御身は……あのときの!」


 俺は、柔らかく笑った。

「――こんなに大きくなるまで待たせちまったな。

 ……助けに来たぞ、シェラフィアス。」


 その瞬間、塔の天井に光が走った。

 赤黒い闇を切り裂き、世界が再び息を吹き返す。


 沈黙の中、シェラフィアスの頬を、一筋の涙が伝った。

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