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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第3章 『テフ=カ=ディレム』

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第35話 一発だけだから

 道を進むたび、エリザシュアの息が荒くなっていった。

 

 肩越しに覗く彼女の顔は、青を通り越して灰に近い。

 唇は乾き、指先は震え、吐息のたびに胸の奥で何かが軋んだ。


「……修一くん。どうやら、わてちしは……さっきの汚染された川の水の毒素か、あるいは寄生虫か……。

 もう、身体が言うことを聞きません。」


 彼女は痙攣する手を押さえながら、かすれ声で言う。

「申し訳ないですが、わてちしはもう……修一くんの役には立てないようです。

 こんな壊れたガラクタは……どうか、置いていってください。」


 その言葉が、胸のど真ん中に突き刺さった。

 俺は無言でしゃがみこみ、背を向ける。


「なら――俺が役に立つ番だな。」


 短く言って、彼女を背負った。

 重さは羽のようだった。

 けれどその軽さが、命の残り火を感じさせて、どうしようもなく怖かった。


 しばらく歩いた先、空間が開けた。

 薄明かりが差す石の部屋。


 その中央に、ひとつの容器があった。

 それは、どこまでも透明で、まるで月光をそのまま閉じ込めたような水。

 

 見た瞬間、喉が叫んだ。

 俺は無我夢中で駆け寄り、手を伸ばした。


 ――が、鋭い声がその空気を裂いた。


「触るんじゃねぇよ。

 そいつは俺様たちのもんだ、エセ創造主が」


 その声に振り向く。

 そこにいたのは、獣人のバルググ。

 

 以前の面影はほとんどなかった。

 頬は削げ、牙の間から腐臭が漏れ、目の光だけが異様に生々しかった。

 

 周囲を見渡しても、かつての仲間である鳥人も虫人もいない。

 ――つまり、そういうことだ。


 俺は膝をつき、頭を下げた。

 額が冷たい床に触れ、誇りなんてとっくに砕けていた。


「頼む……。俺の分はいい。

 だが、毒に冒されてるエリの分だけ、どうか――恵んでくれ」


 バルググは、喉を鳴らした。笑っていた。

 その笑いは、空腹と狂気を煮詰めて濾したような音だった。


「ははは、懇願の声ってのはいいなぁ。

 エセ創造主が這いつくばる姿、最高じゃねぇか。

 ……だが、どうしようか?」

 そして、奴は俺に、水分の対価を提示する。

 

 「あぁそうだ。

 今の俺様はかなり溜まっているからなぁ、一発その女とヤらせてくれたら、こんなもんくれてやるよぉ」


 言葉の刃が、心のど真ん中を抉る。

 エリが背中で息を詰まらせた。

 

 俺の視界が、真っ赤に染まった。

 剣を抜くか、抜かないか。

 その境界線が、指の震えひとつで揺らぐ。


 だが、俺は深く息を吸い、そして吐いた。

 冷たい空気が肺を満たし、思考を冷やしていく。


「……そうか。ならもらうもんか」


 俺は短く呟くと、剣の柄から手を離した。

 そしてただ、ゆっくりと立ち上がる。

 

 そのまま、バルググの言葉も視線も無視して、奥の闇へと歩き出した。


 背後から嘲笑が降り注ぐ。

 けれど、それを浴びながらも、俺の歩みは止まらなかった。

 

 背に感じるエリの体温が、まだそこにある限り、進まなきゃならない。

 喉の渇きも、怒りも、屈辱も――全部まとめて飲み下す。


 重くなったエリの体を背負いながら、俺は足を引きずるように歩いていた。

 湿った石壁に、靴音だけが孤独に響く。


 背中のエリザシュアが、かすれた声で笑う。

「修一くんのためなら……身を粉にして、何でもしますのに」


 その言葉に、反射的に言い返す。

「冗談でも、そんなこと口にすんじゃねぇーよ」

 

 思ったより強い声だった。

 怒鳴るつもりはなかったのに、喉の奥から勝手に噴き出した。


 エリはすぐに項垂れ、「……申し訳ございません」と呟く。

 その声音が、どこまでも静かで、逆に胸が痛かった。


 ……あの獣人、バルググの顔が脳裏をよぎる。

 ムカつく。だが、あいつを憎むことはできねぇ。

 

 ――結局、ああいう性格にさせてしまったのは俺だ。

 終焉の穴を、産み落としたのは俺なんだ。

 責める資格なんて、どこにもねぇ。


 そんな自嘲が、湿った空気に滲みこんでいく。


 やがて、迷宮の果てに立ちはだかる巨大な扉へとたどり着く。

 鈍色の金属。


 触れた瞬間、ひやりとした冷気が指を刺した。

 力任せに押しても、びくともしない。


 背のエリザシュアが、壁を撫でるようにして言った。

「……古代文字、ですね。少し、お待ちを。」


 エリは痩せた指で、壁に刻まれた淡く光る文字をなぞる。

 古代の祈りのような響きが、ゆっくりと空気を満たした。


 やがて、彼女が解読した言葉を低く呟く。


「『――捧げよ、血の契約を。双魂の魂の赤が、門を染めるならば。汝らに道を、赦さん。』」

 

 つまりはあれか。血を流せば、開く。

 そういうことなのか?


 やってみないと分からない、刃が掌を裂き、赤が石床に落ちた。

 エリも指を噛み切り、血を流す。

 ――だが、扉は沈黙したままだ。


 雫の音だけが響く。

 「おかしいですね……確かに“血を流せば道が開かれる”と……」

 彼女の声が震える。


 俺は壁の古代文字を見つめる。

 《双魂の魂の赤が、門を染めるならば》


 双魂。

 ――そういうことか。


 「……求められてるのは、二陣営からひとりずつ、血を捧げないといけないってことじゃないか。

 ――つまり、別の救星神候補者の組の、誰かからも血を流さなきゃならない」


 俺は、拳を握りしめる。

「……さっきのバルググに頼むか?」

 

 そう呟いて、すぐに頭を振る。

 次、あいつとまた顔を合わせたら、確実に刃が交わる。

 そんな気がしてならない。


 思考が堂々巡りしているとき――空気が、揺れた。

 足音が三つ。

 硬質なブーツの音が、遺跡の静寂を踏み荒らす。


 角を生やした長身の男、ザルギエス。

 

 黒い鎌を携え、死そのもののような巨体、ネクロフィリア。

 

 そして、蒼髪の少女、ヴァルティーア。

 

 魔王軍断罪の四骸の三柱――闇の中で月光を纏うように現れた。


 「いやぁ、お久しぶりっすねぇ、二人とも──」

 軽口のような声が、通路の奥から転がってきた。

 角をかすかに震わせ、ザルギエスが現れる。

 

 だがすぐに、その声は凍りついた。

 俺たちの身体の状態を見た瞬間、何も言えなくなったのだ。


 「……随分と、無茶をなさっているようだな」

 低く、冷えた風のような声。

 死神ネクロフィリアが、武人めいた佇まいで近づき、俺たちを見つめる。

 

 「創造主様、大魔女様。ご容態は……」

 

 蒼髪の少女、ヴァルティーアが静かに跪き、丁寧に言葉を紡ぐ。

 「ザルギエス。先ほど拾った解毒剤を、ただちに大魔女様へ。お注射を」

 

 そして、ちらりとザルギエスへ視線を向けた。

 「了解っす、お嬢」

 

 ザルギエスはにかりと笑い、エリの服の袖をめくりあげる。針の先に光が走った。

 「ちょ、ちょっと待て! 本当にいいのか!?

 俺たちは、お前らに何もしてやれてないのに……!」

 思わず声が荒ぶ。


 「むしろ、この程度しかお力添えできず、申し訳ございません」

 ヴァルティーアは首を垂れ、深く頭を下げた。

 「……我らが創造主様」


 その言い方に、胸の奥がかすかに軋んだ。


 『天界で会ったときのヴァルティーアの雰囲気は、こんなだったか』という違和感と、彼女の温かさが同時に刺さる。

 だが今は受け入れるしかない。

 

 エリの身体に薬が注ぎ込まれる。痺れが消え、息が整い、彼女は小さく笑みをこぼした。


 「……感謝いたします」

 エリの声は、掠れていたが、確かに響いた。


 ネクロフィリアが扉に視線をやる。

 「この門は、如何なる原理を帯びていようか。

 ……成程。血を欲しているのか」


 俺は頷く。

 「そうだ。俺たちはもう血を流した。

 ……あとは、別の候補者の陣営の分が必要なんだ」


 その時、ザルギエスが前へ出た。

 「じゃ、ボクちゃんがやりますよ」

 

 そういうと彼は、

 ――ブツチチィィッ!

 

 そんな音を立てながら、軽い声のまま自分の右腕を、ためらいなく引き裂いた。

 鮮烈な赤が辺りに飛び散る。


 「なっ──何やってるんだ! そんな大量の血、必要ない!」


 ザルギエスは笑って、顔を上げた。

 「わははー!

 創造主様が右腕をなくし、苦しんでいるなら──ボクちゃんも同じように苦しまなきゃっすよ」


 その一言の直後、鈍い音を立てて、扉がひとりでに開いた。

 

 沈黙が崩れ、重い空気が動く。

 そして、ヴァルティーアが思い出したかのように、後ろを振り向き、口を開く。


 「──あぁ、そうでした。これだけはお伝えしておかねばなりません。

 勇者ルナテミス様より、伝言をお預かりしております」

 その名を聞いた瞬間、胸が跳ねる。


 「『シャーリアとグラウスとは逸れたが、我は無事だ。イグフェリエルも無事だ。必ず彼女を救星神へと再臨させ、世界を救おう──』

 ――彼女は、そう言葉を託してくれました」


 ヴァルティーアの声が金属の壁に反響した。

 俺は思わず詰め寄る。

 

 「いつ聞いた、それを!」

 「……随分前のことになります」


 息が詰まる。

 嫌な予感が、喉を焼くように広がった。

 だが、すぐに頭を振る。


 「いや、違ぇ。ルナテミスがそんな簡単に死ぬわけがねぇ」


 信じる以外に、この世界を進む理由なんてもうなかった。


 「……さあ、参りましょう。ザルギエス、ネクロフィリア」

 ヴァルティーアの囁きと共に、三人はそのまま、奥の闇へと歩を進めていった。

 

 そして俺たちも息を整え、先へと進む。

 

 ◇ ◇ ◇


 扉の向こうは、世界が変わっていた。


 冷たい風が頬を撫でる。

 けれどそれは自然の風ではない。

 どこかで割れた管から漏れ出す、機械の呼気のようなものだった。

 

 広がっていたのは、金属と静寂で組み上げられた、無限の都市。


 天井を見上げると、そこには空がない。

 代わりに、何百という歯車の円盤が回転し、鈍色の光を反射していた。

 

 その光が街路を照らす。舗装された床は鋼鉄、建物は立方体の塔群。

 どれも冷たく、無機的。


 そしてもちろん、人の影はない。


 「……何なんだよ、ここは……?」

 俺は息を呑む。


 錆びひとつない鉄の街。

 だが、生気も熱も感じられない。

 

 街の中央には巨大な塔がそびえていた。

 

 何層にも重なった円盤が回転し、内部から淡い青の光が漏れている。

 まるで、心臓を失った機械がまだ律動の名残を見せているように。


 俺とエリは、焼け焦げた鉄橋を渡り、沈黙する機械の巨像を越え、崩壊しかけた時計塔へとたどり着いた。

 

 塔の内部は巨大な歯車と鎖の森。金属が噛み合う音が、心臓の鼓動みたいに響いていた。

 「……上に、何かを感じます」

 エリザシュアの言葉に頷き、俺たちは崩れかけた階段を登る。


 そして──最上階。

 そこに、あった。

 

 荘厳な金の装飾に包まれた宝箱。まるで唯一の希望のように、ひと筋の光を放っている。

 「これが……救星神の指輪……! きっとそうだ、そうに違いないッ!」


 だが、その瞬間。

 「触るなァッ!!」

 

 背中に激痛が走り、俺は弾き飛ばされた。

 

 振り返ると、獣人バルググが血走った目でこちらを睨んでいた。

 「これは俺様のもんだ……! 俺様が! 皆を救うんだよォッ!!」


 狂ったように宝箱へと手を伸ばす。

 ――次の瞬間、世界が軋んだ。


 ガコンッ。

 歯車が唸り、床が沈む。

 「な、なんだッ──」

 

 バルググの身体は一瞬で鎖と歯車の渦に引きずり込まれ、

 金属の音と肉の音が混じり合い、轟音となって消えた。


 俺は……何も感じなかった。

 いや、違う。

 

 ほんの一瞬、心の奥底でこう思ってしまった。

 ――ざまぁみろ、と。


 自分が、こんなにも腐っていたことに気づくのが遅すぎた。

 

 エリの呼吸が、隣で震えている。

 だが、立ち止まるわけにはいかなかった。


 俺は慎重に歯車を避けながら、再び宝箱へと手を伸ばす。

 光の中、希望を――きっと救星神の指輪があることを。


 ――だが、そこに“それ”はいた。

 箱の中に、笑っている。


 頬が裂けるほどの笑顔。

 歯が無限に並び、眼窩からは虚無の光が滲んでいた。

 

 細身で、まるで“人間の仮面を被った悪魔”。

 微笑みの下に、何層もの地獄が覗いていた。


 「――■■■■■■■■■ッ!」


 およそこの世のものとは思えない声で、うなりを上げる。

 そしてそれは、宝箱から這い出した。

 

 細い手足が蜘蛛のように軋み、金属の床を滑る。

 掴まれた瞬間、俺の身体は凍りつくような冷気に包まれた。

 

 「しゅ……修一くんッ!!」

 エリの声が遠ざかる。


 視界が、ゆっくりと闇に沈んでいく。

 そして俺は、悪魔の笑みを最後に──意識を手放した。

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