第34話 真新しい遺跡
本話以降、物語の展開に伴って残酷な描写・流血表現がこれまでよりも濃くなります。
必要以上に直接的な表現はなるべく避けていますが、苦手な方は無理をせず、体調に合わせて読み進めていただければ幸いです。
物語の緊張と深みを描くためのものではありますが、どうかご自身を最優先に。
それでも読み続けてくださる方には、心より感謝を。
遺跡の中に進むと、壁が動き、入り口が塞がれた。
それにより、暗闇が現れる。
――闇よりも、なお暗い。
そんな表現が、今ほど相応しい場所はないだろう。
地の底にぽっかりと穿たれた遺跡の内部。
空気は湿り、重く、耳鳴りのような低音がどこからともなく響いていた。
遺跡とは名ばかりに、壁面は橙色に塗装され、光沢を帯びている。
金属とも石ともつかぬ素材が幾重にも重なり、継ぎ目のひとつすら見えないほど滑らかに整えられていた。
足を踏み入れるたび、靴底が乾いた音を立て、
それが妙に反響して、空洞の奥から機械じみた残響が返ってくる。
俺たちは突入前に支給された松明に火を灯し、頼りない光を前へ押し出すように進んでいく。
「ひ、ひぃぃ……ルナテミス様ぁ、怖いみゃおぉ!」
「ちょ、おいシャーリア!? 抱きつくな、動けなくなるではないかっ!」
勇者ルナテミスの甲高い声が暗闇に反響し、どこか間の抜けた可愛さを帯びていた。
その隣で救星神志望イグフェリエルは肩を震わせながら涙目で呟く。
「やっぱり……暗いところって、苦手です……ぅ……
引きこもり時代の暗黒を、つい思い出してしまいそうになるぅ……」
湿気と恐怖で士気が落ちかける中、グラウスが一歩前に出る。
松明の炎が、彼の冷静な横顔を照らした。
「僭越ながら、創造主様。
かなり精巧に造られた古代遺跡のようですが……この場所の詳細、何かご存じで?」
俺は首を横に振った。
「いくつか古代遺跡を創った覚えはあるが、こんなに奥深く続く構造は知らない。
……何か、おかしいな」
そう呟いた俺に、隣の魔女エリザシュアが怪訝な表情で口を開いた。
「ええ。おかしいと言えば――“これ”、です。」
「これ?」
「先ほど大天使様は、“魔術やスキル等は使用禁止”と仰せでしたが……
この遺跡の影響でしょうか、実際には、“使えない”のです。」
その言葉に全員が凍りつく。
ルナテミスが剣を構えようとし、顔を歪めた。
「……真だ。スキルを発動しようとしても、身体の起こりが一切ない!」
「そんなっ!」
シャーリアが悲鳴のような声を上げる。
「おら、擬態能力がなければ、何の役にも立てないってのに……!」
俺は周囲を見渡した。
暗闇が、まるでこちらを笑っているようだった。
そして、胸の奥に嫌な直感が走る。
「――ちょっと待て。
こんなところで立ち止まってたら、他の奴らに先を越される! 急ぐぞ、お前ら!」
俺は焦燥のまま、小走りで通路を進んだ。
その瞬間。
「修一くん、いけません!」
エリザシュアの声が響く。
「こういうときこそ慎重にならねば!この遺跡には何が潜んでいるのか、まだ――!」
遅かった。
俺の足元で、「カチリ」と鈍い音が鳴った。
次の瞬間、床の石板が沈み込み、視界が反転する。
空気が一瞬で消えたかのような感覚。
「――っ!」
崩れ落ちる床とともに、俺の身体は奈落へと吸い込まれていった。
聞こえたのは、仲間たちの悲鳴。そして――
「修一くんっ!!」
エリの声。
振り返る間もなく、紅の髪が闇を裂き、彼女は俺に飛び込んできた。
次の瞬間、俺と魔女エリザシュア・ルミナは共に闇の底へ――墜ちていった。
◇ ◇ ◇
俺たちは、なんとか無事に落下を終えた。
――と思った次の瞬間、横に立つエリがじっと俺を見ていた。
その瞳には、怒りと呆れが滲んでいる。
視線だけで胸の奥を貫かれるような感覚だった。
「……悪かった。俺の不手際のせいで、こんなことになって。本当に申し訳ない」
素直に頭を下げると、彼女は腕を組み、そっぽを向いた。
「べ、別にいーですけどぉ!」
口ではそう言うが、鋭い眼球が、明らかに怒りは冷めていないことを示す。
ややあって、エリは息を整え、冷たい声で言った。
「こうなってしまっては仕方がありません。
ルナテミス様たちとは別行動で――救星神の指輪、その在り処を探すと致しましょう」
くるりと背を向け、裾を翻し歩き出す。
俺は慌ててその後を追った。
足音が乾いた石の床に反響する。
天井から滴り落ちる水音が、まるで時計の針のように静寂を刻んでいた。
「まさか、あんなトラップがあるとはな……。まぁ、遺跡なら当然かもしれないけど」
「たしかに少々不可解ですね。
地割れによって現れたばかりの古代遺跡で、罠がいまだに作動しているなんて――まるで誰かが今も維持しているみたい」
その言葉に、背筋を冷たいものが走る。
奥へ進むたび、罠は容赦なく牙を剥いた。
足元の床板を踏めば、轟音とともに火の矢が放たれる。
壁が裂け、赤い炎が舌を伸ばす。
石畳の隙間から噴き出した毒霧が視界を曇らせた。
息をするだけで喉が焼ける。
汗が額を伝い、背中を張り付かせる。
それでも止まれなかった。
罠をかわし、転げ、立ち上がり、また進む。
どれほど時間が経ったのか分からない。
暗闇と湿気、そして沈黙。
景色は変わらず、時間の感覚さえ狂い始める。
喉の渇きは痛みに変わり、空気が重く肺を圧した。
俺たちの精神が、着実に荒んでいくのを感じる。
「――だいたい修一くんが、最初に罠にかからなければ、もっとスムーズに行けたはずだろうがよぉぉ!」
エリが珍しく声を荒げる。
「……お前が、関係ない話で時間を潰してたのが、悪いだろぉっ!」
俺もつい大人げなく、言い返してしまう。
狭い通路に、互いの怒声が反響していく。
数秒の沈黙。
そして、ふたり同時に小さく息を吐いた。
「……修一くん、ごめんなさい。頭がおかしくなってるんです……」
「いや、俺が悪い……すまん」
空気が少しだけ柔らかくなる。
その時だった。
前方の闇の向こうに、微かな光が差し込んだ。
薄明かりが壁を照らし、石の模様が浮かび上がる。
「……見えるか、エリ?」
「ええ……」
希望が胸を弾かせた。
ようやく景色が変わる。
俺たちは顔を見合わせ、ほとんど同時に駆け出す。
光のもとへと足を進めた。
そして、俺は息を呑んだ。
――そこは、森だった。
ここは遺跡の中。
屋内のはずなのに、緑があった。
いや、赤があった。
木々は逆さに生えており、根が天井に突き刺さり、幹からはどす黒い樹液がゆっくりと垂れ落ちていた。
地面はその液で赤黒く染まり、ぬかるみのように足を取られる。
風はないのに枝葉がざわめく。
まるで森そのものが“呻いている”ようだった。
「……な、なんだここ……」
吐息が白く曇る。
冷気ではない、恐怖のせいだ。
前方に小さな川が流れていた。
淡く光り、まるで聖水のように見える。
喉の渇きに耐えかね、俺たちは子供のように声を弾ませた。
「やった……水だ!」
駆け寄ろうとしたその瞬間、魔女が俺の肩を掴んだ。
「お待ちください、修一くん。まずはわてちしが――」
彼女は膝をつき、両手ですくって一口飲んだ。
だが、次の瞬間――。
「っ……ぅおえぇぇええっ!」
エリは激しく咳き込み、血と泡を吐き出した。
吐瀉物の中には、細長い何かが蠢いている。
「おい、だ、大丈夫かッ!?」
俺が駆け寄ると、彼女は震える声で告げた。
「……この水……汚染されています。
寄生虫が、繁殖して……飲めば、体内を……蝕まれます……」
その言葉に、背筋が氷のように冷たくなる。
彼女は、自らを犠牲にして俺を止めてくれたのだ。
「……すまねぇ……ほんとに……」
俺はただ、そう呟くことしかできなかった。
その後も、血に染まった森を進む。
足を踏み出すたびに、ぐちゃり、と肉を踏むような音が響く。
どこからともなく笑い声のような風が通り抜け、視界の端では影が蠢いていた。
やがて、木々の向こうに塔のような建物が見えてきた。
崩れた煉瓦、傾いた鉄門、壁面を這う無数の黒い紋様。
俺たちは警戒しながら中へ入る。
自分たちの足音が、まるで何かを呼び覚ます呪文のように響く。
石壁に跳ね返る音が、どんどん不気味な重低音に変わっていく。
そして――視界の先に、懐かしい影が見えた。
「……シャーリア……? グラウス……!」
信じられない思いで駆け寄る。
仲間の姿を再び見た喜びに、胸が震えた。
数十時間ぶりに見る生きた人の姿――そう思った、その瞬間。
「逃げ……て……創ちゃん!」
シャーリアの悲鳴が響いた。
だが、その言葉の続きを待つ暇もなかった。
――ズバァァァァンッッ!!
鈍い音とともに、二人の胴体が真っ二つに裂けた。
熱い飛沫が頬を叩く。
生暖かい血が、俺の顔を染めた。
「な……何が……」
声が震える。視界が揺れる。
その時、空気が歪んだ。
影が膨れ上がり、闇が形を持つ。
そこにいたのは、地獄の悪魔のような禍々しさを帯びた存在だった。
身の丈は三メートルを優に超え、皮膚は漆黒の鋼。
腕は丸太のように太く、握られた巨大な斧が血のような光を放っている。
頭部には獣のような角、そして胸元からは腐った心臓のようなものが脈打っていた。
その眼は俺を見据え、ゆっくりと嗤った。
驚きも、思考も、何も追いつかなかった。
――次の瞬間、俺の右腕が消えた。
いや、斬り落とされたのだ。
視界の端で、何かが宙を舞う。
赤い軌跡を描きながら、床に落ちた。
それが自分の腕だと理解するより先に、焼けるような痛みが脳を突き抜けた。
「ぁ……あ、ぁああああアアァッッ!!!」
喉が裂けるほどの悲鳴。
呼吸ができない。
視界が真っ白になり、ただ地獄の悪魔の巨影だけが濃く浮かび上がる。
その巨腕が、再び斧を振り上げた――
「修一くんッ!!」
エリが飛び込んできた。
その身で俺を抱え、斧の軌跡から弾き飛ばす。
轟音とともに石壁が砕け、破片が降り注ぐ。
俺たちは近くの崩れた柱の陰に身を潜めた。
彼女は息を荒げながら、自らのスカートの裾を裂き、それを素早く俺の右肩に巻きつける。
「――じっとして、ください……!」
震える手で布を引き締める。
強烈な痛みとともに、血流が止まる感覚があった。
鉄の匂いが鼻を焼く。
頭の中では、数十秒前の光景が繰り返されていた。
シャーリアが裂かれ、グラウスの臓腑が飛び出し、赤と白が混ざりあって床に散った。
――腸が、肝臓が、腎臓が、胃が、肺が、心臓が、臓物が飛び出た瞬間を。
脳がそれを拒絶しようとしているのに、視界の裏に焼き付いて離れない。
そしてふと、自分の右腕に視線を落とした。
――何も、ない。
腕の「あった」はずの場所に、空気しかない。
その瞬間、思考が切れた。
「うああああああああああッッッ!!!」
絶叫が洞窟に響き渡る。
その声に呼応するように、地獄の悪魔の足音が近づいてきた。
ドン……ドン……と地を踏むたび、遺跡の壁が震える。
エリは俺の頬を叩き、涙混じりに叫ぶ。
「正気になってください、修一くんっ!
わてちしがなんとか奴を引きつけます! その隙に――お逃げくださいッ!」
言い終える前に、彼女は立ち上がり、遮蔽物の外へ飛び出した。
「こっちだ! 地獄の悪魔ッ!!!」
その声が響くと同時に、金属音が鳴り響いた。
魔女エリザシュアが手にしていたのは、鎖で編まれた鞭――魔術が封じられた今、唯一の武器。
護身用として持ち合わせていたのだが、役に立った。
鞭がしなり、音速を超える風を裂く音が響く。
鋭い鎖の先端が悪魔の腕を切り裂き、火花を散らす。
「ははぁ!……魔術しか使えない、非力な女だと舐めないことですねぇ!」
挑発の笑み。
その目は恐怖を押し殺した戦士のものだった。
だが――悪魔は鞭を無理やり掴み、引き寄せる。
鎖が千切れ、彼女の体が引き倒される。
「くっ……!」
壁際に追い詰められ、悪魔の巨腕が再び振り上がる。
その瞬間、鈍い音とともに、悪魔の腹から血が噴き出した。
「――え?」
エリの視線の先。
そこに立っていたのは、左手だけで剣を握る俺だった。
片腕で振り抜いた剣が、悪魔の体を貫いていた。
握る手は震えていた。
痛みも恐怖も、もう感じない。ただ――怒りだけが残っていた。
「……よくも俺の、大切な仲間を…………ッ!!!」
悪魔が咆哮を上げる。
俺は力を振り絞り、剣を捻った。
血が噴き出し、異形が崩れ落ちる。
その体が地を打つ振動が、まるで心臓を鷲掴みにするように響いた。
「……取り乱して悪かった」
俺が言うと、エリは少しだけ微笑んだ。
「えぇ、仕方のないことです」
その穏やかな声が耳に残った瞬間――左目の奥が焼けるように痛んだ。
視界がにじみ、赤と黒が混ざる。
思わず目を押さえうずくまると、彼女がすぐに膝をついた。
「おそらく……悪魔の返り血が、目に入りましたね。何かの病に感染したのかもしれません」
そう言うと、彼女はまた躊躇いもなく自分のスカートを裂いた。
白い布を細く裂き、俺の頭に優しく巻きつけていく。
布の端が頬に触れるたび、血と香草の匂いが鼻に届く。
「……ありがとう」
その言葉しか出てこなかった。
ようやく痛みが落ち着くと、俺は――見たくもない現実を、見た。
地面に転がるシャーリアとグラウス。
つい昨日まで笑っていた仲間が、いまは二つの血溜まりの中に沈んでいる。
足が震え、膝が勝手に折れた。
「……ごめん……本当に、ごめんな……救ってあげられなくて!」
嗚咽が止まらなかった。喉が潰れるまで、何度も謝り続けた。
その背に、そっとエリの手が触れた。
細く冷たい指が、震える肩をさすってくれる。
ふと、彼女も泣いているのがわかった。
音もなく、ただ静かに小さな涙をこぼしていた。
どれくらい時間が経ったのか。
ようやく立ち上がった俺は、かすれた声で問う。
「……あれは何なんだ。あの化け物は」
彼女は一度だけ目を閉じ、低く答えた。
「僅かにですが……“神性”を感じました。おそらく、天使の成れの果ての類でしょう」
「天使……だと……?」
俺の脳が理解を拒んだ。だが魔女は冷静に続ける。
「この遺跡は恐らく、最初から“わてちしたちを殺す”ために造られたものです。
大天使……いいえ、天界そのものの罠でしょう」
「なぜだ!」
思わず叫んだ。
「なぜ俺たちを殺す必要なんてある!?」
魔女はゆっくりと首を振る。
「理由なんて……もはやどうでもよいのですよ。
でも。もうこうなったら、生き残るためには、天界を信じ救星神の指輪を見つけ、試験を終わらせる他ありません」
その瞳には、絶望よりも強い覚悟があった。
俺は唇を噛み、血の味を感じながらうなずく。
「……わかった。進もう」
シャーリアとグラウスの遺体に近づく。
申し訳なさそうに手を合わせ、使えそうな物資を漁る。
「……無駄にはしねぇ」
そして、二人の亡骸に背を向ける。
残響のように、足音が塔の中で何度も跳ね返った。
血の匂いがまだ鼻の奥に残る中、
俺とエリは――沈黙のまま、遺跡の奥へと歩みを進めた。




