第33話 救星神認定選抜試験
第一会議室に足を踏み入れると、整然と並ぶ机と椅子が目に入り、まるで学園の教室のような雰囲気だった。
壁には天界の紋章が刻まれ、中央の壇上には白衣をまとった天使たちが立っている。
受験番号が書かれた札を見つけ、イグフェリエルは自分の席に腰を下ろした。
周囲にはヴァルティーア、バルググ、リシャシェーラなど、見覚えのある顔ぶれがちらほら。
やがて羽ばたきの音とともに試験官の天使が降り立ち、柔らかな声で告げる。
「これより学科試験を開始します。静粛に」
問題用紙と答案が一人ひとりの机に配られ、チャイムの音が響いた瞬間、空気が一変した。
筆が一斉に走り出す。
イグフェリエルは最初こそ順調だったが、途中で眉をしかめる。
「うわー……これなんだっけ? 完全にド忘れしたー!」
隣の受験者がくすくすと笑う中、彼女は必死に頭をひねる。
一方のヴァルティーアは、開始から十五分ほどで答案を書き終え、退屈そうにペンを回していた。
机の上に肘をつき、瞳を半分閉じたまま、他の受験者の様子を冷めた目で見渡す。
獣人のバルググは鉛筆を噛みながら唸り、修道女リシャシェーラは祈りを口にしながらも懸命に筆を動かしていた。
再びチャイムが鳴り、試験終了。
次は「希望降臨儀」と呼ばれる実技試験だ。
受験者たちは天使の案内で別の部屋へと誘導され、ひとりずつ呼ばれていく。
イグフェリエルは順番を待つ間、胸に手を当てて深呼吸した。
「次は……イグフェリエル=テラ=オルディア」
名を呼ばれ、彼女は立ち上がる。
試験官の天使が静かに告げる。
「この水晶に手をかざすと、あなたの中の“希望”を試すいくつかの問いが現れます。
その問いに誠実に答え、心から希望を宿すことができれば――
水晶は光を放ち、この第二関門は晴れて合格となります。」
イグフェリエルは唾を飲み込み、ゆっくりと頷いた。
心を落ち着かせ、震える手を水晶にかざす。
瞬間、水晶の中に幾千もの光が走り、声が響いた。
――「あなたにとって“救い”とは何ですか?」
イグフェリエルは息を呑み、目を閉じた。
創造主田島修一やエリザシュアと、散々練習した日々を思い出す。
そして、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「此方にとって“救い”とは、誰かに“ありがとう”と言ってもらえることです。
昔、此方が人間だった頃、戦火の中で泣いている子供を抱きしめると、その子が、笑って“ありがとう”って言ってくれました。
その時の笑顔が、此方の“救い”の原点なんです」
イグフェリエルは、今度は迷いなく躊躇いなく、そう言葉を発すると、頬を一筋の涙が伝い、唇が微かに震える。
だが、その声はいつもの明るさとは違い、神聖で、まるで天上の鐘が鳴るように凛としていた。
水晶の内部に、淡い光がひとつ灯る。
すると低く響く声が彼女に問いかけた。
――「よろしい。……では、イグフェリエル。
あなたは一度、“救星神”の座を退いた身。
その光を手放し、希望の座を去った者が――もう一度、その頂に立つと申すのか。」
イグフェリエルは小さく息を吸い、胸の奥から言葉を絞り出すように答える。
「確かに、此方は一度その座を退きました。
しかし下界の方々と触れ合う中で、此方が世界にとってどれだけ影響を与えていたのかを知りました。
だからこそ――もう一度、救星神になりたい。今度こそ、彼らを照らす光になりたいから」
彼女は拳を握り、真剣なまなざしで水晶を見据えた。
「ひとたび消えた光には、たしかに意味が、意義がありました。
――それは、絶望の闇に沈むためではなく、再びより輝くための、ほんの“夜明け前”だったのです」
イグフェリエルは胸に手を当て、静かに微笑む。
涙の跡が、光を反射して微かに煌めく。
「だから、今度こそ……誰の手も、もう離しません。
幾度、闇に呑まれようと、此方がその光を掲げ続けます。
皆を照らし、導き、――希望を、この手で灯してみせます!」
言葉が終わると同時に、水晶が脈動するように強く光を放った。
白い光が彼女を包み、部屋全体が柔らかな輝きに満たされる。
水晶は答える。
――「よろしい。イグフェリエルには救星神の資質があることを、ここに認める」
その瞬間、彼女の瞳に確かな光が戻っていた。
◇ ◇ ◇
天界の白光が差し込む階段を下り、イグフェリエルがふらふらとこちらへ歩いてくる。
肩で息をして、手には受験票をぎゅっと握りしめていた。
俺は軽く笑いながら声をかける。
「どうだった? お前のことだ、きっとうまくいったんだろ?」
イグフェリエルは頬を赤らめ、少しうつむきながら答えた。
「き、希望降臨儀は……なんとか成功しました。
けど……学科試験のほうは、いくつか分からない問題があって……」
声はどこか弱々しく、不安に満ちた顔であった。
その様子に魔女エリザシュアが腕を組んで頷く。
「たしか、最終試験に進めるかどうかの合格発表は“天より降りし花弁が、その手に落ちて開けば合格”ということでしたよね」
そのとき、シャーリアがぱっと指を伸ばして叫んだ。
「皆さん、あれ! 空から花が降ってきてますみゃ!」
天の裂け目から、淡い金光をまとった花弁がひらひらと舞い降りてくる。
無数の受験者たちが息を呑むなか――ひとひらの花が、イグフェリエルの手のひらにそっと落ちた。
俺たちは固唾をのんで見守る。
「……さぁ、開くか……!」
花弁がゆっくりと震え、次の瞬間――ぱあっと眩い光を放って開いた。
「開いた……!」
歓声が弾ける。
シャーリアやルナテミスがイグフェリエルに飛びつき、グラウスは満足げに頷く。
魔女エリザシュアでさえ、ふっと口元をほころばせた。
その直後、天界全体にアナウンスが響いた。
『受験者の皆さま、学科および希望降臨儀、お疲れさまでした。
惜しくも合格に届かなかった方々も、素晴らしい健闘でした。
――見事、最終試験へと進まれる皆さまは、第一会議室へお越しください。詳細のご案内をいたします。』
俺たちは顔を見合わせ、頷き合う。
「行くか」
◇
天界の白き廊下を抜け、第一会議室に足を踏み入れると――そこには見覚えのある顔が揃っていた。
魔王軍断罪の四骸の面々、獣人たち、修道女リシャシェーラの一行。奇しくも、これまで関わってきた者たちが揃っている。
俺たちは静かに席へと腰を下ろした。
第一会議室の空気は、沈黙の針を一本ずつ刺すように張り詰めていた。
そんな時、天井から淡い光が差し、あの大天使――シェラフィアス=エル=ヴァルハイルがゆっくりと降りてきた。
あのとき初めて会ったときと同じく――厳かで、しかし威厳に満ちた存在感が場内を一瞬で支配する。
「皆さま、まずは本日の学科および実技、大変お疲れさまでした」
大天使は穏やかに、しかし確かな声で我々に言葉をかける。
その視線が一巡して、やがて最終試験の説明が始まった。
「皆さんはご存じでしょうか――“救星神の指輪”というものの存在を」
その言葉が放たれた瞬間、ざわめきが広がる。
ルナテミスが眉を寄せ、エリザシュアが小さく息を呑むのが見えた。
俺もまた、自然と背筋を正す。
シェラフィアスは瞼を伏せ、まるで祈りを捧げるように続ける。
「それはかつて、救星神が身に着けていた、象徴の指環。
その輝きは、滅びゆく時代の中において、ただひとつ……希望を映した光でした。」
言葉のひとつひとつが、まるで鐘の音のように心の奥へと響いていく。
――だが、彼女の声はそこで微かに揺れた。
「けれど……その指輪は、前任の救星神と共に消滅しました。
光は天より堕ち、地に散ったのです。」
空気が一瞬、凍りつく。
イグフェリエルは、心なしか気まずそうな顔を浮かべる。
瞳の奥に確固たる意志が宿っていた。
「……けれど、その光は完全に失われることはありません」
彼女の背後で、六枚の羽が淡く広がる。
その羽が、まるで神託を告げるように光を撒き散らした。
「時を経て、世界のどこかで――再び“誕生”するのです。
それが、このテフ=カ=ディレム。
地割れによって露出した新たな遺跡にて、“再誕”の反応を示しました。」
俺は思わず息を呑んだ。
シェラフィアスは再び高らかに告げる。
「よって、これより行われる最終試験の内容を告げます!」
その声が天へと響き渡り、この部屋全体が光に包まれる。
「あなた方、四陣営には――その遺跡を探索してもらいます。
そして、その深奥に眠る“救星神の指輪”を、最も早く見つけ出した者。
――その者こそが、次代の救星神として、天にその名を刻むでしょう!」
辺りに、緊張が走る。
俺自身、胸の奥がきゅうと締め付けられるのを感じた。
遺跡――しかも地割れで露出した新しい場所。
めまぐるしく過酷な空気が想像できる。
大天使シェラフィアス=エル=ヴァルハイルは、静かに翼を広げて告げる。
「――次に、試験の規定を伝えます。」
透きとおるような声が、天蓋の鐘のように響き渡った。
その一言に、空気が震え、誰もが息を呑む。
「最終試験に関しましては、事前にお伝えしました通り、最高5人までの同伴者を許可します。
そして、いずれかの者が“指輪”を手にするまでは、遺跡の外へ出ることはできません。
外部との連絡、撤退も一切認められません」
シェラフィアス=エル=ヴァルハイルの金の瞳がゆるやかに巡る。
慈悲にも似た眼差しの底には、冷たい審判の光が宿っていた。
「また、魔術および固有スキルの使用は禁止。
この試験は、貴方がた自身の“意思”と“信念”を測るものです」
白羽の裾が揺れる。
次の瞬間、彼女の声が少しだけ低く、威を帯びた。
「持ち込み禁止の物品は別紙の通り。
霊薬、通信機器、魔導具など、遺跡調査に不適切な物は一切持ち込み禁止です」
大天使は視線を巡らせ、静かに結ぶ。
「――以上の違反は即時失格。
これは天の試練であり、決して遊戯ではありません。」
説明が進むたび、最終試験の実感が湧いてくる。
大天使が説明を終え、丁寧に「ご質問はありますか」と問うた瞬間、場の緊張は一度だけほぐれ、しかしすぐに奇妙な空気が広がった。
断罪の四骸の一人、ザルギエス=ファブラスが身を乗り出し、ふざけた調子で手を挙げたのだ。
「ねぇねぇ、大天使様……いや、シェラフィアスちゃんって恋人とかいるんすか?
いなかったら、ボクちゃんと付き合ってくれませんかねー? いや、いたとしてもボクちゃんと結ばれましょうよ!」
場内は呆気と困惑でざわついた。
大天使は一瞬視線をザルギエスに向けるが、流すように無視して「……他に質問は?」と続けた。
ところがザルギエスは次の瞬間、場の空気をさらにざわつかせるような質問を口にした。
声はからかったようで、内容は冷たかった。
「じゃあさ、他の受験者を全員――殺すのはどうなんすかね?」
周囲の視線が一斉にザルギエスへ向く。
冗談のつもりなのか、試しの言葉なのか。
彼は軽く笑って場をやり過ごそうとしたが、その一言は確実に刺さった。
大天使は一瞬だけ表情を引き締め、しかし言葉は落ち着いて冷徹だった。
「規則上に“殺害”を直接的に禁じる条項は書面にないかもしれません。
ですが――遺跡の奥深くに何が待ち受けているか、ここにいる誰も知り得ません。
『他者を排除して先に進む』などという愚策は、結果的に自らを滅ぼす行為に等しい。
故に、そのような行為は許容されず、最も愚かな戦術であると断じます」
その声には、統治者としての静かな威厳が宿っていた。
ザルギエスは素早く表情を変え、場を和ませるように手のひらを大きく振る。
「あはは、すんませんすんません!
ボクちゃんはどうやらとんでもないお馬鹿さんだったようです!
皆さんご迷惑かけましたー!」
と、軽口で取り繕う。だが会場の空気は元には戻らず、各々の瞳にはより鋭い覚悟が灯っていた。
俺はそのやり取りを見ながら、心の中で冷たい算段を巡らせた。
ルールは厳格だ。魔術も使えぬ。ならば、情報と連携、足腰と判断力が勝敗を分ける。
参加者は計四陣営――俺たちの陣営がどれほどの速さと結束を見せられるか、それがすべてだ。
大天使シェラフィアスは最後に低く言った。
「では、皆さま。準備を整え、こちらの転移陣に乗り、遺跡へと移動してください。健闘を祈ります。」
その声に、会場は一斉に動き出した。俺たちは席を立ち、瞳を合わせ、短く頷き合った。
行くべき場所はテフ=カ=ディレム、その地割れの底に眠る遺跡だ。
俺たちの転移が始まるその直前、大天使シェラフィアス=エル=ヴァルハイルが誰にも聞こえないよう小さく、
「死は救済なり……」
そう、呟いた気がした。
◇ ◇ ◇
――転移の光が収まった瞬間、視界を満たしたのは、地の裂け目の底に口を開く巨大な影だった。
地割れは深く、暗灰色の霧が渦を巻いている。
底にそびえるのは、古代の神殿とも、巨獣の骸とも見える遺跡。
半ばが地層に呑まれ、壁面の半分は岩盤と融合しているせいで、その全貌は掴めない。
見ようによっては天を貫く塔のようであり、また別の角度から見れば、沈みゆく都市の断片にも見えた。
とんでもなく巨大なのか、それとも錯覚するほど歪な造りなのか。
ただひとつ言えるのは、この場所が「人の領域ではない」ということだけだった。
入口は複数。
各陣営ごとに開始場所が割り振られているらしい。
俺が一歩前に出て、他の陣営を見渡しながら言った。
「……よし。正々堂々、全力でやろうじゃないか」
修道女リシャシェーラが静かに頷き、
「えぇ――お互い、死力を尽くしましょう。」
断罪の四骸ザルギエスが不敵に笑う。
「創造主様とこんな形で争えるなんて――幸福の極みっすよ。」
獣人バルググが牙を剥き、
「エセ創造主が……仕切ってんじゃねぇ。救星神になるのは、俺様だッ!」
一触即発の空気。
だがイグフェリエルが一歩進み、涼やかな声で告げた。
「行きましょう。――光を、取り戻すために。」
彼女の合図と共に、四陣営がそれぞれの入口へと消えていった。
崩れた階段を下りながら、俺はほんの一瞬だけ、背後の裂け目を振り返る。
――このときの俺には、知る由もなかった。
ここに集った全員が、遺跡の奥で命を落とすことになるなど――。




