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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第3章 『テフ=カ=ディレム』

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第32話 天界の受付会場

 「「「「「「ホイホイ・チャカポコ・バンバン!テフテフ・ディレム・ドンドコ!アラホイ・カラカラ・ドゥンドゥン!テフカ・ディレム・ホロホロ・ウキウキ・バカラッパ・サンバラァ!」」」」」」


 天界――再びその門をくぐる瞬間、俺たちの視界は光に呑まれた。

 空は雲と星が共存する幻想の海。


 透き通るような白金の雲が層を成し、その合間を流れる星の川が静かに瞬く。

 神々の息吹が、淡く漂っているかのようだった。


「うわぁ……やっぱり何度見てもすごいみゃお! 見てよあれ、グラウスちゃんっ!」

 シャーリアが両手を広げ、風に髪をなびかせる。

 

「静謐だ……心が浄化されていく」

 グラウスは低く呟き、腰に手をやる。その横顔には戦士としての矜持が漂っていた。


 だが、ひとりだけ眉をひそめる者がいた。勇者ルナテミスだ。

「ただ、ひとつ文句を言うならば――あの奇妙な舞踊と呪文詠唱、どうにかならんのか!?

 見ろ! エリザシュアなんか、恥じらいのあまり気を失っているぞ……ッ!」

 

「………………」

 魔女エリザシュアが顔を真っ赤にして地面に突っ伏す。


 そんな中、俺はふと背後を振り返った。

 そこには、彼女がいた。


「なあ、イグフェリエル」

 俺は苦笑しながら言う。

「救星神に戻った暁にはさ、あの呪文と舞……もう少しマシなやつに変えておいてくれないか?」


 すると、彼女――イグフェリエルはぴたりと動きを止めた。

 そして、ゆっくりと顔を上げる。


 金の瞳に、かつての輝きが宿っていた。

 その声は、以前のようなだらけきったものではない。


 堂々とした覇気と誇りを取り戻した声で――。


「そのように仰せ仕ることを、知り給え――創造主様よ」


 空気が震えた。

 天界の風が、まるで彼女の再誕を祝福するように吹き抜けた。


 ついこの間まで、部屋の隅でポテチを食いながらゲームコントローラーを握っていた堕落神は、もうどこにもいなかった。

 だらしなく伸びたTシャツも、生活感にまみれたジャージもない。

 語気にもかつての威厳が垣間見え、思わず跪き、敬服してしまうほどだ。

 

 代わりにそこに立っていたのは、かつて俺が描いた“理想の救星神”に限りなく近い存在だった。


 ――白い衣。

 大魔女エリザシュアが新調したというそれは、古代ギリシアの女神像を思わせる意匠で――

 淡い光を透かす半透明のオーガンジーが幾重にも重なり、風にたゆたうたびに微かに輪郭をぼかす。

 

 布の隙間からは、細く引き締まった脚が片方だけ覗いていた。

 その露出は、清らかさと危うさの境界線を巧みに踏み越えていた。

 

 恐らく大魔女エリザシュア・ルミナの趣味嗜好だろう。

 

 少し前までの彼女――イグフェリエルは、ソファに沈み込み、髪は寝癖で跳ね、腹部は不穏な柔らかさを主張していた。

 だが今、その面影はもう欠片すらない。

 

 眼鏡を外し、鋭い眼光で遠くを見据えている。

 努力の結晶がそのまま輪郭に現れ、余計な脂肪は削ぎ落とされ、しなやかな肢体だけが残った。

 動くたび、肩から腰へと流れるラインが生きている。


 ただ、翼だけは――まだ折れたままだった。

 黒く、哀しみを象徴するように左右非対称のまま背に張り付いている。

 だが、救星神への道はそう遠くないように感じる。


「創造主様、何をそこで呆然としている。

 此方は確かに、類まれなる美貌を併せ持っていることからして、その行動原理は理解できなくはない。

 だが、そうまじまじと刮目してしもうては、此方以外に恋に落ちることは叶わぬことを知り給え」


 そう女神の威厳を以て、イグフェリエルは俺に早くついて来るように促す。

 

 天界の空気は、地上とはまるで密度が違う。

 光が粒になって降り注ぎ、肌に触れるたびに神経の奥まで染みわたっていくような――そんな、透明な圧力を帯びた空間だった。


 城の扉が開いたその先、かつて見たときと同じ、広大なエントランスがあった。

 だが、今は少し以前と違う。


 ――喧噪があった。

 ざわめきがあった。

 そして、生の熱気があった。


 天界の大理石の床の上には、信じられないほど多種多様な“民”がいた。

 人間、獣人、エルフ、竜人。

 誰もが胸を張り、あるいは不安を押し隠すようにして、神妙な面持ちをしている。


 そりゃそうだ。

 救星神とは、この世界において最高の存在。

 

 天使たちでさえ頭を垂れる、絶対の象徴。

 そんな座に「試験に合格すれば」なれるのなら、挑まない理由などどこにもない。


 俺は軽くあたりを見渡した。

 見覚えのある顔がちらほらと混じっている。


 ――パブで出会った、あのいけ好かない獣人。そしてその仲間の、鳥人と虫人。

 名はたしか、バルググ。

 

 あいつも受験者か。

 目が合った……ような気がしたその瞬間、そっぽを向かれた。


 その少し先――

 修道服をまとった女性の姿が見えた。

 

 教会の修道女、リシャシェーラ。

 彼女は信徒を数人引き連れ、穏やかな微笑みでこちらに礼をした。

 

 俺も軽く頭を下げる。

 どうやら、彼女を祈りを捧げるものとして、この試験に参加しているようだ。


「では、受付は我らで行ってくる」

 勇者ルナテミスがそう言い、手を軽く振る。

 シャーリアとグラウス、そしてエリも続いて歩き出した。


「イグフェリエル、少しでも心を安らげておけよ」

「……此方の心に、ひと波の揺らぎなどない」


 ルナテミスのイグフェリエルを気遣う声に対し、イグフェリエルは毅然とした声を発する。


 残された俺とイグフェリエルは、入り口近くの壁に沿って作られた長い椅子に腰を下ろす。

 天井は雲のように白く、どこからともなく讃美の歌が響いていた。


 試験開始まで、まだ少し時間がある。


 ふと横を見やると、イグフェリエルは眼鏡を掛けなおし、両手で分厚い魔術書を抱え、焦りながらぶつぶつと暗記を続けていた。

 ページをめくる手が震えている。額にはうっすらと汗。まるで処刑台に上がる前の罪人だ。

 

「おいおい、あれだけ詰め込んだんだから、もう少し肩の力を抜けっての」


 俺が苦笑混じりに声をかけると、イグフェリエルは顔を上げずに震える声で返した。

「うしゅぅ……だ、だめです。

 緊張のせいで、体系化した知識が、一滴ずつ……零れ落ちてしまっているんですぅ……」


 さっきまでの神々しい口調はどこへやら。

 もう完全に、いつものヘタレ女神に逆戻りだ。

 

 まったく、これで本当に“救星神”になるつもりなのか。


「おいおい、口調戻ってるぞ。救星神だった頃の姿に“心からなりきる”っていう手筈だったじゃないか」

「……うしゅぅ、だって! 昔の此方、客観的に見たら傲慢すぎるんですもんッ!」

 

 両手で頬を覆い、耳まで真っ赤にしながらイグフェリエルは叫ぶ。

「何ていうか……イタすぎて、もうすべてを投げ出して消えたい気分です……!」

 悶絶しながら、なおも畳みかけるように、彼女は慌てて言葉を重ねた。


「あ、あと! 


 “そうまじまじと刮目してしもうては、此方以外に恋に落ちることは叶わぬことを知り給え”


 とかなんとか、あの野郎、ほざいてましたけど!」

 

 ぷるぷると指を振りながら、涙目で続ける。

「全部、冗談ですからねッ!? べ、別に……此方以外に恋しちゃっても、いいですからね!!」

 

 俺がため息をつきながら、どうにか落ち着かせようと口を開きかけた、その時だった。


「――お嬢、だからもっと早くに勉強を始めておきなさいって言いましたっすのに」


 背後から、どこか聞き覚えのある軽い声がした。

 同時に、それに応える冷たい声。


「うるさい……名無しちゃんなら、こんぐらいすぐに覚えられるっつーの」


 名無しちゃん? 

 そんなとんでもない一人称の者が、この世に存在しているとは。

 

 いや待てよ、そんな設定のキャラに、ひとり覚えがある。

 気になってそちらを振り返る。


 ――いた。


 隣の席に、角の生えた魔族、断罪の四骸ザルギエス=ネメリア。

 相変わらずの軽口と、周囲を煙に巻くような空気。

 

 そしてひとり飛ばした先には、アンデッドの断罪者ネクロフィリアが無言で控えている。

 そして、二人の間――黒の衣服を纏った蒼髪の少女が座っていた。


 ハーフツインテールが肩の上で揺れる。

 白磁の肌に映える蒼の瞳は、氷のように澄んでいて、冷たく、どこか気高さを含んでいた。

 顔の半分も満たない部分に、骸骨のようなメイクが施されている。


 どうやら、この少女こそが、ザルギエスが「お嬢」と呼んでいた人物のようだ。

 

 「あぁ、創造主様じゃねぇっすか。奇遇っすねー」

 ザルギエスがようやく俺たちの存在に気づいたようで、親し気に肩を組んでくる。

 

 俺はザルギエスの軽薄なその態度を見ながら、思わず訊いた。

 「で、お前たちはなんでこんなところにいるんだ?」


 ザルギエスは肩をすくめ、言葉を発する。

 「あぁ、こんなところに来た理由っすか?

 そんなの、新たなる救星神を誕生させて、世界を再び希望で溢れさせたいからに決まってるじゃないですかっ! にゃはは!」

 

 まるで嘘八百を並べる子どもみたいな、胡散臭い笑みを浮かべて。


 俺は視線を横に向け、蒼髪の少女を見据えた。

 「救星神候補ってのは、そっちの少女か」

 隣の少女もイグフェリエルのように、試験前だというのに焦りながら、書物から知識を得ている。

 

 この蒼い髪の少女、どこか見覚えがあるな。


 黒を基調とした衣装は、闇夜に溶け込むように滑らかで、それでいてどこか艶めいていた。

 スカートは長く、流れるような布地が脚を包むが、片側には深く鋭い切れ込みが入り、動くたびにデニール数40のタイツに包まれた、しなやかな太ももがちらりと覗く。

 その太ももには黒革のガーターベルトが巻き付けられ、そこには小型のナイフが静かに光を反射していた。


 胸元から腰にかけては装飾を極限まで削ぎ落とした、機能美の服装。

 だが、そのストイックさがかえって彼女の体の曲線を際立たせる。

 

 動きを妨げない薄手の布地は、風をはらむたびにひらりと舞い、まるで影が意思を持って踊っているかのようだ。


 そして、腰の奥から伸びるものがあった。

 それは皮膚を突き破るように現れた、白銀の骨格。尾椎が連なり、節ごとに微かに動き、まるで意志を宿した刃のように光を返す。

 骨は冷たく輝きながら空気を裂き、動くたびに鈍く軋んだ。


 頭にはウサギをモチーフにした黒いフード。

 可愛げのある形状なのに、不思議とどこか不気味で――そのギャップが、彼女の危うい魅力を際立たせている。

 

 そして彼女の動作のひとつひとつが、研ぎ澄まされた刃のように無駄がない。


 「……もしかして、ヴァルティーア=シャリンハイムか!?」


 その瞬間、少女はぎろりと俺を睨んできた。氷のような蒼い瞳に、言葉にできない威圧感が漂う。

 ザルギエスは両手を広げ、まるで俺の発言を賞賛するかのように声を張った。

 

 「おぉ! さっすが創造主様! 断罪の四骸のひとりでもあり、魔王軍副官のお嬢の名前が分かるだなんて!

 ちゃんとボクちゃんたちのこと、創造主として愛してくれていたんすねー。見捨ててなんかいなかったんすねー」

 彼がそう俺を持て囃す中、俺は妙な違和感を覚えた。


 ――……ヴァルティーア・シャリンハイムって、こんなにも顔に緊張と険が入る子だったか……?


 そりゃ心の中は、色んな感情が渦巻いていたせいか、決しておしとやかな子ではなかった。

 でも少なくとも、こんなにも不機嫌さを全面に出す子に設定したわけではない。


 終焉の穴が彼女を変えることになってしまったんだろう、俺はそう思った。


 そんな俺の考えを遮るように、

「あーっ!」

 甲高い声が響く。振り返ると、受付を終えたシャーリアが両手を広げてこちらに駆け寄ってきていた。


「この子、この子ですみゃ! おらたちを助けてくれたウサギの少女! この前はありがとね!」


 いつものように元気いっぱいな笑顔。だがその声に反応して、グラウスの目が細まる。

 彼は一歩前に出て、ヴァルティーアの全身を射抜くように見つめた。

 その鋭い視線は、まるで獲物の呼吸の間合いを読む剣士そのものだった。


「へぇ、お前ら生きてたんだ。」

 ヴァルティーアがゆっくりと顔を上げた。

 

 その口調は冷淡で、表情もどこか倦怠を含んでいる。

「まぁ、どっちでもいいよ。もう名無しちゃんは、やることやってるわけだし」


 その「やること」という言葉に、一瞬場の空気が張り詰めた。

 意味深な響き――だが誰もその真意を問う間もなく、遅れてルナテミスが姿を現した。


「……ヴァルティーア・シャリンハイム」

 ルナテミスの声は、剣よりも鋭かった。

 その瞳は真っ直ぐヴァルティーアを射抜く。


 ヴァルティーアもまた、薄く唇を吊り上げながら応じる。

「ルナテミス・セリューヌ」


 ――瞬間、空気が震えた。

 二人の間に火花が散ったような錯覚。

 

 過去の因縁か、あるいは本能的な敵意か。

 お互いの存在が、相手を刺激していた。


 だが、その緊張を切り裂くように、天界全域にアナウンスが鳴り響いた。

『救星神認定選抜試験の受験者は、受験票を持って第一会議室にお集まりください――』


 イグフェリエルは魔女エリザシュアから受験票を受け取ると、深呼吸をして立ち上がった。

「では……行ってきます、創造主様。」

 その声は少し震えていたが、確かな決意がこもっていた。


「頑張ってこい、イグフェリエル!」

「……はい」

 俺たちは揃って大声で背中を押す。

 イグフェリエルは他の受験者と混ざりあいながら、試験会場へと向かっていく。


 そのすぐ近くでは、ザルギエスが両手をぶんぶん振り回していた。

「お嬢ー! 頑張ってきてくださいねー! ムカついたからってすぐに人を殺さないようにっすよー!」


 ネクロフィリアも低くうなるように言った。

「……気を抜くではないぞ、ヴァルティーア」


 ヴァルティーアは肩をすくめ、そっけなく返す。

「あーはいはい、うっさい保護者ども。わかってますって。頑張ってきますよー」


 そう言いながら、ウサギのフードを深くかぶり直し、軽い足取りで会議室の方へ向かっていった。

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