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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第3章 『テフ=カ=ディレム』

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第29話 サバル=ハルドと修道院

 街の名は「サバル=ハルド」。

 砂漠に築かれた交易都市――のはずだったが、目の前に広がるのは活気を失った廃墟のような光景だった。


 俺たちは大魔女エリザシュアが仕立てたローブやターバンをまとい、吹きすさぶ熱風と砂塵から身を護りながら、赤茶けたレンガ造りの街並みを進んでいく。

 道沿いの建物は、日干し煉瓦の壁がひび割れ、ところどころ崩れて砂に飲み込まれていた。


 すれ違う人間は少なく、たまに見かける商人風の者も、目の光をなくしたように俯きながら足早に去っていく。

 市場と思しき広場には、半壊した屋台と乾ききった水瓶が転がるばかりで、売り声も笑い声も響かない。


「……おかしいですみゃあ」

 シャーリアが低くつぶやく。

 ローブの影に隠れた表情は読み取れないが、その声は驚きと警戒を混ぜていた。

「以前、任務で来たときはもっと賑やかだったんですけど。交易の要所だったはずにゃのに……」


 勇者ルナテミスも辺りを見回して頷いた。

「人の営みの音がない……まるで街そのものが死に向かっているようだ」


 俺は足元の砂を踏みしめながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。

 ――もしかして地割れ以外の影響を、終焉の穴から受けているのか。


 やがて、街の中央へと辿り着く。

 そこには一応、人影がそれなりに集まっていた。

 中央広場を囲む建物の一角、くすんだ木の看板にカップの絵が描かれている。

 

 パブだ。


「……とりあえず、情報を集めるならここだな」

 俺がそう言うと、一行は無言で頷き、互いに砂を払いつつ扉を押し開いた。


 中は外より幾分涼しいが、沈んだ空気は同じだった。

 乾いた酒の匂い、擦り切れた椅子、無言でグラスをなぞる客たち。

 誰一人として笑っていない。


 俺は低く息を吐き、仲間たちに目配せする。

「……さて、聞き込み開始だ」


 数人の客が座っているが、誰もまともにこちらを見ない。

 彼らはグラスを握りながら、虚ろな目で、同じ言葉を呟いていた。


「……死は救済なり……死は救済なり……」


 まるで呪文のように、吐息のように繰り返される声が、狭い店内に響く。

 俺はひとりの男に話しかけてみるが、上の空でこちらを見ようともしない。


 別の席の客も、店員ですらも同じようにぶつぶつと「死は救済なり……」と呟いているだけだ。


 俺はグラスの音を押し殺すように立ち上がり、店内の全員に向かって声を張った。

「……俺の名は田島修一、創造主だ。

 俺が来たからには、もう大丈夫だ! すべての終焉の穴を塞ぎ、必ずや世界を救う! だから、もう絶望に浸る必要はないぞ!」


 だが反応はない。

 客たちは変わらず虚ろな目だ。

 まるで心の奥に閉じこもってしまったように。


 そのとき、パブの隅の陰から低い声がした。

「やめときな、お前さんら……」


 振り返ると、三つの影が立ち上がった。

 

 ひとりは毛深く、立派な角を持つ、鹿のような狼のような逞しい獣人。

 獣皮を巻いた腕は筋肉で膨らみ、目つきは鋭い。

 

 もうひとりは、鮮やかな羽をもつ鳥人の女で、エキゾチックな顔立ちと豊満な肢体をローブで覆っている。

 

 最後のひとりは、翡翠のような甲殻に覆われた長身の虫人。

 鎌のような前腕を静かに組み、冷ややかな瞳をこちらに向けていた。


 獣人が先に口を開いた。

「名はバルググ。

 以前は狩人を生業としていたが……こんな街じゃ仕事の依頼も来やしねぇ。

 ただの無職よ。ハッ、世も末だな」

 彼はワイルドに鼻で笑い、グラスを一気にあおった。


 ルナテミスが一歩前に出る。

「この街の有様……どういうわけか、教えてもらえるか?」


 鳥人の女が低く羽を震わせながら答える。

「……終焉の穴が発生して以降、こうなったのよ。

 まるで自殺という名の病が蔓延しているかのように、人々の心が死んでいく。

 誰も彼も助けられない……」


 虫人が冷たい声で続ける。

「君たちもいずれ心が侵され、体を投げ出すノニ。

 死に場所は、今のうちに自分で決めときノ」


 俺はふと、胸の奥に引っかかっていた名を思い出し、三人に向き直った。

「――そうだ。お前ら、救星神イグフェリエル=テラ=オルディアの居所を知らないか?」


 その名を口にした瞬間、バルググの耳がぴくりと動いた。だが次の瞬間には困惑したように眉をひそめる。

「イグフェリエル……? なんだそれ、聞いたこともねぇ名だな」


 彼はしばらく顎をかき、記憶を掘り起こすようにうなった。

「……いや待て。あぁ、そういやいたな。

 この世界を救えねぇと悟って、すたこらさっさと逃げやがった負け犬女神が」

 ガハハと笑い飛ばす声に、俺の胸に小さな棘が刺さる。


「……負け犬、だと」

 知らず睨み返す俺に構わず、バルググは肩をすくめる。

 

「俺様たちにそんなやつの居所なんざ知ったこっちゃねぇ。

 だがよ、神だの教えだのっつー胡散臭ぇもんに興味あるなら、ここから西に進んだ先にある教会の修道女どもに聞いてみりゃいいんじゃねぇか? 

 あいつら、毎日聖典を詠むだけで、暇そうにしてやがるからな」


「……ありがとう、助かった」

 素直に礼を言い、俺は仲間たちと共に立ち上がった。

 外の砂の匂いが、閉ざされたパブの空気よりもよほどましに思えたからだ。


 だが背を向けたとき、バルググの低い声が追いかけてくる。

「おっと、そういや言い忘れてたぜ」


 足を止めると、彼はニヤリと牙を剥き出しにした。

「お前さんさっき、自分が創造主だとか言って、世界を救うなんて世迷言ぬかしてたな。

 冗談もほどほどにしとけよ」


 空気が張りつめる。

 俺の胸を苛立ちが焼く前に、バルググがさらに踏み込んだ。

「お前みたいなひょろっちいガキが、創造主様を騙るんじゃねぇっ!」


 牙を剥いた咆哮に、エリがすぐさま一歩前へ。

 冷ややかな魔力の気配が漂い、グラウスの手も剣の柄にかかる。

 だが俺は二人の肩を押さえ、静かに首を振った。


「……やめろ。ここで争う意味はない」


 言葉は短くても、仲間たちは俺の意思を汲んで一歩退いた。

 バルググは鼻で笑い、挑発の牙をひっこめる。

 

 俺は背を向け、そのまま扉を押し開けた。

 外の砂嵐が、怒りを鎮めるように吹きつけてくる。


 ――俺が本当に創造主かどうかは、この先行動で証明すればいい。


 ◇


 パブを後にして、俺たちは西へと歩き出した。砂混じりの風が頬を叩く。

 その最中、エリが憤懣やるかたない顔で吐き捨てる。


「まったく……あんなチンピラ、黒炎でチリチリにしてやればよかったですのに!」

「……おいおい」

 俺は額を押さえながら苦笑した。


 すかさず、グラウスが重々しくうなずく。

「大魔女様に同意致します。あのような下郎には、痛みによって身の程を叩き込んでやる他ありませぬ」

「おい、だからやめとけっての!」


 だが、その流れにエリが少し首をかしげる。

「まあ……確かに、修一くんに創造主の威厳が些か足りていないのが、すべての原因ですので」

「そんなに威厳ないかな!? 俺!」

 俺の抗議に、エリは涼しい顔で「事実ですから」と返す。


 そんな軽口の応酬をしていると、不意に視界の先に広がる影があった。

 古びた墓石が無数に並び、風に吹かれてカラカラと音を立てる墓地――その奥に、そびえ立つ教会が見えた。


 俺たちは互いに言葉を止め、慎重に足を進める。

 やがて重厚な扉を押し開けた瞬間、外の乾いた光景が一変する。


 教会の中は、まるで天界を想起させる神々しさに満ちていた。

 高い天井から吊るされた銀の燭台がほのかに輝き、壁一面に嵌め込まれたステンドグラスが赤紫の光を差し込んでいる。


 光は床の石畳に滲み、血潮のようでありながらもどこか荘厳で――世界の荒廃を忘れさせるような静けさが広がっていた。

 香の匂いが微かに漂い、祈りの残響がまだ空気に染みついている。


 教会の前方――祭壇の中央に、ひとりの修道女が立っていた。

 両手を組み合わせ、額に押し当て、ゆるやかな調子で祈りの言葉を紡いでいる。


 教会の合衆席には信徒たちの群れが並び、各々の手に教本を抱え、赤紫のステンドグラスから差す光を浴びながら、お題目を小さく唱和していた。

 声はひどくかすれているのに、どこか機械的で――「死は救済なり」と呟いていたパブの客たちと似たような、乾いた律動があった。


 修道女は一瞬振り返り、こちらに気づいた様子だった。

 だが、目を伏せて祈りを続ける姿からは――「しばし待たれよ」という静かな意志が伝わってきた。


 俺たちは互いに視線を交わし、言葉もなく一番後ろの木の長椅子に腰を下ろす。

 ルナテミスも、エリザシュアも、グラウスも、ただ静かに手を組み、待つしかなかった。

 

 ステンドグラスの光が時間を忘れさせるほどに移ろい、やがて祈りの波が終息する。


 修道女が歩き出す。

 黒に近い群青の修道服が揺れ、長いヴェールが肩に垂れる。

 彼女は足音も立てずにこちらへ歩み寄ると、柔らかな笑みを浮かべた。


「――汝は、かの……創造主様でいらっしゃいますか」


 俺は立ち上がり、胸に手を当てる。

「そうだ。俺が創造主、田島修一だ」


 修道女は小さく会釈し、名乗った。

(せつ)は、この教会に仕える修道女、リシャシェーラと申します。

 このような荒れ果てた地にて、祈りを紡ぐ者のひとりにすぎませんが、どうぞよろしくお願い致します。」


 彼女の声は清らかで、終焉に蝕まれたこの街には似つかわしくないほどに柔らかかった。

 そして静かに、問いを投げかける。


「さて、創造主様……この場にお越しくださったご用件とは?」


 俺は少し息を整え、言葉を選んだ。

「――噂を耳にしたんだ。

 救星神イグフェリエル=テラ=オルディアが堕天し、この下界に姿を現していると。

 ……俺たちは彼女を訪ねたい」


 リシャシェーラの瞳が、わずかに揺らいだ。

 その名を出した瞬間、周囲の信徒たちのささやきが一瞬途切れ、空気が凍るような緊張が走った。


 だが修道女はすぐには答えない。

 両手を胸の十字架に重ね、視線を落とし、しばらくのあいだ口を開かぬまま沈黙を保つ。

 その姿は祈りにも似て、返答をためらっているようでもあった。


 長い間を置いて、ようやく彼女は小さく息を吐いた。

「……その御方のお住まいを……と、そうお尋ねになるのですね」


「そうだ」

 俺は頷き、背後で仲間も固唾をのんで見守っている。


 修道女は視線を泳がせ、やがて観念したように言葉を紡ぐ。

「――ここから北の外れ。

 街の影……スラム街の、古びたアパートに……お住まいであると、聞き及んでおります」


「スラム街……?」

 その言葉を反芻するように俺たちは顔を見合わせた。

 救星神と呼ばれ、かつて人々を導いた存在が、よりにもよってあの荒んだ街の外れに身を置いている。


 ――信じがたい。

 だが修道女の口ぶりは、どうやら嘘でも冗談でもない。


 俺は礼を述べ、教会を後にしようとした。だがその背中に、慌ただしく声がかかる。

「……お待ちください!」


 振り返ると、修道女は祭壇の脇から一枚の紙片を取り出していた。

 妙に軽々しい、まるで市場で配られるチラシのような印刷物。

 その中央に、大きな文字が踊っている。


 ――《救星神認定選抜試験》


 俺たちは一瞬、息を呑んだ。神聖な教会の中で、まるで余興の告知のようなその紙が、ひどく場違いに見えたのだ。


 修道女は切実な表情で言葉を続ける。

「イグフェリエル様が救星神の座を退かれてから、世界は恐怖と混乱に覆われています……人々は寄る辺を失い、新たな『救星神』を求めている。

 そこで、このような――選抜の儀式が、近々天界にて行われようとしているのです」


 紙を手に取ると、妙に安っぽいインクの匂いが鼻をついた。俺は胡乱な視線を紙面に落とす。

「救星神を……決める試験だと……?」


 修道女の瞳は熱を帯びていた。

「けれど……拙どもは信じております。

 イグフェリエル様こそが真の救星神。もう一度、輝いて頂きたい。

 どうか……もしお会いできましたら、この願いを、もう一度お伝えいただけませんか」


 俺はしばらく紙を握りしめ、やがて低く言い放つ。

「……その意思、伝えてみるよ」


 ◇


 そう言って懐に紙片を収め、俺たちは教会を後にした。

 重苦しい扉を押し開けると、冷たい外気が一気に吹き込み、昼なお薄暗い空の下へと俺たちを送り出す。

 

 そのときだった。

 

 「ゴォォオオオ――ッ!」

 墓地の静寂を裂く轟音に俺たちは足を止めた。

 砂埃に混ざる重苦しい空気の向こう、視界に飛び込んできたのは、首が潰された死体の山――生々しい惨状が広がっていた。

 

 その中で、上裸の魔族が一人立っている。

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