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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第3章 『テフ=カ=ディレム』

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第27話 北の森を発つ

 目を開けた瞬間、俺の視界に広がっていたのは、あの薄暗い地下施設ではなかった。

 ――大魔女エリザシュアの洋館の二階に位置する、彼女の私室であった。

 

 テラスの欄干に手をかけ、思わず息を呑む。

 そこにあったのは、柔らかな風が木々を撫でる穏やかな光景だった。

 

 かつて氷の檻に閉ざされていた『氷結の月影林フロストムーン・ルミナ』は、その名残をわずかに枝先に残しながらも、今は緑と光が共に息づく森へと姿を変えていた。

 葉のざわめき、鳥の声、そしてほんのり漂う草木の香り。

 

 「……あれ? てっきり、またあの地下に出ると思ってたんだが……」

 俺の呟きに応じたのは、隣に立つ赤髪の魔女エリザシュア・ルミナだった。


 「ふふふ。修一くん、驚かれました? 転移陣の行き先を、ひとつ増やしたのですよ。ここ――北の森のわてちしの洋館に」

 淡々とした声色の中に、ほんの少しだけ得意げな響きが混じる。


 俺が納得する間もなく、館の扉が勢いよく開いた。


 「創ちゃん!」

 褐色の肌をした小さな猫耳の少女が駆け寄ってくる。

 シャーリアだ。

 

 彼女は俺の胸元に飛び込むように抱きつき、顔を上げてぷくっと頬を膨らませた。

 「もうっ! ずっと心配してたんですからみゃあ! 創ちゃんが倒れたって聞いたとき、おら……どうしてあげればいいのか分かんなくてッ!」

 シャーリアは頭にさげた三つ編みで頭を振り、猫耳をへこへこさせ、俺を痛めつけながらそう言う。


 「……悪い。心配かけたな、シャーリア」

 そう答える俺に、今度は堂々とした声がかかる。


 「天上たる創造主様なら、必ずや戻ってきてくださると、愚拙は信じておりました。

 再びその御姿を拝せたこと、まこと……恐悦の至りにございます」

 

 大きな影――戦騎士長グラウスが姿を現す。

 無骨な甲冑に身を包んだその立ち姿は変わらないが、瞳の奥に安堵と尊敬が入り混じっているのがはっきりと見えた。


 「……ああ、ただいま。グラウス」

 胸の奥に熱いものが込み上げる。


 そこへ、さらにひときわ賑やかな声が押し寄せた。

 「創造主様だ!」

 「わあ、本当にいる! お顔、初めて見た!」

 妖精たちがきらきらと光の粒を散らしながら舞い降り、俺を取り囲んだ。透き通る羽音と歓声で、空気が一気に華やぐ。


 「思ってたより怖くない! ねぇ、笑って! 笑ってみてくださいよ!」

 「ちょっと、失礼でしょ!」

 口々に好き勝手な感想を言い合いながらも、その顔には喜びしかなかった。


 さらに視線を向ければ、そこにはかつての没世界の住民たちの姿があった。

 道化師のような格好をしたピエロくん、迷彩服に身を包んだ軍人、そしてなぜか制服姿の女子高生までもが集まってきている。

 世界観も時代も、バラバラな住人たち。


 「創造主さまー! 本当に帰ってきてくれたんだ!」

 「ね、オイラ言ったでしょ! あの人ならきっと大丈夫だってさっ!」

 「おお、これでまた、この世界に光が……!」

 歓声と拍手が渦を巻き、この部屋は一瞬にして祝祭の場と化していく。


 そんな中――俺の目に、静かな影が映った。


 少し離れた場所。

 人混みに加わらず、まっすぐな瞳でこちらを見つめる青年がいる。

 

 兵士オサム。

 エリザシュア・ルミナの想い人。


 そして、俺が描き出した、もうひとりの「俺」。


 彼はただ、深々と頭を垂れた。

 歓声も笑いもなく、ただ真摯な礼だけを捧げるその姿に、俺の胸はぎゅっと締めつけられる。


 ふと、肩に軽く叩かれる感触があった。

 振り向けば、ルナテミスがいつもの朗らかさをひそめ、勇者としての面差しを覗かせていた。


「……そういえば、エリザシュアから聞いたのだが」

 声は低く抑えられ、周囲のざわめきに紛れて誰にも届かない。

「そち、魔王ディアーナに会ったらしいな」


 俺は一瞬ぎくりとしたが、努めて平静を装いながら答えた。

「……まあな。けど特に目立ったことはされてない」


 ルナテミスの眉はわずかに寄せられる。

「魔王の言葉は決して信じるな。

 我は何度も……何度も、甘言に乗せられ、裏をかかれてきた」


 その真剣な声音に、俺はふっと肩をすくめて笑った。

「たしかにな。あいつは“信用できない”ことにおいては、誰よりも”信用できる”からな」


 一瞬、ルナテミスの険しい顔がわずかに緩む。しかし俺はすぐに言葉を続ける。

「それにしても……お前、そんなに魔王のことが気になるのか?」

 ――まぁ、勇者ルナテミスの兄こそ、魔王ディアーナなのだからその気持ちはわかるが。


 問いかけると、ルナテミスは深く息を吐き、ほんの一瞬だけ言葉を選ぶように沈黙した。

 その声音には微かな苦さがにじむ。

「彼奴等の誤認かもしれん。

 だが――ウサギのような姿の存在が、シャーリアとグラウスに接触していたらしいのだ」


「ウサギ……?」

 俺は首を傾げたが、脳裏に不吉な連想が走る。


「……まさか、月からの侵略者か!?」

 思わず口にした言葉に、ルナテミスの瞳が鋭く光を帯びる。


「我もそう、考えている。

 魔王が姿を現したのと同じ時期に、月の異形までもが接触を図るとは――偶然とは思えぬ。

 両者は裏で繋がっているのやもしれぬ」


 ルナテミスの声には、確信にも似た警戒がこもっていた。

 俺はその思考の重さを受け止め、拳をぎゅっと握る。

「……お前の言わんとすることは分かった。

 魔王に対して俺は、警戒を怠らないようにする」


 二人の間に、短いが確かな誓いの空気が漂う。

 周囲では妖精たちや没世界の住民たちが歓声を上げ、再会を喜んでいる。

 

 その喧噪から切り離されたように、創造主と勇者はただひとつの陰謀の影を共有していた。


 「よし、それでは終焉の穴を塞ぎ世界を救うためにも、我らは更なる土地を目指すとしよう」

 ルナテミスの声を皮切りに、周囲の面々に緊張が走る。


 「次はというと西の地割れ、テフ=カ=ディレム……だな」

 俺は地図を指でなぞるように手を動かしながら、改めて確認する。

 

 エリが少し目を細め、背筋を伸ばして口を開いた。

 

「テフ=カ=ディレムは、もとは生命力に満ちた国でした。

 砂漠の熱風が肌を刺す土地も、かつては古代文明の栄光に彩られ、天と地をつなぐ祭殿が立ち並び、多彩な民族が交わりながら太陽の光の下で笑い声が響き渡っていたと言います。

 黄金の宮殿がそびえ、賑やかな市場が人々の笑い声で溢れ、砂の海に輝くオアシスが命を潤している、そんな幸せな国でした」


 ルナテミスが頷き、ゆっくりと補足する。

「――だが、今ではその面影は風に消され、ただ荒涼とした砂の大地だけが広がっている。

 終焉の穴が生まれて以降、土地や民草の生気は奪われ、かつての文明の輝きはほとんど失われてしまったのだ」


 シャーリアが身を乗り出し、真剣な眼差しで言った。

「終焉の穴の影響で、地面はひび割れ、巨大な亀裂が無秩序に広がっているんにゃろす。

 人々や生物はその地割れに呑まれてしまうことが多く、土地は生気を失いきっているみゃあ」


 俺は目を細め、想像する。

 広大な砂漠の中、ところどころに巨大な地割れが裂け、街や人々を飲み込む――想像するだけで血の気が引く。


 グラウスは静かに頷きながら、これからまず行うべきことを話し始める。

「テフ=カ=ディレムの遥か上空には天界があり、数多の天使がそこに棲まう。

 無論、()()()もそこで、世界を見渡していることだろう。

 終焉の穴の詳細などについては、()()に聞くのが良いだろう」


 ――彼女。

 それが誰なのかを俺は、しっかりと口にする。


「救星神イグフェリエル=テラ=オルディアだな」


 ――月蝕に仇す四奏トワイライトカルテットの一角を担い、勇者や大魔女、そして魔王と肩を並べ、月からの侵略者の討伐に尽力した存在。

 

 戦いの力だけではなく、彼女の本当の凄さは、誰よりも生命の救済を心から願うその優しさにある。

 

 弱き者や傷ついた者を見捨てず、世界の希望の象徴として光り輝く存在。

 その柔らかな光は、ただ眺めるだけで心を落ち着かせ、希望を湧き上がらせる。


 想像するだけで、天界の輝きの中に立つイグフェリエルの羽は静かに広がり、凛とした立ち姿に優雅さと力強さが同居している。

 瞳には慈愛と覚悟が宿り、戦場で見せる冷静さの裏には、すべての命を守りたいという強い思いが揺るぎなく存在する。

 

 ◇


 方針も決まり、俺たちはようやく出発の準備を整えた。

 その瞬間、没世界の住人たちが次々と集まってきて、俺たちを見送ろうとしている。


 モルフィーナは、最初は元気いっぱいに笑顔を見せ、手を振りながら、

 「お父ちゃん、頑張ってきてね!」

 と声を上げる。

 けれど、次第に瞳に光るものが増え、ぽろぽろと涙が頬を伝い落ちる。

 俺の目を見て、無言で駆け寄ると、そのまま俺に抱きついた。


「必ず、また会おうね……」

 その声に、俺も自然と応える。

「ああ、絶対にな」

 胸の奥に、ぎゅっと温かい感覚が広がる。小さな手の感触が、心に深く刻まれる瞬間だった。


 一方、魔女エリザシュア・ルミナは少し控えめに、しかし芯のある声で言った。

「オサムくん、それじゃあ行ってきますね」


 兵士オサムは、真っすぐな瞳で深く頷き、力強く答える。

「ああ、森の安全は俺に任せろ、エリザ」

 エリもにっこりと微笑み返し、視線の先で小さく手を振った。

 

 「さぁ皆さん! おらの背中に乗ってくださいみゃあ!

 テフ=カ=ディレムまでひとっとびですよ!」


 シャーリアが声高らかに叫ぶと、背中に大きな翼と鱗を広げ、雄々しい竜の姿に変身した。

 俺は以前、彼女の背に乗ったときのことを思い出し、少しビビりながらも慎重に近づく。


 その瞬間、魔女エリザシュア・ルミナがぴしゃりと腕を伸ばし、俺の進路を遮った。

「わざわざそのような遅い手段で赴く必要はありません。わてちしの転移魔術なら――刹那ですよ」


 俺の目が一気に輝く。

「本当じゃん! ラッキー!」

 思わず飛びつくようにエリの近くへ駆け寄る。


 一方、シャーリアは背中を支えきれない小さな肩を震わせ、泣きそうな声で呟いた。

「ま、おらの…唯一の輝き場所が…」


 その言葉に、グラウスがそっとシャーリアの背中を撫で、慰める。

「大丈夫だ、シャーリア。お前の力が、輝く時がきっと来るはずだ」

 シャーリアも少しずつ落ち着きを取り戻し、嗚咽をこらえながら頷く。


 俺は深く息を吸い込み、手で眼鏡を外した。

 

 その瞬間、視界が少し広がり、世界の輪郭が鋭く、鮮明に映る。

 指先で髪を掴み、後ろで束ねると、長い髪が一つにまとまり、顔周りの視界がすっきりと開けた。


 次に、コートを肩にかける。

 柔らかい布が肩を包み込む感覚と共に、心の奥で何かが引き締まる。

 

 続けて衣装を羽織る――闇夜を思わせる深い藍色に、月光のような銀糸が走る仕立て。

 袖を通すたびに、自分の動きがより力強く、鮮明に感じられた。


 腰に双剣――極夜と白夜を携える。手に触れた瞬間、冷たくも頼もしい感触が掌に伝わる。

 刃の重みと存在感が、心の中の覚悟を一層高めた。


 そうして俺は田島修一ではなく、ルナシスファル・セリューヌ。

 ――魔王ディアーナの下僕として、威光を体現する存在と成った。


 気が付くと皆、自然と魔女の近くに集まっていた。

「よし、みんな準備はいいか? 行くぞ! テフ=カ=ディレムへ」

 俺の掛け声に、皆が応える。


 眩い光が魔女の指先から放たれ、次の瞬間、俺たちは空間を切り裂くようにしてテフ=カ=ディレムへと向かっていった。



 ◇ ◇ ◇


 

 ワンルームの部屋。


 薄暗く、かすかな光も埃の層に遮られてほとんど届かない。

 床一面に、破れた紙屑が散乱し、ひび割れたコップや乾ききった食べ残しが無造作に転がっている。

 

 古びた衣服は重なり合い、ところどころにカビの黒ずみが浮かび、染みついた埃と混ざって不快な匂いを漂わせている。

 壁際の本棚は崩れかけ、倒れた書物が山になって床を覆い、その上に埃と砂が厚く積もる。

 天井からは剥がれかけの漆喰がちらほら落ち、微かな風が通るたびにかすかな粉塵が舞う。


 台所の流しには乾いた食べ残しがこびりつき、金属製の調理器具は錆び付き、置きっぱなしの皿の上には小さな虫の影がちらつく。

 わずかに開いた窓の外から砂が舞い込み、部屋の奥に積もった埃と混ざって足元を不気味に染めている。


 彼女の視線は床に落ちた無数のゴミの上を彷徨い、吐きそうになるほどの不快感を胸に押し込めながら、三角座りで膝を抱えた。

 埃が肩に積もり、衣服の端は擦り切れ、手にした膝も砂と埃でざらついていた。

 息を吐くたびに、室内の腐敗した匂いが鼻腔を刺す。


「また……殺さなきゃならないの……」


 救星神イグフェリエル=テラ=オルディアは、声にならない声でそう言葉を漏らした。

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