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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第2章 『氷結の月影林《フロストムーン・ルミナ》』

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第24話 エリ

 俺はその輪郭を見た瞬間、心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。

 ――エリ。

 門番(ヴァルゲート)の眼差しは、まるであの頃の彼女の横顔のようだった。


 顔は――見れば見るほど、踏切で子どもを庇って倒れたあの日の「エリ」の顔の断片が、ねじれた鏡に映っているかのようだ。

 しかしそれは笑顔ではなく、冷たく、歪んだ、死者の微笑のように見える。

 

 口角は裂け、牙のように尖った歯が覗き、唇の端からは赤黒い霧が流れ出していた。

 呼吸とともに唸り声のような低音が漏れ、森全体に共鳴する。

 

 門番(ヴァルゲート)は巨大で、頭部を見上げると、森の樹々の天辺を優に超え、霧と血に染まった空にまで届くようだ。

 その姿は圧倒的で、ただ立っているだけで森のあらゆる生物の心拍を狂わせ、胸を締め付ける。

 

 赤い霧の中、門番(ヴァルゲート)の足音が地面を震わせるたび、苔や土が波打つように揺れた。

 その全身は想像を絶する――骨格は人間の形を残すが、関節は逆方向に曲がり、手首や肘からは鋭くねじれた触手が何本も生えている。

 

 皮膚は部分的に裂け、内側の筋繊維が赤黒く光っている。

 呼吸のたびに、肉が蠢き、音もなく脈打つ。


 腕を振るたび、長大な触手が蠢き、周囲の樹木をなぎ倒す。

 葉や枝が空中で砕け、まるで生きた血の雨のように舞う。


 俺ももルナテミスも、エリザシュアも、無意識のうちに後ずさり、森の闇に吸い込まれるような圧迫感に包まれる。

 赤い光が眼孔から突き刺さり、吐き気と寒気が同時に襲う――その生物はただの敵ではない、本能に直接訴えかける“恐怖の化身”だった。


 森の中、赤い霧が漂う中で門番(ヴァルゲート)の圧倒的な存在感がすべての呼吸を奪う。

 この場にいる生命が、恐怖に身を竦ませる中、勇者ルナテミスは迷わず一歩前に出た。


 「我が剣は、未だ折れず――ゆえに、我は征く!」

 その声と同時にルナテミスは大地を蹴り上げ、全身から漲る力を集中させる。


 「――|天命絶光交錯斬《リヴァース=アーク=オブリヴィオン》!」


 彼女が持てる究極を放ち、空気が裂け、光が枝葉の隙間を貫く。

 森の土砂、倒れた樹々、赤い霧の中に混じる破片すべてが連鎖的にエネルギーに変換され、勇者の周囲で光の刃となって奔る。


 「ゴオォォォォッ!」

 攻撃が5連鎖に連なり、そしてそれが爆発的に広がり、衝撃波が森を揺らす。

 倒れた木々は粉々になり、地面には裂け目が走る。

 赤い霧の中で、絶望のエネルギーが勇者の刃に溶け込み、威力がさらに膨張する。


 だが――門番(ヴァルゲート)は、まるで時間の中に固定された彫像のように、微動だにしなかった。

 刃が通ったはずの胴は、外傷どころか塵ひとつ、乱れていない。


 「――ブブォォォオオンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン!!!」

 その咆哮は、獣の声でも機械の警報でもない。恐怖絶望の根源が悲鳴を上げているような音だった。

 空気が震え、葉が裏返り、地を這う根が波のように蠢く。


 勇者ルナテミスは瞬時に視界を白く飛ばされ、次の瞬間、巨大な拳圧に叩きつけられる。

 木々をなぎ倒し、衝撃波が地を裂いた。

 轟音――その音だけを残し、彼女の身体は光の尾を引いて森の奥へと吹き飛ばされた。


 「……ルナテミスッ!!」

 叫ぶより早く、俺の脚は勝手に地を蹴っていた。


 焦げた風が頬を撫でる。

 俺はいち早く、彼女の無事を見届けるため、傍へと近づく。


 一通り全身を確認したところ、勇者ルナテミスの傷はそこまで深くなく、膝をつくだけに留まっていた。

 表情は唖然とし、後ずさりしながらもすぐ立ち上がる。

 

 「く……くそなぜだ!我の刃は確実に手ごたえはあったはずなのだが……!」

 俺は慌てて駆け寄り、勇者の肩を掴む。

 「ルナテミス、大丈夫か! !」

 「修一、もしや彼奴は物理攻撃を無効できるのかもしれぬ……」

 物理攻撃が通じないことを悟った俺は、魔女エリザシュアに目を向け、合図する。


 すると魔女はにやりと笑い、刹那にも満たない速度で詠唱を開始した。

 「――残らぬ灰の黒焔ノクス・インフェルナリス――氷河彩る晶霜(グラキア・コロッサス)

 ――風奔るヴェントス・スプリントゥス――雷雲漂う世界ストルム・フラグラント

 ――細胞蝕む毒素ヴェノモス・ラプトゥス――地を裂く震嵐(テルラ・カタクリズマ)

 ――幽閉された深海淵(アビサル・プロフンド)――月光照らす幻影(ルナティカ・ルミナ)

――闇夜を覆う幽雲ノクティス・オブスキュラ……


 ――響かせ全霊交響曲シンフォニア・リクイエムッ!!」

 

 呪文が空気を震わせ、黒炎、氷山、疾風、迅雷、猛毒、大地、深海、月光、闇夜。

 ――あらゆる属性の最上位魔術が渦巻くようにと門番(ヴァルゲート)へと襲いかかる。


 魔女の詠唱速度は常軌を逸しており、魔術の嵐が複雑に重なり合う。

 門番(ヴァルゲート)の体が光と熱に包まれ、地面が割れ、木々が吹き飛ぶ。


 ――だが――。


 閃光が収まると、そこに立つ門番(ヴァルゲート)の肉体にはかすり傷一つない。

 むしろ、巨大なその影は揺れ、首を傾け、やがて異様に低い声でつぶやき始めた。


「……シュウイチくん……ダイスキ……シュウイチくん、シュウイチくん……。

 シュウイチくん、シュウイチくんシュウイチくんシュウイチくんシュウイチくん――!」


 森中を割くほどの轟音。

 低い声が歪みながら高く跳ね上がり、狂気じみた呼び声となって響き渡る。

 その声を聞いた瞬間、俺の意識がぐらりと揺れた。


 視界が歪み、色が変わっていく。



 ◇ ◇ ◇

 


 気づけば、あの日の踏切は存在せず、青空の下でエリと並んで歩いていた。

「シュウイチくん、今日はありがとう……」

 

 笑顔の彼女、鳴り響かない警報音、止まることのない時間。

 映画のように、二人はデートを楽しみ、夕暮れの公園で告白が成功する。

 

 あの日叶わなかった“もしも”が目の前で再生されていく。

 胸が締め付けられるほど甘く、そんな暖かい幻影。



 ◇ ◇ ◇

 


「修一! 戻ってこい!!」


 現実の声が、その甘美な景色に鋭いひびを入れる。

 勇者ルナテミスの怒鳴り声が森全体に響き、俺の耳に突き刺さった。

 

 世界がぐにゃりと折れ、幻影は粉々に砕ける。

 俺は荒い息を吐き、現実の森へと引き戻された。

 門番(ヴァルゲート)の不気味な巨体は、今なお「シュウイチくん」と繰り返し、揺れ動いている。


 俺は膝をつきながら、必死に思考を巡らせる。

「……効いていたんだ。ルナテミスとエリザシュアの攻撃は、全部本来は効いてた……。

 ――でもあいつは“戻したんだ”」


 歯を食いしばり、唇を震わせながら俺は吐き出す。

「未来への絶望と、過去への執着。その結果、生まれた力……

 あいつが持つ権能は恐らく……


 ――如何なる損傷を加えられたとしても、強制的に“過去の状態に”戻すことだ……!」


 その言葉に、ルナテミスもエリザシュアもハッと顔を上げた。

 視線が、同時に門番(ヴァルゲート)の巨体へと吸い寄せられる。

 ……だが。

 そこには、何の痕跡もなく、滑らかで、艶めいている。


 「……確かに、修一の言う通りかもしれんッ!」

 ルナテミスが呟く。

 「本来なら――斬撃の破片や、削れた樹皮、土埃くらいは舞っているはずだ……なのに、何もないのだ、彼奴には……」


 風が、止まっていた。

 森のざわめきすら、どこか遠くへ吸い込まれたように消えている。

 

 エリザシュアは手を震わせながら、震え声を漏らした。

 「だとしたら……わてちしたちに、どう抗えばと」

 

 森は再び風を失い、全員が息を呑む。

 巨大な門番(ヴァルゲート)はまだ「シュウイチくん……」と呟き続けている――。

 

 森全体が赤黒く染まり、門番(ヴァルゲート)の巨体がひと息吐くたびに木々がしなる。

 俺は創造の筆を強く握りしめ、歯を食いしばった。


「……なら、俺に任せろ。

 エリザシュア、お前に究極奥義の理論を、構築する!

 だから、それまで時間を稼いでくれ……!!」


 その宣言に、魔女エリザシュアははっと目を見開いたが、すぐに表情を引き締める。

「……わかりました、創造主様。必ず繋ぎます!」

 

「……何が何だか分かりませんが、お任せください、創造主様!」

 兵士オサムは、漸く身体の氷が完全に解けたようで、重い腰を上げ時間稼ぎに協力してくれようとしている。

 この状況を、未だ完璧には理解していないものの順応している。

 

 勇者ルナテミスも剣を構え、力強く頷く。

「任せろ、修一! 時間は稼ぐ!」


 魔女エリザシュアは両腕を広げ、森の大気を引き寄せるように深く息を吸い込んだ。

「――|森律封界《アリュミナ=グラシエル=フォレスタ》ッ!」

 

 地面が震え、太い根と蔦が次々と門番(ヴァルゲート)の脚を絡め取っていく。

 棘のついたツタが絡み、森の木々がまるで兵士のように一斉に揺れ、門番(ヴァルゲート)の巨体を引き留めた。


 そのとき、氷解されたこの地の妖精たちが、ひらひらと光の粒となって舞い降りてくる。

「エリザシュア様~! これはいったい何事ですか!?」

 

 妖精たちは驚きに目を丸くしながらも、

 「妖精さんたち、あの存在の足止めをし、必ずやこの森を存続させてください!」

 

 その声に従い、魔女エリザシュアの魔術に共鳴するように手を掲げた。

 無数の小さな魔術陣が宙に生まれ、ツタや木々にさらに力が宿っていく。


 ルナテミスは剣を抜き、門番(ヴァルゲート)の足元を切り刻みながら、わずかな隙を狙う。

 

 魔術は不得手だが、持ち前の体術で跳び、転がり、切りつけ、門番(ヴァルゲート)の視線を少しでもそらそうとする。

「こっちだ、化外め!! こっちを見ろ!」


 だが――門番(ヴァルゲート)の巨腕が空気を切り裂き、轟音を伴って振り下ろされる。

 勇者ルナテミスの視界は一瞬、鋭い影と衝撃波に飲み込まれた。

 

 全身を貫くような風圧が吹き荒れ、鎧の継ぎ目が軋む音が耳を刺す。

 必死に身を翻すも、腕の刃のような筋肉が迫り、踏み込む足元の土が砕け散る。

 

 絶体絶命、退く隙もなく、ルナテミスはその巨腕の軌道の下。

 そんなときであった。

 

 「――蒼裂嶽ッ!」

 

 空気が灼けるような音とともに腕を切り落とされ、二つの影が森を突き破って現れた。

 

 漆黒の鱗と蒼銀の翼、竜に擬態したシャーリアと彼女に騎乗したグラウスが、ルナテミスを救ったのだ。

 竜の咆哮が門番(ヴァルゲート)の巨体を押し戻し、鋭い爪がその腕を弾く。


「シャーリア!? グラウス!? そちら、一体今の今までどこにいたのだ!」

 ルナテミスが驚愕の声をあげる。

 

 シャーリアは嬉しそうに笑顔を浮かべるが、長話を始めそうになった。

「それがですね、いろいろありましてみゃあ……」

 

「弁ずるは後だ、今はただ、猛攻を連ねよ!」

 グラウスが一喝し、シャーリアの肩を叩く。

 

 竜が門番(ヴァルゲート)に突撃し、勇者ルナテミスがその上から畳みかける。

 

 ◇

 

 その間にも俺は、創造の筆を走らせながら、必死に理論を構築してゆく。

 

 視界が滲む。脳が焼ける。

 意識の縁が、光と闇の狭間でかすれゆく。

 

 ペン先からほとばしるのは光――否、理そのものの奔流。

 一筆、また一筆と描くたびに、圧が来る。

 

 空気が歪む。

 俺の身体の芯に、百の岩が一斉にのしかかるような感覚。

 

 骨が悲鳴をあげ、内臓が押し潰される。

 呼吸ひとつするたびに、肺の奥で爆ぜる鉄の味。

 

「ぐっ……! まだだ、あと……少し……!」


 額に浮かんだ汗は血に混じり、目からも鼻からも赤い線が伝う。

 

 胃の奥がひっくり返るように吐き気が込み上げ、膝をついた瞬間、胃液と血が喉を焦がして吐き出される。

 両手は震え、握っているペンが骨のように重い。

 意識が遠のく。

 

 それでも書く。体中の神経を燃やしながら、式を刻む。

「う、ぐあ……まだ、終わっちゃ……」

 目の前が白く光り、世界の音が遠のく。崩れ落ちるように俺は前のめりに倒れ込んだ。


 「修一――ッ!!!」

 勇者ルナテミスの叫びが、森の奥で反響する。

 耳鳴りの向こう、世界が一瞬、鈍色に止まった。


 門番(ヴァルゲート)の巨腕がうねる。

 空気が裂けた。

 

 地を抉り、風をねじ曲げながら、災厄の質量が俺めがけて落ちてくる。

 

 逃げられない――!

 

 思考が凍りつく。

 身体はもう動かない。

 見上げた空が、黒い腕で覆い尽くされる。


 その瞬間だった。

 風を裂いて、影が飛び込んだ。

「――っ!」

 俺の体が強く突き飛ばされる。

 地面に転がり、かすかに息をつく。

 

 その代わりに巨大な手が地面を叩き、爆風が森を吹き飛ばす。


「……お父ちゃんっ!!」

 聞き覚えのある高い声。

 

 俺がかすれた視線を向けると、そこに立っていたのは没世界で出会った人形の少女、モルフィーナ・ドールニアだった。

 小さな体で俺を抱き起こし、瞳から宝石のような涙をこぼしている。


「お父ちゃん! しっかりして! お願い、目を開けて!」

 その背後には、次々と姿を現す没世界の住人たち――かつて俺――田島修一が創り、そして没にしてしまった人々が勢揃いしていた。

 女子高生、軍人、ピエロ、そして精霊たちまで。


 誰もが武器や術式を構え、俺の周囲に半円を描くように立ちはだかる。

 彼らの体には一切の欠損がない。


 純然たる生命として、この世界に全身全霊で生きている。


「創造主様を、絶対にお守りするぞっ!!!!!」


 その叫びが森に木霊する。

 

 森全体が、没世界の住人たちの魔力に呼応するように震え、赤黒かった空がわずかに揺らぎ、門番(ヴァルゲート)が低く唸った。

 俺は薄れゆく意識を再覚醒させながら、自分が創った者たちが自分を守ろうとしている光景を見て、かすかに口元を震わせた。

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