第20話 創造主様ぶっ殺し劇場
没世界最大の繁華街《グレイモンド街》は、今日ひときわ異様な熱気に包まれていた。
歪んだ色彩の看板が軒を連ね、空には未完成のキャラクターたちの風船が漂っている。
その中央に建つのは、ひときわ巨大な円形劇場。
――その名も《創造主様ぶっ殺し劇場》。
群衆は入口から溢れ、黒い笑い声や、憎しみに満ちたコールが木霊している。
一方内部では、観客たちが血のように濃い期待でその空間を染めていた。
《創造主様ぶっ殺し劇場》は、まるで世界そのものをくり抜いたような規模だった。
半球状の観客席は果てしなく続き、座席はすべて、俺――田島修一がかつて構想しながら「没」にしたキャラクターたちで埋め尽くされている。
輪郭だけの者、塗りかけの色がまだらに残る者、目だけが異様に光る者……どの顔にも共通しているのは、これから開演する何かを待ちわびる沈黙と呼吸だった。
突如、場内の光が一斉に落ちる。
暗闇の中、低く擦れるような「ジー……」という古い映写機じみた音が響く。
そしてゆっくりと、舞台中央の巨大なカーテンが左右に裂けるように開かれていく。
そこに現れたのは、深紅のヴェルヴェットに身を包んだ淑女姿の大魔女エリザシュア・ルミナだった。
普段の衣装とはまるで別人のように、白手袋をはめ、真珠を首にかけ、上品な笑みを浮かべている。
手には長い司会用のステッキを持ち、その先端から金色の火花が散っていた。
「ごきげんよう、皆々様」
魔女はゆっくりと一礼し、観客席に声を響かせる。
「本日は《創造主様ぶっ殺し劇場》へお運びいただき、光栄に存じます。
わてちし、本日の司会進行を務めさせていただきます、エリザシュア・ルミナでございます」
どよめき、そして一斉に湧き上がる拍手。
パチ、パチ、パチ……音は次第に嵐のような歓声に変わり、未完成の没キャラたちが歪んだ笑顔で立ち上がって手を叩き続ける。
何年も何十年も、この瞬間を待っていたかのように。
エリザシュアステッキを軽く握り、舞台の明かりに照らされる観客席をゆっくりと見渡した。微かなざわめきが広がる。
「皆様、まずは前座として、わてちしの最近の嗜みについてお話しいたしましょう。お茶のことですわ」
くすくすと笑い、魔女は軽く肩をすくめる。
その仕草は優雅でありながら、どこかいたずらっぽい。観客席から微かな笑い声が漏れる。
彼女はその反応を楽しむかのように、指先で空中に小さな円を描きながら語りを続けた。
「先日、特別な茶器を取り寄せまして……。ええ、とても繊細で、美しい子でした。
光を受けて透き通るような白磁、金の縁取り――見るだけで心が躍るほどの逸品ですわ。ですが、どうーも性格が勝手でして」
舞台の上で、魔女は茶器を手に取り、当時の状況を魔術で再現しながら話す。
「お茶を注ぐや否や、茶葉が跳ね、湯が床に飛び散るのです。
わてちしは苛立ちましたわ。いくら気をつけても、茶器はまるで意志を持つかのように暴れるのですもの」
すると、跳ねる茶葉、飛び散る湯が劇場の舞台で再現される。
観客席からクスクスと笑い声が巻き上がる。
魔女の眉がわずかにひそみ、唇を噛む。苛立ちがほんのり表情に滲むが、その目は鋭く光る。
「ですが……ふと床を見ると、飛び散ったお茶の水滴が描いた影に、なんと――滝が流れる豊かな森の絵が浮かんでおりましたの。
ええ、どうやらこの茶器、ただの陶器ではなく、ロマンチストだったようですわ」
魔女はステッキを横に置き、床に落ちる湯のしずくを指で追うように見下ろした。
すると――飛び散った水滴の影が光を反射し、滝が流れる豊かな森の絵となって浮かび上がる。
エリザシュアの目が一瞬で柔らかくなる。
心が揺さぶられ、思わず抱き上げる。小さな温もりが手のひらを通して、茶器へと伝わる。
観客席からは、くすくすと温かい笑いが重なった。
「そのとき、思わず感動してしまい、抱きしめてやりましたわ……可愛らしい子ですことってね」
魔女は小首を傾げ、口元にほのかな微笑みを浮かべる。
しかしその微笑みはすぐに鋭く変わる。優雅な午後を混乱させるだけの茶器に、慈悲はない。
「……ですが、残念ながら、茶器としてはまったく役に立たない子でございました。
お茶を淹れるどころか、わたくしの優雅な午後を滝壺のように混乱させるばかり」
彼女はふっと息をつき、少し意地悪そうに目を細める。
「ええ、結局……抱きしめた後に、粉々にして廃棄してやりましたわ。可愛くても、役に立たない愚か者には、死、あるのみですからね――ふふふ」
魔女エリザシュアは深く息をつき、ステッキで茶器を軽く叩く。
白磁は音を立てて粉々に砕け、金の縁取りが光を反射して舞う。
破片が舞台の上で小さな花火のように輝き、観客席からは驚きと笑いが入り混じった歓声が広がる。
彼女は再びステッキを握り直し、観客を見渡す。
指先の動きひとつひとつが、舞台の上の魔術のように優雅で、しかし少し意地悪。微笑みの端には、皮肉が隠れている。
「さて、お話も楽しいですが……皆様お待ちかねの演目をいよいよ——」
魔女は唇に妖艶な笑みを浮かべ、高らかにステッキを掲げた。
「人形の悲劇、ただいまより開幕!」
――暗闇の中、低く擦れるような「ジー……」という古い映写機じみた音が響く。
◇ ◇ ◇
お菓子の家の窓から、あたたかい日差しが差し込んでいた。
美味しい匂いが残るリビングで、人形モルフィーナ・ドールニアは小さな木の椅子に座り、兄と一緒に積み木を積んでいる。
「見て、こんなに高くなった!」
兄の笑顔は、ぱちぱちと弾ける火のように明るい。母は笑い、父はぎこちない手で紅茶を注ぐ。
「モルフィーナ、おまえは今日も元気だな」
「うん、お父ちゃん!」
それが彼女の世界の全てだった。
庭には白い花が揺れ、木の小鳥が飛び、夜には小さな明かりを囲んで家族が歌う。
モルフィーナはそのたびに胸いっぱいに空気を吸い込み、「ずっとこのままがいいな」と木の心臓でつぶやいた。
あまりに普通な生活。
されどモルフィーナにとっては最高でしかなかったのだ。
ある朝、空が妙に重たく沈んでいた。
いつもの鳥の声はなく、窓ガラスには薄いひびが入っている。
父がカップを持ち上げた瞬間、笑顔がぴたりと止まった。
「……お父ちゃん?」
声をかけたモルフィーナの目の前で、父の体が軋み、木の繊維が裂ける音がして、ばきりと腕が床に落ちた。
「いや……いやだ……」
母が彼女を抱こうとしたが、その腕も、顔も、砂のように崩れてゆく。
「お母さま、やめて、消えないで!」
木の床が波打つ。
壁に描かれていた絵がぐにゃりと溶ける。
頭の中に、聞いたことのない低い声が響いた。
――この世界は、普通すぎるな……何も面白くない。
その言葉に合わせて、家族がひとり、またひとり消えていく。兄が最後に残り、彼女に手を伸ばした。
「モルフィーナ、にげ……」
その声も木屑のように消えた。
空間が裂け、暗闇から銀色の刃がせり上がる。
何千もの歯車が噛み合い、ぎらぎらと回転を始める。
モルフィーナは膝から崩れ落ち、木の指先を床にかけて必死に這いずる。
「お願い、誰か……助けて……あたい、ちゃんといい子にしてたよ……笑ってたよ……」
返事はない。
黒い風が吹き、花畑は砕け、家はひっくり返り、床がなくなっていく。
刃が近づくたびに、木の脚がかすめ取られ、木屑がぱらぱらと飛んだ。
「やだ、やだ、消えたくない……みんなと離ればなれになんかなりたくない……」
目の奥で、さっきまでの幸せな日々がぱらぱらと紙芝居のように散っていく。
木の頬に涙が落ち、最後の力で手を伸ばす。
「……おとう、ちゃん……」
歯車は容赦なく回転し、体は裁断され、木片が宙に舞った。
光は茶色く染まり、音は遠のいていく。
木の心臓が最後の鼓動を打った瞬間、すべては暗転した。
――おしまい。おしまい。
◇ ◇ ◇
観客席の没キャラたちは身を乗り出し、嗤うもの、拳を握るもの、頬を濡らすもの、さまざまだ。
前列に座る老人が低く囁く。
「見ろ、これが創造主の罪だ」
隣の青年が興奮したように叫ぶ。
「さっさとメインディッシュを味合わせろ!」
やがて静寂ののち、割れるような拍手と笑い声が渦巻いた。
幕の奥から淑女の衣装のエリザシュア・ルミナが現れ、ゆっくりと一礼する。
「皆さま、ご覧いただけましたか? これがあの創造主様のなさったことですわ」
観客席の奥からは叫び声のようなものが響き、歓声が波のように劇場を満たしていく。
魔女は唇の端を上げ、声を高めた。
「――さあ、これからがメインディッシュ、第二幕の始まりです」
幕が上がる瞬間、劇場全体が吸い込まれるように静まり返った。
広すぎる客席の一人一人が、創造主に見捨てられた過去のキャラクターたち。
彼らは誰もが目を爛々と光らせ、拳を握り、歯を食いしばっている。
息が熱く、嗚咽や笑い声が混ざり合い、空気は重油のようにねっとりとした期待で満ちていた。
中央の舞台には、鎖で磔にされた創造主――田島修一の姿が現れた。
両腕を引き裂かれそうに吊られ、額から流れる汗が光を反射して滴る。
女王陛下によって既に扱かれてしまっているようで、全身から血液が絶え間なく流れている。
その周囲を薄い霧のような魔力が漂い、観客の罵声と歓声がぶつかって火花を散らしているかのようだった。
その前に立つのは木の少女、モルフィーナ・ドールニア。
人形の悲劇の主人公。
細い肩は緊張で震え、指先は白くなるほど槍を握り締めている。
舞台袖から淑女のドレスに身を包んだ魔女エリザシュア・ルミナが滑るように現れ、緩やかに一礼した。
「さあ、皆さま。今宵の第二幕にして主題――その名も『創造主様ぶっ殺し劇場』
今回はゲストとして第一幕で見てもらった悲劇の主人公、モルフィーナ・ドールニアちゃんにも来てもらっておりまーす!」
魔女は手をひらりと振り、舞台袖からモルフィーナがゆっくりと前に進む。
先ほどの悲劇に共感した人が多かったようで、歓声が鳴りやまない。
「第二幕の趣旨は――ええ、簡単ですわ」
その声は低く、しかし劇場全体に響き渡る。
観客の心臓を直接揺さぶるような圧力を帯びていた。
「モルフィーナちゃんに与えた、この13本の槍を憎き創造主様に投げてもらって、皆様には彼が朽ちていく姿を楽しんでもらいます!」
細く華奢な肩が微かに震え、指先は白くなるほど銀色に光る槍を握る。
観客席からは、興奮と狂喜が混じった声が漏れる。
誰もが目を爛々と輝かせ、拳を握り、息を詰めてその光景を見つめる。楽しむかのように、歓声と嗚咽が交錯し、空気はねっとりとした熱気で満たされる。
エリザシュアはにやりと笑みを浮かべ、モルフィーナの肩を軽く叩く。
「さあ、貴方の槍で、創造主様を穿ちなさい。
――そして、その姿を皆さまに、存分に見せてあげてくださいませ」
モルフィーナは小さく頷き、静かに槍を構える。
舞台全体に張り詰めた緊張感が走り、創造主の鎖が軋む音さえも、まるで舞台装置の一部のように観客の心に迫る。
客席のあちこちから足踏みと拍手が湧き起こる。うねるような歓声は次第に「はやく」「やれ」の合唱に変わっていった。
冷たい鉄の感触が木の手を刺し、モルフィーナの心臓の奥の記憶を刺激する。
「さあ、投げなさいっ!」
魔女エリザシュアの声は甘く囁くが、脳裏には刃のような響きが突き刺さる。
「貴女の苦しみ、その手で晴らすのです」
モルフィーナは小さく息を吐き、足を踏み出した。
一投目――槍はきらりと光を反射して風を裂き、創造主の肩先をかすめて背後の木枠に突き刺さった。
観客席は一斉に総立ちになり、どよめきと笑いが渦を巻いた。
「惜しいぞ!」「もっと近くに!」無数の声が飛び交い、木霊のように舞台に跳ね返ってくる。
二投目。槍はさらに鋭い弧を描くが、やはり当たらない。創造主の髪をかすめ、壁を削り取った。
「狙え! 殺せ!」
観客が口々に叫ぶ。
三投目、四投目……モルフィーナの呼吸は荒くなり、手が震え、視界の端が赤く滲む。それでも槍はかすりもしない。
「殺せ、殺せ、殺せ!」
劇場全体がひとつの巨大な声帯になったように、低い唸りが床を揺らし、木枠がぎしぎしと軋む。
〈殺せ、殺せ……仇はそこにいる〉
観客たちの熱い歓声が強迫観念に変換され、それが矢のようにモルフィーナに突き刺さる。
視界の中に、失われた家族の姿が揺らめく。
父が、母が、兄が現れ、憎悪に満ちた瞳でこう囁く。
〈モルフィーナ、こいつがお父ちゃんたちを壊したんだ。殺せ、仇を取れ〉
槍を握る手が軋み、木の指に細かなひびが走る。
肩が膨らみ、節々から黒い蔓がのび、異形の影が身体を包んだ。
「……そうだ、あたいが……やるんだ……やらなきゃ……」
滲み出す殺意や憎悪がモルフィーナの体を動かし、田島修一へと槍を向ける。
磔にされた創造主――田島修一の口元がわずかに震え、声は掠れるように、しかし確かな意思を帯びて届いた。
「……死んで、たまるか……俺は生きなきゃならない……お前たちを……救うために……」
その声は、モルフィーナの鼓膜を打つ雷のように、身体中を震わせて伝わった。
木の手に握られた槍が微かに震え、視界の端で揺れていた幻影の家族が、一瞬にして波のように崩れ落ちる。
父の笑顔、母の手、兄の声――全てが淡い霧のように空中で溶け、足元に消え去った。
モルフィーナは息をのむ。胸の奥で何かが引き裂かれるような痛みと、凍るような静寂が同時に押し寄せる。
小さな声が喉から漏れた。
「……お父ちゃん……?」
その瞬間、目から溢れた透明な涙が、木の頬を滑り落ち、床にぽとりと音を立てて落ちる。
槍は自然と指の隙間から滑り落ち、無力に床に落ちる音が、劇場の静寂の中で不気味に響いた。
膝がぐらりと折れ、モルフィーナは床に崩れ落ちた。
小さな体が震え、嗚咽とすすり泣きが重なる。
「殺せない……やっぱり、あたいには創造主様を……お父ちゃんを……殺せない……!」
一瞬の沈黙のあと観客席からは、怒声や罵声が渦のように降り注いだ。
「殺せ!」「創造主を罰せよ!」「見捨てたのだろう!」
幾千幾万もの視線が、モルフィーナを圧迫する。舞台の板が震えるほどの怒号が、少女の小さな体を取り巻いた。
だが、モルフィーナは立ち上がる。
膝を震わせながらも、両手を胸に押し当て、震える声を絞り出す。
「……皆、聞いて……!」
会場のざわめきが、一瞬止まった。
人形の瞳は涙で光り、呼吸のたびに小さく胸が上下する。
「確かに……創造主様はあたいたちを……見捨ててしまった……でも……今は……違う……!」
少女は拳を握り、震える声をさらに強くする。
「でも……今は違うの……あの人は、自分の過ちを悔い、あたいたちを……救おうとしてくれている……!
遊園地の一件のこと、きっともう知っているでしょ……?
あるひとりが廃夢空想になっちゃって、辺りに暴力を振るっていたときに、創造主様は立ち向かい、そしてその子を人間の姿に戻してあげていた…」
モルフィーナは顔を上げ、声を張る。
「だから……信じて……みようよ……! 許せないことも……まだあるけど……少しだけでいいから……。
今のあの人を……見てあげようよ……?」
しかし、劇場に渦巻く怒号の前では、彼女の声は小さくかき消される。
――そんなのデマに決まってる!!
――創造主が優しいやつのはずがねぇ!
――はやく、殺せぇぇ!
劇場の騒音の中、少年のような可愛らしさがありつつも熱の籠った声が突如響いた。
「違う! 本当にあの人は……オイラを助けてくれたんだ!」
その声は低くも力強く、鋭い切り込みのように会場の怒号を裂いた。
モルフィーナがその声の方を見ると、そこにはあのピエロの姿があった。
観客席のざわめきが一瞬、止まる。
小さなざわめきと息遣いが、劇場の奥の方でわずかに震える。
そして、創造主を信頼する声が更にあちらこちらで響き始める。
「創造主様は……危うく瓦礫に押しつぶされそうになったときに、助けてくれたの……!
本当に命の恩人なんですぅっ!」
彼女は遊園地での出来事を想起する。
――膨れ上がった異形ピエロを押さえ、瓦礫の中から自分を救い、危険を顧みず立ち向かったあの日の勇姿。
ひとつひとつの行動が、胸を打つ映像として言葉に滲む。
「あんたも一緒に見てたでしょ……あの人があたしたちのために、怖くても諦めずに戦ったこと……!」
最初は怒号に押し流され、かすれた声だった。しかし、ピエロの声を皮切りに、波紋がゆっくりと広がり始める。
――見たんだ! あの人が瓦礫を押さえて助けていたのを!
――そうだ、そうだ!
――あの人のおかげで誰も傷つけずに済んだんだ!
最初は小さく、遠慮がちに紡がれていた声が、次第に重なり合い、渦となり、劇場の壁に反響する。
怒号に押されていたモルフィーナの声も、ようやく強さを取り戻し、震える胸に力を与えるように響く。
「ほら……皆、見て! あの人は、ちゃんとあたいたちを見て、守ってくれたんだよ!」
小さな木の体が、力強く震える。拳を握る手から、言葉に込められた熱が観客席へと波のように伝わる。
創造主を信じようとする人数は、まだ少ない。
けれど、怒号を放つひとたちと比べて声の大きさは、引けをとらない。
数万もの目が、モルフィーナの震える拳と、胸に抱えた感情に吸い寄せられるように動きを止めた。
やがては怒声は風に溶け、場内には微かな吐息と、涙をこらえる音だけが残った。
だが、そこに苛立ちの波が忍び寄る。
魔女エリザシュア・ルミナは壇上に姿を現し、鋭い目でモルフィーナを射抜く。
指先に赤黒い光が集まり、空気を切るような音を伴って小さな火花が舞う。
「はぁ……一体、これはどういうことなんです?
全く、貴方の所為で場の趣が、白けてしまったじゃないですかっ!」
人形の肩が突き飛ばされ、観客の怒声とざわめきが一瞬入り混じるが、モルフィーナは膝をつく。
「貴方のその割れてしまった不気味な顔を見るだけで、血が沸き立つ…!」
怒りを隠せない魔女の言葉を聞いたモルフィーナは、
「不気味な顔……? 見ないで。あたいの醜い顔を見ないで……!」
自身の顔を精一杯隠しながら怯える。
そして…
「何の役にも立たない木偶の坊のガラクタさんには、疾くとご退場願いましょう」
エリザシュアが腕を掲げた瞬間、魔術の閃光が舞台を鮮やかに照らす。
「あたし、また、死んじゃうの…?」
モルフィーナに顔に恐怖、悲哀の表情が浮かぶ。
――そしてその顔を、俺が見逃すはずがなかった。
磔にされた”俺”は、体を活性化させる。
全身を駆け巡る力が、鎖の冷たい鉄に響く。金属の軋む音が耳をつんざく。
鎖の輪が一つ、また一つと裂けていく音。
手のひらに伝わる震え、鉄の感触、そして魔女エリザシュアの放つ魔力の圧迫――全てが俺の身体を限界まで追い詰める。
鎖に縛られた俺が渾身の力を振り絞る瞬間、鉄の音が鋭く響き、鎖が裂ける。空気が震え、舞台上に爆発的な圧力が走る。
俺の力が全身にみなぎり、やがては…
――魔女の魔術を受け止めるに至る。
鎖が弾け飛び、金属片が床に散る音が劇場全体に響いた。
魔女の魔力の閃光は空を裂きながらモルフィーナを貫かんと迫っていたが、その刹那、俺の腕が間に割り込み、光の奔流を受け止めたのだ。
衝撃が全身を焼き、息が詰まる。それでも、俺は小さな木の少女を胸元に抱き寄せ、両腕で包み込むように守りきる。
モルフィーナの身体は、恐怖に震えていた。
「あたいの顔は……醜い醜い醜い…あたいなんか死んじゃえ死んじゃえ」
俺は膝をつき、震える小さな手でモルフィーナの顔をそっと支えた。
「お前の顔は……醜くなんかない」
声は優しく、しかし揺るぎない響きを帯びていた。
モルフィーナの顔はあちこちが割れ、線が走り、木片が微かに浮き上がっていた。
それを俺は丁寧に、まるで欠けたパズルのピースをはめるように、光る創造の筆でひと筆ひと筆描き足していく。
割れ目に沿って色を塗り、瞳に光を宿らせ、口元に微かな笑みを描き出す。
やがて最後のひと線を引いた瞬間、ぱらぱらと舞っていた木屑や粉が消え、割れた面が自然に溶けるように馴染み、モルフィーナの顔は元の滑らかな木肌を取り戻した。
――それは、俺たちの信頼の証でもあった。
彼女は戸惑いながらも指先で自分の頬を触れる。
「……あ、あたいの顔……元に戻ってる……!」
瞳に喜びの光を宿し、思わず笑みが溢れた。小さな腕で俺を抱きしめる力も、先ほどよりずっと確かで温かかった。
その瞬間、劇場全体にざわめきが広がった。
――そんな、創造主が、一度は見捨てたはずのあの人形を護るだなんて。
――それだけじゃないぞ、あの我々が見捨てられた証でもある、砕けた顔をもとに戻しただと……。
――信じない、信じないぞぉっ!
怒号に包まれていた観客席から、微かに息を呑む音が混ざる。
視線が舞台に集まり、普段は嗤うばかりだった者たちの瞳に、少しだけ戸惑いや興味、そして好奇の色が浮かび始めた。
怒号の波に押されていたその空気が、ほんの一瞬、止まった。
小さく、しかし確かに、変化の気配が劇場を満たし始めている。
俺は息を荒げながら、震える少女の背中をゆっくりと撫で、耳元に低い声で囁く。
「……もう大丈夫だ……怖かったな、モルフィーナ……」
その言葉に、モルフィーナは小さく肩を震わせる。
「……お父ちゃん…………」
かすれた声でそう呟くと、木の頬に新しい涙が一筋伝い落ちる。俺はその小さな頭をさらに胸元に引き寄せ、額をそっと合わせた。
「今度こそ、もう誰も見捨てない………」
舞台の上で二人が寄り添う姿は、まるで壊れかけた人形を守る父親のようだった。
観客席の空気が一変し、怒声と嘲笑の代わりに、息を呑むような静寂が支配する。瞳が、その光景を凝視していた。
魔女エリザシュア・ルミナは、歯ぎしりをしながら二人を睨みつけている。
だが、俺の腕の中で震えていたモルフィーナは、その胸の鼓動を感じ取りながら、ゆっくりと呼吸を整えた。
初めて、その胸の奥に小さな安堵が芽生え始める。




