第2話 贖罪
「我は月影白夜騎士団が筆頭……勇者、ルナテミスッっ!!
初めましてと行こうか、創造主様。そして、穢土にようこそ、くそったれ」
彼女――勇者ルナテミスは俺にそう告げた。
光はゆらゆら揺れ、壁や天井に影を伸ばし、まるで地下室全体が生きているかのように震えていた。
「勇者ルナテミス……ってそれは、その名前は――!
俺が昔描いていた、黒歴史漫画に登場する主人公の名じゃないかっ!
どういうことだ、何が起こってる! なぁ、ここはどこなんだ!! 」
「ここは……そちが作った世界だ。創造主様よ」。
正面から響く女勇者の声は、どこか低く、震えていた。怒っているような泣いているようなそんな顔で。
「無礼を承知の上でそちを、この世界に召喚致した。」
「……これ、夢、だよな?」
思わず口にした声は震えていた。けれど耳に響く残響は、普段の夢で聞く曖昧な音ではない。はっきりと、石壁に反響して返ってきた。
頭の奥がぐらりと揺れる。夢だと断じたい。でなければ、自分がいまどこにいるのか説明がつかない。
会社でも家でもなく、恐らく地下の石造りの施設――魔術陣の光がまだ残り香のように漂っている、見知らぬ場所。
そして、その光の中心に立つ――少女。
銀の鎧に身を包み、蒼いマントを翻し、真っ直ぐこちらを見つめている。
ただの幻影だ、空想の産物だと切り捨てたい。けれど彼女の目にうっすら浮かぶ涙の光、胸の上下で刻む呼吸の速さ、微かに漂う鉄の匂いまで――夢にしてはリアルすぎた。
「……俺は……」
言葉が喉で絡まる。
否定したい。こんなのはただの悪夢だ、と。
だが――あまりに細部が鮮やかすぎる。石の湿り気も、松明の熱も、少女の声が震える気配も。どこにも“虚構”の曖昧さはない。
だから、少しだけ信じることにした。
「……仮にここが、俺の描いたあの漫画の中だとして、どうして呼び寄せたんだ?」
俺は少し冷静さを取り戻し、彼女にそう告げる。
金色の髪を揺らす勇者は、肩にかかった黒いマントを軽くはためかせ、
「色々思考が追い付かないのにも無理はあるまい。
我について来るんだ、見せたいものがある。……理由はそのあとに語ろう」
そう、背中で語った。
◇
地下施設の奥には、長く続く上に続く階段があった。
壁に沿って松明が等間隔に取り付けられ、揺れる炎が石壁に長い影を落とす。
階段は急で、湿った石の段はところどころ苔むし、べたつく感触が足に絡みつく。
俺は一歩一歩、慎重に段を踏みしめる。
勇者ルナテミスは静かに前を歩き、まったく言葉を発さない。
階段をのぼる間、頭の中は混乱していた。
“ここは……本当に、自分の描いた世界なのか?”
“いや、冷静に考えればそんなわけないだろ”
“でも、勇者ルナテミスの姿、言動や仕草は、あまりに俺が設定していた通りの……”
思考はぐるぐると回り、目に映る松明の揺らめきが幻のように揺れ、昔夢中になって描いていた光景がふと脳裏によぎる。
やがて長くうねる階段を、ひと段ずつ足音を響かせながらのぼり切ると、視界がぱっと開け、そこには荘厳な空気に満ちた大広間が広がっていた。
漆黒に近い石の壁面はゴシック様式の精緻な彫刻で飾られ、尖塔のように天井へ伸びるアーチが光を受けて鋭く影を落とす。
床には大理石が敷き詰められ、冷たく滑らかな感触が足裏に伝わる。天井の高みから吊るされたシャンデリアが微かに揺れ、淡い光と影の交錯が広間全体を幽玄に染め上げていた。
――既視感。これまた俺が思い描いていた城に酷似している。
勇者ルナテミスが育った郷土――グレイス・ヴァルム王国に聳え立つあの城に。
前方には、重厚な城の扉がそびえ立つ。
漆黒に塗られ、鋳鉄で飾られた金具が薄暗い光を受けて鈍く光っている。
その大きさと存在感に、俺の胸は自然と圧迫される。
「創造主様、まずはご自身で、この城の外の街をご覧になっていただきたい。」
「わかった……」
手をかける前に、呼吸を整える。
――この先に、俺をここに呼んだ答えがあるんだな。
湿った地下の空気とは違う、乾いた風が足元から吹き上がり、服を揺らす。
耳に届くのは、自分の心臓の音と、かすかな風のざわめきだけ。
手のひらに触れる扉の冷たさは、石の床の感触とは異なり、硬く、重みを伝えてくる。
勇者ルナテミスは静かに俺の隣に立ち、目を伏せて俯く。
その瞳には、恐怖と期待、そしてわずかな涙が浮かんでいる。
右手を扉の冷たい金具にかける。
指先に伝わる鉄の重みと、かすかな振動。
一歩ずつ力を込めるたび、扉の重みが腕と肩にずっしりとのしかかる。
息を呑み、胸の奥の緊張が身体全体に広がる。
小さな軋みが響く。
金具が微かにきしむ音が、静まり返った階段の空間にこだまする。
勇者の手が、無言で修一の腕に触れる。
その温かさが、胸の奥の緊張と恐怖を、わずかに和らげた。
そして、ゆっくりと扉が開く――。
「おんりゃああああああああああ!」
ガチャアアァ。
空気が押し出されるように流れ、城の外の光が差し込む。
――そして、見た。
灰色に沈んだ空の下、廃れた城下町を。
「なんだよ、これっ……!」
倒れた屋根、崩れかけた塔、瓦礫の間にうずくまる人々――まるで全員が浮浪者のようにみすぼらしく疲れ切った姿をしている。
風が舞い、埃が舞い上がり、髪や服に絡みつく。
遠くからは、崩れかけた屋台の軋む音や、瓦礫の小さな崩落音が微かに聞こえる。
人々の目は虚ろで、弱々しく動くものにすら反応するのが精いっぱいのようだ。
――それになんだあれは。あの空に広がる穴は。
あそこだけが不自然に何もない。あるのは、空白だけ。
どこか俯きがちだったルナテミスが今度は、俺の目を見据えて語る。
「創造主様、この世界ではこんな伝承がある。
~この世界の始まりに、一人の“創造主”がいました。
彼の御方は白き紙の虚無に線を引き、まず大空を与えました。
蒼穹は果てなく広がり、雲は流れ、鳥が歌い、子らの瞳に光を宿しました。
次に彼は海を描きました。
波は寄せては返し、泡は砕け、舟は揺れました。
人々はその恵みを受け、魚を捕らえ、火を囲み、笑い合いました・
そして山々を築き、森を芽吹かせました。
木々の梢は風に鳴り、獣たちは森に宿り、焚き火の煙は夜空へと昇った。
夜には無数の星を散らし、旅人の道を照らしました。~
――そう語り継がれているのだ」
彼女の言葉と同時に、俺の脳裏に記憶がよみがえる。
――机の上、鉛筆を握り、夢中で塗りつぶした空の青。
――夜空に星を散らし、見よう見まねで描いた流星。
「――すべては、“創造主”の手によって与えられたもの。
空も、海も、大地も、火も、人の営みさえも。それが我らの伝承であり、真実なのだ。
そして、そちこそが、その“創造主”。
創造主様、我はこの素晴らしき世界を産んでくださったことをずっと感謝したかった。
そうついこの間までは……」
――あぁ。
「この伝承には続きがある。
~けれど……創造は止まりました。
色は褪せ、線は千切れ、星々はひとつずつ消えてゆきます。
終焉の日は近い。
だからこそ……創造主よ。どうか、もう一度――~」
――そこでようやく勇者ルナテミスが俺を呼び出した理由がわかった。
「――なぁ、創造主様…。どうして、どうしてなのだ…??
どうして我らの世界を見放したのだっ……!??」
ルナテミスは唇を噛み、声を詰まらせた。
次の瞬間、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
それは鎧の表面に落ち、銀の装飾を濡らし、ひとすじの筋を描いた。
両手で顔を覆い、嗚咽が漏れる。
――あぁ、そういうことか。
つまりは、この世界の崩壊は、俺が漫画を描くことを、長らく放棄したことによるもの。
そのせいで、機械が酸化し錆びてくいくかのように、この世界は崩壊をはじめた。
そして挙句の果てに、創造主である俺に助けを求め、ここに呼び寄せたという訳だ。
「お願いだ……我らを……救ってくれ……!
創造主たるそちなら、もう一度あの美しくも儚い素晴らしき世界を構築できるはずだ!
だからどうか我らを、見捨てないでくれ……」
ルナテミスは地面に手をつき、その額を石畳に押し付けた。
嗚咽のたびに肩が震え、髪が顔に張りつく。
いつもは強く背筋を伸ばし、剣を掲げる姿しか見せなかった女勇者ルナテミスが、いまは一人の人間として、ただ必死に泣いている。
俺はその光景を見て、胸が締めつけられるような痛みを覚えた。
言葉が出ない。
頭の奥では、自分が描いた勇者ルナテミスの設定や台詞がよみがえる。
「決して涙を見せない、不屈の戦士」――そう書いたはずのキャラクターが、目の前で泣きじゃくっている。
――そうか。
この子は多分、ただの漫画のキャラなんかじゃない。この世界に生きる、俺と同じひとりの人間なんだ。
そしてここは、俺が「黒歴史」と蔑んでいた漫画の世界。
それが、今ようやく理解できた。
ルナテミスの声が、かすれて掠れたまま続く。
その瞳が田島修一を――俺を見上げる。
涙で濡れ、弱々しくも真っ直ぐな光を宿した目だった。
ルナテミスの嗚咽は、城下町の崩れた石壁に反響して、やがて俺の胸に染み込んできた。
彼女は泣きながらも必死にすがりつき、その肩は小刻みに震えている。
その姿を見ていると、胸の奥に封じ込めていたものが、少しずつ溶け出していくようだった。
「この世界を救う」ということは、俺が再び漫画を描き始めるということなのだろうか。
果たして、今の俺に出来るのだろうか。
俺はゆっくりと息を吸った。
苦い記憶が蘇る。笑われた日、折れたペン、机の上の破かれた原稿たち。
描くことは、かつての自分にとって誇りであり、同時に深い傷でもあった。
今でも、その右手はペンを握ろうとすると無意識に震える。
だが、目の前の世界は、確かに俺の線から生まれたものだった。
石畳の配置も、遠くに見える折れた塔のシルエットも、広場の形も――すべて、記憶の中のラフスケッチに重なっている。
その世界が崩れ、泣いている人がいて、自分に助けを求めている。
俺はそっとルナテミスの肩に手を置いた。
その手はまだ震えていたが、彼女はびくりと顔を上げた。
「……今の俺には……まだ、描けないかもしれない」
声は小さく、かすれていた。
「もうあの頃みたいに、朝までペンを動かす力も、全部を背負う勇気もない」
ルナテミスの瞳が不安に揺れる。だが俺は、ゆっくりと言葉を続けた。
「でも……目の前で泣いてる人間を見捨てることも、俺にはできない」
胸の奥に渦巻くトラウマと、微かな温もりがぶつかり合い、言葉に重みを与えていく。
「描くことは今は無理でも……俺に何か出来ることがあるなら、何だってしてやる。
――だから、もう泣くな。ルナテミス」
その瞬間、ルナテミスの頬を伝っていた涙が、微かに止まった。
彼女の瞳に、弱々しいが確かな光が宿る。
俺自身も、胸の奥に小さな熱が戻ってくるのを感じていた。
まだ何が出来るかは分からない。
どうやってこの世界を救えるか分からない。
けれど、自らが産んだ子どもたちを見捨てるほど、俺は落ちぶれていちゃあない。
だから向き合おう、この世界に。黒歴史に。




