第16話 ワンちゃん生活が待っている
……冷たい。
背中に張り付く石壁の感触で、俺はようやく目を覚ました。
視界はぼやけ、目の奥を突き刺すような光が差し込んでいる。
月の光だ。
高い天井の窓から射し込む銀色の光が、牢屋の中を白く塗りつぶしている。
両腕は重い鎖で背中に回され、足首にも鉄環がはめられていた。
身体の芯まで凍りついたように動けない。
塔の上――いや、もっと高い場所にいるような眩暈。
夜風が頬をかすめるたびに、錆びた鉄の匂いと混ざって鼻腔に刺さる。
「お目覚めですか、創造主様?」
カツ、カツ、とヒールの音が近づく。
月明かりに映える白磁の肌、憎悪が染み込む血液を流したような紅色の髪を翻す魔女が姿を現した。
エリザシュア・ルミナ。
以前見たときよりも妖しく、嬉々としている。
俺が声を上げようとする前に、彼女が解説するように自身のことを説明する。
「……あぁ、まず先にわてちしがなぜ、没世界にいるのかを、教えておいて差し上げましょう。
わてちしは、この世界を内部から管理するために創り出したコピーみたいなものです。
ですので、わてちしは本物と同じ可愛さを持っていますし、本物と同じ性格の良さも併せ持っております」
俺は彼女の解説にひとつ疑問符がつきながらも、聞き続ける。
「その他、現実のわてちしと、没世界のわてちしは、記憶の同期も行っておりますので、貴方がこの世界に誘われたことも、当然知っておりましたというわけです」
俺は頭を上げ、声を絞り出した。
「……ここは……俺が没にしたキャラクターたちの世界、なのか?」
魔女は唇の端を吊り上げ、両手を胸の前で合わせてみせた。
「正解♡!
よくお判りになられましたねっ!
ご褒美をいっぱいいっぱぁい与えてあげますから、嬉々として待っていてくださいねっ!」
その声は甘やかで、しかし冷たく、鉄より重いものが胸に落ちてくる感覚がした。俺はなおも問う。
「どうやって……こんな世界を……」
エリザシュアは、ゆっくり歩きながら語り始めた。月光が彼女の赤い瞳を照らし、影が床に長く伸びる。
「……最初にあれを拾ったのは終焉の穴の誕生の“すぐあと”でしたわ。
門番たる存在を封じるため、わてちしは森を氷漬けにしたその後——突如として、空から紙片が降ってくるようになったのです。
白紙ではありません。貴方が書き散らし、投げ捨てた世界の設計図のようなもの……」
魔女の声が塔の壁に反響し、どこか讃美歌のようにも聞こえる。
「拾い集めて思念を読んだ時、わてちしは悟りました。
この紙片には、貴方が見捨てたキャラクターや世界が宿っているのだと。
どれほど血を流し、どれほど願いながらも、物語の中に居場所を失った者たちの叫びを……」
彼女はうっすらと笑いながら、目元に一筋の涙を落とした。
「わてちしは……彼ら彼女に、酷く同情しました。
そして、手に入れた者たちだけの紙切れを基に、この世界を築き、安住の地を与えました。……それは、なぜか」
瞳が一瞬にして紅玉のように輝く。魔女の笑みが、月光の中で刃物のように光る。
「すべては、創造主様をこの世界に閉じ込め、じっくりと——いたぶって差し上げるためにな! じゃはははっはは!」
魔女エリザシュアの声が塔を揺らす。鉄格子が震え、鎖が軋む音が、月の光の中で不気味に響いた。
俺の胸の奥が冷たいものに締め付けられる。月明かりが今までになく眩しく、鋭く見えた。
鎖が鳴った。
エリザシュアは微笑んだまま、懐から鞭のようなものを取り出した。
銀糸を織り込んだかのように光るそれは、手首の返しひとつで蛇のようにうねり、俺の肩や背を叩いた。
打ちつけるたび、火花のような痛みが全身に散る。
「ふふ、ふふふふ……」
彼女の顔は恍惚としていた。口角は限界まで吊り上がり、口元から涎が一筋、顎を伝って滴り落ちる。
長い舌が、まるで蛇のように突き出され、光る唾が床に落ちた。
「バシュッ!」
その音のすぐあと、頬に熱い衝撃が走り、視界が一瞬白く弾ける。
反射的に身体が仰け反り、鉄の鎖がギシギシと悲鳴をあげた。
「ふふ……ふふふふふ……!」
エリザシュアは恍惚とした笑顔のまま、鞭をもう一度ゆるやかに巻き取り、再びしなやかに放つ。
「バシュッ!」
今度は肩口を裂くような痛みが走り、全身の力が抜けそうになる。息が詰まり、喉の奥でかすれた声が漏れた。熱いものが肌を伝い落ちるのが分かる。
「創造主様……もっと見せてくださいな、そのお顔を……その声を……!
さぁ、わてちしに屈しなさぁい! 今なら、毎日が快楽の濁流に飲まれる、最高のワンちゃん生活が待っていますよぉ!!
昼も夜もなく、貴方はただ、蕩け、淫らに震え、狂おしいほどの至福に身を委ねるのですぅッ……!!」
長い舌を突き出し、唇を濡らしながら彼女は囁く。
鞭の銀糸が月光を受け、蛇のようにうねり、次の一撃を予告するように床を這った。
鎖はきしみ、手首に食い込む。痛みと眩暈の中で、俺は奥歯を噛みしめる。
「……屈服して、たまるもんか……!」
胸の奥に燃え残るものが、かすかな声となって唇からこぼれる。
その声に、魔女の瞳が一瞬だけ揺らいだ。
「では創造主様、ここでひとつ……貴方に特別な提案をしてあげましょう」
彼女は、鞭を持つ手を止め、ゆらりと歩み寄ってくる。声だけは、これまで通り上品で、まるで貴族の舞踏会のような響きを持っていた。
「もし、勇者ルナテミスと共に往く、終焉の穴を塞ぐ旅をきっぱりと諦めになれば、
……わてちしは貴方を、安全に、五体満足のまま、元の世界へお返しして差し上げましょう」
これは魔女エリザシュア・ルミナが、俺――田島修一の奥底に眠る下衆い感情を露わにするためだった。
その笑顔は蜜のように甘いが、奥底に冷たさを湛えていた。
「あぁ、可哀そうで哀れな、惨めったらしい、くそったれの創造主様ぁ?
どうせ、成り行きでこの世界を救うはめになっただけで、特に信念や創造物への愛情なんてもんはよぉ、微塵もお持ちではねぇんでしょう♡?!
だから、さぁどうか――すべてを投げ捨ててくださいよ。今までしてきたようにね」
そう彼女は、俺の心を刺激する。
だが、俺の返答は彼女の予想を大きく裏切ることになる。
鎖がきしむ。
痛みで汗が背を伝う。
だが俺の胸の奥から、違うものがこみ上げてきた。
「――ははははははははっ!」
俺は笑っていた。痛みで笑っているのではない。
心の奥で決意が燃え上がり、笑いとなって噴き出していた。
「悪いが、その提案は却下だ。」
エリザシュアの赤い瞳が一瞬だけ揺れる。
「俺は、決めたんだよ。」
そう言って、言葉を続ける。
「すべては俺のせいで悲しませてしまった……見捨ててしまった……そんな人たちを、世界を、救うために!
――俺は今度こそ、この世界に向き合うって!!」
声が塔の天井まで響き渡り、月の光が鉄格子越しに射し込んだ。その光が、鎖に繋がれた俺の体を、銀の炎のように包む。
魔女は涎を拭いもせず、目を細め、舌先で唇を湿らせながら見下ろしていた。
その表情には、驚きと、ほんのわずかな――感情の名をまだ言えない何かが混じっていた。
俺の言葉を聞き終えたエリザシュア・ルミナは、しばらく黙って俺を見下ろしていた。
その瞳に宿るのは怒りでも喜びでもなく、氷のような失望だった。
やがて、踵の高い靴が石床を鳴らす。踵を返し、冷たい月光を背にして、牢の外へと歩き出す。
「──あっそ。
へぇ、それじゃあ精々がんばってくださいよ。”世界”とやらを救うために……」
その声は甘やかで上品な響きなのに、吐き捨てるような冷ややかさを帯びていた。
「でもまず、この没世界から脱出できなければ話になりませんよ」
鉄格子の影が揺れる。
「でも貴方には、きっとそれは不可能。
だってこの世界から出るには、ここに住まうすべての民の、貴方への憎しみが晴れなければならないのですから。
──無論、わてちしもね」
言葉の最後に、かすかな笑みと、ほとんど聞き取れない吐息。
「せいぜい、お楽しみあそばせ……愛しの創造主様」
牢の重い扉が、ギィイ、と鈍い音を立てて閉じる。
その瞬間、エリザシュアの背中に絡みついていた黒い外套がゆらめき、細長い柄と羽根を持つ箒の杖に変わる。
彼女は軽やかに窓辺から飛び降り、月光の下をくるりと回りながら、その杖にまたがる。
塔の影を縫って夜空へ飛び立つ姿は、ひときわ鮮やかに光り、やがて闇に溶けていった。
静寂。
俺は鉄格子に額を押し付け、残された月の光を見つめた。
──憎しみが晴れなければ脱出できない。あるじゃねぇ、脱出する方法が。
◇
どれくらいの時が流れたのか、もう見当もつかない。
塔の最上階にあるこの牢屋は、永遠に同じ月光だけが差し込んでいて、時の感覚がどんどん削られていく。
鉄格子の向こうでは、一定の間隔で鎧姿の兵士が交代に現れ、俺をじっと監視する。その気配にも、もう慣れてしまっていた。
その日も、いつもと同じように足音が響く。
「もう交代の時間か……。ほんのちょっと監視するだけであれだけの大金が手に入るなんて、女王陛下も太っ腹なもんだな」
鎧の奥からくぐもった声。兵士は軽い調子でぼやきながら階段を下りて行った。
俺は眉をひそめる。
(……交代の時間には、少し早いような……?)
そのとき、カチャリ、と乾いた金属音が響いた。
牢の錠前が、自動で外れたかのように、ゆっくりと開いていく。
ギィイ、と鉄扉が開かれる音がやけに大きく聞こえた。
「……何のつもりだ?」
俺が身構えると、兵士がゆっくりと兜に手をかけた。
ガシャン、と甲冑の頭部が外される。
そこにあったのは、血色の薄い顔と、ガラスのような関節を持つ、あの“人形の少女”の姿だった。
先ほど、森の奥で俺を襲い、そして俺が峰打ちで倒したあの子だ。
「……お前……!」
少女は淡い笑みを浮かべ、どこか震える声で名を名乗った。
「あたいは──モルフィーナ・ドールニア。
創造しゅ……いや、お前を助けに来たものだ」
月光が彼女の球体関節を照らし、ぎこちなくも確かな一歩を俺の方へ踏み出したのだった。
◇
モルフィーナの案内で、俺は氷と月光に満ちた回廊をすり抜けるように走っていた。背後では甲冑の兵士たちのブーツ音が響き、槍の金属音がきん、と鳴る。
「助けに来てくれたのはありがたいけどさ、ひとりじゃ危険すぎるだろう」
俺が息を切らしながら言うと、モルフィーナは細い脚で軽々と跳ねながら振り返り、むすっとした顔で吐き捨てた。
「ひとりじゃないし。お前なんかのために、あたいが全力で救出するわけないし。”黒いひと”がだいたいやってくれただけだし」
彼女はそう言いながらも、背中の継ぎ目がきゅっと光り、糸のような魔術を操って罠を解除していく。
俺はそのツンツンぶりに思わず口元が緩み、同時に“黒い人”という言葉に嫌な予感を覚えた。
胸の奥でひりつくような予感が、まるで針のように疼く。
やがて俺たちは森の奥深く、人形の少女がひっそり暮らすお菓子の家にたどり着く。
雪に埋もれた木の扉を開けると、暖炉の前で長い黒髪をゆらめかせながら、あの魔王ディアーナが平然とお茶を飲んで座っていた。
「うぅん、心配しておりましたよ、敬愛すべき我の、我だけの、我が君!!」
彼はいつもの上品な調子で、わざと芝居がかったように手を広げる。
俺は呆れ顔で「ああ、やっぱりお前か」と心の中でつぶやく。
だが包囲を破ってここまで案外すんなり戻ってこられたのは、おそらくこの魔王の攪乱系の魔術のおかげだろうと悟り、しぶしぶ「ありがとな」と言った。
その一言にディアーナは目を大きく見開き、陶酔したように手を胸に当てる。
「……うぅん、感無量。ええ、我は一生ついていきますとも。創造主様を、決して二度と見捨てたりなどしません!」
嘘くさく、だがどこか本気の響きを帯びた声が、この家の梁にまで反響していた。
暖炉の火がぱちぱちと爆ぜるお菓子の家の中、人形モルフィーナは腕を組んで俺に視線を向ける。
「お、お前……あたいには感謝はないのか!」
その声には威勢があるのに、どこか子犬がかまってほしくて吠えているような不器用さが滲んでいる。
俺は思わず吹き出してしまい、そっとモルフィーナの頭をなでた。
指先が柔らかな人形の髪をすくい、頬に触れると小動物のようにひやりとした感触がする。
「ありがとう。ほんとに、助かったよ」
そう言いながら、頬をもふもふと軽くつまむと、モルフィーナは「や、やめろって!」と暴れて俺の手を払う。
俺が慌てて手を離すと、彼女はふいに寂しそうに目を伏せ、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、もっともふもふして」
その一言に俺は苦笑し、再び彼女の頬を両手で優しく包み込む。今度はモルフィーナは抵抗せず、笑顔で目を細める。
「もう、くすぐったいよ……お父ちゃん!」
その瞬間、室内の空気が一気に凍りついたかのようになった。モルフィーナは顔を真っ赤にし、慌てて手を振る。
「べ、別にお前のことなんか、お父ちゃんだなんて思ってないし!
最初は創造主であるお前のことを憎んでたけど……さっき、あたいはお前を殺そうとしてたのに、お前はそんなあたいに優しくしてくれたからって、
……簡単に絆されて死んでほしくないからって、助けに行ったわけじゃないんだからねっ!」
心の奥を吐き出すように、早口で言い切ったモルフィーナの瞳は揺れていた。
――おいおい、全部言いやがったな。
俺はそんな彼女の姿を見つめ、なんて愛らしいやつめと感じる。
「ごめんな、モルフィーナ」
だからこそ、罪が零れる。
「せっかく――お前を、そして皆を、形にしてあげたのに、俺は簡単に、没キャラクターとして消費してしまったんだ。
紙切れに描くだけで、投げ捨てて、忘れてしまった。――こんなに深く、傷つけてしまうほどに」
思い返す。
さっき、街の中で俺が創造主だとバレたときのことを。
皆の眼は、まるで地獄の炎のように燃えていた。
明確な殺意と、深い憎しみ。俺を――俺という存在そのものを、この手で断ち切ろうとするような。
「その憎しみが、俺の胸を締めつける。
当然だよな。……それだけお前たちを、俺は裏切ったんだ。」
息が、喉の奥でひっかかる。
言葉にするたび、胸の奥が焼けるように痛い。
目の前の景色が、ぼやけて滲む。怒りでも、涙でもなく、ただ……重い現実が、やっと自分の中に降りてきた。
「もう逃げたくない。この没世界からの、脱出のためなんかじゃない。
何年、何十年、何百年かかってもいい。
ひとりひとりに向き合い、贖罪を果たすんだ。俺は、この世界に対して、責任を取る」
モルフィーナは黙ったまま、俺の言葉をひとつひとつ飲み込むように見つめている。
声を発さず、微かな呼吸だけが、俺の胸に届く。
その沈黙が、逆に心を静め、同時に燃やす。
「──俺は、もう、逃げない。皆にちゃんと、向き合うんだ」
背中を押すような月光の冷たさと、森の静寂が、俺の決意を固く結びつけた。
何者にも揺るがされず、誰にも背を向けず、ただ前へ――進むしかないのだ。
「……モルフィーナ、俺に、何か――贖罪のためにできることはないか?
……というか、させてほしいっ!」
暖炉の木材がパチパチと音を立て燃え盛る中、俺は肩の力を抜き、静かに問いかけた。
胸の奥で、先ほどの決意がまだ熱を帯びている。
ならば、行動する他ない。
モルフィーナは少し首を傾げ、球体関節をきしませながら考え込む。
「えー……」
人形らしい微細な仕草で小首をかしげる。沈黙が続き、凍りついたような空気に月光だけが差し込む。
そして、意を決したかのように、彼女の瞳がぱっと輝いた。
「じゃあさ――あたいを遊園地に連れてってよ!」
場の空気に似つかわしくない軽やかさ。
冗談とも本気ともつかない、あまりに軽快で、むしろ無邪気な口調。
「……え? そんなことでいいのか」
思わず俺は声を漏らす。さっきまでの牢屋の冷たさや、森の静寂、贖罪の重さはどこへやら、突然、世界が少しだけ軽くなる気がした。
「だってあたいには、贖罪って言葉は難しすぎて、よく分かんないし……。
シルヴェリオン市でリニューアルオープンされたっていう遊園地に行きたい気分なんだもん!
いいでしょ、お父ちゃんっ!!」
モルフィーナは少し鼻を鳴らして笑う。その仕草が、人形なのにどこか生き物らしい柔らかさを帯びて、俺の胸に小さな温もりを落としていく。
俺はしばらく黙って、彼女を見つめる。月光の中で、球体関節が微かに光る。
「……分かった。なら行こう、どこまでも――」
言葉を絞り出すと、自然と笑みがこぼれた。
重かった世界の空気が、ほんの少しだけ、柔らかく動き始めた瞬間だった。
◇ ◇ ◇
鉄格子の奥は、空っぽだった。
手足を鎖で縛られ、あれほど無力に転がっていた創造主の姿は、もはや影も形もない。
エリザシュア・ルミナの瞳が冷たく光った。赤い虹彩が暗闇の中でひときわ鮮烈に浮かぶ。怒りではなく、深淵のような殺意が胸を貫く。
「……説明しなさい」
震える兵士の声が耳に届く。だがその声は、魔女エリザシュアの鼓動の前ではかすかなざわめきに過ぎなかった。
「せっ、拙者が交代したときには……すでに創造主は――」
彼女の指先が空中を切ると、床に落ちた氷の結晶がチリ、と音を立てて砕ける。冷気が兵士の皮膚を刺すように絡みつく。
赤い瞳が兵士を一瞥しただけで、彼は全身が凍りついたように身を縮めた。
その瞬間、エリザシュアの視線は床に落ちた細い銀糸のような髪に留まった。
人形のものだ。微かに光を反射し、まるで呼吸しているかのように微かに揺れる。
「……なるほど、彼女が来たのね」
声は上品で、柔らかいが、底に潜む殺意が微かに震えた。
魔女はその髪を拾い上げ、地下への階段を降りる。
そこは歪んだ色彩に満ちた異界のような空間。
床からは異臭が立ち上り、乾いた獣の骨や謎めいた薬草、黒くねばつく液体が散在する。
空気は重く、息を吸うたびに鼻腔に刺激的な香りが流れ込む。
中央に据えられた巨大な大釜は、液面が淡く光り、蒸気と共に奇怪な音を立てて泡立っている。彼女は静かに髪を落とすと、両手を広げ、低く呪文を唱え始めた。
「――ルミナリス・ヴェルデシーラ・ノクティル」
呪文の響きは空気を振動させ、耳の奥を刺す。
液面の色は紫から緑、緑から深紅へと変わり、黒煙がゆらめきながら天井に昇る。
香気は甘く、腐敗臭と混ざり、呼吸するだけで頭が痛くなるようだった。
そして煙が、念写の如く、とある映像を映し出す。
そ魔女エリザシュアの口角が異様に吊り上がる。
まるで顔の皮膚が裂けるかのように、常軌を逸した笑みが広がる。口元からは涎が伝い落ち、赤い舌がゆっくりと舐める。
「──見つけちゃったぁ♡」
声は静かだが、空気が震える。
大釜の光が彼女の顔を照らすと、影が壁や天井をうねるように這い、彼女の狂気を強調した。
魔女の瞳は、今まさに創造主の居場所を捉え、歓喜を現すかのように光った。
歓喜とも憎悪ともつかぬ笑みが、その顔に広がっている。




