第12話 大魔女エリザシュア・ルミナの洋館
森を抜けると、急に空がひらけた。
木々の影の奥に、黒曜石を削り出したみたいな洋館がそびえている。
真っ黒な壁面はどこまでも直線的で、窓はことごとく閉ざされ、ひときわ高い尖塔が薄青い月光を受けて冷たく光っていた。
屋敷を囲む鉄柵は人間の背丈の二倍はあり、棘のような装飾が血管のようにうねっている。
そこに、古びた鎖と巨大な錠前が絡みつき、まるで「侵入者は血を流せ」と告げているかのようだった。
「エリザシュア・ルミナ! 我は勇者ルナテミスだ!! 柵を開けろ!!」
勇者ルナテミスが胸の奥から響く声で名を叫ぶ。氷の森に声が反響し、どこまでも届きそうなのに、返ってくるのは冷たい風だけ。
俺は肩をすくめた。
ルナテミスは軽く舌打ちし、剣を抜く。青い光が刃に走った。
「仕方ない」
閃光とともに一閃、門が紙細工のように割れ、行く手が生まれた。
「おいおい、また大胆な……」
俺は呆れたが、こうなったらもう進むしかない。
ルナテミスたちに続いて敷地内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
カチ、と足元で小さな符文が点滅し、世界が一瞬ねじれる。
「っぐ……!」
胸が締めつけられ、体が硬直する。
視界が白くなり、肺が凍るみたいに息ができない。
罠だ。
次の瞬間、俺はがっしりと誰かに抱え上げられていた。鎧越しの温もり。
「しっかりしろ、修一!」
ルナテミスの声。
彼女は俺を軽々と肩にかつぎ、そのまま罠の外へ跳躍する。
符文が背後で弾け、氷の矢が雨のように降り注ぐが、彼女の剣が風のようにそれを弾き飛ばした。
地面に転がされ、俺は咳き込みながら息を吸った。
「あ、あぶねぇ……。マジで死ぬかと思った」
「油断するな」
ルナテミスの声は低く鋭い。
「ここは大魔女のテリトリー、罠はどうやら一つではないようだ」
その言葉の直後、庭園の奥の氷像がひとつ、かすかに動いた。
見た目はただの氷の門番――だが、目の奥が淡く光り、軋むように動き出す。
「……魔術人形だ」
ルナテミスが剣を構えた瞬間、さらに二体、三体と氷像が軋みながら歩き出した。
氷像の群れが、凍りついた森の光を反射してきらめいている。
光の筋が目にちらつき、息は白く立ち昇る。
氷の表面が微かに振動し、俺の心拍に合わせるかのようにぎしぎしと音を立てる。
あの無表情な氷の塊たち――明らかに、創造主である俺を狙っている……。
ルナテミスは静かに剣を構え、シャーリアは翼を広げ、何かに擬態する素振りを見せながら、氷像たちに近づく。
勇敢な二人の姿を見て、一瞬だけほっとする――しかし、目の端で氷像の一体が俺を睨みつけるのを見た瞬間、恐怖が再び全身を駆け抜ける。
「――くっ……!」
俺の背筋を冷たい恐怖が這い上がると同時に、グラウスの顔がぱっと変わった。
普段は無表情で冷徹な戦騎士長の瞳に、怒りが燃え上がるのがはっきりわかった。
その瞳に映る俺の姿は、守られるべき大切な存在としての光を帯びていた。
「――!」
彼の低く響く声が森の静寂を裂く。すると目の前で、信じられない光景が展開した。
グラウスの手が宙に翳ると、背中の鞘から微かな金属音が響いた。
最初に、中心軸のラチェットギアが回転し、鞘のスライドカバーが左右に開き、内部で折り畳まれていた刃身が順番に展開する。
節が連動するたびに軋む音が響き渡り、光を反射する刃はまるで生き物のように蠢く。
やがて折り畳まれた刃の層が完全に展開され、長さ五メートルに達する異形の大剣が姿を現す。
ブレードの表面には冷たく光る金属光沢が走り、巨大な存在感が氷像たちを圧倒した。
地面まで微かに振動し、空気が切り裂かれるような緊張が辺りを支配する。
ルナテミスとシャーリアは、その場に立つ自分たちに出る幕がないと直感し、わずかに構えを緩めた。
その瞬間、グラウスの身体が一閃する。
重厚な振動が地面を伝い、森全体に響き渡る。
「――蒼裂嶽ッ!」
鋼の巨剣が空気を切り裂き、放たれた衝撃波は森の樹木を震わせ、枝葉を散らす。
凍てついた氷像は、圧倒的な力に耐えきれず粉砕され、破片は光を反射して乱反射しながら、雪のようにゆっくりと舞い落ちる。
轟音と共に森全体が揺れ、地面の砂も小石も、まるで波のように震動する。
俺は立ち尽くしたまま、言葉を失う。
空気が震え、息が詰まり、胸の奥まで衝撃が届く。
ただ、目の前に広がる破壊の光景に、言葉を紡ぐ力さえ、消え去った。
「……なんて力だ……」
思わず呟いたその言葉に、シャーリアがくすりと笑いながら解説する。
「グラウスちゃんはね、心はすっごく臆病で恥ずかしがり屋さんだけど、大切なものを守るときは内に秘められた本領を発揮するゆら!
今回で言えば、創ちゃんを護りたい一心で、立ち向かったってわけみゃお」
ルナテミスも力強く頷く。
「彼奴の潜在能力は、月影白夜騎士団随一と言ってもいいだろうな」
俺はその説明を聞きながら、胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
守ってくれる人がいる――それだけで、恐怖も緊張も、少しだけ和らぐ。
戦いが終わると、グラウスは深く息をつき、俺の前にひざまづいた。
「天主よ……お怪我はございせんか」
その瞳は真剣そのもので、光の中でほんのわずかに潤んでいる。
戦騎士長として圧倒的な力を振るった直後の人間らしい脆さが、逆に俺の心を強く打った。
「ありがとう、グラウス。怪我はないよ」
俺は自然と笑みを浮かべ、手を差し伸べる。
すると彼は、驚きの反応を見せた。
「う、うう……創造主様……ありがとうございます……!」
その声はまるで小さな子どもが泣きじゃくるようで、胸がぎゅっとなる。
顔を上げると、グラウスの瞳は真っ赤に潤み、鼻をすすりながら、手で顔を覆っていた。
俺の方を見つめながらも、涙で前があまり見えていないらしい。
「……ごめん、俺何か変なこと言ったか!?」
あまりの顔だったので俺は、そう彼に尋ねてみる。
「い、いえ……よもや、創造主様という尊き御存在より、感謝の意を賜る日が巡り来ようとは、微塵も思い及ばず……!
ただ、悦に浸っていただけであります……!!」
泣きながら叫ぶその言葉に、俺は思わず肩を揺らして笑いそうになる。
あの冷徹な戦騎士長が、まるで小さな子どもみたいに感情をあらわにしている――こんな姿、見られると思っていなかった。
シャーリアも肩を揺らして笑いを抑えきれない様子だ。
「……みゃはは、まったく……なんて子どもっぽいの、グラウスちゃん」
彼女の笑い声に続いて、ルナテミスも少し微笑む。
「確かに……こんなふうに泣くそちは初めて見るな」
ははっははは! そうやって俺たちは笑いあう。
――そのとき、空気が一変した。
氷をまとった樹々の間を抜ける風は、背筋を刺すように冷たく、しかしそれ以上に緊張感を帯びていた。
庭の中央、苔むした大理石の噴水のそばの、洋館の扉が少しずつ開かれていく。
そして、長く艶やかな臙脂色の髪がひらりと揺れ、雪より白い肌を持つ大魔女――エリザシュア・ルミナが姿を現した。
「……あのぉ、わてちしのことをお呼びでおいででしょうか」
その声は上品で澄んでいた。言葉遣いはまるで礼儀正しい淑女のように整えられているのだが、ふたつほど問題がある。
ひとつ、一人称が変である。
ふたつ、出てくるのが少々遅かった。故に、彼の怒りは止まらない。
「き、貴様は、大魔女――エリザシュア・ルミナ! まさか、天上たる主を、かようにも危難の只中に晒さんとは……!」
結果、グラウスは怒りで震え、戦騎士長としての本能が全開になってし、あったのだ。
まるで猛獣のように前に飛び出そうとした瞬間。
――庭の空気が一瞬で歪んだ。
目の前の大魔女は、指先一つで手のひらから光の糸のような魔術を放つ。
それは淡い蒼色の光線で、空中で渦を巻き、次第に無数の紋章と符号が光の軌跡となって舞い上がった。
「グラウス、逃げ――――」
だが、俺の心配とは裏腹に血液が飛び散ることなくグラウスの体には如何なる外傷も見当たらない。
その代わりといっては何だが……
「……は?」
俺は目をこすり、信じられない光景を見つめる。
グラウスの体に、先ほどまでの威圧的な鎧や重厚な戦装束の代わりに、くまの顔が胸元にプリントされたふわふわのくまさんパジャマが現れていた。
「……こ、これは……」
グラウスの声が、ひそかに震えている。恥じらいの赤が頬を染めていた。
俺も勇者ルナテミスもシャーリアも、思わず肩を震わせて笑いを堪えた。
庭の空気がようやく落ち着いた瞬間、大魔女エリザシュア・ルミナは軽く指先を振り、ひらりと立つ。
「わてちしに痛いことをしようとする人には、罰として一週間、くまさんパジャマの刑ですよ」
グラウスはひたすらうつむき、顔を真っ赤にしている。
勇者ルナテミスが柔らかく口を開いた。
「久しぶりだな、エリザシュア」
久々の再会を感じさせる声色だ。
シャーリアは軽く一礼する。
大魔女は薄く眉を上げ、軽く頭を下げて返答する。
「ご無沙汰しております、月影白夜騎士団の勇者ルナテミス様。
そして……おや、貴方が噂に名高い創造主様であらせられますね。
どうやらルナテミス様と共に門番を倒し、人間さんたちが住まう南のグレイス・ヴァルム王国の終焉の穴を塞いだ、とか」
その言葉に、俺は慌てて緊張しながらも自己紹介する。
「は、はじめまして。この世界の創造主、田島修一だ。どうぞよろしく……」
大魔女は軽く首を下げ、上品に声を落として応える。
「わてちしは、エリザシュア・ルミナと申します。この森――『氷結の月影林』――の管理者でございます。
創造主様、そして御随行の方々には、森の秩序を乱さぬよう、お願い申し上げます」
大魔女はにこりとしながら、俺たちを気遣った言葉をかける。
「――外気は冷涼にございますでしょう?
氷結した森に長くおいででしたおかげで、多少の寒さには耐えられたかと存じますが、どうぞ中にお入りくださいませ。
暖かき紅茶でも召し上がりつつ、悠久の時を経た対話を愉しみましょう」
そういう大魔女エリザシュアの後ろを俺、ルナテミス、シャリーア、くまさんパジャマを着用したグラウスが着いて、魔女の洋館を進んでいくのであった。




