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《テール=エクリプス》~君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。~  作者: たまごもんじろう
第2章 『氷結の月影林《フロストムーン・ルミナ》』

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第11話 北の凍光の森

 竜の背を裂くような突風が、耳の奥まで鳴り響いていた。

 

 俺は、鱗の隆起にしがみつき、まるで嵐の帆柱に捕まった難破船の乗員のように震えていた。


 はじめのうちは、風が頬を叩くたびに悲鳴に似た声が漏れ、背筋をつたう恐怖で全身が固まっていた。

 大空を飛ぶなど、俺の人生の中で想像すらなかったのだ。

 

 眼下にひろがるのは雲海。どこまでが地平で、どこからが空なのか分からない。浮遊感と落下感が交互に押し寄せ、胃が何度も裏返りそうになる。


 だが、しばらくすると奇妙な静寂が胸の奥に降りてきた。

 恐怖の尖った部分が少しずつ鈍り、代わりに凍えるような寒さがじわじわと脳を支配しはじめる。

 

 風はいつのまにかただの風ではなく、針のように肌を刺す冷気に変わっていた。

 吐く息が白く尾を引き、指先の感覚が失われていく。竜の背は逞しいが、冷え切った金属のように冷たく、そこに長くしがみつくこと自体が拷問に思えた。


 前方、シャーリアの竜の翼が大きく広がり、降下の合図を示す。

 グラウスや勇者ルナテミスが振り返り、俺に声をかけようとしたが、唇から洩れた言葉は強風にさらわれ、すぐに聞こえなくなる。

 ただその目だけが、「もうすぐだ」と告げているようだった。


 やがて厚い雲が割れ、白い森が姿を現した。

 

 かつては青緑の樹冠がどこまでも続いていたはずの北の森——今はすべてが氷の鎧をまとっている。


 幹は白銀に変わり、枝々には霜の結晶が鈴なりに垂れ、陽光を受けて青白く煌めいていた。

 木々の間から覗く地表もまた凍土と化し、緩やかな丘さえも氷の刃のような輪郭で立ち上がっている。


 着地の衝撃は、空の恐怖を一瞬で忘れさせるほど鈍く重かった。

 

 竜の爪が凍てついた地を掴み、雪煙をあげる。俺はがくがくする膝をなんとか立て直し、震えながら竜の背から降りた。胸の奥まで冷気が入り込み、咳がひとつ、思わず洩れる。


 竜の背から降りた瞬間、空を飛んでいたときの恐怖がまだ体に残っていた。心臓はまだ高鳴り、呼吸は荒く、足元がふわふわする感覚が抜けない。

 

 だが、時間とともにその感情は徐々に薄れ、脳を支配するのはただ一つ――寒さだった。


 森の空気は鋭く冷え、息を吸うたびに肺の奥まで氷の針が刺さるように痛い。

 凍りついた木々の枝からは、白い霜が雪片のように舞い落ち、舞い散るたびに頬をかすめる。


 雪に覆われた地面は凍結して固く、踏みしめるたびにギシギシと鈍い音を立てる。冷気は靴の中まで侵入し、指先はすぐに感覚を失いそうだ。

 

「……さ、寒すぎる……」

 思わず呟く。


 言葉にした瞬間、吐く息が白く舞い上がり、凍った空気に溶け込んでいく。

 頭上では雪をかぶった枝が風に揺れ、カサカサと乾いた音を立てる。森全体が、凍てついた静寂に包まれていた。


 シャーリアは竜の姿から戻り、優雅に地面に降り立った。

 ルナテミスは予め用意していたコートを、俺たちに配布する。

 

 羽織ってみると、厚手の生地は確かにふかふかだが、それでも氷の空気は容赦なく侵入してくる。肩や背中に刺すような寒さが残り、手先は冷たさで感覚を失いそうだ。


 そしてこの寒さに呆れた俺は細長く、先端から微かな光が漏れる創造の筆を無から取り出した。

 その光は凍った空気のなかで、淡い金線を描くように揺らめく。俺は深呼吸し、言葉を紡いだ。

 

 「……こんなにもふかふかのコートが寒いはず、ない……」


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ――対象:防寒コート(装備者:田島修一 ルナテミス シャーリア グラウス)

 ――理論:こんなにもふかふかのコートが寒いはずない。

 ――副理論:この衣は吹雪を裂く暖流であり、着る者を凍てついた世界から守る。

 ↓

 ――結論:『陽だまり織りコート』

 [効果]:「外気温を無視し、着用者の体温を常に安定・最適化する」

 [分類]:固有スキル


 【詳細説明】

 - 外気温−50℃まで体温低下無効

 - 体表面に微弱な魔力膜を形成し、霜・凍結・風圧から保護


 ――理論は、構築された。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 俺は目を閉じ、理論構築の力を集中させる。

 

 コートの繊維の密度、空気の層、熱伝導……ありとあらゆる条件を瞬時に書き換え、暖かさを理論的に極限まで引き上げた。

 

 光のペン先がすっと消えると同時に、俺のコートはふわりと膨らみ、内側から柔らかな熱が滲み出してきた。

 まるで焚き火の前に立っているような心地よい温もりが、背筋から指先にかけて染み渡る。


 俺は思わず深く息を吐いた。

 「……ああ、これだ。これでようやく動ける」


 その様子を目の当たりにしていたシャーリアが、驚きで目を見開き、両手で自分の頬をぱん、と叩いた。

 

 「え、なに今の……まさか、創ちゃんがやったゆら? ただのコートがこんなに……。

 正直おら、今の今までただのおっさんかと思ってにゃのに、やるじゃーん!」

 

 彼女は半ば呆然、半ば興奮しながら、俺の肩を揺さぶる。

 グラウスも半ば口を開けたまま、感嘆を漏らす。

 「……まさしく見事なり」


 俺は苦笑しながら肩をすくめる。

 「……って誰がただのおっさんだよ」

 白い息と笑い声が、凍てついた森の静寂を少しだけ和らげ、ほんのりと温かい空気が流れた。


 コートに宿った陽だまりのような温もりが、ようやく俺の頬に血色を戻しはじめたころ、ルナテミスがゆっくりと振り返った。


 凍てついた森を吹き抜ける風が、勇者ルナテミスの長いマントをはためかせる。氷に覆われた木々が、まるで巨大な風鈴のようにかすかに音を立てた。


 「……修一よ」

 

 彼女の声は、深く、低く、しかしどこか柔らかかった。

 「そちは、そんなにも軽々と神の奇跡を行使しておるが……本当に大丈夫なのか?」

 

 彼女はじっと俺の目を見つめる。瞳の奥には懸念と、ほんの少しの畏れが滲んでいた。

 「創造主である、そちの実力を疑うつもりはない。

 だが、こうして奇跡を行使し続ければ、それなりの代償があるのではないかと、我は案じておる」


 俺は、その視線を正面から受け止め、ふっと息を吐いた。白い息が薄く宙に散る。

 その瞬間、頭の奥に、理論構築に刻まれた“ルール”が鮮明によみがえってくる。

 

 ――理論構築は万能ではない。

 ――対象・理論などを明確に定義すること。

 ――代償として、構築者自身の精神力を大幅に消耗すること。

 ――連続行使すれば、その反動は加速度的に増大し、やがて肉体にも影響が及ぶこと。


 俺は頭の中で、自分だけが知るその条項をひとつひとつ確認した。まるで契約書の条文を読み返すかのように。

 そして口元に小さな笑みを浮かべ、勇者に向かって首を横に振る。


 「心配してくれてありがとよ、ルナテミス。でも、いまのところはまだ“遊び”の域さ。

 これくらいなら、頭がちょっと重くなるくらいで済む」

 

 俺はそう言いながら、彼女に笑顔を見せる。

 「……ただ、使いどころは見定めるさ。俺も自分の限界は知ってるつもりだから」


 ルナテミスはしばらく黙って俺を見つめ、やがて小さく頷いた。

 「そうか……ならば、我は信じるだけだ。創造主の奇跡と、そちの慎重さを」


 凍てついた森の奥へと続く道。

 その先に待つものの重さを感じつつ、俺はコートの温もりを深く吸い込むように息をし、胸の奥でひそかに決意を新たにした。


 俺たちは、大魔女エリザシュア・ルミナが棲むという洋館を目指して、森の奥を歩いていた。


 俺が「竜に乗ったまま一気に屋敷の上空まで飛んで行けばいいんじゃないか」と口にしたら、シャーリアが呆れたように肩をすくめた。


 「無理だよ、創ちゃん。ここは大魔女のテリトリーにゃろす。

 あらゆる空間に魔術の罠が張り巡らされているから、飛び込んだら別の場所に転送されるか、最悪、即死の呪いを食らっちゃうみゃう」

 

 横でグラウスも小さく笑った。

 「然り、それで愚拙たちも過去、痛い目に遭わされた」


 そういえばそうだったな、と俺は思い出す。自分で創造した設定の一つだ。

 エリザシュア・ルミナの領域は、ただの森じゃない。


 認識を狂わせる霧、空間転移の罠、時間を止める氷結の魔術陣……あらゆる罠が交錯し、来訪者を惑わすのだ。


 そんなことを話しながら歩いていると、腹の底からぐぅ~と音が響いた。

「あ……そういえば昼に佐藤くんと、うどんを食ってから何も口にしてないんだよなー。流石に腹が減ってきた」

 

 俺がぽつりと言うと、悪戯っぽくルナテミスの方を向いて付け加えた。

「まぁ、どっかの誰かさんはたらふく食っていたけど~?」


 ルナテミスの眉がぴくりと動き、反抗心に火がついたようだった。

「なぬ~? 修一、それは我のことか?」

 

 少し身を乗り出して抗議しつつも、笑いを抑えきれない声で続ける。

「だが、我は悪くないぞ! あの美味すぎる氷菓子が悪いのだッ! がははっ!」


 森の静寂の中で響く二人の笑い声に、シャーリアもつられてくすくすと笑った。

 緊張と寒さの中、ほんのひととき、空気が和らぐ。


 俺がシャーリアとグラウスの方をちらりと見て、世間話のように口を開く。

「そうだお前らは、ちゃんと飯は食ってきたのか?」


 その問いかけに、グラウスの肩が小さくピクンッと震える。何かを言いたそうに、もじもじと身をよじる。

「グラウス、どうした? 何か言いたげな顔してんぞ」

 

 俺が声をかけると、グラウスはさらに小さく身をすくめ、耳まで赤くして、か細い声でつぶやく。

「……い、いえ、その……」

 それを横で見ていたシャーリアが、痺れを切らしたように肩を揺らしながら笑った。

 

「もう、グラウスちゃんったら! そんなことぐらい、自分で言えばいいのにー」

 シャーリアがにこにこ笑いながら、グラウスの声を代弁する。


「あのですね、創ちゃん。実はグラウスちゃんは、こんなこともあろうかと、早朝からお弁当を作っていましたのにゃー」


 その言葉に、グラウスは小さくて可愛らしいお弁当箱を取り出す。

 

 蓋を開けると、中にはホットサンドウィッチのようなこんがりと焼けたパン、卵焼きに彩り豊かなおかずがぎっしりと詰め込まれていた。


 小さな動物を模した食材もあり、思わず目が細くなるほど可愛らしい。


 パンは表面が香ばしく、卵焼きはほんのり甘く、全体からふわりと香るバターと出汁の匂いが食欲を刺激する。

 

 グラウスは顔を真っ赤にしながら、早口で言い訳を続ける。

「……拙作ながら、調理の過程において至らぬ点が多々散見されまして、かの天主のお口にお運びするには恐れ多い代物にございます。

 従いまして、此方は愚拙の方で、慎重に処理させていただこうかと……」


 俺はそんな彼の、早口で必死な言い訳を遮るようにして、

「よし、いただきまーす!」

 そんなことを口にしながら手を伸ばし、熱々のホットサンドを頬張る。

 

 口に入れた瞬間、驚きと幸福が一気に押し寄せた。

 

 確かに一部、焦げた部分はあるものの、香ばしさと旨味が絶妙で、それを差し引いてもべらぼうにうまい。

 思わず目を閉じて味わいながら、俺は叫ぶように言った。

 

「べらぼうにうまいぞ、グラウス! 息絶える瞬間に思い出すのは、この味ってぐらいうまいぞ!」

 グラウスは照れくさそうに目をそらし、少女のような澄んだ瞳で小さく呟いた。


「……ま、ま、誠に恐悦至極に存じます!」

 

 そして彼は、その隣で見ていたシャーリアに向かっても、感謝を漏らす。

「……ありがとう、シャーリア」

 シャーリアは軽く肩をすくめて、にこりと笑った。

「いいってことにゃあ~」


 するとルナテミスが目を輝かせ、食欲を隠せない様子で言った。

「おぉ、そんなに美味いのか! 我も食してみよう」


 残りのお弁当箱に入っていたものをすべて取り出し、一気に口に運ぶ。

「……あぁ、確かに美味い、美味い!」

 満腹になったお腹をぽんぽこ叩き、満足そうに声を上げる。


 その様子にグラウスの頬がぴくりと引き締まり、怒りと愛情が混じった声で叫んだ。

「ルナテミス……!

 よくも、この世において、創造主様のみが口にすることを許されるはずの、愚拙が拵えしお弁当を――ッ!」

 

 するとルナテミスは、満面の笑みで反論する。

「そちが、この弁当は処理するとか言うから、代わりに食してやっただけではないか!」


 ふたりは猫と鼠のように、小競り合いを始め、それを見ていた俺は、思わず口を挟む。

「……もしかして、あいつらふたり仲悪い?」

 シャーリアは肩をすくめ、軽く笑いながら答える。


「えぇ、あのふたりの仲は昔からあぁいう感じにゃろす~。

 大体ルナテミス様がやらかしがちなんですけどね」


 森の冷たい風が吹き抜ける中、俺たちの仲は暖かく深まりつつあった。


 ◇


 足元の雪がぎゅっ、ぎゅっと鳴る。


 森の奥は凍てつく世界で、ところどころ氷の彫刻みたいに妖精やエルフたちが固まっていた。

 お茶会の途中だったのか、カップを持ち上げたまま凍っている者、笑顔のまま凍っている者。どの顔も穏やかで、だからこそ胸が痛む。

 早く“終焉の穴”を塞いで、こいつらを解放してやらないと――そう思うたび、胸の奥で小さな焦りが燃え上がる。


 やがて氷づいた川に出た。陽光が反射して、川面は一面の青白い鏡だ。

 

 水際にだけ、なぜか鮮やかな赤い彼岸花が咲き誇っている。凍った世界にぽつりと現れるその赤は、目に痛いほどだった。

 そして、その花々の奥に“それ”はあった。


 氷の中に閉じ込められた男の亡骸。

 

 腹部が深く裂かれ、死の寸前の苦痛の表情のまま凍結されている。

 氷が心臓の鼓動をも閉じ込め、ほんの刹那で息絶えるはずの瞬間を永遠に固定しているようだった。


 「……死ぬ直前のまま凍らされたのか」

 ルナテミスが静かに呟く。

 「この男の子は、きっと今もなお、苦しみ続けているみゃあ……」

 シャーリアは小さく息を呑みそう答え、グラウスは眉間にしわを寄せた。


 俺は、その氷にそっと触れた。

 

 指先がびりりと痛むような冷たさ。表情の奥に、どこかで見たことがある顔の気配を感じる。

 

 ――誰だ……どこで……?

 

 でも、正直に言えばピンと来ない。

 漫画を描いていたのはもう十年以上前のことだ。

 あの頃のキャラや設定が、この世界に散らばっているのは分かっていても、全部を覚えているわけじゃない。


 そんなことを考え込んでいるうちに、背後から声が飛んできた。

「修一~! 何をしておる! 先へ進むぞ!」

 ルナテミスの呼び声だ。気づけばみんなはかなり先に行っている。

 慌てて俺は氷の亡骸から手を離し、駆け足で仲間たちを追った。

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